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旅編
30 魔法の傷薬
しおりを挟む最初の寄港地ラピスで偶然ジェイドに出会ってしまったことで、オリィはデュモン卿に会わざるを得なくなった。
デュモン卿は、船の中で出会った貴族が魔石にとても興味を示してくれたので、お近づきのしるしに『沸騰石』をプレゼントすると、お礼にと貴族の別宅に招待されたのだ。
余裕がある時は今回のように一等船室に部屋を取り、上流階級と友好を結ぶよう心がける。
言わば『営業活動』だ。魔石の取引先はたいていお金のある上流階級が多いので、多少の無理をしても顔を売っておくことは大事なのだ。
夜になって馬車で船まで送ってもらい、部屋に戻ると何だかジェイドの様子がおかしい。
「会って欲しい人がいるのですが…」
と言われ、入って来たその男を見て、卿は“ハァ”と短くため息をついた。
「やはり、来たのだな…」
「すみません、来てしまいました…」
「いままでどこに隠れていたのだ?」
「…三等船室にいました」
「…そうか」
「なるべくご迷惑にならないようにしますので、俺も連れて行ってください!」
「…来たことがすでに迷惑なのだが…」
「“世界を見て回ってはどうか”って、あなたが言ってくださったではないですか⁉︎お願いします、ご一緒させてください!」
「ムゥ…」
卿は腕組みをして考え込む。
(実はユング男爵殿から、聞いていたのだ。
息子が一緒に行こうとしているらしい、と。
もし、そうなってしまった時は、申し訳ないが面倒を見ては頂けないかと
頭を下げられたのだ。
『そこまでの意地を見せるのならば、なかなか見込みがあるではありませんか』と、引き受けてしまった…)
「…ならば、わしのアシスタントとしてこき使うが、それでいいか?」
オリィの顔にも、ジェイドの顔にも希望の光が灯った。
「はいっ、何でも言いつけてください!」
「では、空いていればこちらの一等船室に引っ越して来い。金はあるか?」
「大丈夫です!」
オリィは急いで客室係を捕まえて、一等船室の空きを確認した。
ラピス港で降りたお客がいたので、客室は空いているとのこと。追加で料金を支払い上階へ移動する。
身分を尋ねられて、『ディヤマンド王国のユング男爵子息』であることを伝えると、対応がガラリと変わった。
客室に荷物を取りに行った俺に、
「エッ⁉︎あんた、貴族様だったのかい?」
やっぱりなー、みたいな目線でセレさんが見てくる。
「それで~、デュモン閣下には会えるんですかね?」
と言われて、『聞いてみます』と答える。
一等船客エリアには、他の客室の者は入れないので、一緒に食事をするにも招待が必要だ。
まして、それなりの服装やマナーでなければ恥をかくことになる。
(食事は無理かなー。お茶くらいなら何とかなるか…)
などと考えつつ、格段に良くなった船室とベッドに眠りを誘われ、すぐに眠りに落ちた。
翌朝船はラピス港を出て、次の寄港地へ向かう。最終目的地キノまで、あと2カ所ほど寄港する予定だ。
船が大きいお陰か、揺れも少なく『船酔い』に苦しむかも…と思って持って来た魔法薬も使わずじまいだ。ただ、港に着いて陸地に足を着けても、まだ船の上にいるようなユラユラ感がしたのが不思議だった。
オリィは一等船室に移ってから、各段に忙しくなった。
彼が貴族と知れ渡ると、さまざまな客が尋ねて来るのだ。
デュモン卿たちと食事をしている間も、乗り合わせた貴族や、他国の裕福な商人などが話しかけて来て、『午後のお茶をご一緒に』などと誘われるので、
落ち着いてジェイドと話をすることもできない。
「意外な効果だな。せいぜい売り込んで来い」
と卿に言われ、俺は少しバラすのが早すぎた、と後悔した。
今夜は船長に夕食を誘われている。
断ることもできないので、正装して営業スマイルで頑張る。
船長と夕食を共にしながら、最近の世界情勢などを聞く。
「ディヤマンド王国より、ずっとずっと西に二月ほど航海した
ところに新しく大陸が見つかり、その土地の覇権をめぐって列強が凌ぎを
削っている」と言う。
確かに、その話は聞いたことがある。
一等船室に移ってから、話し声を聞かれる心配が無くなったので、毎日のように『通信水筒(以前父上の遠征の際作った、通信石付き水筒)』で、父上やマイカと話をしている。その中で、今度ハックが新大陸へ派遣されるかもしれないという話を聞いたのだ。
もし、覇権を巡る争いが激化して戦争にでもなれば、兄上もそこへ行かざるを得ないのだろうな…などと考える。
船長には「長い船旅で風呂に入れない時、『湧水石』と『沸騰石』があると便利ですよ」と営業しておく。
なかなかお高い石なので、難しいかもしれないが、万が一船が動かなくなって
水不足になっても、『湧水石』があれば水の確保ができると言うと、
『是非にお願いしたい』と頼まれた。
デザートも食べ終わって、そろそろ退出しようかと思っていると、
船員が駆け込んできた。
「船長!大変です。三等船客が喧嘩で怪我人が出ています!」
呼ばれた船長は慌てて駆け出して行った。
(三等…まさか、セレさんじゃないよな…)
少し心配になって後を付いて行ってみる。
三等船客用の食堂で取り押さえられて喚いてる男と、怪我をして床に転がっている人の姿があった。…セレさんだった。
「セレさんっ、大丈夫ですか?」
セレスティンは痛みに呻きながら、掛けられた声の方を見上げた。
腕から血が滴っている。
「…オリィ…」
「怪我人を医務室に運べ!そっちの男は船室に閉じ込めて鍵を掛けろ!」
船長のテキパキとした声が響く。
俺はセレさんを抱き上げて、医務室への誘導を頼んだ。
「こちらです。今、船医殿を呼んできます!」
俺は医務室のベッドにセレさんを下ろすと、クラバットを外し、腕の傷の上をきつく縛った。
「大丈夫ですか?」オリィが声を掛けると、
「これくらいの傷、大したことないさ」と強がる。
「怪我させた奴、この前の男ですね」
「ああ、女に投げられて悔しかったんだろ…」
「すみません。俺のせいで…」
セレさんの手が伸びて来て、俺の頬をさわった。
「あんた、その顔の方がいいよ。ずっと男前…」
そう言われてちょっと照れた。
船医殿がやって来て、傷を縫うと言うので、俺は医務室を出た。
部屋に戻る途中でジェイドに会った。
「なんか喧嘩があって、怪我人が出たって聞いたけど…」
「そうなんだ。怪我したの、セレさんなんだ。…ちょっと卿と話せるかな?」
俺は、船長への営業の成果と、さっきあった事件のことを二人に話した。
それにもう一つ、お願いを加える。
「実はその、彼女には三等にいた時助けてもらっているんです。彼女、
デュモン卿の大ファンで、卿に合わせて欲しいと頼まれていまして…」
と言うと、ことのほか気をよくした卿が 明日会うことを約束してくれた。
* * *
翌日、卿とジェイドを連れて医務室に見舞いに行くと、セレさんは瞬く間に元気になって、目を輝かせて卿と話をしていた。
明日には自分の船室に戻ると言う。三等船室は開放的な相部屋なので、ちょっと心配だが、怪我をさせた相手は別の船室に閉じ込められていると言うので、まあ、よしとする。
客室を代わろうかと思ったのだが、『それはやり過ぎだ』と卿に注意される。
なるべく、人の多い甲板などにいるよう勧めた。
翌日、甲板で風に吹かれているセレさんに、持参した『傷癒軟膏』を持って行った。包帯を解いて、縫った傷の上から塗ると俺の左目が光って、傷がみるみる治っていく。そんな俺の目を見て、
「キレイだな…そんな魔眼初めて見た」というので、
「そっちより、傷見てください」と照れ笑いした。
「…ジェイドもオリィが好きなんだろ、あっちから見てるぞ」
腕の傷を見ながら、低い声でセレさんが言った。
「…知ってます…」
「女の子に戻ったら、きっと可愛いんだろうな」
そう言って、セレさんは伸びをした。
海の色はいよいよ明るいブルーに変わっていき、岸の近くは珊瑚礁と白砂でエメラルドグリーンに見えるようになった。
こうして、二つの寄港地にも辿り着き、次はいよいよ終着の港、キノだ。
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