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王都編

20 ラビカン石(1)

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 近頃王都の男性の間で、ある噂が広まっている。
 何故“男性”だけなのかというと、噂の主が“高級娼館こうきゅうしょうかんの“女主人マダム”だからだ。元々貴族向けの高級娼館なので、それなりに人気はあったのだが、今や予約だけでも一ヶ月、二ヶ月待ちというのだ。

「これは怪しいねぇ、そう思わないかい?」
 そう問いかけて来るのは、アルマンディン公爵家次男、ハーキマーことハックだ。今日も剣術の稽古に騎士団の宿舎を訪ねていたオリィは、木剣で打ち合いながら、
「なんのことだ?」
 とく。
「今の話だよ、聞いてなかったのか?」
「高級娼館って話の、どこが怪しいんだよ」
「この前、その店に行った奴に話を聞いたのさ。そしたら、その女…」
「その女?」
「でっかいルビーのネックレスをしてたって」
「高級娼館なら、ルビーのネックレスくらいプレゼントする男がいんだろ?」
「それだけじゃないんだ」
「その女、もの凄い美人ってわけじゃないのに、すごくそそるんだそうだ」
そそる?」
「行ってみないか?」
(え、行ってみないかって、娼館に⁉︎)
 動揺した途端に、バシッと剣を叩き落とされた。

 つまりは、こうゆうことらしい。ユング家が謀叛むほんの疑いで家宅捜索された時、工房のコレクションルームも荒らされて、宝石や魔石が持ち去られた。その魔石の中に“ラビカン石”もあった。どうもそのラビカン石が、この娼館に流れたのではないかと。

 * * *
 そして数日後。ハックと俺は、疑惑の高級娼館『砂漠のパビリオン薔薇亭デザートローズ』の前にいた。
「おまえ、こうゆうところは初めてだろ?」
 ハックが言う。
(ああ、そうだよ。初めてに決まってんだろ?去年学院卒業したばっかだぞ)
「う、うちは厳しいんだよ。兄上が」
「おまえ、普通兄弟に断って娼館にいくヤツ、いるか?」
「……(おっしゃる通りです)」
 砕けすぎない、かしこまりすぎないトップコートにトラウザースで身を包み、三日月帽を目深まぶかに被って、高級娼館に入っていく。
 帽子とコートをクロークに預け、席に案内される。

「あら~、ご無沙汰ではありませんか、ハーキマー様」
 さっそく着飾った女性達が席にやって来る。胸の大きさをより強調するように、これでもかというくらい胸元が開いている。
「ハック、お前。しょっちゅう来てるのか?」
「こちらのお若い方は何方どちらのご子息様ですの?」
「騎士団の後輩だ。可愛いがってやってくれ」
「まあ、騎士様ですの?ステキですわぁ~」
「お若くて、お元気そうですわー、こちらのほうも」
 そう言って、女は俺の太腿ふとももに指をすべらせて来る。
「うぁっ!」
 と思わず声を上げてしまい、
「まあ、ウブなおかたね、うふふ」
 と笑われる。
「今日は女主人マダムられるかな?」
「おりますわ。呼んでまいりますね」
 一番年嵩としかさらしい女が奥に戻って行った。
「今日はこいつと話があるから、ワインとつまみを持って来てくれ」
 そう女たちに頼むと、女たちも奥へ入って行った。
「オリィ、女主人マダムが来たらよく見てくれ」
「わかった」
 女たちが手にワインボトルやグラス、皿に盛った果物などを乗せて戻って来た。
「それでは、お話が済みましたら、またお呼びくださいませ」
 と言って下がって行った。
みだらなことをする場所とばかり思っていたが、そうゆう訳でもないんだな」
「まあ、紳士の社交クラブと思ってもらえばいいかな。意外と外で出来ない密談をする奴も多いんだぜ」
「そうなのか…」

 俺はチラチラと他の席に座った客を見ていたが、結構見覚えのある貴族もいた。大抵は年齢も上で、若い男はそんなにいない。
 そんな中に一人、見覚えのある男がいた。
 忘れる筈もない。あの『家宅捜索かたくそうさく』の時、うちに来た“審問官しんもんかん”だ。
「ハック、あの真ん中にいる男」
「ああ、あいつ、審問部の官僚じゃないか」
「あいつ、うちに来た審問官だ」
「何だって…⁉︎」

 奥のドアが開き、ひときわ豪華なドレスを身にまとった30代半ばくらいの女が長いキセルを手に、シャナリシャナリと歩いて来る。周りにいる男たちのどよめきが聞こえる。何だろう、すごくいろっぽい。体全体から薔薇の香りがして来そうな、何か魔力を発している。

 黒い絹のフリルのついた襟元から、真っ赤なラビカン石の首飾りが見えた。
 俺の左目が金色の輪に光る。それを見てハックが、『あれか⁉︎』といた。俺は目をらした。
 アレを見続けるのはヤバい。ほんの少し見ただけなのに、周りが薔薇色ばらいろの光に包まれて、頭がグラグラした。ハックが
「本当だな。あのヤバさは俺にもわかる…」
 と言って彼女を見つめた。
 ハックの顔が紅潮こうちょうしてきた。
「おい、こっちを見ろ!」
 無理やりハックの顔をこちらに向かせる。なんだか目の焦点が合っていない。
 俺は慌てて、
「所用を思い出したので帰ります!」
 と言って、ハックを引っ張って席を立った。

 娼館を出て、一番近くの酒も飲める食堂へ引っ張っていく。
 カウンター席に座らせ、一番強い酒を頼んだ。
 グラスをハックに持たせて、ぐっと飲ませる。
「プハーッ!なんだコレ⁉︎」
「気が付いたか?」

 ハックは突然、可笑おかしそうに笑い出した。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハ!ありゃ~ヤバいな!」
「ヤバいなんてもんじゃ…危険だぜ」

 あのまま見続けていたら、一体どうなっていたことか。
「それにしてもハック、何で娼館の馴染なじみになってるんだ?」

 * * *

「ムゥ…それで、あのペンダントを貸して欲しいと、そう言うことか?」
 オリヴィン・ユングは緊張した面持ちで、渋い顔をしたデュモン卿の前に座っていた。
 三日前、怪しい情報を聞きつけた幼馴染のハックと、二人で噂の源である王都で人気の高級娼館『砂漠のパビリオン薔薇亭デザートローズ』へ行ったのだ。
 そしてそこで工房から奪い去られた魔石と、怪しい男を見つけた。

 だが、危うくその強力な魔石の効果に、み込まれそうになり、きわどいところで脱出。次にどうやって娼館に潜り込もうかと、考え悩んだ末、たどり着いた答えが、『女になって潜入する』という無謀むぼうな作戦だった。

「潜入して、お主の身が危なくなった時はどうするつもりなのだ?」
「その時は…何か考えます!酒に眠り薬を盛るとか…」
「話にならんな。そんなことしか考えられない奴に、あれは貸せん。帰ってくれ」
「卿、必ず考えて対処しますから、お願いします!」
「お主、それをジェイドに話せるのか?」
 そう言われて俺は、グッと言葉を呑み込んだ。確かに、言えない…。
 その日、俺はスゴスゴと帰った。何かもっと、強力な助っ人が必要だ。

 * * *

「聞きましたわよ、オリィ兄様。まさか、本当に娼館に潜入なさるおつもりですの?」

(エッ⁉︎なんでマイカにバレてるんだ?クッソー、ハックのヤツ、妹に話したのか!)

「お兄様、そのお顔を見る限り、本気だったようですわね…」
 そう言うと、マイカはフゥーッと長いため息を吐いた。

「ハック様が女物の服を買い込んで隠しているのを、ライナ様に見つかって問いただしたのですわ。まったく、ハック様もハック様だわ!娼館に出入りするだなんて…ホントに男って…!」
「お、俺はただ、奪われた魔石を取り戻したいだけなんだよ!」
「本当に?」
「この前ハックと偵察に行った時、俺が買い付けた石をその女主人(マダム)が着けてたんだ!それだけじゃない、うちに来た審問官がそこにいたんだよ!」
「なんですって?アイツ、いえ、あの審問官がそこに?」
「そうだよ、それで何とか潜り込める手はないかって…」
「…わかりました。協力いたしますわ」
「え?」
「お兄様とハック様だけでは心許こころもとないですもの。私たちがご協力します」
「私たち?」
「…(どこまでにぶいのかしら…)私とライナ様が」
「お前、いくつだっけ?」
「14になりましたわ(覚えてないの?)」

 * * *

 作戦会議は夜マイカの部屋で、『通信ブレスレット』を通して行われた。ハックは騎士の宿舎にいるので、後で俺が剣の稽古を兼ねて伝えにいく。

 潜入するのは『女になった俺』、紹介者はハックだ。
 俺は訳ありの貴族令嬢ということで、娼館に金を積んでかくまってもらうという設定だ。
 そうゆういう設定なので、客を取らされたりする心配がない。ただ、何もしないで部屋にかくまわれるわけにもいかないので、『水晶占いができる』つまり客寄せに少しは店の役に立つ、ということにする。
 作戦会議の翌日、俺はもう一度デュモン卿のところを訪ねた。

 王立アカデミーのドミトリーに入る。入り口にいつも管理人らしき初老の男がいるが、最近は顔を覚えてくれたらしい。管理人に付いて歩いて行き、ノックしたドアから顔を出したのは、ジェイドだった。
 俺は少々面食らった。ジェイドがいるということを何故か想定していなかったからだ。

「ごきげんよう。急な訪問で申し訳ありません」
「オリィ!ご、ごきげんよう。…どうしたんですか?」
「はい。実は先日も一度、卿とお話ししたのですが、ちょっとお願いが…」
「どうぞ、お入りください。廊下では何ですから…」
 中に通されて、椅子を勧められる。
「今、お茶をれますね」
「どうぞ、お構いなく」
 俺は腰掛けて、部屋を見渡した。重厚じゅうこうで古い作りのドミトリーだ。何世代もの教授たちがここで生活をしながら、学生たちと語り合ったに違いない。
 いつもここに来る時は、別のことで頭がいっぱいで、周りを見る余裕なんてなかったんだな…と苦笑する。

 ジェイドが茶器を運んで来る。今日は前に工房に来ていた時のような、少年の服装だ。おれの目線を察したのか、ジェイドが言った。
「掃除や家事をする時は、この方が動きやすいので」
 そう言いながら、茶器を置く。
「この『沸騰石』便利ですよね」
 ティーポットに『沸騰石』を入れた。
「父は今、講義の最中なので、良ければ私が話をお聞きします」

 俺は、どうしたものかと思った。
 正直、『魔石を取り戻す為に、女に変身して娼館に潜入したいから、ペンダントを貸して欲しい』なんて言うのは、常識を逸しているのかもしれない。そうも思うのだ、だけど、だけれども。…なすすべも無く、審問官にしたい放題させてしまった、あの時の俺が許せないのだ。
 俺は、ジェイドにその気持ちを率直に話してみようと思った。

「ジェイド、俺の言うことは馬鹿げているかもしれない。でも、聞いて欲しい。父上が陛下を裏切って逃亡したと言われた時、俺には何もできなかった。家や工房がメチャメチャにされて宝石や魔石が奪われても、ただされるがままにしているしか無かったんだ。…だけど今、ほんの少しだけ手がかりがつかめて、その手がかりが“娼館”にあるんだ。俺は石を奪った奴らの不正を暴きたい。
 その為に、“娼館”に潜入して調べたいと思う。“娼館”と言う場所が受け入れがたいとは思うが、親友のハーキマー殿も協力してくれるので、身の安全は確保できると思う。どうか、君の『ペンダント』を貸して欲しい」
 ジェイドは黙って聞いていたが、最後にフゥ~っと息を吐くと、
「わかりました」
 と言った。
「父からは、あなたが来るかもしれないと聞いていました。…父は『話を聞いて私が納得できたら、貸しても構わない』と言われています」
 俺はホッとした。なんにせよ一歩踏み出した感じだ。
 ジェイドは『持ってまいりますね』と言って、奥の部屋に入って行った。
 ジェイドはペンダントの入った箱を持って戻って来ると、こう切り出した。

「条件があります」
「俺にできることなら、何でも言ってください」
「一つは、オリィが無事で戻ってくること…」
「はい…必ず…」
「もう一つは、…ここでペンダントを着けて見せてください!」
「エッ⁉︎」
「…いやですか?」

『何でも言ってください』と言ってしまったのは俺だ。…別に嫌と言うわけではない…俺だって、少年姿のジェイドを普通に見てたわけだし…。
 ただ、ちょっと恥ずかしい…それだけなのだ。

「…わかりました」
 俺はおもむろにペンダントを箱から出すと、それを首に掛けた。
 左目が金の輪に光り、体の内側が猛烈に熱くなってきた。そして腕や足は細く縮んでいく。顔、胸、下腹、痛みにも似た灼熱しゃくねつの感覚が全身を駆け巡る。金色に光っていた目も静かに落ち着き、 すぅーっと灼熱感しゃくねつかんが収まると、俺は女になっていた。

 ジェイドがなんだか目をキラキラさせて見つめて来る。
「…オリィ、かわいい…」

 俺は何だか複雑な気持ちになった。ジェイドは俺の手を引っ張って、鏡の前に連れていく。うっかりゆるくなった靴に足を取られて転びそうになった。
 鏡をのぞくと、そこには男装だんそうしたきれいな女が立っていた。あごの線はほっそりとなり、ひたいも丸みを帯びて優しい長い眉が伸びている。

「これなら、娼館でも雇ってもらえそうですね」
 ジェイドが不穏ふおんなことを言ってくる。
 歩いてみた感じ、背の高さもかなり変わっているのではないだろうか。ただ、何だか体のバランスが取りずらい。胸が重く前のめりになってしまう。歩き方も練習した方が良さそうだ。

「ありがとうございます。気が済みました」
「それは、どうゆう意味ですか?」
 思わず自分の声に驚く。声も高く柔らかな女の声に変わっている。
 ジェイドはにっこりして言う。
「だってオリィが女の子になったところ、一番最初に見てみたかったんです」
 鏡の中の美人が、うつむいて赤面した。

「それから、一つだけこの変身は副作用があります」
「そ、そうなのですか?」
「元に戻る時、とても…痛いんです」

 * * *

 俺は疲弊ひへいしていた。
 ジェイドの言った通り、元に戻る時の痛みは半端なかった。身体中が引き伸ばされる痛みで、思わず叫び出してしまいそうになるのを必死に堪えた。
「ジェイドはいつもこれを我慢していたの?」
「だんだん慣れますから、大丈夫ですよ」
(いやいや、この痛みを毎回って…。女の方が痛みには強いって言うけど、よく平然と『慣れますよ』って…すごいな…)
 俺は改めてジェイドに感心した。

「あ、そうそう、忘れてました。これもお貸しします」
 そう言うとジェイドはポケットから、大粒の白い石を取り出した。

「これは、砂漠の民が年に一度の宗教行事で使う『真実の石』です。
 彼らは年に一度は寺院で神に『真実の祈り』を捧げるのですが、その時にこの石を手にすると、真実以外を言うことができなくなるんです。悪事を白状させるのに丁度いいかと思って」
「それは、すごい石ですね…」
「試してみますか?」
「い、いや、今日はもうこれで…」
 ジェイドは『そうですか』と言って、少し残念そうな目をした。
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