World of Fantasia

神代 コウ

文字の大きさ
上 下
1,289 / 1,646

月光写譜

しおりを挟む
 彼は外の護衛でるドミニクと話でも合わせていたかのように、同じ口上から始まる。

 「君達が思っている通り、私は招待されたからアルバへ来た・・・と言う訳ではない。勿論それもあるが、私にはもっと重要な任務が与えられていた」

 「任務・・・?」

 「少し大袈裟な言い方だったか。私が赴任している街“クレール“はアルバからそう遠くない位置にある、比較的新しい街だ」

 ベルヘルムの言う街クレールは、新しく街として大きくなり始めたばかりのところらしく、それ故にまだ統治が堰堤している訳ではなく、金銭的にも厳しい面があるのだと言う。

 そこでクレールが力を注いだのが、芸術だったのだ。取り分け期待を込めていたのはアルバと同じく音楽だった。街並みや人々の心を穏やかにしたいと願いを込め迎えた音楽家がベルヘルム・フルトヴェングラーという音楽家だった。

 多大な資金を払い迎え入れたベルヘルムに、クレールの未来が託される。彼の活動はたちまち有名となり、その期待に応えるようにしてクレールの金回りは良くなっていった。

 未だアルバ程ではないが、様々なところから観光客がやって来ては劇場が設立されていき、多くの楽団を抱えるようになっていく。音楽による他国や他の街などとの物流により、音楽の歴史的に珍しい物や貴重な物も増えていく事で、歴史的な博物館の数も増えていったそうだ。

 「そんな発展途上の街であるクレールに、とある物品が巡って来たのだ」

 「とある物品?」

 「そう、このアルバにゆかりのある物だ。君はこの街で最も有名な音楽家の名前を知っているかな?」

 不意に話を振られたのは、明らかに余所者で素性の知れないシンだった。アルバに関わりがなく、最も音楽に疎い人物であるのを見抜いてのことなのかは定かではないが、彼の言う有名な音楽家の名前が世界に知れ渡っていることを証明するには十分だった。

 事前にツクヨとアカリがアルバの街を散策していた時に見つけた、現実世界でも耳にしたことのある有名な音楽家の名前が、シンの脳裏に蘇る。

 「確か・・・バッハ・・・だったか?」

 「そう。音楽に詳しくない者でもその名を耳にするくらいに有名なその音楽家。後に音楽の父とも呼ばれるその偉大な音楽家の名は“ヨルダン・クリスティアン・バッハ“。彼にゆかりのある貴重な代物が、クレールへ流れ着く事になった」

 ベルヘルムの語るそのバッハにゆかりのある代物とは、何かの楽譜だったようだ。それもただの楽譜ではないようで、バッハがまだ音楽を学んでいた頃、師としていた人物の楽譜を写したという物だった。

 バッハの遺物はそう多くは残されておらず、その殆どはゆかりのある地であるアルバに集められる。その楽譜の写しというのは、彼が音楽の師の元で学んでいる頃、師に何度も頼み込んでいた楽譜の写しだったのだという。

 しかし、バッハの師も他に多くの弟子を抱えており、そんな彼らの手前バッハにだけ楽譜を写させるわけにもいかず、何度も断っていたのだという。

 だが、バッハの音楽への意志は強く、夜な夜な師の楽譜が閉まってある部屋に忍び込むと、月明かりの中それをこっそりと書き写していた物らしい。結果として、後日そのことがバレてしまったバッハは、書き写した楽譜の写しを没収されてしまうが、すでにその内容は彼の頭の中に刻まれていた。

 それが後のバッハに大きな影響を与えたのではないかと語られることも多い。没収された楽譜の写しは、その後行方をくらましてしまったようだが、後の時代にクレールの街へと流れ着いたのだ。

 そのような貴重な代物を手土産に、クレールはアルバと提携を結ぼうとしていたようだった。互いの利益の為に、音楽業界の発展の為にと持ち込まれたその楽譜は、“月光写譜“と呼ばれ、ベルヘルムがアルバに到着する前に、先にアルバへ送られていた。

 それは一度マティアス司祭の元へと届けられ、そこからクリスの手でジークベルトの元へと渡ったそうだ。つまり、ベルヘルムがクリスを使って届けさせた物というのは、そのバッハの残した貴重な代物である月光写譜だったのだ。

 お返しにベルヘルムは、ジークベルトから珍しい茶葉を受け取ったらしい。それが今、シン達の前に出されている紅茶だった。

 「別に隠していた訳ではない。だが、あまり公にもしたくない取引だった。ただそれだけだよ。君達が私へ向ける“疑い“の正体とは」

 「そうだったのですね・・・」

 事件の事に関して、大きな動きが掴めるかと思っていたケヴィンだったが、ここでもジークベルト殺害の真実に近づく事はできなかった。否、近づくということはなかったかも知れないが、ベルヘルムに関しての大きな情報を得ることができた。

 彼にジークベルトを殺害する動機はない。

 アルバに変化の風を起こそうとしていたジークベルトに、謂わば媚を売るようにバッハの遺品を届けたベルヘルム。彼にとってジークベルトの死はマイナスでしかないのだから。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

ハズレスキル【分解】が超絶当たりだった件~仲間たちから捨てられたけど、拾ったゴミスキルを優良スキルに作り変えて何でも解決する~

名無し
ファンタジー
お前の代わりなんざいくらでもいる。パーティーリーダーからそう宣告され、あっさり捨てられた主人公フォード。彼のスキル【分解】は、所有物を瞬時にバラバラにして持ち運びやすくする程度の効果だと思われていたが、なんとスキルにも適用されるもので、【分解】したスキルなら幾らでも所有できるというチートスキルであった。捨てられているゴミスキルを【分解】することで有用なスキルに作り変えていくうち、彼はなんでも解決屋を開くことを思いつき、底辺冒険者から成り上がっていく。

転生貴族の異世界無双生活

guju
ファンタジー
神の手違いで死んでしまったと、突如知らされる主人公。 彼は、神から貰った力で生きていくものの、そうそう幸せは続かない。 その世界でできる色々な出来事が、主人公をどう変えて行くのか! ハーレム弱めです。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました~科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
夏井カナタはどこにでもいるような平凡なサラリーマン。 そんな彼が資金援助した研究者が異世界に通じる装置=扉の開発に成功して、援助の見返りとして異世界に行けることになった。 カナタは準備のために会社を辞めて、異世界の言語を学んだりして準備を進める。 やがて、扉を通過して異世界に着いたカナタは魔術学校に興味をもって入学する。 魔術の適性があったカナタはエルフに弟子入りして、魔術師として成長を遂げる。 これは文化も風習も違う異世界で戦ったり、旅をしたりする男の物語。 エルフやドワーフが出てきたり、国同士の争いやモンスターとの戦いがあったりします。 第二章からシリアスな展開、やや残酷な描写が増えていきます。 旅と冒険、バトル、成長などの要素がメインです。 ノベルピア、カクヨム、小説家になろうにも掲載

【完結】憧れの異世界転移が現実になったのでやりたいことリストを消化したいと思います~異世界でやってみたい50のこと

Debby
ファンタジー
【完結まで投稿済みです】 山下星良(せいら)はファンタジー系の小説を読むのが大好きなお姉さん。 好きが高じて真剣に考えて作ったのが『異世界でやってみたい50のこと』のリスト。 やっぱり人生はじめからやり直す転生より、転移。 転移先の条件としては『★剣と魔法の世界に転移してみたい』は絶対に外せない。 そして今の身体じゃ体力的に異世界攻略は難しいのでちょっと若返りもお願いしたい。 更にもうひとつの条件が『★出来れば日本の乙女ゲームか物語の世界に転移してみたい(モブで)』だ。 これにはちゃんとした理由がある。必要なのは乙女ゲームの世界観のみで攻略対象とかヒロインは必要ない。 もちろんゲームに巻き込まれると面倒くさいので、ちゃんと「(モブで)」と注釈を入れることも忘れていない。 ──そして本当に転移してしまった星良は、頼もしい仲間(レアアイテムとモフモフと細マッチョ?)と共に、自身の作ったやりたいことリストを消化していくことになる。 いい年の大人が本気で考え、万全を期したハズの『異世界でやりたいことリスト』。 理想通りだったり思っていたのとちょっと違ったりするけれど、折角の異世界を楽しみたいと思います。 あなたが異世界転移するなら、リストに何を書きますか? ---------- 覗いて下さり、ありがとうございます! 10時19時投稿、全話予約投稿済みです。 5話くらいから話が動き出します? ✳(お読み下されば何のマークかはすぐに分かると思いますが)5話から出てくる話のタイトルの★は気にしないでください

転移した場所が【ふしぎな果実】で溢れていた件

月風レイ
ファンタジー
 普通の高校2年生の竹中春人は突如、異世界転移を果たした。    そして、異世界転移をした先は、入ることが禁断とされている場所、神の園というところだった。  そんな慣習も知りもしない、春人は神の園を生活圏として、必死に生きていく。  そこでしか成らない『ふしぎな果実』を空腹のあまり口にしてしまう。  そして、それは世界では幻と言われている祝福の果実であった。  食料がない春人はそんなことは知らず、ふしぎな果実を米のように常食として喰らう。  不思議な果実の恩恵によって、規格外に強くなっていくハルトの、異世界冒険大ファンタジー。  大修正中!今週中に修正終え更新していきます!

ちょっと神様!私もうステータス調整されてるんですが!!

べちてん
ファンタジー
アニメ、マンガ、ラノベに小説好きの典型的な陰キャ高校生の西園千成はある日河川敷に花見に来ていた。人混みに酔い、体調が悪くなったので少し離れた路地で休憩していたらいつの間にか神域に迷い込んでしまっていた!!もう元居た世界には戻れないとのことなので魔法の世界へ転移することに。申し訳ないとか何とかでステータスを古龍の半分にしてもらったのだが、別の神様がそれを知らずに私のステータスをそこからさらに2倍にしてしまった!ちょっと神様!もうステータス調整されてるんですが!!

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

処理中です...