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悲しませたりはしない
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「兄様の条件……それは、ギュスターヴ殿下が剣の試合で勝利すること」
……また、無理難題を押し付けてきたじゃないか。
グレンは、『疾風迅雷』の異名を持つ皇国の矛。王国の将兵を数多く屠ってきた男だ。
初めて手合わせした時も、僕は完膚なきまでに叩きのめされた。
あの時だって、あの男なりに手加減をしていただろう。そうでなければ、木剣とはいえただでは済まなかったはずだ。
「いかがいたしますか?」
クレアが、抑揚のない声で尋ねる。
この女も、僕が勝利する見込みなどないことは分かっているだろう。それでも、この条件を引き出したことで、一応は借りを返したつもりなのかもしれない。
僕は。
「……分かった。その条件で構わない」
「っ!?」
まさか僕が受けるとは思ってみなかったようで、クレアが大きく目を見開いた。
自分がこの条件を持ってきたくせに、失礼な奴だな……。
「よ、よろしいのですか? あの時とは違い、これは正式な立ち合い。なら、ギュスターヴ殿下のお身体の保証はどこにも……」
「それも見越した上での条件なのだろう?」
「…………………………」
皮肉を投げかけると、クレアが押し黙る。
やはり、そういうことじゃないか。性格が悪い。
「で、では、勝負はいつ……」
「三か月後。場所は、この訓練場で、だ」
「「っ!?」」
突然割り込んできた声に、僕とクレアが慌てて振り返ると。
「たとえギュスターヴ殿下がなんと言おうが、これだけは譲れんわい」
「…………………………」
どこか楽しげな様子の、サイラス将軍がいた。
その隣には、思いつめた表情で僕を見つめる、アビゲイル皇女も。
「クレアよ、グレンの奴に伝えるがよい。『ギュスターヴ殿下が、必ずやお主を打ち倒す』とな」
「は、はい……」
まさかサイラス将軍まで絡んでくるとは思っていなかったので、クレアも恐縮して頷いた。
いや、僕だってこんなの予想外だったよ。
それよりも。
「……今夜、覚悟なさってくださいね」
「はい……」
アビゲイル皇女にじろり、と睨まれてしまい、僕もまた小さくなるばかりだった。
◇
「本当にもう……」
「す、すみません……」
その日の深夜、僕はお怒りのアビゲイル皇女に、ひたすら平謝りをしていた。
前回のグレンとの立ち合いでぼろぼろになった僕を、彼女が甲斐甲斐しく看病してくれたこともあり、勝手なことをしてしまってとにかく居たたまれない。
「で、ですが、あれほどグレイ卿との再戦を頑なに認めなかったサイラス将軍が、今回は認めたのです。つまり、僕にも勝機があるということ、です……ので……」
「…………………………」
ジト目で睨まれてしまい、僕の言い訳はどんどん尻すぼみになり、最後は消え入るような声になってしまった。
「……私は、グレン卿が力を貸してくださらなくても、構わないんです。そんな些細なことより、あなた様が怪我を成されることのほうが、どれだけつらいことか……」
「う……」
アビゲイル皇女は両手で顔を覆い隠し、これでもかと僕の心を抉ってくる。
どうしよう。グレンとの試合、やっぱり取りやめにしようかと思ってきた……って。
「ふふ、冗談です」
手の隙間から顔を覗かせ、アビゲイル皇女がちろ、と悪戯っぽく舌を出した。
その表情といい仕草といい、初めて見た彼女に、僕は胸を高鳴らせる。
「ア、アビゲイル殿下、それは反則です……」
「そうですか? でしたら何よりです」
熱くなった顔を両手で覆い隠す僕とは対照的に、アビゲイル皇女はどこか得意げだ。
本当に、彼女にはどれだけの表情があるのだろうか。
僕は、もっと他の表情も見てみたい……って。
「あの……」
「止めても、お聞きくださらないことは分かっています」
僕の胸に顔をうずめ、アビゲイル皇女が呟く。
見ると、少し肩を震わせていた。
「ですが、一つだけ約束してください……必ず、無事に私のもとへ帰ってきてくださると」
「アビゲイル殿下……」
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
誰よりも大切な女性が、こんなにも僕のことを心配してくれるのだから。
グレンを引き入れることができれば、皇国の全ての軍事力を手にすることができ、皇位継承争いにおいてブリジットよりも優位に立つことができるのに、それでも、彼女はそんなことよりも僕の無事だけを祈ってくれているんだ。
不義の子で、いらない存在の僕のことを、たった一人だけ心から大切に想ってくれているんだ。
「お約束します。僕は、絶対にあなたを悲しませないと。無事に、あなたのもとに帰ってくると」
「はい……はい……っ」
震えるアビゲイル皇女の小さな身体を抱きしめ、僕は心に固く誓った。
絶対に、この大切な女性を悲しませたりはしないと。
……また、無理難題を押し付けてきたじゃないか。
グレンは、『疾風迅雷』の異名を持つ皇国の矛。王国の将兵を数多く屠ってきた男だ。
初めて手合わせした時も、僕は完膚なきまでに叩きのめされた。
あの時だって、あの男なりに手加減をしていただろう。そうでなければ、木剣とはいえただでは済まなかったはずだ。
「いかがいたしますか?」
クレアが、抑揚のない声で尋ねる。
この女も、僕が勝利する見込みなどないことは分かっているだろう。それでも、この条件を引き出したことで、一応は借りを返したつもりなのかもしれない。
僕は。
「……分かった。その条件で構わない」
「っ!?」
まさか僕が受けるとは思ってみなかったようで、クレアが大きく目を見開いた。
自分がこの条件を持ってきたくせに、失礼な奴だな……。
「よ、よろしいのですか? あの時とは違い、これは正式な立ち合い。なら、ギュスターヴ殿下のお身体の保証はどこにも……」
「それも見越した上での条件なのだろう?」
「…………………………」
皮肉を投げかけると、クレアが押し黙る。
やはり、そういうことじゃないか。性格が悪い。
「で、では、勝負はいつ……」
「三か月後。場所は、この訓練場で、だ」
「「っ!?」」
突然割り込んできた声に、僕とクレアが慌てて振り返ると。
「たとえギュスターヴ殿下がなんと言おうが、これだけは譲れんわい」
「…………………………」
どこか楽しげな様子の、サイラス将軍がいた。
その隣には、思いつめた表情で僕を見つめる、アビゲイル皇女も。
「クレアよ、グレンの奴に伝えるがよい。『ギュスターヴ殿下が、必ずやお主を打ち倒す』とな」
「は、はい……」
まさかサイラス将軍まで絡んでくるとは思っていなかったので、クレアも恐縮して頷いた。
いや、僕だってこんなの予想外だったよ。
それよりも。
「……今夜、覚悟なさってくださいね」
「はい……」
アビゲイル皇女にじろり、と睨まれてしまい、僕もまた小さくなるばかりだった。
◇
「本当にもう……」
「す、すみません……」
その日の深夜、僕はお怒りのアビゲイル皇女に、ひたすら平謝りをしていた。
前回のグレンとの立ち合いでぼろぼろになった僕を、彼女が甲斐甲斐しく看病してくれたこともあり、勝手なことをしてしまってとにかく居たたまれない。
「で、ですが、あれほどグレイ卿との再戦を頑なに認めなかったサイラス将軍が、今回は認めたのです。つまり、僕にも勝機があるということ、です……ので……」
「…………………………」
ジト目で睨まれてしまい、僕の言い訳はどんどん尻すぼみになり、最後は消え入るような声になってしまった。
「……私は、グレン卿が力を貸してくださらなくても、構わないんです。そんな些細なことより、あなた様が怪我を成されることのほうが、どれだけつらいことか……」
「う……」
アビゲイル皇女は両手で顔を覆い隠し、これでもかと僕の心を抉ってくる。
どうしよう。グレンとの試合、やっぱり取りやめにしようかと思ってきた……って。
「ふふ、冗談です」
手の隙間から顔を覗かせ、アビゲイル皇女がちろ、と悪戯っぽく舌を出した。
その表情といい仕草といい、初めて見た彼女に、僕は胸を高鳴らせる。
「ア、アビゲイル殿下、それは反則です……」
「そうですか? でしたら何よりです」
熱くなった顔を両手で覆い隠す僕とは対照的に、アビゲイル皇女はどこか得意げだ。
本当に、彼女にはどれだけの表情があるのだろうか。
僕は、もっと他の表情も見てみたい……って。
「あの……」
「止めても、お聞きくださらないことは分かっています」
僕の胸に顔をうずめ、アビゲイル皇女が呟く。
見ると、少し肩を震わせていた。
「ですが、一つだけ約束してください……必ず、無事に私のもとへ帰ってきてくださると」
「アビゲイル殿下……」
こんなに嬉しいことがあるだろうか。
誰よりも大切な女性が、こんなにも僕のことを心配してくれるのだから。
グレンを引き入れることができれば、皇国の全ての軍事力を手にすることができ、皇位継承争いにおいてブリジットよりも優位に立つことができるのに、それでも、彼女はそんなことよりも僕の無事だけを祈ってくれているんだ。
不義の子で、いらない存在の僕のことを、たった一人だけ心から大切に想ってくれているんだ。
「お約束します。僕は、絶対にあなたを悲しませないと。無事に、あなたのもとに帰ってくると」
「はい……はい……っ」
震えるアビゲイル皇女の小さな身体を抱きしめ、僕は心に固く誓った。
絶対に、この大切な女性を悲しませたりはしないと。
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