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たった一人、想ってくれた人

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「……ブリジット殿下からあのを聞かされるまで、そんなことすっかり忘れていましたよ」

 少し湿っぽい空気になってしまったため、僕はあえておどけてみせた。
 あの後、鞭で打たれたせいで全身が腫れて、高熱でうなされていたっけ。

 余計な真似をしてはいけない、よい教訓になったよ。

「ですが、それがどうかしましたか?」
「……私は、自分の思い出を美化しすぎていたようです」
「え……?」

 ほとんど表情を変えることがないアビゲイル皇女が、これまで見たことがないような、怒りに満ちた表情を浮かべる。
 ……いや、一度だけ見たことがあった。

 処刑されたあの日・・・、ルイと聖女に向けて。

「あなた様がそんなにも苦しんだなんて、考えてもみませんでした。なのに私は、あなた様と再会することを夢見て、想いを馳せて、心待ちにして……本当に馬鹿です」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」

 悔しそうに唇を噛むアビゲイル皇女に、僕は思わず声を上げる。
 今の言葉ぶりだと、まるで僕と会ったことがあるみたいじゃないか。

 だけど僕には、彼女と出逢った記憶はない。
 先程の話だって、戦争中であるにもかかわらずストラスクライド皇国の皇女である彼女が、王宮を訪れるなんてことはあり得ない。

 なら、やはりあの女の子は、彼女であるはずがないんだ。

「……当時はまだ技術力もそれほど持ち合わせていなかった皇国は、王国との戦において物量差から劣勢に立たされていたんです」
「アビゲイル殿下……?」
「それで、皇国は王国に休戦協定を持ちかけました。雌伏の時を経て、反転攻勢に出る機をうかがうまで」

 待て。
 ということは、ブリジットが言っていた休戦協定の話は、嘘じゃなかったのか?

「休戦協定の締結の条件として、レ=ガリア海峡の制海権の他に、五人の王子・・・・・と婚約……いえ、婚約という名の人質として、私とブリジット、そのどちらかを差し出される予定だったんです」
「…………………………」
「私も皇女として生まれた以上、そのようなことは覚悟しております。ですが、当時病弱だった母が気がかりで、離れがたかった……」

 ……ここまでくれば、嫌でも理解する。
 あの時・・・の女の子が、アビゲイル皇女だということを。

「元々、お父様には私の母の他にもう一人……つまり、ブリジットの母親である第二皇妃がおります。今さら、死にゆく運命の母のことなど、考えるだけ無駄だったのでしょう。むしろ皇国を離れている間に息を引き取ればと、そんなことを思っていたに違いありません」

 アビゲイル皇女が、寂しげな表情で目を伏せた。
 事情は分からないけど、彼女にそう思わせるだけの何かがあったのかもしれない。

 だとしたら……悲しいな。

「そして、いよいよ王国との交渉の場で、私とブリジットは五人の王子に引き合わされました。ですが、五人全員から、侮蔑ぶべつの視線を向けられたのです。そのような者達と、どうして一緒になりたいと思いますでしょうか」
「…………………………」
「それでもなお、皇国のためにと躊躇ためらいもなく私の背中を押すお父様に、私は絶望を覚えました。それに、母のことも気がかりでしたので、その場にいたくなかった私は、隙を見て部屋から抜け出したのです」
「そして……僕と出逢った」

 アビゲイル皇女がゆっくりと頷くと、部屋に備え付けてある棚の引き出しを開け、宝石箱を取り出した。
 その中には。

「これ……」
「あなた様が騎士に連れて行かれた時、お召しになられていた上着から偶然落ちたものです……あなた様のお名前とこのボタンが、私の心の支えでした」

 確かに、このボタンは僕が身に着けていた上着のもの。
 彼女の言葉が、全て真実なのだと物語っている。

「あなた様は、泣きじゃくる私のために色々と手を尽くしてくださいました。あの五人の王子とは比べ物にならない……いえ、比べるのもおこがましいほど、優しいまなざしを向けて」
「あ……」
「分かりますか? あの時・・・私が、あなた様の優しさでどれだけ救われたか。どれだけ、あなた様が私の相手だったらと願ったか」

 いつの間にか涙をたたえていた真紅の瞳が、僕をとらえて離さない。
 ああ……一度目の人生・・・・・・で、あれだけ冷たさしか感じなかった彼女の瞳に、こんなにもたくさんの感情があったなんて……。

「だからこそ……だからこそ、私は許せません。あなた様をないがしろにし、傷つけ、捨て駒のように切り捨てた、王国の者全てが。そして……八年前のあの時・・・、苦しむあなた様に気づけなかった、私自身が」

 アビゲイル皇女の言葉に、想いに、心が震える。
 誰一人として僕の味方なんて一人もいないと思っていたのに、まさか、一度目の人生・・・・・・で誰よりも遠ざけようとしていた彼女こそが、誰よりも僕を見てくれていたなんて……。

 僕は……僕は……っ。

「う、うう……っ」
「っ!? ギュ、ギュスターヴ殿下!?」

 僕の瞳から、ぽろぽろと涙があふれ出す。
 死に戻り、復讐を除けば彼女に再び逢えればいいと、それだけだったのに。

 だけど……まさか、こんな不義の子の第六王子が、こんなにも想ってもらえていたなんて、思いもよらなかったんだ。

 それが、どれだけ僕の心を救ってくれたか……っ。

「アビゲイル殿下……アビゲイル殿下……っ」
「ギュスターヴ殿下……」

 感極まり、嗚咽おえつを漏らして彼女を抱きしめる。

 そんな僕の背中を、彼女は優しく撫でてくれた。
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