小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵

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第2部・第7話:国王陛下の優雅な日常

第3章

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「ヘクター・ボールドウィン卿がお着きになられました」
「――通せ」
 重要文書に粗方あらかた目を通し終えたところで側近に告げられ、アデルバートは視線を上げぬまま短く答えた。
 無駄のない動きで訪問客が案内されてくる間にも全体の最終確認を済ませ、国璽こくじを押印する。近習が形式通り金庫へ保管するのを見届けてから、アデルバートは改めてヘクター卿に向き直った。
 騎士の正装として、黒地に金の装飾の施された甲冑を身に纏い、純白のマントをなびかせた大柄な「救国の大剣士」は、実力と年齢に裏打ちされた自信を全身に漲らせている。それでいて、どこか飄々とした印象を与えるのは、濃い茶色の髪を無造作に伸ばし、浅黒い肌に口髭を蓄えた、貴族らしからぬ風体のせいだろうか。
「こちらへ、ヘクター卿。定刻通りだな」
「陛下の貴重なお時間を、無駄にするわけには参りませんからね」
 デスクの前に招き寄せるアデルバートに対して、ヘクター卿は構えることなく、肩を竦めて見せる。アデルバートが物心ついた頃、ヘクター・エルヴィス・ボールドウィンは既に勇猛な剣士として、諸国に名を馳せる存在だった。豪放磊落ごうほうらいらくな卿にしてみれば、よわい30を超えた苛烈な国王も、やんちゃな少年と大差ないのかもしれない。
 無意識のまま微苦笑を浮かべて、アデルバートは膝の上で両手を組み、背もたれに深く寄り掛かった。
「――では、報告を聞こう」
 ヘクター卿の領地であるグリテンバルド州は、黄金のベリンダと「予言の子供」の出身地・ハーフェルを擁する。そのため魔王軍斥候隊せっこうたいもまた、彼の地によしみのある者達で構成されていた。出立時には黄金のベリンダによって、対魔物用の厳重な結界が敷かれているが、彼女との因縁によって、魔王が直接攻撃を仕掛けて来ないとも限らない。当初は魔王討伐隊の隊長に就任する予定だったヘクター卿は領地に帰り、精鋭部隊と共に警戒を強めている。王都ヴェスティアとグリテンバルドは、早馬で1日程度の距離であるため、こうして定期的に報告を受けている、という訳だ。
 アデルバートやベリンダが警戒したように、現状魔王軍はハーフェルの町に手を出すような真似はしていない。しかし、当然ながら最前線にある斥候隊は、常に危険と隣り合わせだ。「予言の子供」を討伐隊及び斥候隊へ加えることを強く主張したのはアデルバートだったが、今となっては早計に過ぎたかと心配になってくる……。
「――『予言の子供』を、随分とお気に召されたそうですが」
 型通りの報告を終えたヘクター卿が、不意に口調を緩めた。ルカを呼び戻すべきか、そもそも魔王に動向を知られているのなら斥候任務自体も難しいのではないか、しかし部隊の解散はベリンダが許容すまい――などと考えを巡らし始めていたアデルバートは、ルカの話題に一瞬身構える。ヘクター卿もまた、どこぞから探し出してきた縁者の美少年とやらを差し出すつもりではあるまいな、と勘繰ったためだ。
 しかしヘクター卿は、意味ありげな笑みを浮かべたまま続けた。
「陛下のご威光は、ラインベルクの国土をあまねく照らすものですが……あれに関しては、あまり強硬なお立場を取られぬ方が得策かと思われます」
 思わぬ苦言に、アデルバートは少々面食らった。素行に関して、良い意味でも悪い意味でも貴族らしからぬヘクター・ボールドウィンに釘を刺されるなど、予想もしないことだ。
「――ベリンダか」
 意図を測りかねて、アデルバートは美しい眉根を引き絞りながら、ルカの保護者である大魔法使いの名を挙げた。確かに、彼女の孫に対する愛は海よりも深く、生半可な者に自由にされることを許しはしないだろう。しかし、アデルバートは一国の王だ。それも、世界に名だたる列強の、由緒正しき覇王である。これ以上の後ろ盾は望めまい。
 不満も露わなアデルバートに、ヘクター卿はまたしても小さく肩を竦めた。
「最大の障害はそうなりましょうが、それ以外にも、ルカの周りには手練れが揃っておりますので」
 ――斥候隊の者達か。
 相手の真意を悟って、アデルバートは凄味のある美貌を忌々しげに歪めた。
 出立式までの時を王宮に留まる間、表向きは忠誠の態度を見せながら、アデルバートがルカに近付くたびに剣呑けんのんな視線を向けてきた、不遜ふそんな者共。出立後の今は、魔石通信の度にベリンダを急かす等の小細工を弄する、面倒な奴らだ。――ああ、確かに、ルカからの信頼という点においても、厄介な者達である。
 アデルバートの機嫌が急降下したことを察した近習達に、緊張が走った。ヘクター卿は悪びれもせずに、ニヤニヤと笑みを深めている。
 ふと思い出して、アデルバートは眉根を寄せたまま問うた。
「……そなたの息子も、斥候隊に名を連ねていたな」
「はい。剣士として黄金のベリンダに随従ずいじゅうしております」
 間髪入れずの流れるような回答に、アデルバートの脳裏を、銀髪の貴公子の姿がよぎる。ヘクター卿とは真逆のタイプだが、それなりに見栄えのする青年だったはずだ。
 なるほど、とアデルバートは長い睫毛を伏せた。――息子のために、我を牽制しに掛かったか。
「跡継ぎがそれでは困るのではないか?」
 やや芝居がかった仕草で腕を組む。ここでもまたアデルバートは自分のことを棚に上げたが、満更根拠のないことでもなかった。
 確かに、一国の王が后も迎えずに(更には市井しせいの少年を愛でて)いるというのは、血統上好ましくない。家臣達が縁談を急かすのも、すべては後継者のためだ。しかし、これが高位の王族ともなると、話は違ってくる。アデルバートが子供を作らなけらば、自分やその子供達にも王位継承の順位が回ってくるからだ。故に彼らは、アデルバートが「予言の子供」を特別に愛でることに、比較的寛容だった。万が一アデルバートが未婚のまま崩御したとしても、ラインベルク王家は充分存続可能なのである。
 アデルバートの指摘に、ヘクター・ボールドウィンは、ふとすみれ色の瞳を細めた。
「不肖の息子に告げたことはありませんが……私はさほど、血筋にはこだわっておりません」
 常日頃から貴族としては稀有な存在と見做みなされがちな男の、その評価を裏切らない宣言に、それでもアデルバートは興味を引かれた。先を促すように視線を向けると、よく陽に焼けた顔に、苦い笑いが浮かぶ。
「我が家は元より、武門で鳴らした一族です。最も優れた剣士が家督を継ぐのも、悪くはないでしょう」
 それは、息子に子が出来なければ、適正のある養子を迎えればいい、ということなのだろう。もちろん、それには国王であるアデルバートの承認は必要になるが、ヘクター卿がここまで柔軟な思考の持ち主だとは、アデルバートも考えていなかった。血筋や家門の存続を何より尊ぶ貴族社会にあって、我が子の幸福を優先させようとは、なかなかに良い親子関係が見て取れる。
「――気に留めておこう」
 会話をそう締め括ったのは、ヘクター卿の父性に敬意を評してのことだった。
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