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王都編
20 ラビカン石(1)
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近頃王都の男性の間で、ある噂が広まっている。
何故“男性”だけなのかというと、噂の主が“高級娼館の“女主人”だからだ。元々貴族向けの高級娼館なので、それなりに人気はあったのだが、今や予約だけでも一ヶ月、二ヶ月待ちというのだ。
「これは怪しいねぇ、そう思わないかい?」
そう問いかけて来るのは、アルマンディン公爵家次男、ハーキマーことハックだ。今日も剣術の稽古に騎士団の宿舎を訪ねていたオリィは、木剣で打ち合いながら、
「なんのことだ?」
と訊く。
「今の話だよ、聞いてなかったのか?」
「高級娼館って話の、どこが怪しいんだよ」
「この前、その店に行った奴に話を聞いたのさ。そしたら、その女…」
「その女?」
「でっかいルビーのネックレスをしてたって」
「高級娼館なら、ルビーのネックレスくらいプレゼントする男がいんだろ?」
「それだけじゃないんだ」
「その女、もの凄い美人ってわけじゃないのに、すごく唆るんだそうだ」
「唆る?」
「行ってみないか?」
(え、行ってみないかって、娼館に⁉︎)
動揺した途端に、バシッと剣を叩き落とされた。
つまりは、こうゆうことらしい。ユング家が謀叛の疑いで家宅捜索された時、工房のコレクションルームも荒らされて、宝石や魔石が持ち去られた。その魔石の中に“ラビカン石”もあった。どうもそのラビカン石が、この娼館に流れたのではないかと。
* * *
そして数日後。ハックと俺は、疑惑の高級娼館『砂漠の薔薇亭』の前にいた。
「おまえ、こうゆうところは初めてだろ?」
ハックが言う。
(ああ、そうだよ。初めてに決まってんだろ?去年学院卒業したばっかだぞ)
「う、うちは厳しいんだよ。兄上が」
「おまえ、普通兄弟に断って娼館にいくヤツ、いるか?」
「……(仰る通りです)」
砕けすぎない、畏まりすぎないトップコートにトラウザースで身を包み、三日月帽を目深に被って、高級娼館に入っていく。
帽子とコートをクロークに預け、席に案内される。
「あら~、ご無沙汰ではありませんか、ハーキマー様」
さっそく着飾った女性達が席にやって来る。胸の大きさをより強調するように、これでもかというくらい胸元が開いている。
「ハック、お前。しょっちゅう来てるのか?」
「こちらのお若い方は何方のご子息様ですの?」
「騎士団の後輩だ。可愛いがってやってくれ」
「まあ、騎士様ですの?ステキですわぁ~」
「お若くて、お元気そうですわー、こちらの方も」
そう言って、女は俺の太腿に指を滑らせて来る。
「うぁっ!」
と思わず声を上げてしまい、
「まあ、ウブなお方ね、うふふ」
と笑われる。
「今日は女主人は居られるかな?」
「おりますわ。呼んでまいりますね」
一番年嵩らしい女が奥に戻って行った。
「今日はこいつと話があるから、ワインとつまみを持って来てくれ」
そう女たちに頼むと、女たちも奥へ入って行った。
「オリィ、女主人が来たらよく見てくれ」
「わかった」
女たちが手にワインボトルやグラス、皿に盛った果物などを乗せて戻って来た。
「それでは、お話が済みましたら、またお呼びくださいませ」
と言って下がって行った。
「淫らなことをする場所とばかり思っていたが、そうゆう訳でもないんだな」
「まあ、紳士の社交クラブと思って貰えばいいかな。意外と外で出来ない密談をする奴も多いんだぜ」
「そうなのか…」
俺はチラチラと他の席に座った客を見ていたが、結構見覚えのある貴族もいた。大抵は年齢も上で、若い男はそんなにいない。
そんな中に一人、見覚えのある男がいた。
忘れる筈もない。あの『家宅捜索』の時、うちに来た“審問官”だ。
「ハック、あの真ん中にいる男」
「ああ、あいつ、審問部の官僚じゃないか」
「あいつ、うちに来た審問官だ」
「何だって…⁉︎」
奥のドアが開き、ひときわ豪華なドレスを身に纏った30代半ばくらいの女が長いキセルを手に、シャナリシャナリと歩いて来る。周りにいる男たちの響めきが聞こえる。何だろう、すごく艶っぽい。体全体から薔薇の香りがして来そうな、何か魔力を発している。
黒い絹のフリルのついた襟元から、真っ赤なラビカン石の首飾りが見えた。
俺の左目が金色の輪に光る。それを見てハックが、『あれか⁉︎』と訊いた。俺は目を逸らした。
アレを見続けるのはヤバい。ほんの少し見ただけなのに、周りが薔薇色の光に包まれて、頭がグラグラした。ハックが
「本当だな。あのヤバさは俺にもわかる…」
と言って彼女を見つめた。
ハックの顔が紅潮してきた。
「おい、こっちを見ろ!」
無理やりハックの顔をこちらに向かせる。なんだか目の焦点が合っていない。
俺は慌てて、
「所用を思い出したので帰ります!」
と言って、ハックを引っ張って席を立った。
娼館を出て、一番近くの酒も飲める食堂へ引っ張っていく。
カウンター席に座らせ、一番強い酒を頼んだ。
グラスをハックに持たせて、ぐっと飲ませる。
「プハーッ!なんだコレ⁉︎」
「気が付いたか?」
ハックは突然、可笑しそうに笑い出した。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハ!ありゃ~ヤバいな!」
「ヤバいなんてもんじゃ…危険だぜ」
あのまま見続けていたら、一体どうなっていたことか。
「それにしてもハック、何で娼館の馴染みになってるんだ?」
* * *
「ムゥ…それで、あのペンダントを貸して欲しいと、そう言うことか?」
オリヴィン・ユングは緊張した面持ちで、渋い顔をしたデュモン卿の前に座っていた。
三日前、怪しい情報を聞きつけた幼馴染のハックと、二人で噂の源である王都で人気の高級娼館『砂漠の薔薇亭』へ行ったのだ。
そしてそこで工房から奪い去られた魔石と、怪しい男を見つけた。
だが、危うくその強力な魔石の効果に、吞み込まれそうになり、際どいところで脱出。次にどうやって娼館に潜り込もうかと、考え悩んだ末、たどり着いた答えが、『女になって潜入する』という無謀な作戦だった。
「潜入して、お主の身が危なくなった時はどうするつもりなのだ?」
「その時は…何か考えます!酒に眠り薬を盛るとか…」
「話にならんな。そんなことしか考えられない奴に、あれは貸せん。帰ってくれ」
「卿、必ず考えて対処しますから、お願いします!」
「お主、それをジェイドに話せるのか?」
そう言われて俺は、グッと言葉を呑み込んだ。確かに、言えない…。
その日、俺はスゴスゴと帰った。何かもっと、強力な助っ人が必要だ。
* * *
「聞きましたわよ、オリィ兄様。まさか、本当に娼館に潜入なさるお積りですの?」
(エッ⁉︎なんでマイカにバレてるんだ?クッソー、ハックのヤツ、妹に話したのか!)
「お兄様、そのお顔を見る限り、本気だったようですわね…」
そう言うと、マイカはフゥーッと長いため息を吐いた。
「ハック様が女物の服を買い込んで隠しているのを、ライナ様に見つかって問いただしたのですわ。まったく、ハック様もハック様だわ!娼館に出入りするだなんて…ホントに男って…!」
「お、俺はただ、奪われた魔石を取り戻したいだけなんだよ!」
「本当に?」
「この前ハックと偵察に行った時、俺が買い付けた石をその女主人(マダム)が着けてたんだ!それだけじゃない、うちに来た審問官がそこにいたんだよ!」
「なんですって?アイツ、いえ、あの審問官がそこに?」
「そうだよ、それで何とか潜り込める手はないかって…」
「…わかりました。協力いたしますわ」
「え?」
「お兄様とハック様だけでは心許ないですもの。私たちがご協力します」
「私たち?」
「…(どこまで鈍いのかしら…)私とライナ様が」
「お前、いくつだっけ?」
「14になりましたわ(覚えてないの?)」
* * *
作戦会議は夜マイカの部屋で、『通信ブレスレット』を通して行われた。ハックは騎士の宿舎にいるので、後で俺が剣の稽古を兼ねて伝えにいく。
潜入するのは『女になった俺』、紹介者はハックだ。
俺は訳ありの貴族令嬢ということで、娼館に金を積んで匿ってもらうという設定だ。
そうゆういう設定なので、客を取らされたりする心配がない。ただ、何もしないで部屋に匿われるわけにもいかないので、『水晶占いができる』つまり客寄せに少しは店の役に立つ、ということにする。
作戦会議の翌日、俺はもう一度デュモン卿のところを訪ねた。
王立アカデミーのドミトリーに入る。入り口にいつも管理人らしき初老の男がいるが、最近は顔を覚えてくれたらしい。管理人に付いて歩いて行き、ノックしたドアから顔を出したのは、ジェイドだった。
俺は少々面食らった。ジェイドがいるということを何故か想定していなかったからだ。
「ごきげんよう。急な訪問で申し訳ありません」
「オリィ!ご、ごきげんよう。…どうしたんですか?」
「はい。実は先日も一度、卿とお話ししたのですが、ちょっとお願いが…」
「どうぞ、お入りください。廊下では何ですから…」
中に通されて、椅子を勧められる。
「今、お茶を淹れますね」
「どうぞ、お構いなく」
俺は腰掛けて、部屋を見渡した。重厚で古い作りのドミトリーだ。何世代もの教授たちがここで生活をしながら、学生たちと語り合ったに違いない。
いつもここに来る時は、別のことで頭がいっぱいで、周りを見る余裕なんてなかったんだな…と苦笑する。
ジェイドが茶器を運んで来る。今日は前に工房に来ていた時のような、少年の服装だ。おれの目線を察したのか、ジェイドが言った。
「掃除や家事をする時は、この方が動きやすいので」
そう言いながら、茶器を置く。
「この『沸騰石』便利ですよね」
ティーポットに『沸騰石』を入れた。
「父は今、講義の最中なので、良ければ私が話をお聞きします」
俺は、どうしたものかと思った。
正直、『魔石を取り戻す為に、女に変身して娼館に潜入したいから、ペンダントを貸して欲しい』なんて言うのは、常識を逸しているのかもしれない。そうも思うのだ、だけど、だけれども。…なすすべも無く、審問官にしたい放題させてしまった、あの時の俺が許せないのだ。
俺は、ジェイドにその気持ちを率直に話してみようと思った。
「ジェイド、俺の言うことは馬鹿げているかもしれない。でも、聞いて欲しい。父上が陛下を裏切って逃亡したと言われた時、俺には何もできなかった。家や工房がメチャメチャにされて宝石や魔石が奪われても、ただされるがままにしているしか無かったんだ。…だけど今、ほんの少しだけ手がかりが掴めて、その手がかりが“娼館”にあるんだ。俺は石を奪った奴らの不正を暴きたい。
その為に、“娼館”に潜入して調べたいと思う。“娼館”と言う場所が受け入れ難いとは思うが、親友のハーキマー殿も協力してくれるので、身の安全は確保できると思う。どうか、君の『ペンダント』を貸して欲しい」
ジェイドは黙って聞いていたが、最後にフゥ~っと息を吐くと、
「わかりました」
と言った。
「父からは、あなたが来るかもしれないと聞いていました。…父は『話を聞いて私が納得できたら、貸しても構わない』と言われています」
俺はホッとした。なんにせよ一歩踏み出した感じだ。
ジェイドは『持ってまいりますね』と言って、奥の部屋に入って行った。
ジェイドはペンダントの入った箱を持って戻って来ると、こう切り出した。
「条件があります」
「俺にできることなら、何でも言ってください」
「一つは、オリィが無事で戻ってくること…」
「はい…必ず…」
「もう一つは、…ここでペンダントを着けて見せてください!」
「エッ⁉︎」
「…いやですか?」
『何でも言ってください』と言ってしまったのは俺だ。…別に嫌と言うわけではない…俺だって、少年姿のジェイドを普通に見てたわけだし…。
ただ、ちょっと恥ずかしい…それだけなのだ。
「…わかりました」
俺はおもむろにペンダントを箱から出すと、それを首に掛けた。
左目が金の輪に光り、体の内側が猛烈に熱くなってきた。そして腕や足は細く縮んでいく。顔、胸、下腹、痛みにも似た灼熱の感覚が全身を駆け巡る。金色に光っていた目も静かに落ち着き、 すぅーっと灼熱感が収まると、俺は女になっていた。
ジェイドがなんだか目をキラキラさせて見つめて来る。
「…オリィ、かわいい…」
俺は何だか複雑な気持ちになった。ジェイドは俺の手を引っ張って、鏡の前に連れていく。うっかり緩くなった靴に足を取られて転びそうになった。
鏡を覗くと、そこには男装したきれいな女が立っていた。顎の線はほっそりとなり、額も丸みを帯びて優しい長い眉が伸びている。
「これなら、娼館でも雇ってもらえそうですね」
ジェイドが不穏なことを言ってくる。
歩いてみた感じ、背の高さもかなり変わっているのではないだろうか。ただ、何だか体のバランスが取りずらい。胸が重く前のめりになってしまう。歩き方も練習した方が良さそうだ。
「ありがとうございます。気が済みました」
「それは、どうゆう意味ですか?」
思わず自分の声に驚く。声も高く柔らかな女の声に変わっている。
ジェイドはにっこりして言う。
「だってオリィが女の子になったところ、一番最初に見てみたかったんです」
鏡の中の美人が、俯いて赤面した。
「それから、一つだけこの変身は副作用があります」
「そ、そうなのですか?」
「元に戻る時、とても…痛いんです」
* * *
俺は疲弊していた。
ジェイドの言った通り、元に戻る時の痛みは半端なかった。身体中が引き伸ばされる痛みで、思わず叫び出してしまいそうになるのを必死に堪えた。
「ジェイドはいつもこれを我慢していたの?」
「だんだん慣れますから、大丈夫ですよ」
(いやいや、この痛みを毎回って…。女の方が痛みには強いって言うけど、よく平然と『慣れますよ』って…すごいな…)
俺は改めてジェイドに感心した。
「あ、そうそう、忘れてました。これもお貸しします」
そう言うとジェイドはポケットから、大粒の白い石を取り出した。
「これは、砂漠の民が年に一度の宗教行事で使う『真実の石』です。
彼らは年に一度は寺院で神に『真実の祈り』を捧げるのですが、その時にこの石を手にすると、真実以外を言うことができなくなるんです。悪事を白状させるのに丁度いいかと思って」
「それは、すごい石ですね…」
「試してみますか?」
「い、いや、今日はもうこれで…」
ジェイドは『そうですか』と言って、少し残念そうな目をした。
何故“男性”だけなのかというと、噂の主が“高級娼館の“女主人”だからだ。元々貴族向けの高級娼館なので、それなりに人気はあったのだが、今や予約だけでも一ヶ月、二ヶ月待ちというのだ。
「これは怪しいねぇ、そう思わないかい?」
そう問いかけて来るのは、アルマンディン公爵家次男、ハーキマーことハックだ。今日も剣術の稽古に騎士団の宿舎を訪ねていたオリィは、木剣で打ち合いながら、
「なんのことだ?」
と訊く。
「今の話だよ、聞いてなかったのか?」
「高級娼館って話の、どこが怪しいんだよ」
「この前、その店に行った奴に話を聞いたのさ。そしたら、その女…」
「その女?」
「でっかいルビーのネックレスをしてたって」
「高級娼館なら、ルビーのネックレスくらいプレゼントする男がいんだろ?」
「それだけじゃないんだ」
「その女、もの凄い美人ってわけじゃないのに、すごく唆るんだそうだ」
「唆る?」
「行ってみないか?」
(え、行ってみないかって、娼館に⁉︎)
動揺した途端に、バシッと剣を叩き落とされた。
つまりは、こうゆうことらしい。ユング家が謀叛の疑いで家宅捜索された時、工房のコレクションルームも荒らされて、宝石や魔石が持ち去られた。その魔石の中に“ラビカン石”もあった。どうもそのラビカン石が、この娼館に流れたのではないかと。
* * *
そして数日後。ハックと俺は、疑惑の高級娼館『砂漠の薔薇亭』の前にいた。
「おまえ、こうゆうところは初めてだろ?」
ハックが言う。
(ああ、そうだよ。初めてに決まってんだろ?去年学院卒業したばっかだぞ)
「う、うちは厳しいんだよ。兄上が」
「おまえ、普通兄弟に断って娼館にいくヤツ、いるか?」
「……(仰る通りです)」
砕けすぎない、畏まりすぎないトップコートにトラウザースで身を包み、三日月帽を目深に被って、高級娼館に入っていく。
帽子とコートをクロークに預け、席に案内される。
「あら~、ご無沙汰ではありませんか、ハーキマー様」
さっそく着飾った女性達が席にやって来る。胸の大きさをより強調するように、これでもかというくらい胸元が開いている。
「ハック、お前。しょっちゅう来てるのか?」
「こちらのお若い方は何方のご子息様ですの?」
「騎士団の後輩だ。可愛いがってやってくれ」
「まあ、騎士様ですの?ステキですわぁ~」
「お若くて、お元気そうですわー、こちらの方も」
そう言って、女は俺の太腿に指を滑らせて来る。
「うぁっ!」
と思わず声を上げてしまい、
「まあ、ウブなお方ね、うふふ」
と笑われる。
「今日は女主人は居られるかな?」
「おりますわ。呼んでまいりますね」
一番年嵩らしい女が奥に戻って行った。
「今日はこいつと話があるから、ワインとつまみを持って来てくれ」
そう女たちに頼むと、女たちも奥へ入って行った。
「オリィ、女主人が来たらよく見てくれ」
「わかった」
女たちが手にワインボトルやグラス、皿に盛った果物などを乗せて戻って来た。
「それでは、お話が済みましたら、またお呼びくださいませ」
と言って下がって行った。
「淫らなことをする場所とばかり思っていたが、そうゆう訳でもないんだな」
「まあ、紳士の社交クラブと思って貰えばいいかな。意外と外で出来ない密談をする奴も多いんだぜ」
「そうなのか…」
俺はチラチラと他の席に座った客を見ていたが、結構見覚えのある貴族もいた。大抵は年齢も上で、若い男はそんなにいない。
そんな中に一人、見覚えのある男がいた。
忘れる筈もない。あの『家宅捜索』の時、うちに来た“審問官”だ。
「ハック、あの真ん中にいる男」
「ああ、あいつ、審問部の官僚じゃないか」
「あいつ、うちに来た審問官だ」
「何だって…⁉︎」
奥のドアが開き、ひときわ豪華なドレスを身に纏った30代半ばくらいの女が長いキセルを手に、シャナリシャナリと歩いて来る。周りにいる男たちの響めきが聞こえる。何だろう、すごく艶っぽい。体全体から薔薇の香りがして来そうな、何か魔力を発している。
黒い絹のフリルのついた襟元から、真っ赤なラビカン石の首飾りが見えた。
俺の左目が金色の輪に光る。それを見てハックが、『あれか⁉︎』と訊いた。俺は目を逸らした。
アレを見続けるのはヤバい。ほんの少し見ただけなのに、周りが薔薇色の光に包まれて、頭がグラグラした。ハックが
「本当だな。あのヤバさは俺にもわかる…」
と言って彼女を見つめた。
ハックの顔が紅潮してきた。
「おい、こっちを見ろ!」
無理やりハックの顔をこちらに向かせる。なんだか目の焦点が合っていない。
俺は慌てて、
「所用を思い出したので帰ります!」
と言って、ハックを引っ張って席を立った。
娼館を出て、一番近くの酒も飲める食堂へ引っ張っていく。
カウンター席に座らせ、一番強い酒を頼んだ。
グラスをハックに持たせて、ぐっと飲ませる。
「プハーッ!なんだコレ⁉︎」
「気が付いたか?」
ハックは突然、可笑しそうに笑い出した。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハ!ありゃ~ヤバいな!」
「ヤバいなんてもんじゃ…危険だぜ」
あのまま見続けていたら、一体どうなっていたことか。
「それにしてもハック、何で娼館の馴染みになってるんだ?」
* * *
「ムゥ…それで、あのペンダントを貸して欲しいと、そう言うことか?」
オリヴィン・ユングは緊張した面持ちで、渋い顔をしたデュモン卿の前に座っていた。
三日前、怪しい情報を聞きつけた幼馴染のハックと、二人で噂の源である王都で人気の高級娼館『砂漠の薔薇亭』へ行ったのだ。
そしてそこで工房から奪い去られた魔石と、怪しい男を見つけた。
だが、危うくその強力な魔石の効果に、吞み込まれそうになり、際どいところで脱出。次にどうやって娼館に潜り込もうかと、考え悩んだ末、たどり着いた答えが、『女になって潜入する』という無謀な作戦だった。
「潜入して、お主の身が危なくなった時はどうするつもりなのだ?」
「その時は…何か考えます!酒に眠り薬を盛るとか…」
「話にならんな。そんなことしか考えられない奴に、あれは貸せん。帰ってくれ」
「卿、必ず考えて対処しますから、お願いします!」
「お主、それをジェイドに話せるのか?」
そう言われて俺は、グッと言葉を呑み込んだ。確かに、言えない…。
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* * *
「聞きましたわよ、オリィ兄様。まさか、本当に娼館に潜入なさるお積りですの?」
(エッ⁉︎なんでマイカにバレてるんだ?クッソー、ハックのヤツ、妹に話したのか!)
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そう言うと、マイカはフゥーッと長いため息を吐いた。
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「本当に?」
「この前ハックと偵察に行った時、俺が買い付けた石をその女主人(マダム)が着けてたんだ!それだけじゃない、うちに来た審問官がそこにいたんだよ!」
「なんですって?アイツ、いえ、あの審問官がそこに?」
「そうだよ、それで何とか潜り込める手はないかって…」
「…わかりました。協力いたしますわ」
「え?」
「お兄様とハック様だけでは心許ないですもの。私たちがご協力します」
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「14になりましたわ(覚えてないの?)」
* * *
作戦会議は夜マイカの部屋で、『通信ブレスレット』を通して行われた。ハックは騎士の宿舎にいるので、後で俺が剣の稽古を兼ねて伝えにいく。
潜入するのは『女になった俺』、紹介者はハックだ。
俺は訳ありの貴族令嬢ということで、娼館に金を積んで匿ってもらうという設定だ。
そうゆういう設定なので、客を取らされたりする心配がない。ただ、何もしないで部屋に匿われるわけにもいかないので、『水晶占いができる』つまり客寄せに少しは店の役に立つ、ということにする。
作戦会議の翌日、俺はもう一度デュモン卿のところを訪ねた。
王立アカデミーのドミトリーに入る。入り口にいつも管理人らしき初老の男がいるが、最近は顔を覚えてくれたらしい。管理人に付いて歩いて行き、ノックしたドアから顔を出したのは、ジェイドだった。
俺は少々面食らった。ジェイドがいるということを何故か想定していなかったからだ。
「ごきげんよう。急な訪問で申し訳ありません」
「オリィ!ご、ごきげんよう。…どうしたんですか?」
「はい。実は先日も一度、卿とお話ししたのですが、ちょっとお願いが…」
「どうぞ、お入りください。廊下では何ですから…」
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ジェイドが茶器を運んで来る。今日は前に工房に来ていた時のような、少年の服装だ。おれの目線を察したのか、ジェイドが言った。
「掃除や家事をする時は、この方が動きやすいので」
そう言いながら、茶器を置く。
「この『沸騰石』便利ですよね」
ティーポットに『沸騰石』を入れた。
「父は今、講義の最中なので、良ければ私が話をお聞きします」
俺は、どうしたものかと思った。
正直、『魔石を取り戻す為に、女に変身して娼館に潜入したいから、ペンダントを貸して欲しい』なんて言うのは、常識を逸しているのかもしれない。そうも思うのだ、だけど、だけれども。…なすすべも無く、審問官にしたい放題させてしまった、あの時の俺が許せないのだ。
俺は、ジェイドにその気持ちを率直に話してみようと思った。
「ジェイド、俺の言うことは馬鹿げているかもしれない。でも、聞いて欲しい。父上が陛下を裏切って逃亡したと言われた時、俺には何もできなかった。家や工房がメチャメチャにされて宝石や魔石が奪われても、ただされるがままにしているしか無かったんだ。…だけど今、ほんの少しだけ手がかりが掴めて、その手がかりが“娼館”にあるんだ。俺は石を奪った奴らの不正を暴きたい。
その為に、“娼館”に潜入して調べたいと思う。“娼館”と言う場所が受け入れ難いとは思うが、親友のハーキマー殿も協力してくれるので、身の安全は確保できると思う。どうか、君の『ペンダント』を貸して欲しい」
ジェイドは黙って聞いていたが、最後にフゥ~っと息を吐くと、
「わかりました」
と言った。
「父からは、あなたが来るかもしれないと聞いていました。…父は『話を聞いて私が納得できたら、貸しても構わない』と言われています」
俺はホッとした。なんにせよ一歩踏み出した感じだ。
ジェイドは『持ってまいりますね』と言って、奥の部屋に入って行った。
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「条件があります」
「俺にできることなら、何でも言ってください」
「一つは、オリィが無事で戻ってくること…」
「はい…必ず…」
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「エッ⁉︎」
「…いやですか?」
『何でも言ってください』と言ってしまったのは俺だ。…別に嫌と言うわけではない…俺だって、少年姿のジェイドを普通に見てたわけだし…。
ただ、ちょっと恥ずかしい…それだけなのだ。
「…わかりました」
俺はおもむろにペンダントを箱から出すと、それを首に掛けた。
左目が金の輪に光り、体の内側が猛烈に熱くなってきた。そして腕や足は細く縮んでいく。顔、胸、下腹、痛みにも似た灼熱の感覚が全身を駆け巡る。金色に光っていた目も静かに落ち着き、 すぅーっと灼熱感が収まると、俺は女になっていた。
ジェイドがなんだか目をキラキラさせて見つめて来る。
「…オリィ、かわいい…」
俺は何だか複雑な気持ちになった。ジェイドは俺の手を引っ張って、鏡の前に連れていく。うっかり緩くなった靴に足を取られて転びそうになった。
鏡を覗くと、そこには男装したきれいな女が立っていた。顎の線はほっそりとなり、額も丸みを帯びて優しい長い眉が伸びている。
「これなら、娼館でも雇ってもらえそうですね」
ジェイドが不穏なことを言ってくる。
歩いてみた感じ、背の高さもかなり変わっているのではないだろうか。ただ、何だか体のバランスが取りずらい。胸が重く前のめりになってしまう。歩き方も練習した方が良さそうだ。
「ありがとうございます。気が済みました」
「それは、どうゆう意味ですか?」
思わず自分の声に驚く。声も高く柔らかな女の声に変わっている。
ジェイドはにっこりして言う。
「だってオリィが女の子になったところ、一番最初に見てみたかったんです」
鏡の中の美人が、俯いて赤面した。
「それから、一つだけこの変身は副作用があります」
「そ、そうなのですか?」
「元に戻る時、とても…痛いんです」
* * *
俺は疲弊していた。
ジェイドの言った通り、元に戻る時の痛みは半端なかった。身体中が引き伸ばされる痛みで、思わず叫び出してしまいそうになるのを必死に堪えた。
「ジェイドはいつもこれを我慢していたの?」
「だんだん慣れますから、大丈夫ですよ」
(いやいや、この痛みを毎回って…。女の方が痛みには強いって言うけど、よく平然と『慣れますよ』って…すごいな…)
俺は改めてジェイドに感心した。
「あ、そうそう、忘れてました。これもお貸しします」
そう言うとジェイドはポケットから、大粒の白い石を取り出した。
「これは、砂漠の民が年に一度の宗教行事で使う『真実の石』です。
彼らは年に一度は寺院で神に『真実の祈り』を捧げるのですが、その時にこの石を手にすると、真実以外を言うことができなくなるんです。悪事を白状させるのに丁度いいかと思って」
「それは、すごい石ですね…」
「試してみますか?」
「い、いや、今日はもうこれで…」
ジェイドは『そうですか』と言って、少し残念そうな目をした。
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あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
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※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
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