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第一章 天使な沙織

沙織の泣き声

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「よぉ、はよ」
「え、あ、おはようございます……っ!」

  私が寝不足気味な顔を洗っていると、夕陽先輩が起きてきた。
 夕陽先輩は寝起きが悪いようで、朝はずっと不機嫌顔をしていることが多い。
 ものすごくこわくて今でも萎縮しちゃうけど、怒っているわけではないみたいだ。
 ……た、多分。

 そういうことにしておいて、夕陽先輩とさりげなく距離を置く。
 こわくて近寄りたくない。
 朝の夕陽先輩は、そこらの不良と同じくらいこわい顔をしているから。

「あー、今日も早いのか?」
「えっ……! あ、はい……一応朝練が……」
「そっか。大変なんだな」
「は、はい……でも、好きで入った部活なのでそこまで苦じゃないと言いますか……」

 ビクビクしながら夕陽先輩と会話する。
 まあ、これはいつものことだから大丈夫だ。
 ……でも、もし夕陽先輩を怒らせたらと思うと身の毛がよだつから、そこは大丈夫じゃないんだけど。
 はやく慣れないと……

「お前ってさ、どうして馬が好きなんだ?」

 夕陽先輩は突然、変なことを聞いてくる。
 いや、変ではないか。
 でも、なんでこのタイミングでそんなことを聞いてきたのだろう。

 どうして……と言われても、好きなものは好きだからとしか答えようがない。
 ずっと前から好きで、昔から動物そのものが好きで、その声を聞くのが当たり前で。

『今日はどんな話を聞かせてくれるの?』
『あなたと出会えてよかったわ』
『さようなら、沙織』

 その言葉を……声を思い出した瞬間、涙が溢れてきてしまった。

「ど、どうしたんだ……!?」

 それにはさすがの夕陽先輩も驚いたようで、眠気が完全に覚めた表情をしている。
 でも、今の私には夕陽先輩に「なんでもないから大丈夫です」と言えるだけの余裕はなかった。
 ボロボロと子どもみたいに泣きじゃくることしかできない。

「うっ……シロぉ……」
「お、おい……ほんとに大丈夫か……?」

 思わず、その名前が口から出てしまった。
 私の初恋の相手と言っても過言ではない。
 シロ――それは正式な名前ではないけれど、私にとっては『シロ』なのだ。

 もちろん人間ではなく、昔通っていた乗馬クラブの中でも特にお気に入りの馬だった。
 優しくて賢くて、昔の私にとって頼れるお姉さん的存在。
 ……だったんだけど、とある事件がきっかけでその乗馬クラブから姿を消した。

 ――私を、守るために。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわっ!?」

 もう子どもみたいにじゃなくて、子どもに戻って大きな泣き声をあげた。
 あの時だってこんなに泣いたかどうかわからない。
 時間が経っても……いや、経ったからこそ、悲しみが膨れ上がってしまうのもなのだなと思った。

 夕陽先輩はどうすることもできないようで、ひたすら私が泣き止むのを待ってくれていた。

「……うっ、ぐすっ……」
「もうおさまったか?」
「はいっ……お騒がせ……しました……っ」

 あれからどれくらい経ったのかわからないけれど、朝練には間に合わないだろうということはわかる。
 ……馬たちに申し訳ない。

「すまん。僕が変なことを聞いたせいだよな。……嫌なこと思い出させちゃったか?」
「い、いえ……! そういうことでは……!」

 泣いてしまったのは、こちらの問題だ。
 それに、嫌なことを思い出したわけではない。
 この記憶は、私にとって大切なもの。
 だから、夕陽先輩は申し訳ない顔をしなくてもいいし、そこまで私のことを気にかけてくれなくても大丈夫だ。

「でももう朝練には間に合わないよな……」
「あー、もう今日は大丈夫です。どのみち、今馬に会うのはつらいというか……」
「やっぱり、なにかあったんだな」

 夕陽先輩の言う通りだけど、まだ他の人にこれを話すだけの心の余裕はない。
 いつか話せたら、気持ちが軽くなるだろうか。
 泣かずに、あれはいい思い出だと言える日は来るだろうか。

「ま、深く干渉する気はないけどさ、自分の気持ちはコントロールできるようにした方がいいぞ」
「気持ちのコントロール……」

 確かにその通りかもしれない。
 今みたいに感情を抑えられなくて暴走しちゃうと、だれかに余計な心配をかけてしまうことになる。
 夕陽先輩と話していると、色々と気付かされてばかりだ。

「ありがとうございます、夕陽せんぱ」
「じゃないと――この世界を滅ぼしてしまうことになりかねんからな……!」
「……はい?」

 夕陽先輩の衝撃の一言に、思わず間の抜けた声を出してしまった。

「僕も日々、怒りの感情だけは常に抑えるようにしているんだ。そうじゃないと、僕の中に眠る超パワーが溢れ出してしまうからな」
「は、はぁ……」

 謎の厨二病スイッチが入ってしまったらしい。
 こうなると、しばらくは止められない。
 夕陽先輩の超パワーの話を聞きながら、これからどうしようかということを必死で考えていた。
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