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第2部・第3話:戦士覚醒

第5章

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「――怒らせちゃったかなぁ」
 村の中央通りをとぼとぼと歩きながら、ルカは小さく呟いた。
 家並みは徐々に夕焼け色を濃くしており、今日1日を山道の復旧作業に従事した村人達も、家路を辿り始めているようだ。
『放っとけよ』
 行き合ったお婆さんと挨拶を交わすルカの背で、ぬいぐるみ姿のレフがフンと鼻を鳴らした。ジェイクとルカとの遣り取りを、フードの中の定位置ですべて聞かされていた聖獣は、相変わらずルカに関することでは、ベリンダ以外の何者に対しても手厳しい。
 そのベリンダとユージーンは未だ戻らず、ジェイクに置き去りにされたルカが、所在なくにれの木の下で佇んでいたところへ村人がやって来て、ネイトも慌ただしく出て行ってしまった。第一班に怪我人が出たそうで、彼の癒しの力が必要とされているらしい。
 手持ち無沙汰のルカは、少々悩んだ末、村長(彼女にとっては伯父)を訪ねてきた二コラに声を掛けた。村人であれば誰に尋ねても良かったのだが、顔見知り相手の方が気安いのは当然だろう。
 そうして、今ルカが向かっているのは、革製品を扱う工房だった。サハスの村で唯一の職人は、今日の復旧作業では第二班に所属していたらしく、既に帰宅しているはずだと教えてくれたのも二コラだ。理由はもちろん、ジェイクの革手袋である。気まずかろうが何だろうが、装備の傷みは、いずれ戦闘にも影響を及ぼすことになるだろう。ジェイクの武器である戦斧せんぷは、彼の立派な体格を活かすだけの重量を備えており、これを素手で振り回すのは怪我の元になりかねない。早急に補修なり、それが難しければ買い替える等の対策は必要になるはずだ。
 単独行動はしないようにと常々言い聞かされてはいるけれど、ルカにはレフという心強い姉の作ったぬいぐるみ守護聖獣が付いている。ジェイクの代理で出向くつもりのルカとしては、ひとまず現時点での品揃えや、仕事の受注状況の確認が出来ればいい。幸いにも工房は中央通りの外れを少し北に入った辺りらしいので、そう時間も掛かるまい。
 ――しかしルカは、工房には辿り着けなかった。
「えーと、北だから……こっちだよね?」
『ルカ!』
 中央通りを端まで進み、右手の小道へ入ったところで、レフの鋭い思念波が飛ぶ。咄嗟に足を止めたルカは、屈強な男二人に行く手を阻まれた。
 身を持ち崩したような出で立ちと人相は、ただの村人では有り得ない。となれば、山賊の一味と考えるのが自然だろうが、昼間の襲撃から村内のどこかに潜んででもいたのだろうか?
 ルカが身構える間にも、男の一人がサッと背後へ回り、退路を塞がれる。「よう、」というわざとらしく下卑げびた挨拶は、女の子のように可愛らしいルカへの、強烈な当てこすりだ。――わかっていても、腹立たしいものは腹立たしい。
「お前らのお陰で、昨日から散々なんだよ」
 前方に立つ男がルカの手首を掴んだ。
「恨むならお前んとこの兄ちゃんらを恨むんだな」
 背後へ回った男が、逃亡を阻止するように、ルカの身体を抱き込んでくる。
 どうやら山賊達は、ルカ達一行が魔王斥候隊せっこうたいとは気付いていないらしい。サハス村への襲撃を再三に渡って邪魔されたことを逆恨みし、そこいらの村娘よりも可愛らしいルカへ、狙いを定めたようだ。
 ルカのフードの中で、レフがチッと舌を鳴らした。
『――クソが』
「! 待って!」
 咄嗟の判断で、ルカはレフを止めた。小声の制止を、男達は「美少年が恐怖に駆られて発した懇願」と受け取ったようで、「待つワケねぇだろ」とおかしそうに肩を揺らしている。フードの中から発されるレフの思念波は、彼らの耳にまでは届いていないらしい。――これは、好都合だ。
『ルカ?』
 ライオン体に変化へんげするのを阻止されたレフは、困惑したように、スチロール製の瞳でルカの顔を覗き込んでくる。
「…………」
 中央通りの方から、ルカの窮地を察した青年が、慌てた様子で走り寄ってくる。それを確認しながら、ルカは自由になる左手で、腰から吊るしたポーチに触れた。中には祖母から渡された、防犯用の魔道具がいくつか入っている。レフも傍に居てくれることだし、この分ならば、仲間達にもすぐに連絡は入るはずだ。
 男達に気付かれぬよう、ルカはスッと口元に人差し指を立てた。
 同行するレフに声を立てぬよう伝えて、ルカはおとなしく山賊に浚われたのである。

                  ●

 簡単にシャワーを済ませたジェイクは、離れのリビングに戻った。
 最悪の気分でルカとの時間を終えた彼を、「おやおや、どうしました?」と楽しげに出迎えたネイトの姿も、今はない。先にシャワーを終えたフィンレーも、席を外しているようだ。少し一人になって頭を冷やしたいと考えていたこともあって、ジェイクはこれを幸いとばかりに、ソファへ身体を投げ出した。
 ハーフェルの町にいた頃から、ジェイクは縁談と無縁だった訳ではない。寡黙で実直、心身ともに逞しい彼は、年頃の娘だけでなく、年配の男性からの評価も高かった。それゆえに、「ぜひ我が孫、或いは娘を妻に」と、話が現実味を帯びることが多かったのだろう。
 そのどれをも断って来たのは、まだ早いと感じるのと同時に、ルカやユージーンと過ごす時間の方が大切だったからだ。ことに今は、魔王軍の斥候任務の途中にある。今回の話も最初に拒否しているのだし、村を離れれば自然と立ち消える類いのものだと高を括っていたら、まさか当のルカから、暗に「結婚したければ斥候隊を抜けてもいい」などと言われてしまうとは。
 それがルカの優しさから出た言葉だということを、ジェイクは知っている。伊達に長年幼馴染みとして過ごしてきた訳ではない。
 斥候隊に志願する前、将来について悩むジェイクに、道を示してくれたのはルカだ。これを受けて、ジェイクは「予言の子供」であるとないとに関わらず、ルカを守ることを自らの使命と定めた。彼にもそれは伝えている。ルカの守護者足らんと望んでいるのが自分だけでないことも理解しているが、少なくともルカにだけは、その決意を否定するようなことを言って欲しくはなかった――これがジェイクの、偽らざる本心だ。
 そもそもジェイクは、二コラを妹のようにしか思っていない。彼が二コラに対して、他の女性達よりほんの少し親切に見えたのは、同い年の妹・シェリルの姿を重ねて見ていたからだった。しかし、年齢以外にほとんど共通点のない、まったくタイプの違う女性を想起することは、赤の他人には不可能に近いのだろう。
「……」
 ジェイクは大きく溜め息をついた。ソファの肘掛け部分に頬杖を突き、眉根を寄せる。
 ルカを守りたいと思う気持ちを、ルカにだけは否定して欲しくない。けれどそれが、押し付けでしかないことも、ジェイクは理解していた。だからこんなに、嫌な気分になるのだ。
 例えば、ユージーンやネイトのように、自らをルカの生涯のパートナーと定めて、そうあるべく心を砕く彼らと、自分は違う。そのはずだ。自分はただ、可愛いルカを守ってやりたい――、ルカに想いを否定されることに、不満を感じる権利はない。
 少なくとも、ルカに当たるのは間違っている……。
「――」
 思考の袋小路に嵌りかけたジェイクを救ったのは、前庭から聞こえて来る話し声だった。
 ふと気になって顔を上げると、窓の向こうに仲間達が集まっているのが見える。ベリンダとユージーンも無事帰還したようだ。ネイトも戻ったようだが、よりによって、ルカとのいさかいの原因でもある二コラを連れているのはなぜだろう。
 思わず舌打ちしかけたジェイクだったが、素早い動作で身を起こし、扉の方へ向かった。顔を突き合わせた仲間達の表情が、硬く強張っていることに気付いたからだ。
 嫌な予感を必死に打ち消しながら、ドアを開けたジェイクの耳に、信じがたい情報が飛び込んでくる。
「ルカが、山賊に浚われたらしい」
「ッ、何だって!?」
 思わず声を荒げたジェイクに、仲間達の視線が一斉に集中した。ベリンダが美しい眉をひそめて、困惑したように口元を押さえる。
「あの子ったら、どうして一人で……」
 彼女の疑問はもっともだった。ルカには常日頃から、「予言の子供」たる自分が魔王軍にとって、どれほどの脅威になるのか、くどいほど言い聞かせている。危険を好む訳でも、人を困らせて喜ぶ訳でもない、真っ直ぐで素直な気質のルカが、みすみす一人で出歩くなど、考えられないことだ。
 これに答えたのは、顔色を蒼褪めさせた二コラだった。
「あの、革細工の工房に行きたいからって、場所を聞かれて……」
「工房?」
 場を取り仕切っている様子のフィンレーが、短く問い返した。ルカの旅装に関しては、性能からデザインに至るまで、すべてを黄金のベリンダが監修している。そんなルカに用のある場所とは思えない、というのは、ジェイクにもよくわかる。
 ――しかし今は、そんなことはどうでもいい。
「それで、一人で行かせたのか!?」
 ジェイクは二コラに詰め寄った。思わず二の腕を掴んだのは、完全に無意識だ。ルカの立場を考えれば、単独行動を見逃すなど、信じがたい暴挙である。危機感のなさに、怒りさえ覚えてくる。
 寡黙だが、強くて優しかったはずの男の剣幕に、二コラは怯えた。
「やめろ、ジェイク!」
「お前にそれを言う権利はないぞ。最後にルカと居たのはお前なんだからな」
 ユージーンとフィンレーの二人から揃って窘められ、ジェイクは小さく詫びてから、二コラを解放した。
 ――ああ、そうだ。これは八つ当たりでしかない。フィンレーの指摘通り、ルカを一人置いて離れに戻ってしまったのはジェイクである。一番腹立たしいのは自分自身だ。どんな理由があろうと、ルカを一人にしてはいけなかったのに!
 ジェイクの懊悩おうのうには敢えて触れずに、フィンレーは仲間達に向き直った。
「現場を目撃した村人の話では、攫われる際のルカが、妙に落ち着いて見えたらしい」
 どうやら時系列的には、ジェイクと入れ替わりでシャワーを終えたフィンレーがリビングに戻ってから程なく、ネイトに怪我人の連絡が入った。ルカ誘拐の報せが飛び込んできたのもそれからすぐの事で、状況を詳しく聞いたのはフィンレーだけなのだそうだ。
 ネイトは先触れが来たことで、思ったよりも早く運ばれてくる怪我人と合流でき、処置を終えた。帰還したベリンダとユージーンの二人とは、偶然村長宅前で合流し、村人からの報せを受けて立ち竦むフィンレーと、伯父の家で所用を済ませて帰宅しようとする二コラと鉢合わせたのは、ほんのつい先程のことらしい。彼らの話し声を聞いて駆け付けたのがジェイクという訳だ。
 奇禍きかを知らせてきた村人は、攫われる寸前のルカと、ハッキリ目が合ったと言い張った。
 ――「皆さんにお知らせする様に言われた気がして」。
 それが村人の思い過ごしでないなら、ルカには何か策があっての行動ということになる。
 そういえば、と、ジェイクは我に返った。
「――レフは、離れに居ないぞ」
 いつもお供として、ルカのフードの中にちょこんと納まる可愛らしいオスライオンのぬいぐるみは、彼の傍を離れてはいないはずだ。楡の木の下で話す間もルカの背にいたのだから、今も彼と共にあるはずなのに。
 ジェイクの発言を受けて、ユージーンが「ああ」と頷く。
「レフが一緒に居たはずなのに、変化もしないで、みすみす一緒に浚われるようなことはないはずだ」
 ルカとの間を阻むお邪魔虫ではあるが、レフがルカを守ることに掛けては、最適の能力を備えていることは、斥候隊の誰もが納得せざるを得ないところだ。
「……」
 話し込む仲間達の輪から一歩退いた位置で、二コラは小さく唇を噛み締めていた。ジェイクに掴まれた二の腕の痛みが、そのまま彼の、ルカに対する想いの強さのように思われて、切ない。
 黄金のベリンダが、オレンジ色の瞳を見開いたのは、次の瞬間だった。
「――!」
 皆の視線が集中する中、ベリンダは優美な白い腕で、サッと宙を払うような動きを見せた。どこから現れたのか、彼女の掌には青い魔石が握られており、中心から赤い光線を発している。ベリンダが頭上高く掲げると、光線は山中の一点を指し示した。
 彼女が最愛の孫に持たせた、発信機ようの魔石が、反応を示している。
 ――ああ、やはり!
「行くわよ! 準備をして!」
 ベリンダが宣言するのを待たず、ジェイクとフィンレーは武器を取りに、離れの中へ駆け戻った。
 何が起こったのかわからず混乱する二コラに対して、美しき黄金のベリンダは、魅惑のウィンクを一つ寄越して見せる。
「――安心して。私の孫は、可愛いだけではないのよ?」
 おどけた口調がとてもチャーミングで、こんな時だというのに、二コラは小さく微笑んだ。
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