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婚約は、嫌じゃない

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「ギュスターヴ、おめでとう」

 ワイングラスを片手に、ルイがにこやかな表情を浮かべてやって来た。
 表面上は取りつくろっておかないと、王国にとって不要な人間を押し付けたのだと、皇国に受け止められてしまうからね。

 いや、ひょっとしたら僕との親密さをアピールすることで、今後の皇国との交渉などを有利に進めようという魂胆があるのかもしれない。
 いずれにせよ、そんなこと僕の知ったことじゃないけど。

 だから。

「今さらそのような心にもない言葉など、いただいても嬉しくありません」
「っ! ……はは、さすがに弟も、緊張してしまっているみたいだね」

 僕は吐き捨てるように言うと、無視を決め込んで食事に集中する。
 アビゲイル皇女をはじめ皇国の人間もいる手前、ルイは一瞬顔を歪めるものの、持ち直して張り付けたような笑顔を見せた。

「だけど、ギュスターヴだってこんな素敵な女性と一緒になれるんだ。内心嬉しいんじゃないか?」
「そのような当たり前のこと、いちいち聞かないでください。むしろ、そこまでおっしゃるなら、アビゲイル殿下との婚約のお話があった時点で、名乗り出ればよかったのでは?」
「な……っ!」

 僕の最大限の皮肉に、とうとうルイは険しい表情で身を乗り出す。
 あはは、感情が隠しきれてないよ……って。

「…………………………」

 ひょっとして、今の発言で僕がアビゲイル皇女との婚約を嫌がっているように受け止められてしまったか。
 その証拠に彼女、こちらを睨んでいるし。

「そ、その……」
「……ギュスターヴ殿下、少し夜風に当たりませんか?」

 なんとかして誤解を解こうと声をかけたところで、逆にアビゲイル皇女に誘われてしまった。
 もちろん、今の発言の意図についてちゃんと彼女に説明するためにも、このお誘いに否やはない。

「お誘いくださり、ありがとうございます。では……」

 僕は席から立つと、アビゲイル殿下の前でひざまずき、右手を差し出す。
 少し遠慮がちに細く小さな手を重ねた彼女を連れ、出席者達の視線の中、バルコニーへと出た。

 当然、残されたルイは空気以下の扱いになっている。いい気味だ。

「潮風が気持ちいいですね」

 アビゲイル皇女は、風で揺れる長く美しい髪を耳にかけ、そっと呟いた。

 今回の調印式が行われた場所は、港湾都市ノルマンドの海に面した屋敷で行われ、外に出れば目の前は一面海となっている。
 小波さざなみの音と月明かりが、優しく僕達を包み込んでいた。

「……ギュスターヴ殿下は、私との婚約は、その……お嫌ですか?」

 僕の顔をのぞき込み、アビゲイル皇女はおずおずと尋ねる。
 やっぱり、先程のルイとの会話を気にされているのだろう。

「先程のあの男との会話の件でしたら、誤解です。僕は、あなたのような女性ひとと一緒になることができて、本当に嬉しいです」

 真心を示す意味を込めて、僕は左胸に手を当てて答えた。
 この言葉に、偽りはない。

「本当、ですか……?」
「もちろん」

 表情こそ変化はないものの、アビゲイル皇女は胸に手を当てて安堵するように、ふう、と息を吐く。

 調印式の時に彼女に感じたのは、僕が署名したことへの驚きと戸惑いのようなもの。
 だから、僕との婚約に乗り気じゃないんだと思っている。

 一方で、晩餐会の料理には僕の好物ばかりを用意してくれたり、今のように僕の答えに胸を撫で下ろしたり。

 だからこそ、僕は分からなくなってしまう。
 アビゲイル皇女は、僕との婚約を……僕のことを、どう思っているのかが。

「ところで、この海の向こうにストラスクライド皇国があるのですよね?」
「はい」

 自分の気持ちに蓋をするかのように、僕は話題を変えてそんなことを尋ねると、アビゲイル皇女は頷いた。

「恥ずかしながら、僕はずっと王宮から出たことがないため、あなたの故郷のことを知りません。よろしければ、教えていただけないでしょうか」
「あ……あなたもこれから皇国で暮らすのですから、お知りになりたいですよね……」

 アビゲイル皇女は、皇国について語ってくれた。

 比較的暖かく過ごしやすい気候ではあるものの、皇都は霧が多く、夏でも寒くなる時があること。
 島国であるため、海産物が豊富に獲れ、一年中美味しい魚料理が楽しめること。
 景色がとても綺麗で、海に沈む夕日が特にお気に入りであること。

 もちろん一度目の人生・・・・・・で三年も暮らしていたのだから、どのような所なのかは知っているけど、少したどたどしくも丁寧に話してくれる彼女が可愛らしいと思った。
 僕が皇国のことを少しでも気に入るようにと、言葉や話題を選んでくれていることが分かるから。

「アビゲイル殿下のお話をお伺いしていると、今すぐ皇国に行きたくなってしまいますね」
「ギュスターヴ殿下に気に入っていただけるといいのですが……」
「もちろん気に入るに決まっています。だって……あなたの生まれ故郷なのですから」
「あ……」

 ……我ながら、少し卑怯だと思う。
 僕は彼女に気に入られるために、そんな聞こえの良い言葉ばかりを並べているのだから。

 僕は自分の復讐のために、彼女を利用しようとしているのだから……って、それは少しだけ違うか。
 復讐は理由の一つではあるけれど、あの日・・・の言葉の続きを知りたい……最後に見せてくれた、あの不器用な笑顔を見てみたいということこそが本音なのだから。

「……風邪を引いてはいけませんので、そろそろ戻りましょう」
「は、はい……」

 どこか名残惜しそうな仕草で、僕を見つめるアビゲイル皇女。
 僕は彼女の手を取り、少し足早に会場へと戻った。
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