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ニッポニア編

84 変身

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 アイリンは自分の体に起きた異変に、然とした。

(な、何でこんなことに……?)

 はだけた着物の襟元かに下がった、細工物のペンダントに手が触れた。

 その瞬間、異変の原因がはっきりとわかった気がした。
 おそらく……間違いない。
 アイリンはペンダントを掴むと、そっと首から外した。

 ………が、何の変化も起こらない……。
(これが原因だと思ったのに、違うのか……?)

 手に握ったペンダントを眺めて考える。
「……!もしかして……」

 アイリンは、手に握っていたペンダントを座敷の上に置いた。
 その途端、全身の筋肉が悲鳴を上げた。手足ががれんばかりにギューーーッとねじりあげられ、締め付けられ、あまりの痛みにうめき声を上げた。

 激しい眩暈めまいがして座敷に座り込んでいた。
 背中にびっしりと冷や汗をかいていたが、これでようやく呑み込めた。

 この細工物のペンダントにめ込まれているのは “とんでもない魔石” だと……。

(女が男に変わる石!……そんなとんでもない物がこの世にあったなんて!)
「ふ、ふははははは……」
 笑いが込み上げた。

(誰が持ち込んだのか知らないけれど、があれば……)

 アイリンはペンダントを首に掛けると、再び男に変身した。
 その足で店の男衆《おとこしゅう》の部屋に忍び込むと、着るものを漁《あさ》った。祭りの今日は、誰も彼も出払っている。
 自分の部屋に戻り、押入れの奥の土壁の隙間に溜め込んでいたカネを全部集めると、何食わぬ顔をして、入り口に向かった。

「あら、旦那もうお帰りですか?」

 姐さんに呼び止められて、
「ああ、急な用を思い出してね……黒曜様によろしく言っといてくれ」
 と言いながら、誰かの雪駄せったを下駄箱から出して履いた。

「またのお越しを」
 背中に姐さんの声を受けながら、アイリンは足早に店を出た。

 今日なら……祭り客でごった返している今日なら、この町を出ることも可能かもしれない、そう思ったのだ。
 女の姿では花街の門を出るのは不可能だが、この姿なら……
 人が行き交う花街の大店おおだなの赤い格子の向こうから、女たちの声が掛かる。

「そこのお兄さん、寄ってかないかい?」
「お兄さん、いい男だねえ。遊んでっておくれでないかえ」

 花街の門が見えて来た。祭りの夜とあって入って来る者は多いが、出ていく者は少ない。入って来る客目当ての客引きが、何人かたむろしている。

「旦那、いい娘がいますよ、ご案内しましょう」
 入って来る男たちを、客引きが誘う。

 アイリンはその横をずんずんと歩いて門番の横を通り過ぎる。

「旦那、今日はもうお帰りですかい?」
「……ああ、用事を思い出してな。また来るよ」
「またのお越しを!」


 * * *


 夜空に上がる花火を眺めながら、出演者の控えの席で “舟行列” の出演者は順位発表を待っていた。

 四角く囲った木枠でできた畳2枚分ほどの席が、それぞれの舟ごとに割り振られている。オリヴィンは一緒に船に乗った女雛役の芸妓ヒナギクと、その枡席ますせきに座り発表を待っていた。

 その隣の枡にはアイリンとシンスケの代わりに黒曜とデュモン卿が座り、もう一つにはジェイドが男雛役を勤めた船の芸妓が座って、振舞われた料理を食べている。

 そこへ月華楼でアイリンの看病をしていたジェイドが戻って来た。

「黒曜様、アイリンは無事に目を覚ましました。お医者様も心配ないとおっしゃっております」

「そうですか。ありがとう、翡翠殿。今回のことは本当に、翡翠殿がいらっしゃらなければ、どのようなことになっていたことか……」

「いえ、私はオリィの真似をしてみただけです。以前、彼が川の水を操るのを見ていたので、真似まねてみたらできたというだけで……」
 ジェイドは少し嬉しそうな恥ずかしそうな表情で、オリヴィンを見た。

「海の水を手の平のようにして、みんなを救いあげたんだって? 見たかったなあ」
 オリヴィンも嬉しそうだ。

「あ、黒曜様。申し訳ないのですが、慌てて出て来てしまって、着替えたところにあのペンダントを忘れて来てしまったようなんです。後日で構いませんので、取っておいていただけますか?」

「わかりました。いろいろ忙しくさせてしまいましたからね。後日必ずお届けします」
 黒曜はうなずいて、ジェイドに笑みを返した。


「……ええと。月華楼の控えの席はこちらでいいんですか?」
 男の声がして、シンスケの顔が見えた。

「シンスケさん、アイリンさんの介抱かいほうをしていたんじゃ?」
 ジェイドが意外そうな声を上げる。

「……アイに……その、“出てけ” っておん出されちまって……」

「それは申し訳ないことを。……命の恩人に向かって、あの娘はなんてことを……」
 黒曜が申し訳なさそうにシンスケをとりなす。

「俺が余計なことを言っちまったんです。……親父さんに手紙を書けなんて言ったから……」
「それにしても……。シンスケ殿はアイリンとは昔馴染みだったのですか?」

 シンスケはどんよりした顔で、
「あいつは……アイは、幼馴染なんでさ。……家の事情であいつが売られることになっちまって……」
「そうでしたか……」

 ジェイドは、アイリンのあの炎のように赤い目を思い出していた。
 傷ついた心をむき出しの敵対心で覆い隠しているような激しい目……あれは嫉妬だったのだろうか……私の傍に父がいたから?

「アイは、親父さんや村のもんを恨んでるんです……」
 シンスケがポツリと呟いた。


 辺りがざわざわと騒がしくなって来た。向こうのほうから大きな声が聞こえて来る。
「順位が決まったぞ!」
「黒曜様!」
 月華楼の男衆が飛び込んで来る。

「黒曜様! 今発表がありましたっ! 我々の船が今年の一番を取りましたっ!!!」
「おおっ、そうですか!」
 そこにいた全員が色めき立って、興奮を新たにする。
「ヒナギクの船が一等ですっ!」

 オリヴィンとヒナギクは互いを見て、喜び合った。
「よかったでですね!」
「オリヴィン様のお陰ですわ」
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