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最終章

第二十三話 虚無に意味をもたらして

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 ディリスは今、自身から溢れる力を信じられずにいた。
 否、彼女は既に答えを導き出していた。

(この身体の奥から溢れてくる万能感。これが『ウィル・トランス』なんだ、きっと、本当の)

 虚無神は言っていた。自分の『ウィル・トランス』は不完全だと。
 今なら分かる。これが真の『ウィル・トランス』。この瞬間において、もはやこれ以上はないくらいの最強の切り札。

 ディリスを拒むため、虚無神の身体から無数の光が矢となり襲い掛かる。光速すら越えた速度。射出と着弾が同時という理解を越えた攻撃。これこそが虚無神の底力。人類を超越した存在だけが許される“領域”。
 だが、ディリスは既にその“領域”へ足を踏み入れていた。

「何だと!!?」

 一振りで百の矢を弾き、二振りで千の矢を切り刻む。ディリスの眼には、神速をも凌駕したこの不可避絶死の攻撃でさえ、対処できる速度に映っていた。
 神話の攻防の最中、彼女は一瞬だけ背後を見た。

「ディー! 私達は大丈夫!!」

 エリアが、ルゥが、ジョヌが、オランジュが、アズゥが、ヴェールが、パールスが、そしてロッソが一個の塊となりて極大の防御魔法を展開していた。八人分の最大魔力を込め、組み上げたその障壁は虚無神の攻撃ですら一度限りやり過ごすことが許された。
 当然、二度目はない。

「だからディー! やっちゃえええええ!!!」

「任された」

 虚無神の最後の悪あがき。そう言えば、良いのだろうか。無数の光輪が虚無神の前方に出現。一粒の魔力体がその輪を潜ろうと前進する。
 その魔力密度を読み取って戦慄した。
 太陽。それはもはや、一つの太陽と言っても過言ではない莫大なエネルギーを内包していた。悪戯に解き放たれるだけでもこの世界の半分は消し飛ぶであろう、そんな小型の世界破壊爆弾。

 絶対の自信を以て、虚無神はディリスをあざける。

「来いよヒューマン!! この虚無神が全てを虚無ゼロにしてやるよ!!!」

「……良かった」

「アァ何が!? 気が狂ったのかよ! ミジンコ以下の存在がかつての我を倒した勇者が使った『ウィル・トランス』を使えて調子に乗ったのかなぁぁぁん!? 思春期はとっくの昔に過ぎてるよなぁ!!!」

 天秤の剣の切っ先。そこにディリスは魔力を込めた。全身ではない、ただの一点。彼女は全てを流し込む。
 蒼い眼の向く先は虚無神の中心核。

「この土壇場でも荘厳な奴ならば、私は少しは後味が悪かったのかもしれない。でもさ、今そんな気持ちは消えたよ。だって今の貴様――――」


 跳躍。そして、彼女は添えるように剣を突き出した。


「――――ただの人間みたいだから」


 突き刺さった。深く、確実に。確かな手応え。虚無神を構成する水晶体に亀裂が走っていく。


「ァ――我が、消える? しまった、魂を本物に近づけすぎた。向こう側にいる我もがこの結果に引っ張られる? イヤ、だ。消える。我は消える。嫌だ嫌だ嫌だ。死にたくない。死にたくない。死にたくな――――――」


 虚無神はそれ以降言葉を発しなかった。己を構成する中心体である核を貫いた事が原因だろう。

「空が……」

 虚無神が展開していた上下の感覚が掴みづらい七色の空と大地。神の魂が消えたことにより、皆は元のハルゼリア大神殿に戻ってきていた。
 広間の中心。
 ディリスは疲労困憊ひろうこんぱいの身体に鞭打ち、ゆっくりとそこに横たわる者へと近づいた。

「……プロジア。起きているんでしょ?」

「……ええ、まあ」

 仰向けのまま、プロジアは眼を開いた。念の為、魔眼の発動を警戒したが、彼女からはすっかり戦う意志は抜け落ちているようだ。

「勝ったぞ。私は」

「負けました。私は」

 彼女は目を閉じた。

「殺しなさい。惨めな敗者に死の審判を」

 ディリスは天秤の剣を順手から逆手に持ち替えた。
 その時だった。

「待て《蒼眼ブルーアイ》。俺達の用件を忘れた訳じゃあないだろうな」

 『六色の矢』全員がディリスへ殺意を向けていた。
 今まで良く後ろから討たれなかった、とすら彼女は思っていた。これはそう、当然の反応。
 そんな殺意に満ちた空間の中、ディリスとプロジアの元へ駆け寄っていく一人の少女がいた。

「プロジアさん」

「貴方は……確か、コルステッドの娘」

「エリア・ベンバーです。こうしてちゃんと話すのは初めてですかね?」

「ええ、そして最後の会話ですかね? そうですか、貴方が私に幕を下ろすのですか? 良いでしょう。『六色の矢』の皆さん、手出しはしないでくださいね」

「……ディー。ディーも見ていてくれる?」

 ディリスはエリアを見る。その表情は了承の意味ではなかった。
 彼女は薄く笑って、こう返した。

「うん。私はそもそももう殺さないって決めたしね。相手がプロジアでも、さ」

 エリアの肩を数度叩き、ディリスは殺意むき出しの『六色の矢』の所へと歩いていき、地面に腰を下ろした。

「どういうつもりだ《蒼眼ブルーアイ》?」

「分かってるんでしょジョヌ・ズーデン。ほら見てみなよ、今からエリアは証を立てる。世界で最も強いっていう証をね」

 その言葉を受け、ジョヌは一瞬目を丸くさせた後、大きなため息をついた。

「まじかよ、まだそんな事やってんのかいあの嬢ちゃん」

「そうですよっ。エリアさんはずっとエリアさんなんですからっ!」

 ルゥがにこりと笑いながら、軽く頷いた。

「……まいったなこりゃ」

 彼ら、そして彼女らの視線はエリアとプロジアへ注がれた。

「プロジアさん」

「ふふ……今なら確実に心臓を狙えます。ちゃんと狙ってくださいね」

 エリアはゆっくりと腰を下ろし、そして手をかざした。

「なるほど攻撃魔法で確実にですか。これなら――――!?」

 プロジアの身体を新緑を思わせる光が包み込む。暖かさに満ちた輝き。本能的に、プロジアはこの魔法が何なのかを察していた。

「なっ! 回復魔法!? 止めなさい! 私を殺しなさい!」

「ごめんなさいプロジアさん。私って『癒やしの光これ』使いすぎている内にコツ掴んじゃったんですよね。……だからもう、プロジアさんは治っているはずです」

「そんな訳が……何て事……」

 プロジアは身体を起こした。痛みや出血がない。彼女の言う通り、回復を実感した。
 故に、プロジアは自らの天秤の剣を手に取る。

「惨めな……! では自ら……!!」

「させません!」

 エリアの指先から小さな魔力弾が射出。天秤の剣をプロジアの手から弾き飛ばしてみせた。金属がぶつかる特有の音が広い空間に反響する。

「プロジアさん!」

 今度は乾いた音が一度、鳴り響いた。
 エリアの右手が、プロジアの頬を叩いたのだ。そのまま彼女はプロジアの胸ぐらを掴む。

「生きる事から逃げるな!!」

 エリアは堪えきれずに泣いていた。
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