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第2部・第6話:小悪魔は笑う
第2章
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スマートフォンのアラームが鳴り続けている。
しばらく耳にすることのなかった機械音に急き立てられるようにして、瑠佳は目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのかわからず、混乱したまま瞬きを繰り返す。
着ているパジャマも、家具の配置も、出しっぱなしのゲーム機器も、すべて見慣れているはずのものだ。
淡い緑色のカーテン越しに差し込む朝の光を目にして、瑠佳は大きく伸びをした。
――何だか、長い夢を見ていた気がする。
欠伸を漏らしながら、ヘッドボードのスマートフォンに手を伸ばす。アラームを解除するのと、ドアの向こうから「いい加減に起きなさいよー」と声が掛かるのは、ほぼ同時だった。2つ年上の姉・瑠衣は、瑠佳よりも少し遠方の高校に通っているために、朝が早い。既に朝食を済ませ、2階の自室に戻ってきたところなのだろう。
「ごめん、ありがとー」
寝起きの声を張り上げて、瑠佳はベッドから這い出した。
カーテンを開けると、太陽の光を受けて、サイドボードに鎮座する雄ライオンのぬいぐるみの首元がキラリと光った。高校生男子の部屋に飾られるには少々可愛らしすぎる、「レフ」と名付けられたこのぬいぐるみは、小学校に入学した頃、姉が作ってくれたものだ。ころんとした掌サイズで、首元には紫色の石の付いたチョーカーがあしらわれている。
条件反射のようにレフを一撫でして、瑠佳は小さく笑った。愛くるしい造形はもちろんのことだが、レフは特に鬣の触り心地が最高なのだ。何かにつけて触っていたら、今はほとんど癖のようになってしまっている。
中毒性のある感触に区切りを付けるように、瑠佳はポンポンとレフの頭頂部を軽く叩いて、階下へ降りた。
廊下で出勤前の父と遭遇し、夏休みの旅行先について、いくつか候補を挙げておくようにと指示される。楽しい予定に心躍らせながら朝食に向かったダイニングでは、幼い頃からの憧れの近所のお姉さんの結婚が決まったことを母親に知らされ、ちょっとへこんだ。登校前の姉に「お姉さんは、瑠佳とは真逆の美形タイプが好みってことなんだから、期待するだけ無駄だったのよ」と揶揄われて、ガックリと肩を落とす。
両親に愛され、姉からは愛あるイジリを受けながら、今日も瑠佳の一日は始まった。
●
シングルルームを6部屋借り切った魔王軍斥候隊は、一つの部屋に集まっていた。
部屋の主であるルカは、陽が高く昇った今も、目覚める様子はない。昨夜遅く、ユージーンが遺跡の大神殿から連れ帰った時のまま、昏々と眠り続けている。
「ルカ……」
美しい顔に悲壮感を滲ませて、黄金のベリンダは最愛の孫に呼び掛けた。答える者のない部屋には重苦しい静寂が満ち、隊員達はそれぞれ愕然とした表情で、ルカの凶事を凝視していた。
ベッドに寄り添うベリンダの足元では、成獣体のレフが悔しげに歯噛みしている。大魔法使いお手製の魔除けの首輪を装着しているにも関わらず、主の異変を彼が察知できなかったのは、魔法等の類いで無理矢理拉致された訳ではないからなのだろう。しかし、いくらそう言って宥められても、レフは自分を許せないようだ。
「…………」
明るい色の柔らかい髪の毛を優しく撫でながら、ベリンダはルカの胸元に目をやった。黒い革の紐の先に紫色の石があしらわれたそのペンダントを、ベリンダはこれまで一度も見たことがない。しかし一目で、恐ろしい力を秘めた呪具であることは察知できた。
すぐさま取り上げようとしたが、適わなかった。眠ったままのルカが、酷く苦しみ出したからだ。負の魔力の籠った石は、ベリンダとユージーン、治癒魔法を得意とする司祭のネイトですら、解呪することが出来なかったのだ。
屈辱と、それ以上の不安を胸に、ベリンダは愛しい孫の額を撫で続ける。
眠るルカの様子は、穏やかなものだった。スウスウと規則的に立てられる、寝息までが愛らしい。けれど、出所の知れない怪しいペンダントを外そうとすると、途端に苦しみ始める。
――この石がルカに悪影響を与えているのは明らかなのに、外してやることも出来ないなんて。
「……これほどの魔力、魔王のもの以外には考えられないわ」
憤りを込めた断言に、斥候隊員達は揃って瞳を見開いた。予想もしなかった訳ではなく、恐れていた事実を突き付けられた、といった様子だ。
「でも、いつ? どうやって!?」
弾かれたように、背後に立つネイトが声を上げる。常にない感情の起伏はそのまま、彼の動揺を表しているかのようだ。
昏睡状態を「無事」とは言い難いが、少なくともルカはこうして生きている。彼が魔王と直接相対して、命を奪われずにいられるとは思えない。
では、配下の者ではどうだろう。魔王の手下との接触があったとしたら、宿を彷徨い出た後、ユージーンに発見されるまでの間だろうか?
しかし、これは当のユージーンが否定した。
「今思えば、僕が姿を見掛けた時点で、ルカの様子は普通じゃなかった」
ベリンダの隣、ベッドの足元に膝を着いたまま、ユージーンは端正な美貌を歪ませる。
昨夜、なかなか寝付けずにいた彼は、本でも読むかとベッドから身を起こしたところで、フラフラと出歩くルカの姿を窓越しに目撃した。咄嗟の判断で、追跡魔法を用いて後を追い掛け、遺跡の内部で意識のないルカを発見したのである。しかし、彼が大神殿に到着してからの出来事については、霞でも掛かったように、追跡不可能だった。
そもそも、ルカがベリンダや仲間達の言い付けに背いて、一人で、しかも深夜に出歩くなど、考えられないことだ。となると、宿に入るまでのどこかで、何らかの攻撃――例えば催眠のようなもの?――を受けた可能性が高い。
――だが、魔王とその配下の気配に、黄金のベリンダが気付けないということがあるのだろうか?
短く息を吐き出して、ベリンダが毅然とした様子で立ち上がった。
「大丈夫よ。何としてでも、この術を解いて見せるわ」
気丈に言い置いてから踵を返し、隊員達の間を縫うようにして、扉へ向かう。
「ルカをお願いね」
わずかに振り返って、ベリンダは隣の自室へ戻った。朝の時点で、宿側には滞在の延長を伝えてある。これから大魔法使いは、ルカに掛けられた術の解呪方法と、魔王がなぜ自分の目を掻い潜る事ができたのかについてを探るつもりなのだろう。
後に残された斥候隊員達は、縫い留められたようにその場を離れることが出来なかった。
眠り続けるルカを前に、全員が不安と、目を背けることのできない恐怖を押し殺すことに必死だったからだ。
しばらく耳にすることのなかった機械音に急き立てられるようにして、瑠佳は目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのかわからず、混乱したまま瞬きを繰り返す。
着ているパジャマも、家具の配置も、出しっぱなしのゲーム機器も、すべて見慣れているはずのものだ。
淡い緑色のカーテン越しに差し込む朝の光を目にして、瑠佳は大きく伸びをした。
――何だか、長い夢を見ていた気がする。
欠伸を漏らしながら、ヘッドボードのスマートフォンに手を伸ばす。アラームを解除するのと、ドアの向こうから「いい加減に起きなさいよー」と声が掛かるのは、ほぼ同時だった。2つ年上の姉・瑠衣は、瑠佳よりも少し遠方の高校に通っているために、朝が早い。既に朝食を済ませ、2階の自室に戻ってきたところなのだろう。
「ごめん、ありがとー」
寝起きの声を張り上げて、瑠佳はベッドから這い出した。
カーテンを開けると、太陽の光を受けて、サイドボードに鎮座する雄ライオンのぬいぐるみの首元がキラリと光った。高校生男子の部屋に飾られるには少々可愛らしすぎる、「レフ」と名付けられたこのぬいぐるみは、小学校に入学した頃、姉が作ってくれたものだ。ころんとした掌サイズで、首元には紫色の石の付いたチョーカーがあしらわれている。
条件反射のようにレフを一撫でして、瑠佳は小さく笑った。愛くるしい造形はもちろんのことだが、レフは特に鬣の触り心地が最高なのだ。何かにつけて触っていたら、今はほとんど癖のようになってしまっている。
中毒性のある感触に区切りを付けるように、瑠佳はポンポンとレフの頭頂部を軽く叩いて、階下へ降りた。
廊下で出勤前の父と遭遇し、夏休みの旅行先について、いくつか候補を挙げておくようにと指示される。楽しい予定に心躍らせながら朝食に向かったダイニングでは、幼い頃からの憧れの近所のお姉さんの結婚が決まったことを母親に知らされ、ちょっとへこんだ。登校前の姉に「お姉さんは、瑠佳とは真逆の美形タイプが好みってことなんだから、期待するだけ無駄だったのよ」と揶揄われて、ガックリと肩を落とす。
両親に愛され、姉からは愛あるイジリを受けながら、今日も瑠佳の一日は始まった。
●
シングルルームを6部屋借り切った魔王軍斥候隊は、一つの部屋に集まっていた。
部屋の主であるルカは、陽が高く昇った今も、目覚める様子はない。昨夜遅く、ユージーンが遺跡の大神殿から連れ帰った時のまま、昏々と眠り続けている。
「ルカ……」
美しい顔に悲壮感を滲ませて、黄金のベリンダは最愛の孫に呼び掛けた。答える者のない部屋には重苦しい静寂が満ち、隊員達はそれぞれ愕然とした表情で、ルカの凶事を凝視していた。
ベッドに寄り添うベリンダの足元では、成獣体のレフが悔しげに歯噛みしている。大魔法使いお手製の魔除けの首輪を装着しているにも関わらず、主の異変を彼が察知できなかったのは、魔法等の類いで無理矢理拉致された訳ではないからなのだろう。しかし、いくらそう言って宥められても、レフは自分を許せないようだ。
「…………」
明るい色の柔らかい髪の毛を優しく撫でながら、ベリンダはルカの胸元に目をやった。黒い革の紐の先に紫色の石があしらわれたそのペンダントを、ベリンダはこれまで一度も見たことがない。しかし一目で、恐ろしい力を秘めた呪具であることは察知できた。
すぐさま取り上げようとしたが、適わなかった。眠ったままのルカが、酷く苦しみ出したからだ。負の魔力の籠った石は、ベリンダとユージーン、治癒魔法を得意とする司祭のネイトですら、解呪することが出来なかったのだ。
屈辱と、それ以上の不安を胸に、ベリンダは愛しい孫の額を撫で続ける。
眠るルカの様子は、穏やかなものだった。スウスウと規則的に立てられる、寝息までが愛らしい。けれど、出所の知れない怪しいペンダントを外そうとすると、途端に苦しみ始める。
――この石がルカに悪影響を与えているのは明らかなのに、外してやることも出来ないなんて。
「……これほどの魔力、魔王のもの以外には考えられないわ」
憤りを込めた断言に、斥候隊員達は揃って瞳を見開いた。予想もしなかった訳ではなく、恐れていた事実を突き付けられた、といった様子だ。
「でも、いつ? どうやって!?」
弾かれたように、背後に立つネイトが声を上げる。常にない感情の起伏はそのまま、彼の動揺を表しているかのようだ。
昏睡状態を「無事」とは言い難いが、少なくともルカはこうして生きている。彼が魔王と直接相対して、命を奪われずにいられるとは思えない。
では、配下の者ではどうだろう。魔王の手下との接触があったとしたら、宿を彷徨い出た後、ユージーンに発見されるまでの間だろうか?
しかし、これは当のユージーンが否定した。
「今思えば、僕が姿を見掛けた時点で、ルカの様子は普通じゃなかった」
ベリンダの隣、ベッドの足元に膝を着いたまま、ユージーンは端正な美貌を歪ませる。
昨夜、なかなか寝付けずにいた彼は、本でも読むかとベッドから身を起こしたところで、フラフラと出歩くルカの姿を窓越しに目撃した。咄嗟の判断で、追跡魔法を用いて後を追い掛け、遺跡の内部で意識のないルカを発見したのである。しかし、彼が大神殿に到着してからの出来事については、霞でも掛かったように、追跡不可能だった。
そもそも、ルカがベリンダや仲間達の言い付けに背いて、一人で、しかも深夜に出歩くなど、考えられないことだ。となると、宿に入るまでのどこかで、何らかの攻撃――例えば催眠のようなもの?――を受けた可能性が高い。
――だが、魔王とその配下の気配に、黄金のベリンダが気付けないということがあるのだろうか?
短く息を吐き出して、ベリンダが毅然とした様子で立ち上がった。
「大丈夫よ。何としてでも、この術を解いて見せるわ」
気丈に言い置いてから踵を返し、隊員達の間を縫うようにして、扉へ向かう。
「ルカをお願いね」
わずかに振り返って、ベリンダは隣の自室へ戻った。朝の時点で、宿側には滞在の延長を伝えてある。これから大魔法使いは、ルカに掛けられた術の解呪方法と、魔王がなぜ自分の目を掻い潜る事ができたのかについてを探るつもりなのだろう。
後に残された斥候隊員達は、縫い留められたようにその場を離れることが出来なかった。
眠り続けるルカを前に、全員が不安と、目を背けることのできない恐怖を押し殺すことに必死だったからだ。
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