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旅編

53 蘇る記憶

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『やはり、追加の条文は無くなっていました』
 というヘリオスからの知らせが、その翌日に届いた。

 もうあと三日で月が変わる。月が変わればまもなくジェイドは十八歳の誕生日を迎えてしまう。そうしたら、第八王子は躊躇ためらうことなくジェイドに婚約を迫って来るだろう。

(もう決闘の『果たし状』を作っても良いかもしれない…ここまで来てジェイドを奪われるなんて、到底我慢できない…)
 オリヴィンは意を決して、デュモン卿の部屋のドアを叩いた。
「入れ」
 の声にドアを開けると、机の上に沢山の魔石を並べたデュモン卿がこちらを振り返った。
「お主か…」
「はい。デュモン卿、お願いに参りました」
「…何だ?…まあ、おおかた予想はつくが」
「俺に決闘の許可をください!」

「……勝算はあるのか?」
「…あります!」
 デュモン卿はフンッと短く息を吐くと、言った。
「どんな魔石を使うか、言ってみろ」

「え?はい。…火焔石、でしょうか」
「…でしょうか、とは何だ⁉︎そんな物では、エルカリアには勝てん」
「では、湧水石と氷石で…」
「却下だ」

「…では…『振動ヴァイブレーションストーン』ではどうでしょうか?」
 その言葉に、デュモン卿の眉がピクリと動いた。
「お主、『振動石』を使ったことがあるのか?」
「…先日王宮に行った時、『魔石適性テスト』を受けました。その時に」
「そうか…」
 デュモン卿は机の上に並べていた魔石をオリヴィンに見せると、
「この中から石を選んでみろ」
 と言った。
 オリヴィンは机の上の魔石を、一つ一つ見ていった。

(これは、湧水石、…火焔石、…振動石!)
 オリヴィンは『振動石』を見つけると指差して、
「持ってみてもいいですか?」
 と尋ねる。デュモン卿が頷くのを待って、その赤黒い石をそっと左手に持った。
(振動している…)
 その石の振動を感じると、すぅ~と頭の中が静かになる感じがした。
 頭の中に、この島へ来た時の飛空艇から眺めた、上からの景色が浮かんだ。
 緑のジャングルが豊かに広がり、それに続く美しい街、家々と塔のある宮殿…
 とても穏やかな気持ちだ。フイと指に力を込めてみる。

 ズズズズズズズズズ………ズンッ…
 地面の底から何かが這い上がって来るような地鳴りが聞こえ、島全体が揺れた。
 ハッと目を開けると、デュモン卿が石を取り上げていた。
 外や階下で人々が騒がしく走り回る声がする。
『地震だ!』『地震だ!』
 人々が口々に叫んでいる。

「…これは、決闘向きではないな…」
 デュモン卿が少し焦った顔でつぶやいた。
 階下から誰かが駆け上がって来る。バンッとドアが開いて、ジェイドが駆け込んで来た。
「今、揺れたよね⁉︎大丈夫だった?」
 ジェイドはオリヴィンがバツの悪そうな顔で振り向いたのを見て、同時にデュモン卿が手にしている石に気がついた。
「…まさか、今のオリィじゃないよね…?」

 何も言わない二人の反応に、ジェイドは正解を見つけたようだ。
「そんな…なんて力…」
 ジェイドはそのとてつもない威力にただ驚いた。
 先程の地震が、オリヴィンが『振動石』を使って起こしたものであることが、信じがたく空恐ろしい気がしたが、同時に頼もしくも思った。

 デュモン卿は渋い顔をしていたが、思い直したように目線を上げると
「まあ、少し訓練すれば、何とかなるかもしれん…」
 と言い出した。

「最初は小さい物からやってみよう」
 デュモン卿は、空になっていた紅茶のカップを取ると、
「これに集中してみろ」
 とオリヴィンの前に置いた。続いて『振動石』をそっと彼の手に握らせる。
 オリヴィンの左目がキラリと輝いた。
 “メキッ…”っと音がして、そこにもうカップは無かった。
 小さな砂粒がテーブルの上で円錐状に盛り上がっていた。
 デュモン卿がオリヴィンの手からすぐさま石を取り上げる。

「ふむ、これを人相手に使うのは、さすがにまずいな…」
「相手の魔石を壊せばいいのよね?」
 二人の様子を見ていたジェイドが声を上げた。

 それを聞いて、二人も頷く。
「そうだな、それが見えていれば壊せる可能性がある」

 そう言えば…とオリヴィンは記憶の中に『魔石を粉々にした記憶』を見つけた。妹の記憶だ。まだ8才だった妹が魔石を粉々にしたのだ。

(あの時初めて、妹の能力が目覚めたんだっけ…あんな感じで壊せばいいんだな…)
 オリヴィンはテーブルの上の石の一つに意識を集中し、デュモン卿の手から『振動石』を取った。
 石を取った途端、目線の先にあった魔石が破裂し、砂状になった石の破片が飛び散った。飛び散った砂が掛かり、嫌な顔をされる。

「やるならやると、言ってくれ」
「す、すみません…」
「問題は、向こうが先に仕掛けて来た場合だな…」
「そうですね。あの、『精神攻撃メンタルアタック』ってどんな感じなんですか?」
「…最悪だぞ。体験してみたいか?」
「嫌…ですが、やります…」
「後で文句は受け付けんぞ」

 オリヴィンは覚悟を決めた。一度体験しておけば、二度目は少しマシかもしれない…
 デュモン卿はテーブルの上の石の中から、乳白色の石を取ると、砂を払った。
「覚悟はいいか?」
「ちょっと待って!」
 ジェイドが二人を遮った。
 ジェイドはオリヴィンの顔を見つめると、力強く言った。
「もし何か、怖いことを思い出しても、私たちがいるわ。大丈夫だから!」
 オリヴィンは頷いて、デュモン卿に向き直る。
「お願いします!」

 デュモン卿が石を手に握り込んだ。

 スッとオリヴィンの世界が白黒反転した。

 誰かが泣いている、小さい子供の声だ。
 泣いている声の先に、真っ白なシーツに横たわった誰かがいる。
 長い豊かな金茶色の髪は、白いシーツの上に広がり、血の気の失せた顔で静かに横たわっている。
 そして、二度と開くことのない瞳の端には、一粒の涙が流れることなく留まっていた。

(母上…!)
 ベッドの傍らにはまだ若い父上、母と同じ髪色、菫色の瞳の少年、後ろには赤ん坊を抱いたメイドが立ち尽くしている。
 もう一人、ベッドにしがみついて泣き叫んでいる小さな子がいた。濃い菫色すみれいろの髪に、銀色の瞳の子供は大粒の涙を流し、泣きじゃくっている。
 近づくと、いつの間にか小さな男の子の中に入り込んで、泣き叫んでいた。

『ははうえぇ~!めをあけてぇ~!』
 その声が頭の中を木霊こだまする…

 * * *


『オリィ!しっかり!」
 その声に現実に戻ると、オリヴィンは知らないうちに滂沱ぼうだの涙を流していた。

「オリィ、大丈夫?」
 ジェイドが心配そうに顔を覗き込んでくる。オリヴィンの顔色は真っ青だ。
「少し休みましょう。お茶を淹れて来るわ」

 オリヴィンは手で涙を拭うと、大きく深呼吸して息を整えた。

「大丈夫か?」
「…はい…」
「きついだろう…」
「…きついです…」

 オリヴィンの母は、彼が小さい頃亡くなったので、それほど鮮明に覚えているはずはないのだが、今見た光景はあまりに鮮明で、ついさっきの出来事のような気がするのだ。
(これが先制攻撃で来られたら、俺は何もできないな…)
 オリィは頭の中にしまわれていた鮮明すぎる記憶に、言葉もなく項垂れた。
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