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巡らぬ思惑
しおりを挟む間近に迫るロッシュに、グレイスは長さのある鞭を逆の手に持ち替え、そして利き手に近距離用の短い鞭を取り出し迎え撃つ。
ロッシュの差し伸べる手の袖から短剣が現れる。刃からは毒と思われる雫が光っている。短剣をくるりと回し、武器を逆手持ちで握るとそのグレイスへ向けて振り抜く。
それをはたき落とそうと、グレイスは短い鞭の方で応戦する。だが、やはりロッシュは無策で突撃を仕掛けている訳ではなかった。
シルヴィとの戦いで見せたのは、麻痺の毒や散らばった短剣を飛ばすことだけではない。もっと不可解で危険なもの、シルヴィが最も悩まされ苦戦を強いられたロッシュのサポートをするものの存在。
グレイスが刃を向けるロッシュの腕目掛けて、鞭を振り下ろす。しかしその刹那、彼女の攻撃が空を切る。ロッシュの攻撃を叩く為に振り下ろした筈なのに、彼女の攻撃が早かったのか、タイミングを見誤り攻撃が来る前に振り下ろしてしまった。
いや違う。それは彼女の表情を見ても分かる。今度はグレイスの額から大粒の汗が流れ落ちる。攻撃を仕掛けた彼女自身が一番驚いているといった様子だった。それはまるで、何故攻撃が外れてしまったのか理解できないといった様子で・・・。
ロッシュは困惑する彼女の表情を見ると、ニヤリと笑いそのまま刃を振るう。我に帰ったグレイスが、ロッシュの一撃を回避する為、咄嗟に頭を後ろに下げた。だが彼の攻撃を完全に避け切るまでには至らず、喉元を彼の刃先が通り過ぎる。
刃の先からは、毒で濡らすその刀身の液体が赤く染まり、僅かだがグレイスに傷を負わせた。たったの一撃だが、シンやシルヴィには絶望的な光景に見えたことだろう。未だ彼らを縛る麻痺の状態異常が、グレイスの身体を蝕むのも時間の問題になってしまったのだから。
「うッ・・・!まさか懐に入られようとは・・・」
「それだけじゃぁない、もう勝負は決まった様なものだ。そこらで転がってるお仲間さん達の面を見てみろ、まるでお通夜だぜ・・・」
シンやシルヴィ、一部始終を見ていた倒れる仲間達。その表情は、最後の望みが絶たれたかのような絶望に打ち拉がれ、ただただ言葉を失い沈黙が広がるだけだった。
グレイスは傷口を腕で拭い、それまでの激しい戦闘で乱れた呼吸を整えるように、肩を大きく上下に揺らす。辺りを見渡し仲間の顔を一人一人伺うが、誰一人目が合わない。皆一様にグレイスから視線を逸らし、頼れる存在が弱るところを観ていられないと、俯く者ばかり。
「さぁ・・・再開といこうじゃねぇか。何せお前が満足に動ける時間は限られちまったんだからな。早くしねぇとコイツらみてぇにつまんねぇ戦いになっちまう」
そう言うと、グレイスに一撃を入れたロッシュは空けていた距離をジワジワと歩きながら詰めて来る。息を飲み、再び武器を構えるグレイス。
疲労からか、多少鞭を振るうスピードこそ落ちたものの、技のキレは変わらず鋭い。流石は荒くれ者達を束ねる海賊の船長。短剣に塗られた多少の毒程度では、その巡りが遅いのか動きはまだ鈍くなっていない。
ロッシュもこれ以上のダメージは負わないよう、ある程度距離をおいてグレイスの身体が毒に侵されるのを待ってから、安全に嬲ろうと鞭を躱しながら、辺りの短剣を使って時間を稼ぐ。
だが、目が肥えて来たのかグレイスはダンサーのスキルを使いながら短剣を避けつつ、自身を強化しながら鞭を振るう。再び勢いを取り戻したグレイスの攻撃が、ロッシュを襲い始め、鞭が彼の身体を擦る。
「ふん・・・流石はと言ったところか。なかなかにしぶとい」
しかし、待てども暮らせどグレイスに異変が訪れることはなく、寧ろ攻撃を防ぎ切れなくなってきたのはロッシュの方だった。彼の余裕は次第に疑問へと変わる。何故グレイスだけ、麻痺の効果が出るのが遅いのか。
「おかしい・・・何故毒が効いてこない・・・?」
徐々にロッシュの中で疑問が肥大していき、戦いの最中だと言うのに集中力が分散する。隙を突かれたロッシュは、グレイスの鞭で足元をすくわれバランスを崩す。そこへ空かさずしなる鞭のフォールが彼の喉元を掠る。
喉を伝う生暖かいものを、指先で拭って確かめるロッシュ。グレイスが狙ったその傷は、ロッシュが彼女に与えた傷と同じ箇所に作られていた。自分の手に付いた血から、グレイスに視線を移すと彼女は僅かに口角を上げ、すこし俯いてその表情を隠すような体勢をしていた。
この時、ロッシュは確信した。グレイスは分かっていて隠している。彼に悟られないよう、術中にハマっているかのように見せかけて油断させていたのだ。
そして何故だかは分からないが、グレイスには状態異常が効いていないということ。だからこそ、慌てるでも無く彼女は平然と戦っていられたのだ。
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