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第1部・第8話:俺様王と小悪魔系救世主
第6章
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更に明けて翌日は、目に見えて王都の復興が感じられる1日となった。
建物や橋などの建造物が完全に修復、復旧したことで、大勢の人々の気持ちが前向きになったことも大きい。教会で長期療養を余儀なくされている負傷者達も、子供の作った造花を喜んでくれた。
夕刻、正エドゥアルト教会本部に詰めていたルカとネイト、騎士団と共に郊外の街道整備に尽力していたジェイクとフィンレーの二組は、王宮近くの広場で偶然鉢合わせた。復興が軌道に乗ったことで、目の回るような忙しさから解放され、余裕を持って帰途につけるようになったためだろう。ルカとの二人の時間を邪魔されたネイトは笑顔のままドス黒いオーラを発してはいたが、ジェイクとフィンレーは気にしないようにしながら、ルカに今日一日のアレコレを聞いてくる。
更に、王宮の通用門まで戻ったところで、ルカは馬車から降りる祖母とユージーンの姿に気付いた。遠方の港の補修から帰ってきたところなのだろう。これまでよりも早い時間帯に、全員が顔を合わせるということもなかったため、この偶然は何だかちょっと嬉しい。
「そろそろ救援活動も終わりかしら」
「……そうだね」
並んだベリンダに言われて、ルカは少しだけ背筋を伸ばした。王都の復興が成れば、先延ばしになっていた斥候の旅が、いよいよ始まる。仲良くなった子供達と離れることに心は痛むが、ルカは行かなければならないのだ。
緩んだ気持ちを引き締めながら戻った王宮は、妙に慌ただしかった。
「――何だか、様子がおかしくないか?」
フィンレーが眉をひそめるのに頷いていると、二人連れのメイドが小走りに通り掛かる。「すみません」とユージーンが声を掛けると、思い詰めていたような表情が一瞬で蕩けた。
「何かあったんですか?」
「あ、えっと……」
美形のユージーンに笑顔で話し掛けられて、二人は迷うような様子を見せる。しかし、背後にベリンダを始めとした一行が控えているのに気付いて、意を決したように頷き合った。
「それが――」
「!」
メイド達の話に、ルカは愕然と瞳を見開く。
あのローザリンデ・ベルトホルト公爵令嬢が、国王アデルバート2世に一服盛ったというのだ。
メイド達の話では、正確にはローザリンデは利用されたらしい。
事件の首謀者は、ゲントナー男爵と、その子息。以前フィンレーから聞いた、公金横領の罪で家門断絶の処断を受けた、元プレトリオス州の領主・クロイツェル伯爵家の縁者だ。とはいっても姻戚関係に当たるというだけで、連座は免れている。
ゲントナー男爵は、金で爵位を買った、いわゆる成り上がり者らしい。娘をクロイツェル伯爵の妻の甥に嫁がせたことで、諸々の資金援助を受けていた。伯爵家の断絶により、経済基盤を失ったことへの逆恨みから、アデルバート暗殺を謀ったのだという。
ゲントナー男爵家の手掛ける商売のうち、最も成功を収めていたのが美容事業のフレグランス部門であり、最も身分の高い顧客がローザリンデ・ベルトホルトだった。
王宮に比較的自由に出入りすることが可能な彼女は、信頼する調香師を通じて、「鎮静効果がある」と無臭の香を渡された。アデルバートの私室には近付けないが、基本的には何人も立ち入りを禁止されているバラ園ならばと考えてしまったのは、ひとえにアデルバートを想うがゆえの過ちだったのだろう。
香には、皮膚や粘膜から体内に入ると、呼吸器系に作用する毒が練り込まれていた。
結果、唯一の例外としてバラ園への立ち入りを許可されていた庭師が中毒を起こし、バラも半分近くが枯れてしまったのだそうだ。
異変に気付いたアデルバートは、少し気分を悪くする程度で済んだし、事態を察したローザリンデの証言から、首謀者のゲントナー男爵親子の身柄もすぐに取り押さえられたが、アデルバートの怒りは大きかった。
ベルトホルト公爵家にも、無期限の登城停止と公職からの追放、ローザリンデ個人には無期限の謹慎処分が下されたらしい――
「……そんな……」
あまりの事態に、ルカは力なく呟いた。
昨日あんなに親切にしてくれて、笑顔を見せてくれた華やかな女性が、今は罪人として自宅に軟禁されているだなんて。
アデルバートの好みに合わせた香水について、誇らしげに語っていた姿からは、今日の落日の様子はとても想像できない。
主犯は自業自得とはいえ、ローザリンデの行為は、アデルバートの身を案じてのことではないか。ルカには国政についての知識はない。でも、もう少し情状酌量の余地があってもいいのではないだろうか?
「ルカ……」
ショックを受けるルカの肩を、ユージーンが片手で抱きかかえる。
幼馴染みと祖母がメイド達に話の礼を述べるのが、どこか遠くの世界の出来事のようだ。
その後、仲間達に促され、何とか部屋へ戻る間のことを、ルカはほとんど覚えていない。
●
夜も更けてきた頃。
ベリンダの入浴中、一度自室へ戻ったルカは、リビングスペースに誰も居ないことを確認して、部屋を抜け出した。仲間達に話せば止められるだろうし、実際にレフも気が進まないようだったが、何とか説き伏せて、いつも通りフードの中に忍んでもらっている。
ルカの肩口から、ぬいぐるみ体の可愛らしい顔を覗かせたレフにナビを頼んで、向かったのはアデルバートの部屋だ。
住居棟との境を守る衛兵達は、「陛下にお会いしたいんです」というルカの要望を、拍子抜けするほどあっさりと取り次いでくれた。連日の呼び出しから、国王が「予言の子供」を殊の外お気に召していることは理解しており、「陛下のお気持ちが慰められるなら」との思惑が働いたらしい。それは、控えの間まで迎えに来てくれた、既に顔見知りとなった近習も同じだったようで、数刻ののち、ルカは丁重に君主の私室へ迎え入れられる。
ワインレッドのガウンを羽織ったアデルバートは、薄い笑みを浮かべてルカを手招いた。
「――どうした。『昨夜の続き』を所望するか」
軽口に紛れさせていても、カウチに身を預けたアデルバートの顔色は、明らかに昨夜よりも悪い。微量ながら摂取してしまった毒素のせいなのだろう。胸は痛むが、こうしてここまでやって来たのだから、勇気を出さなければならない。
招き寄せられるままカウチに近付き、ルカは意を決して口を開いた。
「ローザリンデ様のことなんですけど」
「……」
アデルバートの美しい眉間がグッと引き絞られる。怯みそうになるのを堪えて、ルカは続けた。
「騙されたことは迂闊だったかもしれないけど、アデルバート様の体調を気遣ってのことじゃないですか」
罪は罪かもしれない。だが、自分の身を案じてくれた女性の人生までを台無しにしてしまうのは、この場合いかがなものか。
ローザリンデの減刑を訴えるルカに、アデルバートは明らかに気分を害した様子だ。上体を起こし、キロリとルカを睨み付ける。
「我のバラ園を台無しにしたのだぞ」
アデルバートの主張に、ルカはわずかに眼を見張った。そっち!? というのが正直なところだ。
主犯格のゲントナー男爵家の者は拘留されていると聞いたし、バラ園の換気と消毒は、宮廷付きの魔法使いによって厳重に成されたらしい。何よりも、バラは全滅した訳ではないはずだ。
――花ならまた咲くじゃん!
「バラと人間を比べるんですか? だって、そもそもは陛下が……っ」
咄嗟に反論しかけて、ルカは慌てて口を噤んだ。さすがにこれ以上はマズイ。これまではいくらかルカに気安かったとはいえ、アデルバートは元々苛烈な王として知られている。
しかしアデルバートは、ルカが飲み込んだ言葉を察したようだ。
――『陛下が逆恨みされたのが原因なのに』。
「――我に非があると申すか」
叱責されるかと身構えたルカだったが、アデルバートの口調は静かなものだった。無意識に閉じていた瞳を開くと、思いがけず傷付いたような表情に驚かされる。
アデルバートは深い溜め息を一つ落とした。もはやルカを視界に入れようともせず、小さく手を振る。
「……疲れた。出ていけ」
「……はい。すみませんでした……」
ルカの謝罪に、答える声はなかった。
悄然としたまま部屋に戻ると、リビングスペースにベリンダの姿があった。
別段驚いた様子もなく、ただ「お帰りなさい」と笑顔で迎えてくれたところを見ると、ルカがどこで何をしてきたのか、おおよその見当は付いているのかもしれない。
「ただいま」と答えて、ルカは、豪華なソファに腰掛けるベリンダの隣に落ち着いた。間違ったことは言っていないつもりなのに、アデルバートが見せた表情が気に掛かって仕方がない。無条件に愛してくれる保護者の元に寄り添ったのは、ルカの心を不安が満たしていたからだろう。
ルカのフードから飛び出したレフがライオン体を取り、グルグルと喉を鳴らしながら、足元に纏わりついてくる。
「――何かあった?」
ベリンダが身体を寄せて来た。顔を覗き込んでくるオレンジ色の瞳はどこまでも優しくて、ルカは救いを求めるように、祖母に抱き付く。
「ごめんね。僕のせいで、おばあちゃんに迷惑掛けちゃうかも」
アデルバートへの直接の陳情を行ったことを白状すると、ベリンダは薄く微笑んだ。ルカの手を取ったのは、安心させる意味もあったのだろう。
「私は大丈夫よ。いくら陛下とはいえ、あなた達にも手出しはさせない。でもね」
そこでベリンダは、一度言葉を切った。小さな子供をあやすように、包み込んだルカの手をトントンと優しく叩く。
「あのバラ園は、元は陛下のお母様のために作られた場所なの」
先代の国王からも篤く信頼されてきた黄金のベリンダは、現王家の来し方をよく知る人物の一人でもある。祖母の昔語りに、ルカは自ずと引き込まれた。
――アデルバート・クラウス・マクシミリアン・ラインベルク2世は、第37代フェルディナント3世とヴァランティーヌ王妃の間に生まれた、第一にして唯一の子供だった。幼少期から美しく、利発で優秀の誉れ高く、剣術の才にも恵まれている。次期国王として申し分のない才能を持っていたが、そんな彼が唯一、あまり恵まれているとは言い難かったのが、肉親との縁だ。母を病で亡くしたのは10歳の時、15歳で魔王軍の大規模な侵攻が起こり、民を庇って深手を負ったフェルディナント王は、長く患ったのちに崩御した。ルカがあちらの世界に飛ばされた時のことだ。アデルバートが歴代の王の中でも、殊更に魔王を憎む理由がここにある。
そしてあのバラ園は、在りし日の父王が妻に贈った物だった。ヴァランティーヌ王妃はこれを大層喜ばれ、一家はここで揃って休息を取ることを、何よりの楽しみにしていたという――
「…………」
祖母の手が重ねられた掌を、ルカはギュッと握り締めた。
あのバラ園が、アデルバートが亡き両親を偲ぶための場所であるならば、それはルカにとってのレフと同じようなものだ。レフが今のように、意思を持って動いたり喋ったりしなかったとしても、乱暴に扱われたら腹も立つし、それ以上に悲しくもなる。レフはあちらの世界の家族を思い出す、唯一の縁なのだから。
それなのに、ルカはアデルバートの大切なものを、軽んじるような発言をしてしまった。
「先代の国王陛下がお亡くなりになったのは、アデルバート様が17歳の時よ――今のあなたと同じくらいね」
「!」
考えを見透かされたような気分になって、ルカは愕然と祖母を見上げた。ルカが味わったつらい思いを、アデルバートも同じ年代で経験している。
「バラと人間の価値を比べるのか」などと、ルカだけは絶対に口にしてはいけなかったのに。
「……どうしよう。僕、ひどいこと言っちゃった」
何だか無性に情けなくなってきて、ルカは思わず顔を歪めた。いっそのこと子供のように泣き喚くことが出来たら、楽だったかもしれないとさえ思う。
自己嫌悪の波に飲まれかける最愛の孫を励ますように、ベリンダが笑った。
「あなたはどうしたいの、ルカ?」
問われて、ルカは潤んだ瞳をぱちりと瞬かせる。
出来ることなら謝りたいけれど、自分はアデルバートを失望させてしまったのかもしれない。もう昨夜のようにはお呼びも掛からないだろう。
躊躇に視線を彷徨わせるルカの肩を、ベリンダが優しく抱き寄せる。
「私はいつでも、あなたの味方よ」
そう囁いて、黄金のベリンダは魅力的なウィンクを一つ寄越した。
建物や橋などの建造物が完全に修復、復旧したことで、大勢の人々の気持ちが前向きになったことも大きい。教会で長期療養を余儀なくされている負傷者達も、子供の作った造花を喜んでくれた。
夕刻、正エドゥアルト教会本部に詰めていたルカとネイト、騎士団と共に郊外の街道整備に尽力していたジェイクとフィンレーの二組は、王宮近くの広場で偶然鉢合わせた。復興が軌道に乗ったことで、目の回るような忙しさから解放され、余裕を持って帰途につけるようになったためだろう。ルカとの二人の時間を邪魔されたネイトは笑顔のままドス黒いオーラを発してはいたが、ジェイクとフィンレーは気にしないようにしながら、ルカに今日一日のアレコレを聞いてくる。
更に、王宮の通用門まで戻ったところで、ルカは馬車から降りる祖母とユージーンの姿に気付いた。遠方の港の補修から帰ってきたところなのだろう。これまでよりも早い時間帯に、全員が顔を合わせるということもなかったため、この偶然は何だかちょっと嬉しい。
「そろそろ救援活動も終わりかしら」
「……そうだね」
並んだベリンダに言われて、ルカは少しだけ背筋を伸ばした。王都の復興が成れば、先延ばしになっていた斥候の旅が、いよいよ始まる。仲良くなった子供達と離れることに心は痛むが、ルカは行かなければならないのだ。
緩んだ気持ちを引き締めながら戻った王宮は、妙に慌ただしかった。
「――何だか、様子がおかしくないか?」
フィンレーが眉をひそめるのに頷いていると、二人連れのメイドが小走りに通り掛かる。「すみません」とユージーンが声を掛けると、思い詰めていたような表情が一瞬で蕩けた。
「何かあったんですか?」
「あ、えっと……」
美形のユージーンに笑顔で話し掛けられて、二人は迷うような様子を見せる。しかし、背後にベリンダを始めとした一行が控えているのに気付いて、意を決したように頷き合った。
「それが――」
「!」
メイド達の話に、ルカは愕然と瞳を見開く。
あのローザリンデ・ベルトホルト公爵令嬢が、国王アデルバート2世に一服盛ったというのだ。
メイド達の話では、正確にはローザリンデは利用されたらしい。
事件の首謀者は、ゲントナー男爵と、その子息。以前フィンレーから聞いた、公金横領の罪で家門断絶の処断を受けた、元プレトリオス州の領主・クロイツェル伯爵家の縁者だ。とはいっても姻戚関係に当たるというだけで、連座は免れている。
ゲントナー男爵は、金で爵位を買った、いわゆる成り上がり者らしい。娘をクロイツェル伯爵の妻の甥に嫁がせたことで、諸々の資金援助を受けていた。伯爵家の断絶により、経済基盤を失ったことへの逆恨みから、アデルバート暗殺を謀ったのだという。
ゲントナー男爵家の手掛ける商売のうち、最も成功を収めていたのが美容事業のフレグランス部門であり、最も身分の高い顧客がローザリンデ・ベルトホルトだった。
王宮に比較的自由に出入りすることが可能な彼女は、信頼する調香師を通じて、「鎮静効果がある」と無臭の香を渡された。アデルバートの私室には近付けないが、基本的には何人も立ち入りを禁止されているバラ園ならばと考えてしまったのは、ひとえにアデルバートを想うがゆえの過ちだったのだろう。
香には、皮膚や粘膜から体内に入ると、呼吸器系に作用する毒が練り込まれていた。
結果、唯一の例外としてバラ園への立ち入りを許可されていた庭師が中毒を起こし、バラも半分近くが枯れてしまったのだそうだ。
異変に気付いたアデルバートは、少し気分を悪くする程度で済んだし、事態を察したローザリンデの証言から、首謀者のゲントナー男爵親子の身柄もすぐに取り押さえられたが、アデルバートの怒りは大きかった。
ベルトホルト公爵家にも、無期限の登城停止と公職からの追放、ローザリンデ個人には無期限の謹慎処分が下されたらしい――
「……そんな……」
あまりの事態に、ルカは力なく呟いた。
昨日あんなに親切にしてくれて、笑顔を見せてくれた華やかな女性が、今は罪人として自宅に軟禁されているだなんて。
アデルバートの好みに合わせた香水について、誇らしげに語っていた姿からは、今日の落日の様子はとても想像できない。
主犯は自業自得とはいえ、ローザリンデの行為は、アデルバートの身を案じてのことではないか。ルカには国政についての知識はない。でも、もう少し情状酌量の余地があってもいいのではないだろうか?
「ルカ……」
ショックを受けるルカの肩を、ユージーンが片手で抱きかかえる。
幼馴染みと祖母がメイド達に話の礼を述べるのが、どこか遠くの世界の出来事のようだ。
その後、仲間達に促され、何とか部屋へ戻る間のことを、ルカはほとんど覚えていない。
●
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「――どうした。『昨夜の続き』を所望するか」
軽口に紛れさせていても、カウチに身を預けたアデルバートの顔色は、明らかに昨夜よりも悪い。微量ながら摂取してしまった毒素のせいなのだろう。胸は痛むが、こうしてここまでやって来たのだから、勇気を出さなければならない。
招き寄せられるままカウチに近付き、ルカは意を決して口を開いた。
「ローザリンデ様のことなんですけど」
「……」
アデルバートの美しい眉間がグッと引き絞られる。怯みそうになるのを堪えて、ルカは続けた。
「騙されたことは迂闊だったかもしれないけど、アデルバート様の体調を気遣ってのことじゃないですか」
罪は罪かもしれない。だが、自分の身を案じてくれた女性の人生までを台無しにしてしまうのは、この場合いかがなものか。
ローザリンデの減刑を訴えるルカに、アデルバートは明らかに気分を害した様子だ。上体を起こし、キロリとルカを睨み付ける。
「我のバラ園を台無しにしたのだぞ」
アデルバートの主張に、ルカはわずかに眼を見張った。そっち!? というのが正直なところだ。
主犯格のゲントナー男爵家の者は拘留されていると聞いたし、バラ園の換気と消毒は、宮廷付きの魔法使いによって厳重に成されたらしい。何よりも、バラは全滅した訳ではないはずだ。
――花ならまた咲くじゃん!
「バラと人間を比べるんですか? だって、そもそもは陛下が……っ」
咄嗟に反論しかけて、ルカは慌てて口を噤んだ。さすがにこれ以上はマズイ。これまではいくらかルカに気安かったとはいえ、アデルバートは元々苛烈な王として知られている。
しかしアデルバートは、ルカが飲み込んだ言葉を察したようだ。
――『陛下が逆恨みされたのが原因なのに』。
「――我に非があると申すか」
叱責されるかと身構えたルカだったが、アデルバートの口調は静かなものだった。無意識に閉じていた瞳を開くと、思いがけず傷付いたような表情に驚かされる。
アデルバートは深い溜め息を一つ落とした。もはやルカを視界に入れようともせず、小さく手を振る。
「……疲れた。出ていけ」
「……はい。すみませんでした……」
ルカの謝罪に、答える声はなかった。
悄然としたまま部屋に戻ると、リビングスペースにベリンダの姿があった。
別段驚いた様子もなく、ただ「お帰りなさい」と笑顔で迎えてくれたところを見ると、ルカがどこで何をしてきたのか、おおよその見当は付いているのかもしれない。
「ただいま」と答えて、ルカは、豪華なソファに腰掛けるベリンダの隣に落ち着いた。間違ったことは言っていないつもりなのに、アデルバートが見せた表情が気に掛かって仕方がない。無条件に愛してくれる保護者の元に寄り添ったのは、ルカの心を不安が満たしていたからだろう。
ルカのフードから飛び出したレフがライオン体を取り、グルグルと喉を鳴らしながら、足元に纏わりついてくる。
「――何かあった?」
ベリンダが身体を寄せて来た。顔を覗き込んでくるオレンジ色の瞳はどこまでも優しくて、ルカは救いを求めるように、祖母に抱き付く。
「ごめんね。僕のせいで、おばあちゃんに迷惑掛けちゃうかも」
アデルバートへの直接の陳情を行ったことを白状すると、ベリンダは薄く微笑んだ。ルカの手を取ったのは、安心させる意味もあったのだろう。
「私は大丈夫よ。いくら陛下とはいえ、あなた達にも手出しはさせない。でもね」
そこでベリンダは、一度言葉を切った。小さな子供をあやすように、包み込んだルカの手をトントンと優しく叩く。
「あのバラ園は、元は陛下のお母様のために作られた場所なの」
先代の国王からも篤く信頼されてきた黄金のベリンダは、現王家の来し方をよく知る人物の一人でもある。祖母の昔語りに、ルカは自ずと引き込まれた。
――アデルバート・クラウス・マクシミリアン・ラインベルク2世は、第37代フェルディナント3世とヴァランティーヌ王妃の間に生まれた、第一にして唯一の子供だった。幼少期から美しく、利発で優秀の誉れ高く、剣術の才にも恵まれている。次期国王として申し分のない才能を持っていたが、そんな彼が唯一、あまり恵まれているとは言い難かったのが、肉親との縁だ。母を病で亡くしたのは10歳の時、15歳で魔王軍の大規模な侵攻が起こり、民を庇って深手を負ったフェルディナント王は、長く患ったのちに崩御した。ルカがあちらの世界に飛ばされた時のことだ。アデルバートが歴代の王の中でも、殊更に魔王を憎む理由がここにある。
そしてあのバラ園は、在りし日の父王が妻に贈った物だった。ヴァランティーヌ王妃はこれを大層喜ばれ、一家はここで揃って休息を取ることを、何よりの楽しみにしていたという――
「…………」
祖母の手が重ねられた掌を、ルカはギュッと握り締めた。
あのバラ園が、アデルバートが亡き両親を偲ぶための場所であるならば、それはルカにとってのレフと同じようなものだ。レフが今のように、意思を持って動いたり喋ったりしなかったとしても、乱暴に扱われたら腹も立つし、それ以上に悲しくもなる。レフはあちらの世界の家族を思い出す、唯一の縁なのだから。
それなのに、ルカはアデルバートの大切なものを、軽んじるような発言をしてしまった。
「先代の国王陛下がお亡くなりになったのは、アデルバート様が17歳の時よ――今のあなたと同じくらいね」
「!」
考えを見透かされたような気分になって、ルカは愕然と祖母を見上げた。ルカが味わったつらい思いを、アデルバートも同じ年代で経験している。
「バラと人間の価値を比べるのか」などと、ルカだけは絶対に口にしてはいけなかったのに。
「……どうしよう。僕、ひどいこと言っちゃった」
何だか無性に情けなくなってきて、ルカは思わず顔を歪めた。いっそのこと子供のように泣き喚くことが出来たら、楽だったかもしれないとさえ思う。
自己嫌悪の波に飲まれかける最愛の孫を励ますように、ベリンダが笑った。
「あなたはどうしたいの、ルカ?」
問われて、ルカは潤んだ瞳をぱちりと瞬かせる。
出来ることなら謝りたいけれど、自分はアデルバートを失望させてしまったのかもしれない。もう昨夜のようにはお呼びも掛からないだろう。
躊躇に視線を彷徨わせるルカの肩を、ベリンダが優しく抱き寄せる。
「私はいつでも、あなたの味方よ」
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追放先の辺境伯子息×ざまぁされたナルシスト王子様
悪役令嬢を断罪しようとしてざまぁされた王子の、その後を書いたBL作品です。
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モラトリアムは物書きライフを満喫します。
星坂 蓮夜
BL
本来のゲームでは冒頭で死亡する予定の大賢者✕元39歳コンビニアルバイトの美少年悪役令息
就職に失敗。
アルバイトしながら文字書きしていたら、気づいたら39歳だった。
自他共に認めるデブのキモオタ男の俺が目を覚ますと、鏡には美少年が映っていた。
あ、そういやトラックに跳ねられた気がする。
30年前のドット絵ゲームの固有グラなしのモブ敵、悪役貴族の息子ヴァニタス・アッシュフィールドに転生した俺。
しかし……待てよ。
悪役令息ということは、倒されるまでのモラトリアムの間は貧困とか経済的な問題とか考えずに思う存分文字書きライフを送れるのでは!?
☆
※この作品は一度中断・削除した作品ですが、再投稿して再び連載を開始します。
※この作品は小説家になろう、エブリスタ、Fujossyでも公開しています。
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【完結】元騎士は相棒の元剣闘士となんでも屋さん営業中
きよひ
BL
ここはドラゴンや魔獣が住み、冒険者や魔術師が職業として存在する世界。
カズユキはある国のある領のある街で「なんでも屋」を営んでいた。
家庭教師に家業の手伝い、貴族の護衛に魔獣退治もなんでもござれ。
そんなある日、相棒のコウが気絶したオッドアイの少年、ミナトを連れて帰ってくる。
この話は、お互い想い合いながらも10年間硬直状態だったふたりが、純真な少年との関わりや事件によって動き出す物語。
※コウ(黒髪長髪/褐色肌/青目/超高身長/無口美形)×カズユキ(金髪短髪/色白/赤目/高身長/美形)←ミナト(赤髪ベリーショート/金と黒のオッドアイ/細身で元気な15歳)
※受けのカズユキは性に奔放な設定のため、攻めのコウ以外との体の関係を仄めかす表現があります。
※同性婚が認められている世界観です。
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魔王様の瘴気を払った俺、何だかんだ愛されてます。
柴傘
BL
ごく普通の高校生東雲 叶太(しののめ かなた)は、ある日突然異世界に召喚されてしまった。
そこで初めて出会った大型の狼の獣に助けられ、その獣の瘴気を無意識に払ってしまう。
すると突然獣は大柄な男性へと姿を変え、この世界の魔王オリオンだと名乗る。そしてそのまま、叶太は魔王城へと連れて行かれてしまった。
「カナタ、君を私の伴侶として迎えたい」
そう真摯に告白する魔王の姿に、不覚にもときめいてしまい…。
魔王×高校生、ド天然攻め×絆され受け。
甘々ハピエン。
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