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旅編
48 夜の川に流されて
しおりを挟む「誰…ですか。俺のことを知ってるんですか?」
夜の大河を流され、全身ずぶ濡れのオリヴィンは、親しげに自分を呼ぶ“知らない女”に向かって尋ねた。
その女は、長い真っ赤な髪に薄い水色の瞳でこちらを見ていた。
女が俺を取り押さえていた制服の者たちに、何か現地語で説明すると、俺は解放された。
女が優しく声をかけてくる。
「ずぶ濡れじゃないの。河でも泳いで来たの?いらっしゃい、着替えましょう」
と言うと、俺を誘(いざな)って廊下の奥へ案内した。
その先の部屋に招き入れると、使用人を呼んで何やら言いつけた。
「その服を脱いでくれる?今、着替えを頼んだから」
俺は黙ったまま、肌に張り付いたシャツを脱いだ。
使用人が着替えを持って来て椅子の上に置くと、女は更に何か一言二言言って、また使用人は出て行った。
与えられた服はなかなか立派なものだった。意匠は現地のものだったが、材質は光沢があり、襟元に刺繍が施されている。椅子の後ろで下も着替えると、
「座ってちょうだい」
と言われる。そこへ使用人が紅茶を運んで来て、テーブルに置いた。
オリヴィンが椅子に掛けると、女はポットからお茶をカップに注いで、彼の前に置いた。
「まずは、どこから話をしようかしら…」
女は躊躇いがちに話し始めた。オリヴィンは先に口火を切った。
「まず、あなたは俺を知っているんですね?」
「知ってるわ」
「俺たちはどこで知り合ったんですか?」
「ディヤマンドからキノへ向かう船の中よ」
「そうですか。…すみません、俺、記憶を無くしてしまって。あなたのこと、覚えてません」
「…そうなの…?」
「誰?なのですか。教えてもらえますか」
「…私は、セレスティン・ピアース。本当に覚えてないの?」
「はい。高いところから落ちて頭を打ったらしいです」
「…私、あなたにとても酷いことしたのよ…」
「え?」
「あなたを騙して、誘拐したの…」
「……」
「自分勝手な望みのために、あなたを誘拐して置き去りにしたの…。ごめんなさい…謝っても許されるものじゃないと思うけど…本当にごめんなさい」
そう言われても、覚えていないものは仕方がない。
「…セレスティンさん、顔を上げてください」
セレスティンはおずおずと顔を上げた。
「俺は許しますよ。あなたが俺に何をしたか覚えてないけれど、今俺は元気でここにいるし、いいですよ」
「オリィ…」
セレスティンの水色の目にみるみる涙が盛り上がって来て、ポロポロと零れ落ちた。
「セレ、入るよ」
そこへ、いかにも上品そうな服を纏った、褐色の肌の美しい男が入って来た。
短い金茶色のウェーブがかかった髪、金色の瞳のイケメンだった。
「ヘリオス…」
「誰だいこの男は?見張りが言っていた、川から来たってこの男?」
「そうよ、知り合いなの」
ヘリオスはオリヴィンを睨め付けると、腕組みして言った。
「ふーん、何だか妬けるなあ…」
セレスティンはオリヴィンを庇うように間に立つと、
「ヘリオス、聞いて。彼はね、あなたの身代わりになってくれた人なのよ」
「身代わり?」
「そう…。あの砂漠の神殿で、あなたを取り戻すために、わたしこの人を誘拐して、魔女のところに連れて行ったの…」
セレスティンがそう言うと、ヘリオスの顔色が変わった。
「…あの砂漠の神殿で、私の身代わりに置いて来た、もしかしてその人なのか⁉︎」
「そうよ、ヘリオス」
「…そうか、それは申し訳ないことをした。…あの後、神殿は焼けて魔女も捕まったと聞くが、彼は無事だったんだね」
ヘリオスはそう言うと、オリヴィンの傍に来て跪(ひざまず)いた。
「君には、私の身代わりになってもらって申し訳なかった。随分と酷い目に遭ったと思うが、許してくれ。代わりに私に出来ることなら、なんでもしよう」
そう言うと、彼は自分の胸に手を当てて深く頭を垂れた。
オリヴィンは突然のことで面食らったが、目の前にいる男が、今日のパレードの山車に乗っていた『帰って来た第2王子』であることに気がついた。
「頭を上げてください、殿下。このように私は、元気でここに生きておりますので、どうぞお気になさらないでください。それに記憶を失ってしまって、その時のことを思い出せないのですから」
「…そうか、記憶を…。できれば私もあの場所の記憶は無くしてしまいたいくらいだが…」
「ヘリオス…」
ヘリオスは立ち上がると、セレスティンを抱き寄せ、髪に唇を寄せた。
そうして、もう一度オリヴィンに振り向くと、こう言った。
「良かったら、今夜は宮殿に泊まって行ってくれ。君も何か事情があって川を泳いで来たんだろう?その事情が、我がベリル王家に仇なすことでなければいいんだが。見たところ、武器などは何も身につけていないようだし」
「そうね。オリィ、一体なんで夜の川なんかで泳いでいたの?」
そこまで聞いて、オリヴィンはここが王宮なのだと気がついた。
真っ暗な夜の川からやって来て王宮に忍び込んだ賊、と思われても仕方がない状況だ。身の潔白を証明するためにも、ここは事情を話さなければならない。
「セレスティンさん、俺を知っているというあなたは、俺が誰と旅をしているかご存知ですよね」
「ええ、状況が変わっていなければ、魔石ハンターのユーレックス・デュモン卿と、娘のジェイドさんが一緒なのでは?」
やっぱり、本当に俺のことを知っているらしい。
俺はちょっと恥ずかしかったが、二人に事情を話すことにした。
* * *
「…で、今までそんな話は一切聞いたことがなかったのに、いきなり聞かされて、俺ショックで、悔しくて…しかも、ジェイドが淡々と話すものだから…」
俺が一通り話し終えると、セレスティンは、
「それで宿を飛び出して、夜の川を泳いでいたって言うわけね。…あなたとジェイドはずっと両思いだもの。あなたが怒るのも当然よ。まあそんなあなた達を引き離した私が言うのもおかしいかもしれないけれど…」
「知ってたんですか、俺の気持ち…」
「そりゃぁ、わかるわよ…あなた、最初の寄港地ラピスで買い物した時、ジェイドのために絹の靴下を買ったのよ。覚えてない?」
オリヴィンは、『あっ』と思った。ゴルンで荷物整理をした時、荷物の奥底に小さな絹の靴下が入っていたのだ。あれは、妹へのお土産かと思っていた…
「俺、ジェイドに買ったんですね…」
何だか恥ずかしくて顔が赤くなる。
「なんか、いい話だなー」
ヘリオスが微笑ましいものを見るような目で、オリヴィンを見る。
「で、どうするんだ?その相手の婚約者に決闘でも申し込むか?」
「決闘?そんなことできるんですか?」
俺が素っ頓狂な声を上げると、ヘリオスが続けた。
「できるよ。ただし、この国の流儀でね。魔石を操る魔力勝負になるけどね」
「魔力勝負…」
「相手はどんな人なの?オリィ」
「それが…そこまで聞かずに飛び出して来てしまって…」
「そうか、それなら、私が補佐に着こう!この島の決闘には一人、補佐をつけてもいいことになっているんだ」
この国の王子が味方になってくれるというのはとても心強いことだが、そもそも『魔石を使った魔力勝負』ということが呑み込めない。いままで、経験したことがないからだ…いや、経験した記憶がない、と言った方がいいか。とにかく、思い出せた記憶の中にはない。
「その“決闘”の方法なんですが、実際にはどうやるんですか?」
「まず、決闘の代償となる事柄を『正式な証書』にする。相手の名前、決闘によって得たい物や事象、理由、そして決闘によって勝敗が決した後は潔く、その事実を受け入れ、決して本意を翻さないことを誓約する旨を書くんだ」
「なるほど。決闘の結果に文句を言わない、ってことですね」
「そして、決闘する本人の名前と補佐につく者の名前、と血判だな」
「わかりました。書面については契約書のような物と、了解しました。実際の魔力勝負の方は、どのようなものなのでしょうか?」
「君はどんな魔石を操るのが得意なんだい?」
「得意、ですか?特に何が、と考えたことは無いですが…」
「試してみたらいいんじゃないかしら?」
セレスティンが口を挟む。
「あなたが今指に嵌めている指輪、強い魔力の匂いがしてるわ。これは?」
「ああ、中に火焔石が仕込んであるんです」
「そうなのか、すごいな。ただの宝飾品だと思ったよ」
「ヘリオス、オリィはディヤマンド国では彫金師でもあるのよ。宝飾品細工はお手のものなのよね」
「まあ、そうらしいです。まだよく思い出せていないんですが、技術などは手が覚えているみたいで…」
「セレスティンさんは、魔石の匂いがわかるんでしたか…なんか少し、思い出した気がします」
「思い出してくれて嬉しいけど、私がしたことを本当に思い出したら…あなたは私のことを許せないかもしれないけどね」
(そうなのだろうか?…砂漠の魔女の神殿で、一体俺はどんな目に遭ったんだろう?)
「そうだ、忘れてたわ!もし、あなたに会えたら、返そうと思っていたものがあるの!ちょっと待っていてね、今持って来るわ」
セレスティンはそう言うと、部屋を出て行った。
部屋に残されたヘリオスが、躊躇いがちに俺に言った。
「あの『砂漠の魔女の神殿』でのことは、思い出さない方がいい…思い出せば、君は傷つくだろうし、そのことを黙っていてくれた周りの者にとっても辛い思い出だ。…私は今でもあの場所でも出来事が心を蝕むのを感じる。夜も悪夢を見るし、大切な女を抱くのも難しい…」
ヘリオスは先ほどまでの強気の顔が想像できないくらい、憂いの深い顔になった。そんなに酷い出来事があったのだろうか…背筋がゾワっとして少し怖くなった。
オリヴィンは、そんなヘリオスに掛ける言葉を何も思いつけなかった。
そのうち、セレスティンが何やら鞄のようなものを抱えて戻って来た。
「これ、オリィの鞄。魔女の神殿を逃げ出す時、持ち出したの。中に入っていたお金や魔石は、ごめんね、旅の資金に借りちゃった。でも、これだけは売らなかったの…」
そう言ってセレスティンが鞄から取り出したのは、装飾の着いた銀製の水筒だった。
それを見た途端、なんだか懐かしい気がした。
(これ…見たことある気がする…何だっけ?)
装飾に、サイロメレン石と赤水晶が付いている。
(通信装置⁉︎だよな…)
「オリィ、これでよく何かブツブツ言っていなかった?」
オリヴィンは水筒を手に取ると、赤水晶のベゼルを回して、サイロメレン石に合わせた。
「あー、えーと…誰かいますか?こちらはオリヴィンです…」
とりあえず、何か喋ってみるかという気持ちで言ってみた。すると、
「……」
声にはなっていないが、何かバタバタしているような音が聞こえる。
「旦那様…旦那様、今坊っちゃまのお声が…!」
誰かに通じたようなので、更に話してみる。
「誰か、そこにいる?誰でもいいから答えてください」
オリヴィンの問いかけに、少し慌てたような中年紳士の声が答えた。
「オリィ、オリィ!そこにいるのかい?」
「こちらはオリヴィンです。そちらはどなたですか?」
「…オリィ、こちらはダキアルディ・ユング、お前の父だ」
「……!ち、父上?」
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