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第2部・第9話:突入前夜

第2章

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「ありがとうねぇ。これ、少ないけど貰ってちょうだい」
「――ありがとうございます」
 薪割りのお礼にと、小振りなバスケットいっぱいのフルーツを差し出してきた老婆に、ジェイクは律儀に頭を下げた。この程度の労働で対価を得るのは気が引けたが、相手の気持ちを無碍にする訳にもいかず、ありがたく頂戴する。
 白ヒイラギの聖水は毒抜きの工程に入っており、収穫物の運搬等の力仕事に従事してきたジェイク達は、比較的手がき始めていた。町民達の雑用を買って出ているのは、身体を動かしていなければ、心配でどうにかなってしまいそうだからだ。そしてそれは仲間達全員にも言えることのようで、日中の教会宿舎で斥候せっこう隊員の姿を見掛けることはほとんどない。
 「予言の子供」――ルカが魔王軍に攫われたことで、カロッサの町は、沈鬱な空気に包まれていた。肉体労働に没入することで、ジェイクはほんの少しでも町民の生活を豊かにすると同時に、自身の心の安定を図っている。
 ルカというのはよくよく数奇な星の元に生まれたと見えて、愛らしく華奢な外見からか、これまでにも何度か誘拐騒ぎに巻き込まれてきた。その度ごとに仲間達と協力しながら救い出してきたが――ジェイクは今回ほど恐怖を感じたことはない。「予言の子供」の存在を憎む魔王の陣営に攫われたのだ、何事もなく済むと考えるのは、あまりに楽観的に過ぎる。
 ――あんな小さな身体に、重たい宿命を抱えているなんて。
 思考の沼に囚われそうになるのを振り切るように、ジェイクは小さく首を振ってから、顔を上げた。ひとまずは宿舎へ戻るべく、陽の傾きかけた中央通りに入る。
 ひと気の少ない道の前方に、幼い兄弟が進んでいくのが見えた。家の手伝いの最中なのか、兄の方は買い物カゴを抱えて先を急ぎ、弟の方はその後ろを必死に追い掛ける様子だ。過疎化の著しい町だけに子供の数自体が少なく、遊び相手にも不自由しているのだろう。任務の遂行に懸命な兄は、後をついて来る弟の体力が自分よりも劣ることに、気が回らないようだ。
 そして案の定、弟はジェイクの見ている前で、足をもつれさせて転んだ。
 思わず助けに入ったのは、昔の自分を見ているような気分になったからだ。
「あ、ありがと……」
 突然現れて、地に伏した弟の両脇に手を入れ、苦も無く助け起こした長身のジェイクに少々怯える様子を見せながらも、兄弟は揃って感謝を述べる。
 小さくて可愛いもの好きだが、当の「小さいもの」は大きな自分に根源的な恐怖を感じるらしい、という残酷な事実を苦々しく噛み締めながら、ジェイクは極力優しい手付きで、弟の服の汚れをはたいてやった。取り敢えずは、目立った怪我はなさそうだ。
 「うちの手伝いか?」と聞きながら、ジェイクはその場に膝を着いた。頷く兄弟と視線を合わせながら、敢えてお節介を口にする。
「偉いな。――でも、弟はお前ほど身体も大きくない。もう少しゆっくり歩いてやれ」
 この忠告に、兄の方は「えー」と不満そうに唇を尖らせた。気持ちはわからないでもない。恐らく彼は、家族のためにとの使命感に燃えている。弟は勝手について来ただけなのだから、そちらに歩調を合わせてやる必要もない。
 だが、何かあってからでは遅いのだ。
「俺にも経験があるんだ。弟が怪我をしたり、具合が悪くなるのは嫌だろう?」
 経験を踏まえてのジェイクの説得に、兄はハッとしたように両目を見開いた。思うところがあったのか、バツが悪そうに「ごめんな」と小さく詫びる。何が何だがわかっていない様子の弟は、それでも兄とジェイクが自分を思い遣ってくれたことだけは理解できたらしく、元気に「いいよ!」と笑った。
 微笑ましい姿につられるように、ジェイクもまた思わず口元を緩める。お礼のバスケットの中からオレンジを2個取り出し、一つを兄の買い物カゴに、もう一つを弟の手に握らせてやった。
「手伝いと、仲良しのご褒美だ」
「いいの?」
「ありがと、お兄ちゃん」
 二人は手を繋ぎ、先程よりもゆっくりとした歩調で去っていった。
 その姿を見送りながら、ジェイクは改めて、ルカと過ごした日々を思い返す。
 小さくて可愛らしいルカ。懐いてくれるのが嬉しくて、あちこちへ連れ回した。自分との差が理解できず、無理をさせてしまってから、ジェイクは長いこと、ルカを「守るべきもの」として扱ってきた。この旅に出るに当たって、彼も成長しているのだと何度も思い知らされたが、それでも、ジェイクにとって、ルカが守るべき大切な存在であることは変わらない。
 変わったのはただ一つ、ジェイクの心――ルカを見守るジェイクの目だ。
 これまでジェイクはずっと、ルカをおかしな目で見る者達からも、彼を守ってやっているつもりだった。それがいつの間にか、自分もそちら側の男に成り下がっている始末だ――まったく、兄気取りが聞いて呆れる。ユージーン達にも警戒されるはずだ。
 自嘲を込めてそんな風に思いはするものの、だからといって、それでもジェイクは、ルカを守る役目を誰にも譲るつもりはなかった。
「…………」
 通りに立ち竦んだまま、ジェイクは教会の聖堂の、更に上空を見晴るかす。正確には、ルカが囚われているであろう、北の魔境の方角を。
 ――必ず助ける。
 祈るような気持ちで、ジェイクは奥歯を噛み締めた。
 自覚したばかりの「想い」は、当然ルカには何も伝えられていない。他人から寄せられる好意に敏いのか疎いのか、いまいち不明瞭なルカは、きっと「最近ジェイクの過保護が酷くなった」くらいにしか考えていないだろう。
 けれど、自覚してしまったからには、それで終わらせるつもりは、ジェイクにはなかった。絶対に無事に助け出して、想いのすべてをルカに伝えるのだ。
 ――お前は困るだろうか。兄のように慕ってくれていた男から、情欲の籠った目で見られていたことを知って、恐れはしないだろうか。
 煩悶はんもんの答えは、否だ。ルカならきっと受け入れてくれる。少なくとも、ジェイクの気持ちまでを否定するようなことはしないだろう。
 そんなルカだからこそ、ジェイクは惹かれたのだ。気付かないようにしていただけで、もっとずっと幼い頃から。
 ――必ずお前の元へ辿り着いて見せるから、お前も何とか頑張ってくれ。
 自分を奮い立たせるように、ジェイクはバスケットの中からリンゴを取り出し、ガシリと齧る。
 それから勢いを付けて、宿舎への道を辿り始めた。
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