マリベール

amaoh

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はじまり

聴こえない歌

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その日はいつも会う幼馴染のエルシアに遭遇しなかった為所々寝癖のついた髪でお店に着いた。

「おはようマール!あらあら。今日はやんちゃな少女ね。もうこっちにいらっしゃい。」

カシミアはそう言いながら櫛を取り出して椅子にマールを座らせた。ゆっくりと髪を梳かしながら

「マールはこのお店で働けて良かった?だって歌えないってだけでお客さんにキツく嫌な事言われたりするでしょ?私はそれを見るのが辛くて最初は心が痛かった。今は常連の人なら理解してくれてるからいいかもしれない。でもまた戦争するらしいの。」

カシミアは危惧していた。戦争をするとなるといつもの常連に軍人が追加される。戦地に赴く前に思い出としてお店に来店する様になるのだ。お客としては嬉しいのだが質が悪い。従業員が女の子しかいない為、しつこいナンパやつけ回し、身体を触ってくるセクハラなど多くの被害がでていた。マールも一曲歌えと強制されそうになった事があった。たまたま上官らしき人が来店しその場は収まったのだった。

マールは振り返りにっこりと笑いカシミアに感謝の表現をした。

「そっか。ありがとうマール!でも無理はダメよ?貴女も大事な従業員の一人なんですからね?…はい!出来た。」

綺麗に纏められた髪を嬉しく思いながら今日の歌姫セイレーンはいつも通り営業を始めた。
しかし、数日後予想通り軍人達は店に来店するのだった。

「姫ちゃん(カシミアの愛称)今日はお客さん多いね?店の外にまで溢れかえっていたよ!まぁ姫ちゃんの歌声が聴けるなら場所は厭わないけどね。」

ガッハッハと陽気に笑う常連さんはお酒を飲んで話しかけた。
カシミアが予想した通りに開戦の日時が国民に知らされてからというものお店には毎日多くの軍人達が来店していた。

「ありがとうございます。今からステージに上がりますからゆっくり楽しんで下さいね!」

カシミアが優雅にステージに上がると騒がし程の笑い声や話し声が一瞬で静まった。
曲が流れ始めカシミアが歌い出す。その歌声はお店の従業員や道ゆく人でさえ手を止め、足を止める。たった数分だが世界の時が止まり響くのは歌姫の想いであった。

この世界、作詞や作曲は歌う本人がする。時代の背景や境遇、世俗を歌うものもある。この時カシミアが歌った曲は戦争に行った想い人の帰りを待つ人のバラードだった。
聴衆は瞬きさえ、呼吸さえも忘れてしまう程で涙を浮かべながら聴く者さえいた。
歌い終わったカシミアは

「ありがとうございました。これから国は戦争をする事になります。ですが戦地に向かわれる一人一人に大切な人がいて帰り待っています。私もその一人です。軍人の方々必ず無事に帰ってきてまた私達の歌声を聴きにいらして下さい。」

わっと湧く客達はそれからしばらくその歌姫を称賛していた。

ここでは歌姫のカシミアだけが歌うのではないがカシミアの人選により厳しい練習を得てステージに立っている。だが恐れていた事態がおきる。

「こっち!エール追加。「」

せっせと働くマールはあるテーブルにエールを配膳した時だった。そこは魔法陸軍准将や大佐など幹部クラスの席であった。
ペコっと頭を下げて離れようとしたマールに一人の幹部が手をにぎる。

「君!肴にちょっと歌ってくれないか?ステージじゃなくここでいいから。」

マールは油断していた。魔法陸軍幹部は国でも相当な地位。簡単には断れない。話す事の出来ない彼女は助けを呼ぶ事すらままならない。

「ん?どうした?少しでいいんだ。さぁ!」

どうしようと焦るマールに近くの席にいた常連が割ってはいる。

「失礼。魔法陸軍の幹部の方々とお見受け致します。この従業員の子は声が出せないのです。常連の私どもでさえ聞いたことなどありません。」

恥ずかしがっているだけではないのか?ほら歌姫の様に歌うのだ!それとも我々の頼みは聞けないと?

酒に酔っていた幹部達は自らの地位を使いマールに歌を強制した。
自分だって歌いたい。声さえあれば場所なんて関係ない。歌姫という夢を追いかける事だって出来る。
伝えたい想いはこんなにあるのに伝える手段がない。
しかし、彼らの権力は無惨にもマールに歌えという。
逃げ出したい気持ちを抑えマールは歌う。聴こえる事のない歌を。

「んん?全く聴こえん。馬鹿にしておるのか?それとも魔道具なら聴けるのか?そんな魔道具なぞ開発するものさえいないだろうがな。はっはっは!」

店全体が盛り上がりカシミアや他の従業員はマールの状況など知るよしもなかった。それでも彼女は歌い続けた。それを幹部達は面白がり更に酒を煽った。
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