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第1部・第6話:ユージーン

第3章

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 ルカ達の暮らす家は、小高い丘の上に建っている。
 麓の街から続く一本道は、まずは見通しの良い草原の中を走り、続いて丘の中腹辺りで、ポツポツと樹木に囲まれ始める。これが頂上付近になると、程好く陽射しの降り注ぐ明るい林を形成して、住まいに巡らされた天然のカーテン目隠しになってくれていた。
 この現象をベリンダの魔法によるものと信じる人もおり、良くも悪くも彼女の神秘性を高めた結果、ルカ達は余人よじんの視線を気にすることなく、穏やかに暮らせているのである。
「――!」
 ジェイクと別れ、トボトボと家まで戻ってきたルカは、反射的に林の中に身を潜めた。人の声が聞こえた気がしたからだ。
 背の低い樹木にぶつからないよう気を付けつつ、話し声のする方へ向かう。身体を捩り、背を屈めながら近付いていくと、女性の、ちょっと媚びるような笑い声が響いた。同時に木々の間に見えてきたのはやはり、ユージーンと、昨日の赤毛のお姉さんだ。ルカが遠目に予測した通り、ブラウン系のチェックのワンピースをまとう姿は、ふわふわとしていて可愛らしい。ユージーンと同じか、少し年上くらいに見える。
 祖母は昨日に引き続き、王都での会議に駆り出されて不在、ルカもジェイクを訪ねて留守にしていた間の密会なのであれば、こんなに面白くないことはない。ルカはムッとして、良くないこととは知りつつも、ふたりの会話に聞き耳を立てた。
「――すみません。昨日もお話ししたように、僕は貴女のことをよく存じ上げないので……」
「だからこそ、お互いを知る時間が必要なんじゃないですか。ちょっと休憩して、お喋りしましょうよ」
「……?」
 木の陰に潜んだまま、ルカは眉間に皺を寄せた。どうも様子がおかしい。これが親しい男女の会話だろうか。グイグイ押していく女性に対し、ユージーンの方は明らかに戸惑っている――というか、引いている?
 尊敬するベリンダからの課題をサボるなどという意識は持ち合わせていないらしいユージーンは、ハッと思い付いた様子で言葉を継ごうとした。うまいお断りの口実を見付けたようだ。
「僕は、修業中の身なので……」
「だからって、あんまり一つのことを思い詰めてたんじゃ、効率も悪くなっちゃうわ。だから、私とお付き合いしましょう♪」
 ――やっべ。
 薄気味が悪くなって来て、ルカは思わず身震いした。女性はユージーンの話をまったく聞いていない。会話の体を取ってはいるが、自分の主張を押し付けるばかりで、相手が拒絶を示しているのを理解する気がないのだ。ちょっとでも可愛いと思ってしまった数瞬前の自分まで、とても残念に思えてくる。
 よくよく話を聞いてみると、赤毛の女性はどうやら、この町の住人ではないらしい。親戚だか何だかを訪ねてやって来たハーフェルの町中で、ユージーンを見初めた。その後も何度か姿を見掛けるうちに恋心が募り、交際を迫るために押しかけてきたようだ。
 きっと、その親戚だか何だかが、黄金のベリンダの秘蔵の弟子に無理矢理迫るという彼女の行状を知ったら、卒倒するに違いない。
 ――ストーカーって、こっちでも通じるのかな。
 ルカがドン引きしている間も、女性の主張は留まるところを知らなかった。
「あなたを初めて見た時に思ったんです、絶対に私の運命の人だって! こんなに素敵な人、見たことないもの。私きっと、あなたと逢うためにこの町に来たんだわ!」
「…………」
 対人関係において、常にスマートなユージーンが、言葉を失った様子で頬を引き攣らせている。女性の好意をかわすことには慣れていても、こんな一方的で強引なアプローチを受けたことがないからだろう。
 困ったような幼馴染みの表情と、女性の薄っぺらい愛の言葉に、ルカは徐々に怒りを覚え始めていた。
 ユージーンは何度も拒絶を口にしている。しかし、女性は都合の悪い言葉をスルーするばかりで、埒が明かない。
 そして何より許し難いのは、彼女がユージーンについて知ろうともせぬまま、愛を語ることだ。
 ――それって、外見しか見てないってことじゃん!
「――失礼なこと言わないで下さい!」
 思った時には、ルカは腹の底から声を上げていた。自制心はどこかへ吹き飛び、怒りのままに木の陰から飛び出してしまう。
「それって、顔以外はどうでもいいって言ってるのと同じだって、わかんないかな!?」
「ッ、ルカ……!?」
 突然姿を現したルカに、ユージーンが息を呑んだ。人の気配に敏感な彼が、気配の消し方などまったく心得のないルカの登場にこれほど驚くからには、よほど集中力を欠く状態だったのに違いない。
 その元凶である女性もまた、小さく悲鳴を上げてルカを振り返った。しかし、第三者の乱入を確認するや、キッとまなじりを吊り上げて、ルカに食って掛かる。
「私、そんなつもりじゃ……」
 ――いいや、反論は認めない!
 ルカは二人に向かって一歩踏み出した。狼狽えた女性が身を引くのに合わせて、ズンズンと距離を詰める。
「そりゃあね、これだけカッコイイんだから、ユージーンに憧れてる人はたくさんいると思うよ!? 本気で付き合いたいって思ってる人もいると思う。でも、段階ってあるじゃん! ユージーンがどんな人かも知らないのにまずは付き合ってくれって、それって顔しか見てないってことでしょ!」
 ユージーンは、半ば呆然とした様子で、ルカの主張を聞いている。
 そして、その視線に気付けないほど、ルカは怒りに震えていた。
「お前は顔だけだって言われて、嬉しい人がいると思う!?」
「……ッ」
 何事か反論しようと大きく口を開けた女性が、そのまま言葉を飲み込んだ。ショックを受けたように唇を噛み締める。告白に割り込まれたことに腹を立てるのは当然としても、その相手が「超」のつく美少年であることに気付いて、妙な説得力を感じてしまったらしい。
 ――ああ、確かに。ユージーンは子供の頃から綺麗だった。そのせいで、随分嫌な思いもしてきただろう。
 でも、彼の魅力はそれだけじゃない。優しくて頭が良くて、ちょっと傷付きやすいところもある、とても素敵なひとだ。

「――もっとちゃんと、ユージーンのこと見てから言ってあげてよ!」
「!」

 女性とユージーンが揃って、ハッとしたように目を見開いた。
「ご、ごめんなさい……!」
 彼女が反射的に謝罪を口にしたのは、ルカの乱入が邪魔をするためではなく、ユージーンを想っての行動であることと、自分がこれまでユージーンに失礼な発言を繰り返していたことの、両方に気付かされたからだろう。
 まるで憑き物が落ちたかのように、オロオロと詫び続ける女性に向かって、ユージーンがにこりと微笑んだ。この場の誰よりも早く落ち着きを取り戻したのは経験値の差か、それとも、ルカの発言のお陰だろうか。
「お気持ちは、とても嬉しいです」
 半泣きの女性に向かって穏やかに語り掛けながら、その一方で、激情に震えるルカの肩を引き寄せる。あやすような、それでいて庇うようなユージーンの仕草に、ルカは拗ねたように口を噤むしかない。
 可愛らしい表情を優しく見下ろしてから、ユージーンは「でも」と女性に向き直った。
「でも、僕は貴女を知らない。彼が言うように、貴女も僕のことを何も知らないでしょう。――でしたら」
 全開の笑顔に他意はない。営業用スマイルは、こういった相手を邪険に扱って、万が一にも恨みを買わないための手段だ。
 ユージーンは、ルカを抱くのとは反対側の手を、スマートな所作で差し出した。
「まずは、お友達から始めるというのはいかがですか?」
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