小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵

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第2部・第6話:小悪魔は笑う

第5章

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 無力を嘆く仲間達の祈りは、ほんの少しずつではあったが、しかし確実に、遠く離れた世界にも届いていた。
 大魔法使いとその弟子達の魔力もまた、水滴が年月をかけて硬い岩をも砕くように、徐々に魔王の魔力を削っていく。

 瑠佳るかは日々、大事なことを忘れているのではないかという違和感を強めていた。
 日常の中に、妙に心惹かれる物があることも気に掛かる。
 ある夜、夕食を摂るためにダイニングに降りてきた瑠佳は、一続きのリビングの棚に飾られた、飴色に古びた鍵付きの西洋書に目を留めた。朝、登校前にはなかったものだ。
「……これって……」
「素敵でしょ、のみの市で見付けたのよ」
 瑠佳の声に目敏く反応したのは母だった。友人に誘われ、ショッピングモールで開催された蚤の市で購入してきたものらしい。実際には古書ではなく、それを模した小物入れのようだ。表紙の部分が蓋になっており、鍵もついているので、インテリアとして飾っておくにもちょうどいい。アンティーク好きの母の心をくすぐったのも頷ける。
「こんな素敵なものがあるなんて、行ってみるものね」
 配膳の手を止めてまで瑠佳の元へやって来た母が、小物入れを手に、パタパタと表紙を模した蓋を開閉して見せる。その仕草に、瑠佳の脳裏を誰かの姿が掠めた。顔は思い出せない。だが、とても優しくて美しくて、そして親しい人だ。
「………………」
「瑠佳?」
 母の怪訝な声に、瑠佳はハッと我に返った。咄嗟に「何でもない」と笑ったのは、おかしなことを口にして、心配を掛けたくなかったからだ。
 タイミングよく、姉と、着替えを終えた父がダイニングにやってきて、母は慌てて配膳に戻った。全員でテーブルを整え、普段通りの夕食が始まる。
 父の希望もあって、鈴宮すずみや家では夕食時のテレビはニュースと決まっていた。瑠衣るいにも瑠佳にも異論はない。観たい番組は自室のテレビで予約済みだからだ。
 海外の紛争についての報道に、家族全員がやや眉をひそめながら、時には自身の主張を語ったりして、食事を進める。
 そしてトピックスは、ある世界的宗教指導者の被災地訪問へと移っていった。多くの警護を従え、現地の信徒達に熱狂的に歓迎される老紳士の様子が大きく映し出される。
「――!」
 その姿に、瑠佳は思わず箸を止めた。口に運ぼうとしていたポテトサラダのジャガイモが、ぽとりと小皿に落ちる。
 この気持ちは何だろう。瑠佳はテレビの中の聖人に、奇妙な懐かしさを感じている。もちろん、世界的な著名人との面識はないし、それ以前にあちらの宗教の信者ですらない。
 強いて言うなら、彼の纏った祭服さいふくが原因だろうか。神父や牧師といった職業の人とも、知り合う機会はないはずなのだが……。
「どうした、瑠佳?」
「――大丈夫、どうもしないよ」
 父の心配するような声に、瑠佳は言葉を濁した。先程のこともあってか、母のもの問いたげな視線を感じながらも、食事を再開する。
 ――しかし、やはり何かがおかしかった。
 知らないはずのことを知っているような気がしたり、逆に知っていなければならない人のことを忘れているような気が、絶えずしている。
 やがてニュースは終わり、待ちかねたように、瑠衣がチャンネルを変えた。
 人気のバラエティ番組では、ゲストの若手女優が、吹き替えを担当したという洋画の番宣を振られたところのようだ。辿々たどたどしさを含んだ内容紹介と同時に、「CGを駆使して、見事に原作小説を再現した」と話題のファンタジー映画の予告映像が流れ始める。
「あ、続編公開なんだ。観に行かなきゃ!」
 男性の好みはワイルド系でも、ファンタジー作品に目のない瑠衣が、はしゃいだ声を上げた。
 何となく画面を眺めていただけの瑠佳は、やがてあるシーンで思わず目を見開く。
 画面では、主人公と、彼を幼い頃から教え導く魔法使いの老人が語り合っていた。灰色のトンガリ帽子に、同色のローブを纏い、手にしたロッドを媒介に、様々な魔法で、みんなを助けてくれる――いかにも、ステレオタイプの魔法使いの姿だ。使とは全然違う、けれど仲間達の精神的主柱であるという存在意義にはほんの少しの相違もない老人の姿に、瑠佳の胸は熱くなる。
「ちょっと瑠佳、どうしたの!?」
 母の指摘を受けて、瑠佳は自分が泣いていることに気付いた。振り返った姉も驚いた様子で、「アンタこんなので泣いてたら、本編なんて観らんないわよ!?」と狼狽えている。
「……わかんない……」
 今度こそ正直に呟いて、瑠佳はボロボロと涙を零した。
 ただとても懐かしくて、ひどく寂しい。
 あの「優しくて美しい人」から遠く離れていることが、この上もなく悲しかった。

「今夜はもう休みなさい」
 両親に諭され、瑠佳は二階の自室へと戻った。
 具合が悪いという訳ではないのだが、自分でも精神的に不安定になっている自覚はある。少し落ち着いて、事態を整理したいという気持ちもあったので、おとなしく従ったのだ。
 弟の様子が気に掛かったのか、既に食事を終えていた瑠衣もまた、瑠佳に続いて階段を上がってくる。
「――!」
 部屋の照明を点けようとしたところで、瑠佳は急な違和感に襲われた。
 サイドボードには、オスライオンのぬいぐるみ・レフが、相変わらず可愛らしいフォルムで鎮座している。その首周りに掛けられたチョーカーの石が、月明かりを受けて紫色に怪しく光った。
 なぜ今まで何とも思わなかったのだろうか。瑠佳は咄嗟に、自室へ向かう瑠衣を呼び止めた。
「お姉ちゃん、レフって首輪してたっけ?」
 振り返った瑠衣は、事もなげに瞳を瞬かせる。
「最初から付けてあげてたでしょ。私のロニとお揃いじゃない」
 ロニというのは、姉が瑠佳の物と対になるように作った、メスライオンのぬいぐるみだ。レフは元々、小学校に入学した瑠佳が、人並み外れた愛らしさのせいで苛められたりしないようにとの願いを込めて、お守り代わりにくれたものだった。子供が考える「強いもの=百獣の王」という図式が微笑ましい。
 「そうだっけ」と答えながら、瑠佳は決定的な異変に衝撃を受けていた。
 ――そんなはずはない。小さな頃からずっと一緒だったのだから、瑠佳が間違えるはずがないのだ。
 小学3年生の姉が作ってくれたレフには、。首輪を付けたのは、魔法で眠らされた彼の傍から、「ルカ」が攫われてしまった後のことだ。今は「祖母」に頼んで、魔法を寄せ付けないよう、彼女の力の籠った「オレンジの石の付いた首輪」を付けているはず――。
「!!」
 その時、瑠佳の思考に呼応するかのように、レフの胸元から強烈な光が発された。
 驚愕に目を見開く間に、チョーカーにあしらわれた涙型の石の色が、紫からオレンジに変わっていく。
「……………………」
 ――それはいったい、どんな魔法だったのだろうか。
 徐々に光が収まり、室内が再び暗闇に戻った時、ルカはすべてを思い出していた。
 これは夢だ、と。

「……還らなきゃ」
 懐かしくて残酷な現実に、ルカは半ば呆然としたまま呟いた。
 幸せなこの世界は、自分の居るべき場所ではない。ルカにはあちらの世界で、やるべきことがある。待っている仲間もいるのだ。
「は? 何言ってんの。アンタの家はここでしょ」
 揶揄うような口調に反して、瑠衣の表情は強張っていた。華やかな容貌には、隠しきれない焦燥が浮かんでいる。
 胸の痛みを堪えながら、ルカは「うん」と頷いた。
 姉の言うことは間違っていない。この家が、家族の暮らす場所こそが、ルカの本当の故郷である。だが。
「でも、僕、やらなきゃいけないことがあるんだ」
 「予言の子供」などと呼ばれてはいても、非力な自分に何が出来るのかはわからない。それでも、あちらの世界での大事な人々と、その平穏な生活を守るため、魔王に立ち向かわなければならないのだ。
「……なんでよ」
 儚げな笑みを浮かべたルカに、瑠衣がきつい眼差しを向ける。その大きな両の瞳に、みるみる涙が浮かび上がった。
「なんでアンタじゃなきゃいけないの!」
 いつの間にか、すべての音が消えた空間に、瑠衣の声が響き渡る。
 それは、突然可愛い弟を奪われた少女の、悲痛な叫びだ。この世界が「夢のようなもの」だと認識した今も、非情なまでの現実味を伴って、ルカの心に突き刺さる。
 ルカだって、ずっとこの家で、家族とともに生きていくのだと思っていた。大人になって、いつか「あちらの世界の祖母達の夢」のことを懐かしく思い出すような、そんな人生を送るのだと。
 けれどすべてを知った上で、役目を放棄するような真似はしたくなかった。――あちらにも、同じようにルカを愛して、支えてくれる人達がいるのだから。
 ルカの決意に応えるように、部屋の中から淡い黄金の光が立ち上り始めた。レフの首輪の石を通して、ベリンダの魔力が流れ込んでいる。
 ――ずっと僕を呼んでくれてた。
 仲間達の献身と同時に、姉の悲嘆を想って、ルカも涙を零した。
「……ごめんね……、置いてくことになっちゃった……」
「やめてよ! お父さんとお母さんはどうするのよ、私だって……!」
 尚も言い募ろうとした瑠衣は、ハッとしたように息を呑んだ。レフの首輪から発される光は、いつの間にか、ルカの華奢な身体をも包み込んでいる。
「このうちに生まれて、お姉ちゃんの弟で――僕、幸せだったよ」
 ルカは泣きながら、精一杯の笑顔を姉に向けた。
 瑠衣は、空気に溶けるように透けていく弟の身体に取り縋ろうと、必死に手を伸ばす。
「瑠佳、イヤよ! 行かないで――!!」
 気は強いが、誰よりも優しくて、本当は涙もろい瑠衣。小さな頃から事あるごとにやり込められて来たけど、それ以上に大切にしてくれた。
 せめて彼女の涙を拭いたい。考えて腕を挙げたところで――ルカの意識は途絶えた。
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