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最終章

第十六話 虚無神降臨

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 暗い海の中だった。
 身体は動かず、ただただ沈むだけ。
 そんな闇のなかでも、確かに聞こえる“声”があった。

 エリアは手を伸ばした。手に感覚がなく、伸ばし“た”なのか伸ばした“つもり”かの判別はつかないが、確かに動かそうとした。

 ――エリア!

 声を聞いたエリアから不安が消えていた。
 だって、その手をちゃんと掴んでくれるのだから。

「エリア!」

「……ぃー」

 その一瞬は聞き逃さなかった。蒼色から茶色に戻っていたディリスの眼が大きく開く。エリアの口元に耳を近づけた。
 聞こえた。息が。そして、聞きたくて聞きたくて仕方なかったエリアの声が。

「で、ィー……」

「エリアさん! 意識が……!」

 今度はルゥもその声を捉える事が出来た。自然と口元を手で覆い、目を潤ませる。
 即、ディリスは己の持ちうる知識で具合の確認を開始する。

「……うん、とりあえず大丈夫そうだね。具合はどうエリア?」

「だいじょう、ぶ……ルゥちゃんが魔力をくれたからぎりぎり、回復魔法が間に合ったよ」

「良かった……! 良かったです……!」

 ディリスは無言でルゥへハンカチを渡し、くしゃくしゃになっている顔を拭くように促した。
 まずは一山超える事が出来た。だが、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。

「エリア、立てそう?」

「とりあえず、はね。……プロジアさんが奥に行ったんだよね。行かなくちゃ」

「エリア、コルステッドは――」

「……聞こえてた。プロジアさんには何て言ったら良いんだろうね、私」

 その問いに対する答えを、ディリスは持ち合わせていなかった。もちろんルゥもだ。
 その代わりにディリスは言う。答えでもなく、疑問でもなく、ただの一言。

「行こう。全部がきっと、そこで分かる」

「うん! ディー、ルゥちゃん。行こうか」

 ディリスはこのハルゼリア大神殿の奥にいるプロジアと、そして虚無神の気配を感じていた。
 自分が持ち合わせている語彙では、とてもでないが言い表せない存在感。

 恐らく、これが最終決戦となるであろうことはこの場にいる誰もが察していた。

 それでもディリス達は歩き出す。
 全てに決着をつけるために。


 ◆ ◆ ◆


 ハルゼリア大神殿奥の間。当時、そこは神の洗礼を直に受けられるという神秘的な場所だったという。
 だが、今はあちこちに瓦礫やヒビがあり、見る影もない。そんな孤独な場所に、たった“一人の存在”がディリス達を待ち受けていた。

『答えよ人間』

「何でしょうか、虚無神イヴド」

 第三者から見れば、一人で喋っているプロジア。だが、それは大きな勘違いである。

『何故、我が支配に抵抗しなかった? 汝には“あの力”がある。少しは抵抗出来たであろうに』

「ふふ……私は敗者ですからね。そして私は虚無神を復活させようとしていて、貴方自身も復活したがっていた。ならば、敗者の私が責任を取って、器になるのが妥当では?」

『やはり人間は分からぬ。自己犠牲の精神、というものか?』

「そんな片腹痛い物ではありませんよ。私は悪あがきをしたいだけです」

 虚無神に身体を明け渡し、意識だけとなっていたプロジアは確かに感じた。
 強い気配。今までのような殺意もなければ、迷いもない。純粋に、強い気配。

 最高だ、とプロジアは唇を三日月状に歪めた。

「プロジア!」

 ディリスとプロジアの視線が交差する。すぐにディリスの眼が蒼くなった。

「――プロジアじゃないな。なら、貴様が……」

「ひと目で分かるか、人間よ」

 虚無神はプロジアの顔で、声で、そう言った。

「ああ、空虚な感覚。これがお前の言う虚無という奴なんだろうな」

「人間が我を語れるものか」

「まあ、良い。貴様と意見交換をしたくて来た訳じゃないしね」

 ディリスが剣を抜き、構える。それに合わせるように、エリアとルゥもそれぞれ魔法の準備をする。
 三対一。だというのに、この拭いきれない不安感はなんだろうか。
 虚無神の戦気に、空間が小刻みに震えている。

 浮かぶ怖気を払うように、ディリスは言葉を吐いた。

「虚無神イヴド。プロジアもそうだが、貴様も私の旅の“始まり”になった奴なんだな。だから殺す。そして、しばらく人殺しを休む事にするよ」

 エリアが続いた。

「虚無神イヴドさん。私はまだ貴方がどういう方かは分かりません。分かりませんが、お父さんの死の原因になったのなら……私は許せない!」

 ルゥが締める。

「召喚霊を喚べるようになった今だから分かりますっ。虚無神イヴド、貴方は危険です。大人しく元いた場所に帰らないのなら、私達は戦いますっ!」

 三者三様の決意を、虚無神は憐れむ。

「愚かなり。我は虚無神イヴド。虚空と無尽を司りし者。人間が我と相対することの何たる徒労か」

 虚無神の足元からおぞましく暗い色の魔力が湧き出し、それはプロジアの身体を覆っていく。
 繭となった魔力は、やがて収縮と膨張を繰り返し、徐々に姿を変えていく。

「示そう。途方も無い“差”を、次元の違いを」

 てっきり化け物が出てくるのかと思っていたディリスはその姿を見て、少しだけ安堵する。

 人型。身長は成人男性の標準。半透明の結晶のような素材。顔には眼や口と言ったパーツはない。
 虚無神というだけあり、無機質な印象を与える。

「ムカデのような化け物と戦うと思っていたから、ありがたいよ」

 目を閉じ、精神を研ぎ澄ませる。
 魔力と闘気を循環させ、流れを最高潮に高める。

 やり方はもう分かっている。
 あとは己の中のトリガーを引く。

「――『ウィル・トランス』!!」

 全身にオーラを纏い、戦闘力が高まっていくのが感じられる。

「『ウィル・トランス』、そうか貴様もか。その力、どこまで使えるのかな?」

「貴様を殺す程度には」


 ディリスと虚無神。互いが一歩、前へと歩き出す。
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