46 / 121
第1部・第8話:俺様王と小悪魔系救世主
第5章
しおりを挟む
その翌日もまた、ルカ達は各々支援活動に向かった。
当初に比べれば、街もいくらか落ち着いて来ている。ベリンダを始めとした力のある魔法使いによって、公共施設や交通機関等が元通りに修復され、併せて人力による一般の住居の修繕工事も進み始めた。
昨日までの間に、迷子の大半は保護者の元に返されたが、残念ながら親の死亡が確認されたり、怪我を負って長期の入院が必要なケースもあり、その場合は適切な保護者が見付からなければ、そのまま正エドゥアルト教会本部の孤児院に収容されることになる。
ルカは引き続き、そういった子供達のケアを任されていた。彼らにも何かやりがいをと考え、公共の病院が満床であるために、入院できるまで教会本部で過ごすことになった負傷者達に食事を運ぶお手伝いなどしていたのだが、それでも子供に出来ることはそう多くはない。
その中でルカは、ハーフェルの町での成功譚を思い出し、子供達にペーパーフラワー作りを勧めてみることにした。これなら簡単だし、殺風景な場所に留まることを余儀なくされた負傷者――特にお年寄りなどは、子供の手作りを喜んでくれるかもしれないと思ったからだ。
ベリンダを通して、ルカの希望は即座に叶えられ、王宮の部屋にはカラフルな薄紙と糸が一通り揃えられた。
早速子供達に提案してみよう――そう考えていたはずなのに、一式全てを部屋に忘れてきてしまったのは、国王との思わぬ第三種接近遭遇による混乱のため、と言い逃れたいところだが、さすがに難しいか。
「しまったー」と後悔を口にするルカの説明を聞き、幸いにも子供達は、造花作りに興味を持ってくれたらしい。この頃には既に、元々本部の孤児院に収容されていた子供達とも仲良くなっていたこともあって、彼らも一緒に手伝わせて欲しいと言う。そして、ルカ自身、いつまでもヴェスティアに留まれる身の上ではない。
そんな訳で、ルカはやってきた道を引き返した。ネイトが傍に居れば、ルカを1人にさせるようなことはしなかっただろうが、生憎と彼は交代で重症患者の治癒に当たっている。つい今しがた別れたばかりで「忘れ物しちゃったから取りに帰るのついてきて~」とは、とても言いづらい。もはや通い慣れた道でもあり、ルカは自信を持って王宮にトンボ返りしたのだが。
『ルカ、そっちじゃねぇぞ。さっきの階段まで戻れ』
「えっ、嘘、ごめん!」
フードの中からレフの冷静な指摘を受けて、ルカは慌てて方向転換した。
復興支援に尽力する斥候隊メンバーは、既に特例として王宮通用口の出入りは自由に行える。その上何かと目立つ一行は、今ではほとんど顔パスのような状況だ。
もはや顔見知りになった衛兵の案内を、当然のような顔をして断ったルカだったが、レフが居なければまたしても迷子になるところだったらしい。
「ちょっと、あなた!」
ふわりと優しいバラの香りが鼻先を掠めたと思ったところで、凛とした声に呼び止められる。驚いて振り返ると、見覚えのある美女が侍女を従え、キッとこちらを見据えていた。
――ローザリンデ様!!
目の覚めるようなコバルトブルーのドレスを身に纏った美しい公爵令嬢の姿に、ルカはほわんと見惚れてしまう。
とはいえ、昨日の初対面でバッチリ嫌われてしまったらしいのも事実だ。何を言われるのかと構えるルカに、ローザリンデは美しい眉を少しだけひそめた。
「あなた……先程から同じところを歩き回っているようですけど、まさか迷子ではないですわよね?」
どうやら、アワアワしているところを見かねて、声を掛けてくれたらしい。健全な男子として、好みの女性に情けないところを晒すのは気が引けたが、隠せるものでもあるまい。
「す、すみません。迷子です……」
素直に認めたルカに、ローザリンデは「呆れた」と小さく息をついた。どっぷりヘコんだルカを尻目に、くるりと踵を返したかと思うと、チラリと視線を寄越す。
「お部屋に戻りたいのでしょう? ついていらっしゃい」
「は、はい!」
一瞬面食らったルカだったが、反射的にローザリンデの言葉に従った。自分よりも背の高い女性に先導されながら、胸にジワジワと喜びが涌いてくる。
ローザリンデにとって、ルカはアデルバートとの時間を邪魔する存在だったはずだ。しかし彼女はどうやら、困っている人を放っておけないタイプらしい。
――素敵すぎる!!
綺麗なお姉さんに親切にして貰って、ルカは浮かれた。ローザリンデの歩みに迷いはなく、王宮の構造に詳しいことに加えて、ルカ達斥候隊に割り当てられた部屋がどこであるのかも、理解しているようだ。公爵といえば、王族に次ぐ身分のはずだし、その辺りはさすがというところか。
感心しながら、ルカはふと、ローザリンデから薫る、甘い香りに気を止めた。昨日からバラの残り香には気付いていたが、よくあるものとは少し違う気がする。
「このバラの香り、ローザリンデ様の香水ですよね?」
思い切って話し掛けてみると、ローザリンデは興味を引かれた様子もなく、「ええ」と応える。
「普通のバラよりも、ちょっと優しい感じがします」
「……あら」
めげずに話し続けた甲斐あってか、ローザリンデは歩き始めてから初めて、ルカに視線を向けた。その表情には誇らしげな色が浮かんでいる。
「アデルバート様のために、特別に調合させた物よ」
「陛下はバラがお好きなんですか?」
反応があったことを喜びながらも、ルカはキョトンと聞き返した。
確かに、自分専用のバラ園を持っているくらいだから、アデルバートはバラ好きなのかもしれない。だが、昨日招かれたサンルームには、他の花々も均等に植えられていたし、特に花好きといった印象もないのだが。
ルカの疑問に、ローザリンデは少しだけ考え込む様子を見せる。
「あれだけバラ園を大事にしてらっしゃるんだもの。そのはずよ」
ではローザリンデは、アデルバートの好みに合わせるために、敢えてバラの香りを身に纏っているということだ。恋する乙女の考えそうなこと――自分好みの美女であるだけに、ルカには余計に眩しく見える。
「でも、わたくし本当は、バラの強い香りがあまり得意ではないの。だから、大好きなスズランやスイセンの甘い香りを混ぜて、少し薄めているのよ」
豪奢な造りの階段を先導しながら、ローザリンデは少しだけイタズラっぽく微笑んだ。キツすぎないバラの香りは、ローザリンデの嗜好を取り入れた特注品であり、すべてはアデルバートの好みに合わせるための努力ということらしい。
「そうだったんですね~」などと当たり障りのない相槌を打ちながら、ルカは心の中で声を限りに叫んだ。
――可愛い! このひとめちゃくちゃ可愛いんですけど!!
思いがけなくも、優しくて可愛らしい一面を知って、ルカはすっかり「ベルトホルト公爵令嬢推し」になっていた。
ローザリンデの方でも、幾らかルカに絆されて来たのか、部屋まで連れていってくれただけでなく、そのまま通用門に一番近い入り口まで案内してくれる。
その間の会話で、彼女のアデルバートへの純粋な恋心は、充分過ぎるほど理解できた。ローザリンデが欲しいのは王妃の座などではなく、アデルバートの心なのだろう。少しだけ残念な気持ちもあるけれど、真っ直ぐな想いに和まされるのも事実だ。
東の端のエントランスで、ルカはペコリと頭を下げた。
「お二人とも、ありがとうございました!」
笑顔で手を振って、王宮の前庭に飛び出していく。
残されたローザリンデとその侍女は、一瞬ポカンとして互いを見詰めた。どうやら予言の子供は、黙って主人に付き従っただけの侍女にも、ご丁寧に礼を寄越したらしい。
その心遣いが微笑ましく感じられて、2人は揃って小さく吹き出した。
●
「子供にもやりがいを、か。考えたな」
カウチに寝そべるアデルバートは、そう言って感心したように薄く微笑んだ。
夜着らしい真っ青なガウンを纏ったしどけない姿には、大人の男の色気のようなものが溢れている。
「……」
横たわる国王の前に座らされたルカは、気恥ずかしさと気まずさの両方から、身を固くした。
フードの中ではいつものように、ぬいぐるみ体のレフが「何かあった時」に備えて、スチロール製の目を光らせている。
――その日の夕食後、アデルバートに呼び出されたのは、ルカだけだった。「就寝前の自由時間の話し相手になれ」とのことだが、当然ながら仲間達は騒然とした。
「危険だから行くべきじゃない」とユージーンに両肩を掴まれ、ジェイクは「それは本当に『就寝前』か……!?」などと恐ろしい形相で恐ろしいことを呟き、ネイトが「権力を笠に着るとは……!」と歯噛みする横で、「ベリンダ先生の前で、そんな無体はなさらないと思うが……」とフィンレーが困惑する。
ルカとしては、アデルバートの傍に上がるのは極力遠慮したい。何か失敗してしまわないかと気が気でないし、普通に恐れ多いからだ。けれど、王宮にお世話になっている身で、国王の召還に応じないわけにもいかないだろう。
最終的には、ベリンダがフィンレーの言を保証してくれたことと、ぬいぐるみ体で怪しまれずにどこまでもルカについていけるレフに、すべてを託すということで、話は落ち着いた。
『『『『頼んだぞ、レフ!』』』』
『言われるまでもねぇよ』
何だかんだで、レフは斥候隊内に不動のポジションを築いているようだ。
問われるままに、今日1日の出来事を話して聞かせながら、自分の中で何となく、アデルバートに対する印象が変わり始めていることに、ルカは不思議な感覚を覚えていた。
――思っていたよりは話しやすい、かな?
国王という立場や俺様然とした態度に萎縮してしまっているだけで、アデルバート本人が苦手とまでは思わない。
闇雲に怯えることもないのかな、と思い立って、ルカは「そう言えば」と、この日初めて自分からアデルバートに話を振ってみた。
「今日は、ローザリンデ様にお会いしました?」
「――いや」
ルカの意図を図りかねた様子で、アデルバートが小さく首を横に振る。
どうやらあれからローザリンデは、彼に会っては貰えなかったようだ。推しへの感謝を込めて、ルカは昼間彼女に道案内をして貰ったことを話した。
「綺麗なだけじゃなくて、とっても親切な方でしたよ!」
アデルバートを振り返り、ローザリンデがいかに優しくて素晴らしい女性かを力説する。気持ち身を乗り出した、それはルカなりのエールでもあったのだが、アデルバートはわずかに眉根を寄せた。
「そなたは随分とベルトホルト公爵令嬢に肩入れするのだな」
何だか面白くなさそうな反応に、ルカは自分のプッシュが不発に終わったことを悟った。それどころかアデルバートは、「そなたは城内を1人で出歩くべきではないな。案内役を付けるようにするか」などと、ルカにとっては不名誉極まりない対策を練り始めている。
――違う、そうじゃなくて!
「……もっと優しくしてあげればいいのに」
拗ねたように呟いたのは、自分好みの女性に愛されるひとへの羨望もあったのに違いない。
「その気もないのに優しくなどせぬわ」
小さなぼやきに答えが返ってきたことに驚きながらも、ルカはアデルバートの様子をチラリと窺った。機嫌を損ねた風はない。
「あんなに美人なのに……」
グズグズと続けたのは、ルカの中にアデルバートに対して、既に「これくらいなら怒られないだろう」という基準が出来上がっているためだ。美女に愛されることを羨ましがるだけの子供を罰するほど、彼の度量は小さくない。
するとアデルバートは身を起こし、ルカの瞳を覗き込むように、凄味のある美貌を近付けてきた。
ニヤリと唇の端を歪めて笑うのには、ルカの反応を楽しむ意図があったのに違いない。
「――我はどちらかというと、可愛らしいのが好みだ」
「!」
悔しいけれど、ルカのイケメン耐性はまったく出来上がってはいなかった。
やっぱりか! てゆーか顔近い! このイケメンめ! と、心中で激しくツッコミを入れるものの、実際は何一つ言葉にならず、白くて滑らかな頬は、熟れた桃のように赤く染まる。
「ぼ、僕の周りの人達は、逆恨みされないように気を付けてるみたいです……!」
「ほぅ?」
ユージーンやジェイクを引き合いにしたルカの忠告を、アデルバートは羞恥からくる、苦し紛れの言い訳のように思っているらしい。
――違う、僕は綺麗な女のひとが好きなんだってば!!
フードの中で、レフがジタバタと暴れだした。
それに気付くよりも先に、ルカの反応に気を良くしたらしいアデルバートは、満足げな表情を浮かべる。チラリと時計(もちろん動力は魔石)に目を向け、小さく肩を竦めた。
「今夜はこれで解放してやる。ベリンダの機嫌を損ねる訳にはいかぬからな」
「…………はい……」
今夜はってどういうことですか? とは聞けなかった。
アデルバートもそれ以上は語らず、傍らに置いたベルを鳴らして、側仕えの者を呼ぶ。
果たしてルカは、ベリンダの予想通り、彼女の威光のお陰で無事に解放された。
精神的に疲れてしまったこともあり、帰還を喜ぶ仲間達に断ってから、早々にシャワールームに向かう。
しかし、その場に残されたレフが「危なくもう少して飛び出すところだったぜ」とアデルバートへの不信感を伝えてしまったことで、シャワー後も仲間達の質問責めに耐えなければならなくなったのだった。
当初に比べれば、街もいくらか落ち着いて来ている。ベリンダを始めとした力のある魔法使いによって、公共施設や交通機関等が元通りに修復され、併せて人力による一般の住居の修繕工事も進み始めた。
昨日までの間に、迷子の大半は保護者の元に返されたが、残念ながら親の死亡が確認されたり、怪我を負って長期の入院が必要なケースもあり、その場合は適切な保護者が見付からなければ、そのまま正エドゥアルト教会本部の孤児院に収容されることになる。
ルカは引き続き、そういった子供達のケアを任されていた。彼らにも何かやりがいをと考え、公共の病院が満床であるために、入院できるまで教会本部で過ごすことになった負傷者達に食事を運ぶお手伝いなどしていたのだが、それでも子供に出来ることはそう多くはない。
その中でルカは、ハーフェルの町での成功譚を思い出し、子供達にペーパーフラワー作りを勧めてみることにした。これなら簡単だし、殺風景な場所に留まることを余儀なくされた負傷者――特にお年寄りなどは、子供の手作りを喜んでくれるかもしれないと思ったからだ。
ベリンダを通して、ルカの希望は即座に叶えられ、王宮の部屋にはカラフルな薄紙と糸が一通り揃えられた。
早速子供達に提案してみよう――そう考えていたはずなのに、一式全てを部屋に忘れてきてしまったのは、国王との思わぬ第三種接近遭遇による混乱のため、と言い逃れたいところだが、さすがに難しいか。
「しまったー」と後悔を口にするルカの説明を聞き、幸いにも子供達は、造花作りに興味を持ってくれたらしい。この頃には既に、元々本部の孤児院に収容されていた子供達とも仲良くなっていたこともあって、彼らも一緒に手伝わせて欲しいと言う。そして、ルカ自身、いつまでもヴェスティアに留まれる身の上ではない。
そんな訳で、ルカはやってきた道を引き返した。ネイトが傍に居れば、ルカを1人にさせるようなことはしなかっただろうが、生憎と彼は交代で重症患者の治癒に当たっている。つい今しがた別れたばかりで「忘れ物しちゃったから取りに帰るのついてきて~」とは、とても言いづらい。もはや通い慣れた道でもあり、ルカは自信を持って王宮にトンボ返りしたのだが。
『ルカ、そっちじゃねぇぞ。さっきの階段まで戻れ』
「えっ、嘘、ごめん!」
フードの中からレフの冷静な指摘を受けて、ルカは慌てて方向転換した。
復興支援に尽力する斥候隊メンバーは、既に特例として王宮通用口の出入りは自由に行える。その上何かと目立つ一行は、今ではほとんど顔パスのような状況だ。
もはや顔見知りになった衛兵の案内を、当然のような顔をして断ったルカだったが、レフが居なければまたしても迷子になるところだったらしい。
「ちょっと、あなた!」
ふわりと優しいバラの香りが鼻先を掠めたと思ったところで、凛とした声に呼び止められる。驚いて振り返ると、見覚えのある美女が侍女を従え、キッとこちらを見据えていた。
――ローザリンデ様!!
目の覚めるようなコバルトブルーのドレスを身に纏った美しい公爵令嬢の姿に、ルカはほわんと見惚れてしまう。
とはいえ、昨日の初対面でバッチリ嫌われてしまったらしいのも事実だ。何を言われるのかと構えるルカに、ローザリンデは美しい眉を少しだけひそめた。
「あなた……先程から同じところを歩き回っているようですけど、まさか迷子ではないですわよね?」
どうやら、アワアワしているところを見かねて、声を掛けてくれたらしい。健全な男子として、好みの女性に情けないところを晒すのは気が引けたが、隠せるものでもあるまい。
「す、すみません。迷子です……」
素直に認めたルカに、ローザリンデは「呆れた」と小さく息をついた。どっぷりヘコんだルカを尻目に、くるりと踵を返したかと思うと、チラリと視線を寄越す。
「お部屋に戻りたいのでしょう? ついていらっしゃい」
「は、はい!」
一瞬面食らったルカだったが、反射的にローザリンデの言葉に従った。自分よりも背の高い女性に先導されながら、胸にジワジワと喜びが涌いてくる。
ローザリンデにとって、ルカはアデルバートとの時間を邪魔する存在だったはずだ。しかし彼女はどうやら、困っている人を放っておけないタイプらしい。
――素敵すぎる!!
綺麗なお姉さんに親切にして貰って、ルカは浮かれた。ローザリンデの歩みに迷いはなく、王宮の構造に詳しいことに加えて、ルカ達斥候隊に割り当てられた部屋がどこであるのかも、理解しているようだ。公爵といえば、王族に次ぐ身分のはずだし、その辺りはさすがというところか。
感心しながら、ルカはふと、ローザリンデから薫る、甘い香りに気を止めた。昨日からバラの残り香には気付いていたが、よくあるものとは少し違う気がする。
「このバラの香り、ローザリンデ様の香水ですよね?」
思い切って話し掛けてみると、ローザリンデは興味を引かれた様子もなく、「ええ」と応える。
「普通のバラよりも、ちょっと優しい感じがします」
「……あら」
めげずに話し続けた甲斐あってか、ローザリンデは歩き始めてから初めて、ルカに視線を向けた。その表情には誇らしげな色が浮かんでいる。
「アデルバート様のために、特別に調合させた物よ」
「陛下はバラがお好きなんですか?」
反応があったことを喜びながらも、ルカはキョトンと聞き返した。
確かに、自分専用のバラ園を持っているくらいだから、アデルバートはバラ好きなのかもしれない。だが、昨日招かれたサンルームには、他の花々も均等に植えられていたし、特に花好きといった印象もないのだが。
ルカの疑問に、ローザリンデは少しだけ考え込む様子を見せる。
「あれだけバラ園を大事にしてらっしゃるんだもの。そのはずよ」
ではローザリンデは、アデルバートの好みに合わせるために、敢えてバラの香りを身に纏っているということだ。恋する乙女の考えそうなこと――自分好みの美女であるだけに、ルカには余計に眩しく見える。
「でも、わたくし本当は、バラの強い香りがあまり得意ではないの。だから、大好きなスズランやスイセンの甘い香りを混ぜて、少し薄めているのよ」
豪奢な造りの階段を先導しながら、ローザリンデは少しだけイタズラっぽく微笑んだ。キツすぎないバラの香りは、ローザリンデの嗜好を取り入れた特注品であり、すべてはアデルバートの好みに合わせるための努力ということらしい。
「そうだったんですね~」などと当たり障りのない相槌を打ちながら、ルカは心の中で声を限りに叫んだ。
――可愛い! このひとめちゃくちゃ可愛いんですけど!!
思いがけなくも、優しくて可愛らしい一面を知って、ルカはすっかり「ベルトホルト公爵令嬢推し」になっていた。
ローザリンデの方でも、幾らかルカに絆されて来たのか、部屋まで連れていってくれただけでなく、そのまま通用門に一番近い入り口まで案内してくれる。
その間の会話で、彼女のアデルバートへの純粋な恋心は、充分過ぎるほど理解できた。ローザリンデが欲しいのは王妃の座などではなく、アデルバートの心なのだろう。少しだけ残念な気持ちもあるけれど、真っ直ぐな想いに和まされるのも事実だ。
東の端のエントランスで、ルカはペコリと頭を下げた。
「お二人とも、ありがとうございました!」
笑顔で手を振って、王宮の前庭に飛び出していく。
残されたローザリンデとその侍女は、一瞬ポカンとして互いを見詰めた。どうやら予言の子供は、黙って主人に付き従っただけの侍女にも、ご丁寧に礼を寄越したらしい。
その心遣いが微笑ましく感じられて、2人は揃って小さく吹き出した。
●
「子供にもやりがいを、か。考えたな」
カウチに寝そべるアデルバートは、そう言って感心したように薄く微笑んだ。
夜着らしい真っ青なガウンを纏ったしどけない姿には、大人の男の色気のようなものが溢れている。
「……」
横たわる国王の前に座らされたルカは、気恥ずかしさと気まずさの両方から、身を固くした。
フードの中ではいつものように、ぬいぐるみ体のレフが「何かあった時」に備えて、スチロール製の目を光らせている。
――その日の夕食後、アデルバートに呼び出されたのは、ルカだけだった。「就寝前の自由時間の話し相手になれ」とのことだが、当然ながら仲間達は騒然とした。
「危険だから行くべきじゃない」とユージーンに両肩を掴まれ、ジェイクは「それは本当に『就寝前』か……!?」などと恐ろしい形相で恐ろしいことを呟き、ネイトが「権力を笠に着るとは……!」と歯噛みする横で、「ベリンダ先生の前で、そんな無体はなさらないと思うが……」とフィンレーが困惑する。
ルカとしては、アデルバートの傍に上がるのは極力遠慮したい。何か失敗してしまわないかと気が気でないし、普通に恐れ多いからだ。けれど、王宮にお世話になっている身で、国王の召還に応じないわけにもいかないだろう。
最終的には、ベリンダがフィンレーの言を保証してくれたことと、ぬいぐるみ体で怪しまれずにどこまでもルカについていけるレフに、すべてを託すということで、話は落ち着いた。
『『『『頼んだぞ、レフ!』』』』
『言われるまでもねぇよ』
何だかんだで、レフは斥候隊内に不動のポジションを築いているようだ。
問われるままに、今日1日の出来事を話して聞かせながら、自分の中で何となく、アデルバートに対する印象が変わり始めていることに、ルカは不思議な感覚を覚えていた。
――思っていたよりは話しやすい、かな?
国王という立場や俺様然とした態度に萎縮してしまっているだけで、アデルバート本人が苦手とまでは思わない。
闇雲に怯えることもないのかな、と思い立って、ルカは「そう言えば」と、この日初めて自分からアデルバートに話を振ってみた。
「今日は、ローザリンデ様にお会いしました?」
「――いや」
ルカの意図を図りかねた様子で、アデルバートが小さく首を横に振る。
どうやらあれからローザリンデは、彼に会っては貰えなかったようだ。推しへの感謝を込めて、ルカは昼間彼女に道案内をして貰ったことを話した。
「綺麗なだけじゃなくて、とっても親切な方でしたよ!」
アデルバートを振り返り、ローザリンデがいかに優しくて素晴らしい女性かを力説する。気持ち身を乗り出した、それはルカなりのエールでもあったのだが、アデルバートはわずかに眉根を寄せた。
「そなたは随分とベルトホルト公爵令嬢に肩入れするのだな」
何だか面白くなさそうな反応に、ルカは自分のプッシュが不発に終わったことを悟った。それどころかアデルバートは、「そなたは城内を1人で出歩くべきではないな。案内役を付けるようにするか」などと、ルカにとっては不名誉極まりない対策を練り始めている。
――違う、そうじゃなくて!
「……もっと優しくしてあげればいいのに」
拗ねたように呟いたのは、自分好みの女性に愛されるひとへの羨望もあったのに違いない。
「その気もないのに優しくなどせぬわ」
小さなぼやきに答えが返ってきたことに驚きながらも、ルカはアデルバートの様子をチラリと窺った。機嫌を損ねた風はない。
「あんなに美人なのに……」
グズグズと続けたのは、ルカの中にアデルバートに対して、既に「これくらいなら怒られないだろう」という基準が出来上がっているためだ。美女に愛されることを羨ましがるだけの子供を罰するほど、彼の度量は小さくない。
するとアデルバートは身を起こし、ルカの瞳を覗き込むように、凄味のある美貌を近付けてきた。
ニヤリと唇の端を歪めて笑うのには、ルカの反応を楽しむ意図があったのに違いない。
「――我はどちらかというと、可愛らしいのが好みだ」
「!」
悔しいけれど、ルカのイケメン耐性はまったく出来上がってはいなかった。
やっぱりか! てゆーか顔近い! このイケメンめ! と、心中で激しくツッコミを入れるものの、実際は何一つ言葉にならず、白くて滑らかな頬は、熟れた桃のように赤く染まる。
「ぼ、僕の周りの人達は、逆恨みされないように気を付けてるみたいです……!」
「ほぅ?」
ユージーンやジェイクを引き合いにしたルカの忠告を、アデルバートは羞恥からくる、苦し紛れの言い訳のように思っているらしい。
――違う、僕は綺麗な女のひとが好きなんだってば!!
フードの中で、レフがジタバタと暴れだした。
それに気付くよりも先に、ルカの反応に気を良くしたらしいアデルバートは、満足げな表情を浮かべる。チラリと時計(もちろん動力は魔石)に目を向け、小さく肩を竦めた。
「今夜はこれで解放してやる。ベリンダの機嫌を損ねる訳にはいかぬからな」
「…………はい……」
今夜はってどういうことですか? とは聞けなかった。
アデルバートもそれ以上は語らず、傍らに置いたベルを鳴らして、側仕えの者を呼ぶ。
果たしてルカは、ベリンダの予想通り、彼女の威光のお陰で無事に解放された。
精神的に疲れてしまったこともあり、帰還を喜ぶ仲間達に断ってから、早々にシャワールームに向かう。
しかし、その場に残されたレフが「危なくもう少して飛び出すところだったぜ」とアデルバートへの不信感を伝えてしまったことで、シャワー後も仲間達の質問責めに耐えなければならなくなったのだった。
24
お気に入りに追加
309
あなたにおすすめの小説

マリオネットが、糸を断つ時。
せんぷう
BL
異世界に転生したが、かなり不遇な第二の人生待ったなし。
オレの前世は地球は日本国、先進国の裕福な場所に産まれたおかげで何不自由なく育った。確かその終わりは何かの事故だった気がするが、よく覚えていない。若くして死んだはずが……気付けばそこはビックリ、異世界だった。
第二生は前世とは正反対。魔法というとんでもない歴史によって構築され、貧富の差がアホみたいに激しい世界。オレを産んだせいで母は体調を崩して亡くなったらしくその後は孤児院にいたが、あまりに酷い暮らしに嫌気がさして逃亡。スラムで前世では絶対やらなかったような悪さもしながら、なんとか生きていた。
そんな暮らしの終わりは、とある富裕層らしき連中の騒ぎに関わってしまったこと。不敬罪でとっ捕まらないために背を向けて逃げ出したオレに、彼はこう叫んだ。
『待て、そこの下民っ!! そうだ、そこの少し小綺麗な黒い容姿の、お前だお前!』
金髪縦ロールにド派手な紫色の服。装飾品をジャラジャラと身に付け、靴なんて全然汚れてないし擦り減ってもいない。まさにお貴族様……そう、貴族やら王族がこの世界にも存在した。
『貴様のような虫ケラ、本来なら僕に背を向けるなどと斬首ものだ。しかし、僕は寛大だ!!
許す。喜べ、貴様を今日から王族である僕の傍に置いてやろう!』
そいつはバカだった。しかし、なんと王族でもあった。
王族という権力を振り翳し、盾にするヤバい奴。嫌味ったらしい口調に人をすぐにバカにする。気に入らない奴は全員斬首。
『ぼ、僕に向かってなんたる失礼な態度っ……!! 今すぐ首をっ』
『殿下ったら大変です、向こうで殿下のお好きな竜種が飛んでいた気がします。すぐに外に出て見に行きませんとー』
『なにっ!? 本当か、タタラ! こうしては居られぬ、すぐに連れて行け!』
しかし、オレは彼に拾われた。
どんなに嫌な奴でも、どんなに周りに嫌われていっても、彼はどうしようもない恩人だった。だからせめて多少の恩を返してから逃げ出そうと思っていたのに、事態はどんどん最悪な展開を迎えて行く。
気に入らなければ即断罪。意中の騎士に全く好かれずよく暴走するバカ王子。果ては王都にまで及ぶ危険。命の危機など日常的に!
しかし、一緒にいればいるほど惹かれてしまう気持ちは……ただの忠誠心なのか?
スラム出身、第十一王子の守護魔導師。
これは運命によってもたらされた出会い。唯一の魔法を駆使しながら、タタラは今日も今日とてワガママ王子の手綱を引きながら平凡な生活に焦がれている。
※BL作品
恋愛要素は前半皆無。戦闘描写等多数。健全すぎる、健全すぎて怪しいけどこれはBLです。
.

続・聖女の兄で、すみません!
たっぷりチョコ
BL
『聖女の兄で、すみません!』(完結)の続編になります。
あらすじ
異世界に再び召喚され、一ヶ月経った主人公の古河大矢(こがだいや)。妹の桃花が聖女になりアリッシュは魔物のいない平和な国になったが、新たな問題が発生していた。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 設定ゆるめ、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

紅(くれない)の深染(こそ)めの心、色深く
やしろ
BL
「ならば、私を野に放ってください。国の情勢上無理だというのであれば、どこかの山奥に蟄居でもいい」
広大な秋津豊島を征服した瑞穂の国では、最後の戦の論功行賞の打ち合わせが行われていた。
その席で何と、「氷の美貌」と謳われる美しい顔で、しれっと国王の次男・紅緒(べにお)がそんな事を言い出した。
打ち合わせは阿鼻叫喚。そんななか、紅緒の副官を長年務めてきた出穂(いずほ)は、もう少し複雑な彼の本音を知っていた。
十三年前、敵襲で窮地に落ちった基地で死地に向かう紅緒を追いかけた出穂。
足を引き摺って敵中を行く紅緒を放っておけなくて、出穂は彼と共に敵に向かう。
「物好きだな、なんで付いてきたの?」
「なんでって言われても……解んねぇっす」
判んねぇけど、アンタを独りにしたくなかったっす。
告げた出穂に、紅緒は唐紅の瞳を見開き、それからくすくすと笑った。
交わした会話は
「私が死んでも代りはいるのに、変わったやつだなぁ」
「代りとかそんなんしらねっすけど、アンタが死ぬのは何か嫌っす。俺も死にたかねぇっすけど」
「そうか。君、名前は?」
「出穂っす」
「いづほ、か。うん、覚えた」
ただそれだけ。
なのに窮地を二人で脱した後、出穂は何故か紅緒の副官に任じられて……。
感情を表に出すのが不得意で、その天才的な頭脳とは裏腹にどこか危うい紅緒。その柔らかな人柄に惹かれ、出穂は彼に従う。
出穂の生活、人生、幸せは全て紅緒との日々の中にあった。
半年、二年後、更にそこからの歳月、緩やかに心を通わせていった二人の十三年は、いったい何処に行きつくのか──
【完結】だから俺は主人公じゃない!
美兎
BL
ある日通り魔に殺された岬りおが、次に目を覚ましたら別の世界の人間になっていた。
しかもそれは腐男子な自分が好きなキャラクターがいるゲームの世界!?
でも自分は名前も聞いた事もないモブキャラ。
そんなモブな自分に話しかけてきてくれた相手とは……。
主人公がいるはずなのに、攻略対象がことごとく自分に言い寄ってきて大混乱!
だから、…俺は主人公じゃないんだってば!
出戻り聖女はもう泣かない
たかせまこと
BL
西の森のとば口に住むジュタは、元聖女。
男だけど元聖女。
一人で静かに暮らしているジュタに、王宮からの使いが告げた。
「王が正室を迎えるので、言祝ぎをお願いしたい」
出戻りアンソロジー参加作品に加筆修正したものです。
ムーンライト・エブリスタにも掲載しています。
表紙絵:CK2さま
嫌われ公式愛妾役ですが夫だけはただの僕のガチ勢でした
ナイトウ
BL
BL小説大賞にご協力ありがとうございました!!
CP:不器用受ガチ勢伯爵夫攻め、女形役者受け
相手役は第11話から出てきます。
ロストリア帝国の首都セレンで女形の売れっ子役者をしていたルネは、皇帝エルドヴァルの為に公式愛妾を装い王宮に出仕し、王妃マリーズの代わりに貴族の反感を一手に受ける役割を引き受けた。
役目は無事終わり追放されたルネ。所属していた劇団に戻りまた役者業を再開しようとするも公式愛妾になるために偽装結婚したリリック伯爵に阻まれる。
そこで仕方なく、顔もろくに知らない夫と離婚し役者に戻るために彼の屋敷に向かうのだった。

あと一度だけでもいいから君に会いたい
藤雪たすく
BL
異世界に転生し、冒険者ギルドの雑用係として働き始めてかれこれ10年ほど経つけれど……この世界のご飯は素材を生かしすぎている。
いまだ食事に馴染めず米が恋しすぎてしまった為、とある冒険者さんの事が気になって仕方がなくなってしまった。
もう一度あの人に会いたい。あと一度でもあの人と会いたい。
※他サイト投稿済み作品を改題、修正したものになります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる