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14)『椛屋琴葉』としての再出発

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葬式を終え、城野宮家に着いた琴葉が真っ先にやったのは、巽との話し合いだ。さっさと巽がいる居間に向かい、彼の目の前でまっすぐに口を開いた。

「・・・旦那様、お願いがございます。」
「やっぱりな。聞きたくないけれど、言ってごらん。」
「私と・・・椛屋もみじや琴葉と離婚してください。」

その表情を見ながら、巽は苦笑せざるを得なかった。かつてみた真琴の笑みとそっくりだったからだ。何より、いつもならメイドだからといって座らなかった琴葉が、自分の意志でソファーに座り、巽と向かい合っている。
それだけで、巽は解ってしまった。恐らく、今止めても、無駄だろうなと。

「君がそう言うだろうとは予測できていたが、1年の猶予すら持たせてくれないとはね。」
「だって、その1年間がもったいないでしょう?旦那様にとっても、私にとっても。」
「そういう所はそっくりだね、真琴様や美琴さんと。」

前なら、きっとこうやってこんな話し合いをしようとしても話し合いにならなかっただろう。だが、今こうして二人で向かい合って話せているのはやっと琴葉がメイドとしての顔を外したからだ。

――巽は思った。
もっと、早くこういうきっかけがあれば何かが変わったかもしれない。

琴葉は思った。
もっと早く自分が気づいていれば何かが変わったかもしれない。

「はぁ・・・まぁ、いいさ。その代り、気持ちの整理が終わったらチャンスが欲しいな。」
「今だから聞きますが、旦那様は、何故私を?お姉様とは一卵性双生児なので、顔も声もほぼ同じで、性格が違うだけです。それなら、お姉様と結婚すればよかったと思うのですが。」
「・・・その性格の違いが・・・って言っても、見抜けなかった俺の言葉は何を言っても言い訳に聞こえるだろうな。でも、あの日のことがどうしても忘れられなかった。」
「あの日というのは?」
「君が『明日は今日と違う景色が見れるかもしれない。でも、それを見られるかどうかは、あなた次第だと思います。』と言ってくれたあの日だ。」

・・・初めてだった。
メイドとしての目線ではなく、自分の意志で巽と向かい合ったのはあの時以来。
ましてやそのことを、覚えていないだろうと思っていたのに、この人は覚えていた。

「覚えていらしたのですか。」
「あの時期は仕事で悩んでいた時だった。だからこそ、余計にあの一言は凄く重く心に響いた。だからこそ、君が欲しかった。・・・やり方を間違えてしまったがな。」

まぁ、それを今さら言っても始まらないが、とまた笑う巽だが、琴葉は気づいていた。目が寂し気だったことに。そして、その寂し気な目を見るのは久しぶりだということにも。

「あの日もそんな目をして笑っていましたね。・・・もっと、早く貴方と向き合うべきでした。そうしたら、何かが違っていたかもしれません。でも、私はずっと逃げていた。椛屋家からも、姉からも、城野宮家からも、そして・・・私自身からも。」
「そうか。」
「皮肉なことに、三郎兄様のことを思い出したこと、そして母様の死と向き合って、改めて考えました。やっぱり、私は、『椛屋琴葉』でいたいと。」
「それは今の君の目を見てもはっきり伝わってくる。だからこそ、嫌だけれど止めはしないし、離婚も受け入れる。でも、さっき言ったようにチャンスは欲しい。今度こそ、琴葉と向き合いたいと思っているから。」
「少し、旅に出て、この日本のいろんなところを見てきます。それが終わったら、またここで働かせてください。貴方の言うチャンスはその時に得られるでしょう。」
「正直、また戻ってくる気があるとは思わなかった。」
「言ったはずです、ここの生活には不満は持っていなかったと。」

巽は肩を竦めながら、呼び鈴を鳴らした。目を丸くしている琴葉の眼前に現れたのは書類を持ってきた黒川だった。

「黒川執事長。」
「まったく・・・こんな時だけ巽様の推測が当たるとは。どうせならいつもの様に情けない主として外してほしかったものですね。」
「一言余計だ、黒川。」
「事実でございましょう。琴葉様、こちらに記入を・・・お願いいたします。」
「離婚届・・・用意して下さったのですね。」
「はい、巽様の指示で。このことは、白野宮家の大旦那様及び大奥様の許可も得てございます。」

思いもよらない迅速な対応にため息が出るのは無理ないこと。
改めてこの人の器の大きさを思い知らされた。私の前ではいつも情けない人だったのに。そう、酷い人で、冷たい人で、誰よりも、不器用な人だった人。

「本当に有能な方だったんですね。」

琴葉は黒川からペンを受け取り、離婚届に自分の名前を記入した。
離婚届を確認した後、巽に渡すと、彼もまたポケットからペンを取り出して名前を書き入れている。

だからこそ、この目の前にいる人を嫌いになりきれなかった。
初めての出会いの時に、この人が言っていたことを私も覚えていたから。

巽が離婚届を書き終え、黒川が受け取って退出したのを見計らって琴葉は口を開いた。

「あの日、旦那様はおっしゃっていましたね。」

『昨日も今日も繰り返される日々は確かに人間全てを考えれば、平和で幸せなことだ。だが、その中には、苦痛を感じ、命が尽きることに怯えて助けを求める人間も確かに存在している。医師としてその腕を振るっても尚、その負の連鎖は止まらない。』

「負の連鎖は止まらないと。」
「ああ、でも君が言ってくれたんだったな、それでもまた明日はやってくると。」
「はい。」
「本当に、救われた思いがした。少なくとも、俺の前にある景色だけでも守ろうと、助けようと思えた。だからこそ、今も、城野宮家の跡取りでありながら医師を続けることができている。」
「立派だと思います。そんな旦那様だからこそ、どんなに酷い人間であろうとも、私は従い、仮面をつけることができた。・・・冷たい仮面をまとうことも時には必要だと貴方が示してくれていたから。」
「少なくとも、君に対しては間違った態度ばかりとっていたと思うよ。」

琴葉はその言葉には答えず、ただ静かに微笑んだ。何も返さないこと、それが琴葉の明確な意思であり答えでもあった。それに巽も気づいているのだろう。何も言わずに黙っていた。

「・・・明日の朝に出ていきます。今晩ぐらいは旦那様の食事に付き合いましょう。」
「最初で最後の晩餐か。あまりいいタイトルではないね。」
「私は絵画のタイトルを作った覚えはありませんので。」
「だろうね・・・一つだけ、便乗して我が儘を言わせてくれ。」

一体何を?と思ったが、彼が言った我が儘を素直に受け入れたのは今日が初めてだった。


琴葉は慣れ親しんだ自分の部屋を見渡した。小さい部屋だが、寝るには困らなかったこの部屋を気に入っていた。荷物をまとめたトランクを持って、玄関に置いた後、再び二階へ向かった。とある部屋の扉に立っていたのは、麻衣を筆頭に仲良くしていたメイド仲間達だった。

「最後ぐらい手伝わせてくださいませ、琴葉様。」
「・・・麻衣、それにみんなも。」
「うふふ、旦那様がね、最後ぐらいは友人との別れも必要だろうと。さ、最後の晩餐ぐらいおしゃれしないとね。」
「え、あの、お手柔らかに・・・うう・・・」

ウインクした麻衣に引きずられた琴葉は、巽が用意していた琴葉のもう一つの部屋へ慌てて入っていった。


巽は、いつもの食堂ではなく、2人で食事をとれるぐらいのテーブルの席に座り、立っていた黒川と話をしながら琴葉を待っていた。

「旦那様は、何故、今になって離婚の決断を?てっきり追いすがるかと思いましたが。」
「あれの目に魂が宿った以上、追いすがるのは得策じゃない。皮肉なことだ。初めて出会ったあの日に見たあの抑揚のない瞳がはっきりと俺を映したのが今日だとは。」
「巽様。」
「傷が治った鳥は鳥かごに閉じ込めておくべきじゃない。鳥の良さはあの翼を広げて空を飛ぶところにあるのだから。」
「・・・本当に、琴葉様が絡むとその有能な頭脳も持ち腐れでございますね。」
「本当に、お前は俺に厳しく琴葉に甘いな。」

黒川が扉のノックされる音を背に一礼して退出し、入れ替わるように琴葉が入ってきた。

「ああ、やっぱり似合うね、そのワンピース。それにアクサセリーやバレッタも。」
「やっぱり高い服はだめですね。身構えてしまいます。」

かつて巽と一緒に買い物をした時に選んでもらったワンピースやその他もろもろを身につけたのは、最後ぐらい巽のプレゼントを身に着けて欲しいと言われたから。
言い分はもっともだし、一度袖を通すぐらいはいいかと頷いたが気恥ずかしくて仕方がない。
顔を赤らめていると巽が手を差し出し、椅子に座るのをエスコートしてくれた。

「・・・ありがと、うございます。」
「黒川が、遠藤シェフに話を通してくれてね。今夜は張り切って君の好物を作ってくれるそうだ。」
「遠藤さんが。・・・ありがとうございます。さっき、麻衣や他のメイド達が着替えを手伝ってくれたお陰で最後に楽しい時間を過ごせました。」
「それは良かった。ああ、料理がきたようだよ。」

巽が言う通り、黒川が指示したのだろう。次々と皿が運ばれてくる。琴葉は慣れない服に戸惑いながらも、美味しい食事を堪能した。

「そういえば、大旦那様にはお世話になっておきながらお会いできないままになりそうですね・・・申し訳ございませんが、後で手紙を用意しますので、代わりに渡していただけますでしょうか?椿様や小百合様にはすでに電話で連絡したのですが・・・。」
「はは、あの2人のことだから反対するどころか励ましてそうだな。父については黒川に手配させよう。」
「お願いします。そう、ですね。でも、旦那様のことを心配しておられましたよ。私がいなくなって意気消沈するんじゃないかと。」
「そんなに弱くないつもりなんだが。」
「大丈夫です、今晩は一緒に寝るサービスもつけてあげますから。」
「それは嬉しいサービスだね。でも、余計に明日からの寂しさが増してしまいそうだ。」

いつもなら喋ってくる巽だが、今日はいつもと逆で、琴葉が珍しくいろいろと話かけている。
琴葉自身も珍しく巽の前で自分が表情に感情をのせていることに気づいていた。だからか、巽も口数が少なかったが、相槌をうちながら食べていた。そうこうしている内にワインまで開けてしまい、酔っ払ってしまった。
寝室で寝転がっていた巽の横に琴葉が入り込むと同調するように巽がそっと琴葉の額を撫でてきた。

「うう、まだ酔っている気分です。」
「大丈夫か。」
「は、い・・・。」
「全然大丈夫じゃないな。ほら、ちゃんと暖かくして。」
「・・・変な感じですね、こうやって腕枕をされているのって、初めてかもしれません。」
「確かに・・・した記憶がないな。」

今さらながらに、琴葉は感じていた。もちろん、今まで、巽がいろいろと考えて琴葉に接してくれていたことも解っている。特に誤解が解けた頃からそれこそ世話を焼き過ぎるぐらいになっていたし。

(必要以上には外に出してくれなかったけれど、大学にはいかせてくれたし、必要最低限の世話はしてもらえた。外に出さなかった理由は男あさりをしないようにということだから、姉の言葉を信じて対策をとっていただけなんだろうけれど・・・)

「旦那様は、もうちょっと視野を広げた方がイイかもですね。」
「何を思ってそんな言葉が出たのか理解に苦しむが・・・言わんとすることは理解できる。」

頭を撫で続けている巽の手から伝わってくる暖かさが眠気を誘う。瞼が重くなり、あくびがでてきたので、巽に眠いことを告げると、瞼に唇が落ちてくるのと同時におやすみと挨拶を受けた。
キスされたと気づいた時にはもうすでに瞼が重くて開けない状態だったので、何も言えずただ布団の中で眠りについた。

「・・・・ねむい、です。」
「ああ、ゆっくりおやすみ、良い夢を・・・。」
「ちょっと子どもに戻った気分です・・・おやすみ、なさい。」



この夜が明けたら、旦那様とはお別れになる。つまり私と旦那様の関係の終わりが訪れるわけで、そうなると、しばらくは旦那様と呼べなくなりますね。

内緒ですよ。

実は結構好きだったんですよね・・・
主に仕える忠誠心が芽生えるぐらい『旦那様』と呼ぶ時の言葉の響きが。
今度は、いつ呼べるでしょうか。
メイドとしていつ戻ってこれるでしょうか。





その時、私はどう旦那様と向き合うべきなのでしょうか。







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