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第2部・第6話:小悪魔は笑う
第6章
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ぱきり、と小さな破裂音が聞こえて、ルカは目を覚ました。
視界に飛び込んできたのは、祖母と仲間達の、心配そうな顔。ルカの覚醒する気配を悟って、集まってくれたらしい。
――還って来たんだ。
実感するのと同時に、ベリンダがベッドに伏して泣き崩れた。愛する孫が二度と目覚めないかもしれないという恐怖と緊張の糸が切れ、感情が一気に溢れ出たのだろう。師の肩を片手で擦りながら、ユージーンがルカの手を安心させるように強く握ってくれる。
「ルカ……!」
「――良かった」
か細い声で囁いて、抱き締めてきたのは、少しやつれた様子のネイトだ。彼の腕を押し退けるようにしながら、成獣体のレフが嬉しげに頬を舐めて来る。ジェイクとフィンレーはそれぞれ明後日の方向を向いて、涙を堪えているらしい。
まだ少し頭に霞が掛かったような状態で、それでもルカは身じろいだ。起き上がろうとするのを察してくれたジェイクが駆け寄り、群がる男達を引き剥がす。
上体を起こすのと同時に、胸元からきらりと光る物が転がり落ちた。ルカを永久の眠りにつかせた石はぱっくりと二つに割れ、床の上を無残に転がる。禍々しい魔力はもはや感じられず、ただのガラス玉のようにしか見えなかった。目覚めた瞬間に耳にした破裂音は、これが割れる音だったのだろう。
素早い動作でフィンレーが二つの破片を拾い上げ、掌の中に握り込む。まるで自分の目から隠すような仕草に、彼らに負わせた心痛の深さが偲ばれ、申し訳なさが募った。
ジェイクの手を借りて上体を起こしたルカは、改めて祖母に向き直る。
「――おばあちゃん。僕、ちゃんと帰って来たよ」
ポロポロと涙を零しながらも、必死に笑顔を作って、ルカはそう宣言した。使命を放棄するつもりはないのだということを、きちんと口にしておきたかったからだ。
その健気な様子に、ルカがどんな「夢」を見せられていたのかを悟って、黄金のベリンダは胸を痛めた。こちらの世界に転生させた時と併せて、16歳の少年に、二度も過酷な選択を強いることになるなんて。魔王の卑劣さを憎むと同時に、己の至らなさが歯がゆくてたまらない。
しかしベリンダは、燃えるような想いを押し殺して、そっと微笑んだ。
「――ええ、ありがとう。つらい想いをしたわね」
そうして、世にも麗しい祖母と孫は、硬く抱き締め合う。
「ううん、ここが僕の世界だもん。大丈夫」
ベリンダの腕の中で、ルカは何とかそう答えた。しかし、耳の奥には、夢の中の姉の悲痛な叫びが残っているような気がする。
今見てきたのはあくまで夢であって、子供の頃のように二つの世界を行き来した訳ではない。現実の瑠衣の言葉ではないのだから、ルカの中の罪悪感が形を取ったと考える方が正しいのだろう。
それでも、あれは瑠衣の真実の声のように思われてならない。
――『なんでアンタじゃなきゃいけないのよ』。
「……ッ……」
二度と戻らない優しい日々を思い返して、ルカは祖母の腕に縋り付くようにして涙を零した。
「――決めたぜ、ルカ!」
重たい空気を打破したのは、成人男性体に変化したレフだった。
やっとのことで泣き止んだルカは、(海外のロックボーカリスト風の)強面のイケメンが擦り寄ってくるのを、鼻を啜りながら見返す。
「今日から寝る時は人間体だ。そうすりゃ、魔法だろうが催眠だろうが、お前が動けば、俺も絶対に目が覚める!」
「名案が浮かんだ、褒めてくれ」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべて、レフは言い放った。一瞬にして、シングルルーム内が凍り付く。
――それは、一緒のベッドで抱き合って寝ることが前提ではないのだろうか。
絵面を想像してしまったルカが、赤面しながらも、ヒエ、と声にならない悲鳴を上げるのと同時に、仲間達が一斉にいきり立った。
「人間体は! 絶ッ対に! ダメだ!!」
拳を震わせながら、見たこともない形相で、フィンレーが異を唱える。その掌からバキバキと鉱物の立てるらしき悲鳴が聞こえてきたが、皮膚の方は大丈夫なのだろうか?
「それならお前じゃなくたっていいんだよ!」
整った顔を憤りの色に染めて、レフを叱り付けるユージーンは、そんな様子までが、まるで舞台俳優のように優雅で美しい。
「名案ですね。ではルカがゆっくり休めるよう、ヒーラーの僕がその役目を代わりましょう」
ルカからまんまと引き剥がされてしまったネイトが、ここぞとばかりに自分に有利な方向へ話を進めようと暗い笑みを浮かべると、
「安眠させる気がない奴は黙っててくれ」
ジェイクがルカとの間に立ち塞がり、迫力満点の目付きで釘を刺す。
「――あらあら」
青年達の諍いに、ベリンダはさほど困った様子もなく、魅惑の溜め息を落とした。何もかも、我が孫の可愛らしさが原因と思えば、彼女にとっては毎回起こるべくして起こる騒動である。物理的に止めることは可能だが、ルカに害が及ばないなら、無理にやめさせる必要もないというのがベリンダの持論らしい。
そしてこんな時、一人で慌てることになるのが、当のルカだった。
「ちょっと、みんな落ち着いてよ……!」
病み上がりのような状態で、それでも、騒ぎが大きくなれば宿にも迷惑が掛かることに思い至ったルカは、何とか制止の声を上げる。しかし、普段はそれぞれルカに甘い仲間達が、なぜかこういう言い争いの時に限って、揃ってルカの発言に聞く耳を持ってくれない。
――これが、僕の「日常」なんだよなぁ。
平穏とは程遠い喧しさに、ルカは思わず噴き出した。口論が常とは穏やかでないが、原因が自分であるというのは、まあ、平和と言えないこともない。
家族と遠く離れて、寂しい気持ち、悲しい想いは無視できないけれど、それでもここで生きていくと、転生が叶った時に覚悟を決めた。
そして、そんな自分を見守ってくれる、大切な人達がたくさんいる。みんなと一緒に、この世界で生きていくためにも、まずはやるべきことを果たさなければ。
――とはいえ、ルカのこの決意が悲壮感と無縁でいられるのも、ある意味では仲間達の賑やかな諍いのお陰なのかもしれない。
困ったようにクスクスと笑うルカの様子に、青年達は口を噤んで、誰からともなく目を見合わせた。
どの顔にも「ここはルカの顔を立てて引いてやる」といった恩着せがましい色が浮かんでいたが、その裏で、皆一様に胸を撫で下ろしていたのは言うまでもない。
○ ● ○
「……………………」
無残にも砕け落ちた紫水晶を前に、魔王はわずかに目を見開いていた。
「予言の子供」を夢の世界へ繋ぎ止め、こちらの世界の存在ごと放棄させる計画は、失敗に終わった。だが、17年の屈辱の時を経て力を増した魔王の前には、些末なこと。排除のための手段はいくらでもあるし、何ならこの地へ迎え入れた後で、憎き黄金のベリンダ共々、この手で直々に抹殺してやっても良い――だが。
――あれは、どういうことだ。
魔王は、やや愕然とした表情で、虚空を見詰める。
「予言の子供」に幸せな夢を見せるための手駒の一つでしかなかった少女が、予想外の動きをした。あの子供が記憶を取り戻すことがないよう、こちらに都合よく動くはずだった夢の産物が、なぜ。
「予言の子供」が何かしたのだろうか。それとも、ベリンダの力か。否、そんな様子はなかった。魔力を込めた石は崩壊の直前まで大魔法使いの力を寄せ付けなかったし、あの子供はただ、自分の運命に従う決意を示しただけだ。それなのに。
「――」
紫色の怪しい炎の灯る玉座の下、ヘルムートもまた、呆然と佇んでいた。魔王の命を受け、ルカに永久の眠りの術式を施した張本人である彼は、主の無言に畏怖を感じる様子もなく、なぜか苦痛を堪えるように、冷酷な美貌を歪めている。
時の流れから切り離されたような、冴え冴えとした冷たい空間の中、魔王主従はそれぞれ、人知の及ばぬ力の存在に、戦いていた――。
第2部・第6話 END
視界に飛び込んできたのは、祖母と仲間達の、心配そうな顔。ルカの覚醒する気配を悟って、集まってくれたらしい。
――還って来たんだ。
実感するのと同時に、ベリンダがベッドに伏して泣き崩れた。愛する孫が二度と目覚めないかもしれないという恐怖と緊張の糸が切れ、感情が一気に溢れ出たのだろう。師の肩を片手で擦りながら、ユージーンがルカの手を安心させるように強く握ってくれる。
「ルカ……!」
「――良かった」
か細い声で囁いて、抱き締めてきたのは、少しやつれた様子のネイトだ。彼の腕を押し退けるようにしながら、成獣体のレフが嬉しげに頬を舐めて来る。ジェイクとフィンレーはそれぞれ明後日の方向を向いて、涙を堪えているらしい。
まだ少し頭に霞が掛かったような状態で、それでもルカは身じろいだ。起き上がろうとするのを察してくれたジェイクが駆け寄り、群がる男達を引き剥がす。
上体を起こすのと同時に、胸元からきらりと光る物が転がり落ちた。ルカを永久の眠りにつかせた石はぱっくりと二つに割れ、床の上を無残に転がる。禍々しい魔力はもはや感じられず、ただのガラス玉のようにしか見えなかった。目覚めた瞬間に耳にした破裂音は、これが割れる音だったのだろう。
素早い動作でフィンレーが二つの破片を拾い上げ、掌の中に握り込む。まるで自分の目から隠すような仕草に、彼らに負わせた心痛の深さが偲ばれ、申し訳なさが募った。
ジェイクの手を借りて上体を起こしたルカは、改めて祖母に向き直る。
「――おばあちゃん。僕、ちゃんと帰って来たよ」
ポロポロと涙を零しながらも、必死に笑顔を作って、ルカはそう宣言した。使命を放棄するつもりはないのだということを、きちんと口にしておきたかったからだ。
その健気な様子に、ルカがどんな「夢」を見せられていたのかを悟って、黄金のベリンダは胸を痛めた。こちらの世界に転生させた時と併せて、16歳の少年に、二度も過酷な選択を強いることになるなんて。魔王の卑劣さを憎むと同時に、己の至らなさが歯がゆくてたまらない。
しかしベリンダは、燃えるような想いを押し殺して、そっと微笑んだ。
「――ええ、ありがとう。つらい想いをしたわね」
そうして、世にも麗しい祖母と孫は、硬く抱き締め合う。
「ううん、ここが僕の世界だもん。大丈夫」
ベリンダの腕の中で、ルカは何とかそう答えた。しかし、耳の奥には、夢の中の姉の悲痛な叫びが残っているような気がする。
今見てきたのはあくまで夢であって、子供の頃のように二つの世界を行き来した訳ではない。現実の瑠衣の言葉ではないのだから、ルカの中の罪悪感が形を取ったと考える方が正しいのだろう。
それでも、あれは瑠衣の真実の声のように思われてならない。
――『なんでアンタじゃなきゃいけないのよ』。
「……ッ……」
二度と戻らない優しい日々を思い返して、ルカは祖母の腕に縋り付くようにして涙を零した。
「――決めたぜ、ルカ!」
重たい空気を打破したのは、成人男性体に変化したレフだった。
やっとのことで泣き止んだルカは、(海外のロックボーカリスト風の)強面のイケメンが擦り寄ってくるのを、鼻を啜りながら見返す。
「今日から寝る時は人間体だ。そうすりゃ、魔法だろうが催眠だろうが、お前が動けば、俺も絶対に目が覚める!」
「名案が浮かんだ、褒めてくれ」と言わんばかりの満面の笑みを浮かべて、レフは言い放った。一瞬にして、シングルルーム内が凍り付く。
――それは、一緒のベッドで抱き合って寝ることが前提ではないのだろうか。
絵面を想像してしまったルカが、赤面しながらも、ヒエ、と声にならない悲鳴を上げるのと同時に、仲間達が一斉にいきり立った。
「人間体は! 絶ッ対に! ダメだ!!」
拳を震わせながら、見たこともない形相で、フィンレーが異を唱える。その掌からバキバキと鉱物の立てるらしき悲鳴が聞こえてきたが、皮膚の方は大丈夫なのだろうか?
「それならお前じゃなくたっていいんだよ!」
整った顔を憤りの色に染めて、レフを叱り付けるユージーンは、そんな様子までが、まるで舞台俳優のように優雅で美しい。
「名案ですね。ではルカがゆっくり休めるよう、ヒーラーの僕がその役目を代わりましょう」
ルカからまんまと引き剥がされてしまったネイトが、ここぞとばかりに自分に有利な方向へ話を進めようと暗い笑みを浮かべると、
「安眠させる気がない奴は黙っててくれ」
ジェイクがルカとの間に立ち塞がり、迫力満点の目付きで釘を刺す。
「――あらあら」
青年達の諍いに、ベリンダはさほど困った様子もなく、魅惑の溜め息を落とした。何もかも、我が孫の可愛らしさが原因と思えば、彼女にとっては毎回起こるべくして起こる騒動である。物理的に止めることは可能だが、ルカに害が及ばないなら、無理にやめさせる必要もないというのがベリンダの持論らしい。
そしてこんな時、一人で慌てることになるのが、当のルカだった。
「ちょっと、みんな落ち着いてよ……!」
病み上がりのような状態で、それでも、騒ぎが大きくなれば宿にも迷惑が掛かることに思い至ったルカは、何とか制止の声を上げる。しかし、普段はそれぞれルカに甘い仲間達が、なぜかこういう言い争いの時に限って、揃ってルカの発言に聞く耳を持ってくれない。
――これが、僕の「日常」なんだよなぁ。
平穏とは程遠い喧しさに、ルカは思わず噴き出した。口論が常とは穏やかでないが、原因が自分であるというのは、まあ、平和と言えないこともない。
家族と遠く離れて、寂しい気持ち、悲しい想いは無視できないけれど、それでもここで生きていくと、転生が叶った時に覚悟を決めた。
そして、そんな自分を見守ってくれる、大切な人達がたくさんいる。みんなと一緒に、この世界で生きていくためにも、まずはやるべきことを果たさなければ。
――とはいえ、ルカのこの決意が悲壮感と無縁でいられるのも、ある意味では仲間達の賑やかな諍いのお陰なのかもしれない。
困ったようにクスクスと笑うルカの様子に、青年達は口を噤んで、誰からともなく目を見合わせた。
どの顔にも「ここはルカの顔を立てて引いてやる」といった恩着せがましい色が浮かんでいたが、その裏で、皆一様に胸を撫で下ろしていたのは言うまでもない。
○ ● ○
「……………………」
無残にも砕け落ちた紫水晶を前に、魔王はわずかに目を見開いていた。
「予言の子供」を夢の世界へ繋ぎ止め、こちらの世界の存在ごと放棄させる計画は、失敗に終わった。だが、17年の屈辱の時を経て力を増した魔王の前には、些末なこと。排除のための手段はいくらでもあるし、何ならこの地へ迎え入れた後で、憎き黄金のベリンダ共々、この手で直々に抹殺してやっても良い――だが。
――あれは、どういうことだ。
魔王は、やや愕然とした表情で、虚空を見詰める。
「予言の子供」に幸せな夢を見せるための手駒の一つでしかなかった少女が、予想外の動きをした。あの子供が記憶を取り戻すことがないよう、こちらに都合よく動くはずだった夢の産物が、なぜ。
「予言の子供」が何かしたのだろうか。それとも、ベリンダの力か。否、そんな様子はなかった。魔力を込めた石は崩壊の直前まで大魔法使いの力を寄せ付けなかったし、あの子供はただ、自分の運命に従う決意を示しただけだ。それなのに。
「――」
紫色の怪しい炎の灯る玉座の下、ヘルムートもまた、呆然と佇んでいた。魔王の命を受け、ルカに永久の眠りの術式を施した張本人である彼は、主の無言に畏怖を感じる様子もなく、なぜか苦痛を堪えるように、冷酷な美貌を歪めている。
時の流れから切り離されたような、冴え冴えとした冷たい空間の中、魔王主従はそれぞれ、人知の及ばぬ力の存在に、戦いていた――。
第2部・第6話 END
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