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第1部・第8話:俺様王と小悪魔系救世主

第3章

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    午後、ルカはネイトと共に、正エドゥアルト教会の本部へ向かった。
 ここには以前、ネイトが禁教徒の疑いを掛けられた際に、押収物保管庫へ調査に来たことがある。その時、祖母のベリンダが追跡魔法を用いて、盗難の犯人の特定に協力したため、孫のルカのことを覚えてくれている人も多かった。また、顔見知りではなくとも、魔王斥候隊せっこうたいへ加入するために教会の役職を離れたネイトに連れられていることもあって、ルカを「予言の子供」と判断するのは容易たやすいらしい。お陰で身分を疑われるようなこともなく、むしろ来訪を喜んでもらえるのはありがたかった。
 教団本部の前庭は、以前来た時とは随分様変わりしていた。真っ白な石造りが美しい教会や、付属の建物に変わりはないが、あちこちに急拵きゅうごしらえのテントが張られ、多くの人が行き交っている。手前のいくつかは支柱の屋根部分を幕で覆っただけのもので、主に軽症者の治療が行われているらしい。となると、奥の方の、視界を完全に遮る仕様のテントは、重傷者用だろうか。
 若い司祭に案内されながら、常にない喧騒に包まれた前庭を歩いていると、手近なテントの入口の布が跳ね上げられ、中から年配の司祭が飛び出してきた。キャソックの上に掛けた救護用の白いエプロンの所々が、血に染まっている。
 司祭はネイトを見掛けて、あからさまにホッとした様子で駆け寄ってきた。
「ベイリー神父! 良かった、いいところに……!」
 彼では手に負えない重傷者がいるのだろうか。疲労の色の濃い司祭の姿に、ネイトの表情が引き締まる。苦しむ民を放ってはおけない、聖職者の顔だ。
「ルカ」
 呼び掛けられ、ルカは「うん」と頷いた。ネイトは重傷者のテントにルカを連れて行くことを躊躇っている。ルカも、そんな緊迫した所へついて行って、邪魔になるのは遠慮したい。お互い教団本部内に居るのはわかっているのだし、何かあっても、すぐに駆け付けられるはずだ。
「頑張ってね」
 笑顔でネイトを送り出し、ルカは辺りを見回した。案内役の若い司祭に言うともなく、「僕も、何かお役に立てることがあればいいんですけど……」と呟く。
 すると、敷地の隅の方、鉄製の柵の側に、うずくまる小さな女の子が目に留まった。ルカの視線に気付いた司祭に促され、少女の元へ向かう道すがら、親とはぐれた子供であることを聞かされる。
 司祭が宥めるように話し掛けても、少女は俯いて、ただ涙を流すばかりだった。小さな子供の泣き方としては、とても健康的とは言い難い。子供と接し慣れていない司祭の様子からも、迷子のケアまで手が回っていないことは明白だった。
 物は試しとばかりに、ルカは小声で背後に呼び掛ける。
「――レフ、少しだけ我慢して」
『あ?』
 困惑したような思念波を敢えて黙殺させてもらって、ルカは背中に手を回し、フードからぬいぐるみ体のレフを取り出した。少女と視線を合わせるようにしゃがみこんで、両手で抱えたレフを、顔の横で軽く振って見せる。
「コンニチハー」
 ちょっとわざとらしいかな、と思いつつ、照れ笑いを浮かべたルカに、少女は驚いた様子で瞳を瞬かせた。手の中のレフは、微妙に身体を硬直させている。少女が小さく「カワイイ」と呟いたのは、レフのことだけだと思うことにして。
「どうしたの?」と問い掛けると、少女はまたしてもふにゃりと顔を歪めて「お父さんとお母さんがいないの」と涙を零し始めた。街がボロボロになって、怪我人もたくさんいて、大人達が血相を変えて駆け回る側に両親がいないというのは、さぞかし不安なことだろう。
 ルカは安心させるように、にこりと微笑んだ。
「じゃあ、僕と一緒に待ってようか」
 少女がこくりと頷いたので、ルカはこれを、この場所での己の任務と決めた。孤児院通いで身に着けた、子守りスキルの見せどころだ。
 神父に許可をもらって、ルカは少女と手を繋ぎ、教団の敷地内をゆっくりと巡ることにした。見たところ怪我はないようだし、連れ歩いた方が、彼女の両親の情報も集まりやすいかと考えたためだ。
 そうしてみると、今朝の混乱で親とはぐれた子供というのは、思いのほか多かったらしい。
 いつの間にかルカは、迷子達のお世話係になっていた。
 ぬいぐるみ状態のレフを使って、泣いている子を宥めたり、あやしたり、一緒に遊んでいるうちに、気が付けば、軽症の怪我人や彼らを治療する司祭達、王宮から看護師として派遣された侍女のお姉さま方から、温かい目で見守られている。
 どうやらルカは、今朝の戦闘での振る舞いから、『聖獣を連れた美少年』と噂されているらしかった。本人としては、とんでもない称号に恐縮するばかりだが、迷子達の親を探す合間に、清潔なタオルや包帯等を運んだりするだけでありがたがられるのは、さすがにちょっと照れくさい。

「――ルカ、そろそろ戻ろう」
 ネイトが迎えに来たのは、夜も更けてきた頃だった。汚れたキャソックに、彼の奮闘ぶりが窺えるようだ。
 ルカとしても、成果は上々だと言っていい。教団の施設内を歩き回った甲斐あって、「迷子はエドゥアルト教会本部で面倒を見てくれている」との噂が王都内に広まり、大半の子供は保護者が迎えにやって来た。最初に声を掛けた女の子も、手を振りながら両親と共に帰っていったし、中には片親が重傷を負って治療中であることが発覚したケースもある。
 残念ながら、何人かは親の行方がわからなかった。眠れない夜を過ごすことになったのは可哀想だが、少なくとも教団の手厚い保護は約束されている。「明日も絶対来るからね」と約束して、ルカはネイトと共に王宮へ戻った。
 街はまだ、落ち着いたとは言い難い状況のようだ。祖母や、他の仲間達の救援活動を想像しつつ、既に顔パスとなった通用門をくぐる。
 正エドゥアルト教の祭服さいふくをまとった一団に遭遇したのは、王宮の建物に入った直後のことだった。レフが子供の前に出されることに、異常に緊張している理由が「何をされるかわからない」からであり、たぶん「ライオン体か人間体なら平気」だと苦々しげな思念波を寄越すのを宥めていると、ネイトがハッとした様子でその場に跪ひざまずく。
猊下げいか……!」
 その尊称に、ルカはギョッと目を見張った。猊下というなら、それはエドゥアルト教の教皇以外にありえない。慌てて見様見真似の礼を取る。現代日本で生きてきたルカだが、宗教指導者の位の高さや、周囲からの敬われ方は理解している。この場合、一庶民でしかないルカには、地に伏す以外の選択肢はないのだ。
「良い良い」と鷹揚おうような声を掛けられて、ルカはネイトに促されるまま立ち上がった。
 白地に金糸の繊細な刺繍が施された、一際清潔で豪華な祭服をまとった教皇は、当然ながらルカの素性をよく理解している。魔王討伐(本来は斥候だが)への感謝に加え、一行が王都の復興支援に尽力していることを、情感たっぷりに褒め称えてくれた。
「私も今、支援について、陛下とお話しさせていただいたところだよ。ベイリー卿――」
 どうやら教皇一行は、優秀なナサニエル・ベイリー神父の意見を参考にしたい点があるらしい。教団内部での評価の高さのゆえだろうが――こうなっては、ネイトに逃れる術はなさそうだ。
「僕、先に戻ってるね」
 ネイトを気遣う意味もあって、ルカはにこりと微笑んだ。「おばあちゃんに報告もしなきゃいけないし」と付け足したのは、黄金のベリンダのネームバリューを利用させてもらうためでもある(申し訳ない)。
 それに、教皇は一見して優しいお爺さん風ではあるが、失礼があっては大ごとだ。緊張を強いられる場面から一刻も早く逃れたいというルカの想いが伝わったのか、ネイトは微苦笑を堪えながら「部屋の場所はわかるね?」と確認してくれた。
「大丈夫! ――失礼します」
 一団に向かってぺこりと頭を下げて、ルカは和やかな笑顔に見送られながら、その場を離れた。
 確か、この通路を左に折れて、真っ直ぐ行った先に階段が――。

「…………」

    数分後。ルカはものの見事に、広い王宮内で迷っていた。
 因果応報というか何というか、あの場から逃れたい一心で祖母の名を引き合いに出した、これが罰なのかもしれない。
    「迷ったんじゃねえか?」とレフに指摘されて、最初に引き返した通路が更に間違っていたらしく、まったく見覚えのない通路に出てしまった。
 今まで迷子のお世話をしていた自分がこれかと、情けない気持ちが込み上げてくる。
 ――いや、僕、ドジっ子属性とかないんで!
 必死に否定しながらも、取り敢えずルカは人影を探した。王宮の誰かに会えさえすれば、道を聞くことが出来る。
 しかし、行けども行けども人の姿はなく、改めて王宮の広さを思い知らされた。もしかすると、ルカが嵌り込んでしまったのは、普段の政務とはあまり関わりのないエリアだったのかもしれない。
 そうこうするうち、中庭らしき場所に出た。いつの間にか辺り一帯に、かぐわしい香りが満ちている。
 迷った末、ルカは庭園の中に足を踏み入れた。あまり背の高くない木々の向こうに見える通路に、見覚えがあるような気がしたからだ。
 整備された小径こみちを突っ切りながら、ルカは色とりどりに咲き乱れる見事な花々に驚いた。フードの中で、レフも「すげぇな」と感嘆の声を上げている。花に詳しくないルカにも、これくらいなら理解できた。丹精込めて整備された、ここはバラ園なのだろう。
「――誰だ」
 鋭い声に呼び止められて、ルカは文字通り飛び上がった。悲鳴を上げなかったことだけは、自分を褒めてやりたいと思う。
「すみません……!」
 厳しい誰何すいかに、反射的に謝罪を口にしながら、ルカは心中で絶叫していた。雅な噴水の縁に腰掛けているのは、誰あろう、国王アデルバート2世その人だったからだ。
 膝の上に載せた、大きくて上品そうな猫の背を撫でながら、アデルバートは硬い表情を崩さずに「予言の子供か……」と呟いた。
 あの短い謁見のあいだ、それなりに距離もあったはずなのに、姿だけでルカを認識してくれているとは思わなかったが、黄金のベリンダの孫、予言の子供という大層な触れ込みがある以上、それも不思議なことではないのかもしれない。
「この庭園に、我以外の立ち入りは禁じられていると知ってのことか」
「――!」
 凄味のある美貌に射竦められて、ルカは心中でまたしても絶叫を上げた。知らないし、誰もそんなこと教えてくれなかった! ――というのも、実はこのエリア、ルカ達斥候隊に与えられた部屋とは真逆の位置に当たる。誰も教えてくれなかったというのは、そのまま「教える必要性を感じられなかった」という意味であるため、後で事実を知ったルカは、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをすることになるのだが、取り敢えずこの場では知る由もない。
 道理で周辺にひと気がないはずだ。誰かに道を聞きたいとは思っていたけど、それが国王であるというのは、さすがにシャレにならない。
「………………すみません、迷子です……」
 逡巡ののち、ルカは白状した。立入禁止エリアに踏み込んだ上、国王の思索を邪魔したのだから、どれだけ情けなくても、正直に話して情状酌量を願う以外に道はない。
 無念さを堪えるルカの様子がおかしかったのか、アデルバートは一瞬面食らった後、小さく吹き出した。
 驚いたのはルカの方だ。そうしていると、完璧な造形ゆえに取り付きづらい印象を与えがちな美貌が、幾分か親しみやすく感じられる。
 笑うアデルバートに居心地の悪さを感じたらしい猫が、膝から飛び降り、ルカの方へ近付いてきた。足元に擦り寄られ、ルカはこんな状況だというのに、思わずしゃがみこんで、上品な猫を撫で回す。初対面で懐かれるのは珍しいことではないが、やっぱり嬉しいものだ。フードの中で、レフが嫌そうに身じろいでいる。
 ひとしきり笑った後で、アデルバートは、ルカがやって来た方向を指差した。
「入り口へ戻れ。そこを出て真っ直ぐ右に向かい、突き当たった階段を上がるのが、一番わかりやすかろう」
「は、はい!」
 戸惑いながらも、ルカは教えられた道順を復唱し、しっかりと頭に叩き込んだ。上品な猫に「じゃあね」と別れを告げ、立ち上がる。
「あの……ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げたルカに、アデルバートは静かに頷いた。もう行け、ということだと判断して、踵を返す。
 やって来た木々の間に紛れ込もうとする直前、アデルバートの声が追って来た。
「――もう迷うなよ」
 振り返ると、思いがけず優しい表情がこちらを見詰めていた。謁見の時と比べて、少しだけ顔色が悪いように見えるのは、月明りのせいだろうか。鼓動が大きく跳ね上がり、ごまかすように「エヘヘ」と微笑む。
 教えられた通路を従順に辿りながら、ルカは考えた。
 ――ドキドキはしたけど、王様、そんなに怖い人だったかな?
 最短ルートではなく、ルカにとって一番わかりやすい道順を教えてくれたらしいことは、すぐにわかった。横暴な王様だったら、罰せられることにもなったかもしれない。しかし、少なくともアデルバートは、ルカをあれ以上叱責することはなかった。
 ――どんな人でも、実際に会ってみないとわからないものだ。
 すっかり拗ねてしまったレフをフードから取り出し、たてがみを撫でながらあやしているうちに、ルカは何とか無事に部屋へ帰り着いた。
 半狂乱のネイトに抱き締められ、「もう絶対に一人にはさせない」と超絶過保護な誓いを立てられてしまったのは、まあ仕方のない話だったかもしれない。
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