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第1部・第5話:フィンレー

第2章

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 親友のルカと、その保護者である黄金のベリンダの訪問を受けた翌日。
 グリテンバルド州都ベントハイムの外れにある領主館りょうしゅやかたの執務室で、フィンレー・ボールドウィンは慌ただしく通信会談の席に着いた。相手は東隣に位置するコノール州の領主である。本来ならば対等な立場で行われるべき会談だが、現領主であるヘクター・ボールドウィンは魔王討伐隊結成に先駆けて王宮へ招聘しょうへいされており、帰宅まではまだ数日掛かるとあって、全権を委任された息子のフィンレーが出席することとなった。
 ――さて、事件が起こったのは、2日前のこと。
 グリテンバルドの南西隣、ケネスウィック州モレーンで取引を終えたコノール州の商団が帰路、グリテンバルド州内の街道沿いでの夜営中を、何ものかに襲われた。目的は物資の強奪だったようで、団員達はその場から一斉に逃げ出したため、人的被害が最小限に抑えられたことは、不幸中の幸いだったと言える。
 問題は、この商団が犯人として、近くの町に宿泊していた、ベントハイムの商団を槍玉に挙げたことだ。現場に残された馬の死骸や馬車の残骸等から、相手は魔物である可能性が高く、これを指揮して略奪を行ったのなら、魔王軍の侵攻であることも考慮しなければならない。しかし、被害を受けた商団は、末端の団員に至るまでのすべてが、魔物など見ていないと証言し始めた。
 魔王軍の仕業であるなら、国に情報を上げた上で、対策を講じなければならない。が、商団同士のいさかいならば、事の是非を明らかにした上で、損害賠償などの手続きも絡んでくる。対応を急がねばならないのは同じでも、講じる手段がまったく変わってくるのだ。
 そして、状況から見ても、コノールの商団の証言は怪しかった。魔王軍に襲われたのであれば、国と州から保険が下りるが、さすがに全額とまではいかない。一方で、相手が人間であれば、被害者として犯人に全額補償を訴えることが出来る。恐らくはそれを狙ってのことなのだろう。
 状況は明らかだったが、当該商団が他州の所属とあって、事は慎重を要した。検証は両隣の2州にまたがるため、早急に手を打たねば、本来の魔王軍の侵攻への対策が遅れる恐れもある。
 コノールの領主から通信会談の連絡が来たのは、今朝方のことだった。
 離れた場所での会話は、魔石ませきを使って行われる。エコーロケーションの習性を持つ魔物のコアに、強力な転送魔法を掛けて生成されるものだが、当然ながら非常に高価で、私用で持ち出す者はまず居ない。使用するごとに魔法の効果が薄れ、重ね掛けを繰り返しても、3回の通信に耐えられれば良い方という、非常にデリケートな製品でもあるからだ。
 この貴重な石を用いての通信会談、父の不在時に他州と揉める訳にもいかない。
 誠実な態度で会談に臨んだフィンレーだったが――

『――では、そのように』
「! 待ってください!」
 議論の余地なく言い切られて、フィンレーは耳を疑った。
 コノールの領主は、被害に遭った商団の言い分を全面的に支持し、ベントハイムの商団に賠償金を支払わせるよう要求してきたのだ。現場は明らかに、コノールの商団の偽証を物語っているのにも関わらず。
 憤りに震え、フィンレーはデスクに着いた両手を強く握り締めた。
「現場に残された襲撃跡は、明らかに魔物のものです!」
 現地に入ろうともせず、事件の一報と通信会談だけで判断してよいものではない。事の真偽はどうあれ、被害者と犯人(とされた者達)が存在するのだ。双方への聴取、現場や関係各所の捜査等、打てる手はすべて打たねば、冤罪が発生してしまう。領主は領民達が安全に暮らせるよう、常に気を配らねばならない。それは、未熟なフィンレーであってもわかっていることだ。
 しかし、デスク上に映し出されたコノール領主の酷薄こくはくそうな表情は、ぴくりとも揺らがない。
『彼らは「魔物など見ていない」と言っているのでしょう。では、彼らの言う通り、そちらの商団が犯人なのでは?』
 ――そんな暴論があってたまるか。
 フィンレーは舌打ちしそうになるのを何とか堪えた。
 どうやらコノール側は、襲撃が魔物や魔王軍によるものであって欲しくないらしい。理由はおそらく商団と同じ――補償金だ。被害の総額ではないとはいえ、決して少なくはない金額、あらかじめ予算は組んであるだろうが、使わなければ余剰分として他へ回すことも出来る。当人達が、国と州から貰える金額では足らぬ、襲撃はあくまで他商団から受けたものだと言い張るなら、州にとっても都合がいいという訳だ。
 罪を着せられるのは、あくまでグリテンバルドの商団なのだから。
『コノールとしては、法に従うのみです』
 冷徹な口調には、それ以上の議論を許さぬ、はっきりとした拒絶が感じられた。
 理を説けば何とかなる相手ではない。穏便に済ませればと思っていたが、考えが甘かったようだ。
「――我々は、このまま調査を続行いたします」
 怒りに目が眩みそうになるのを必死で堪えながら、フィンレーは通信を終えた。

「――ッ」
 憤りを抑えきれず、右の拳をデスクに叩き付ける。
 幼い頃から仕えてくれている補佐官が、ビクリと肩を震わせた後、労わるような表情で近付いてきた。
 その視線から逃れるように、フィンレーは握った拳に額を押し当て、デスクに身を伏せる。
 ――やはり、父でなければ侮られるのか。
 完全なる失敗に終わった会談の内容が脳裏を駆け巡り、激しい焦燥と自己嫌悪に苛まれる。
 フィンレーは今朝の時点で、一度会談を断っていた。3州に渡る調査にはそれなりに時間が必要で、現時点では充分な情報が集められているとは、とても言い難い状況だったからだ。
 にも関わらず通信会談が強行されたのは、現領主であるヘクター・ボールドウィンが帰還する前に、若輩者じゃくはいものの跡取り息子との間で、コノール州にとって有利な方向で話を纏めてしまおうとの魂胆があったのに違いない。
 そして実際にフィンレーも、その軽視を覆すことが出来なかった。完全なる力不足だ。
 ――俺は未熟だ。
 自戒と反省に胸を焦がしながら、フィンレーは固く目を閉じる。
 フィンレーの人生は、常に父の影と共にあったといっても過言ではない。
 救国の大剣士、ヘクター・エルヴィス・ボールドウィン。その功績は他国にも広く知れ渡り、剣の道を志す者達の尊崇そんすうの対象とされてきた。彼のただ一人の息子であることは、フィンレーにとっての誇りであり、自分もいつかは父のようにと望むのも、ある意味では当然だったと言える。
 しかし、無邪気に憧れていられたのは、実際に剣を取るまでのことだった。
『このくらい出来て当然』
『あなたの年頃なら、ヘクター卿は』
『これが出来ないのなら、とてもお父上のようには』
 何をこなし、何を身に着けても、指導者達は口を揃えて父の功績を褒め称える。
 次第にフィンレーは、偉大な父と比べられることにんでいった。実際彼は、よくできた生徒だったはずなのだ。同年代の貴族の子弟と比べても、圧倒的に強く、飲み込みも早い。それでも周囲は、骨格から造りの違う親子を同列で語り、息子は圧倒的に劣っていると結論付ける。
 そんなフィンレーが卑屈にならず、正しい道に踏み止まれたのは、優しい母の存在があったからだ。
『あなたはよく頑張っているわ。それはお父様も認めてくださっているから大丈夫』
 豪放磊落な夫と、比較されることで傷付く息子との間を、母はそんな風にして取り持ってくれた。フィンレーが父からの愛情を疑わずに済んだのも、母の献身があってこそだ。
 けれど病弱だった母は、フィンレーが8歳の時にこの世を去った。多忙な父との間には距離が生まれ、大人達から聞かされる言葉は毒のやいばとなって、まだ幼いフィンレーの心を抉り続ける。
 ――ルカと出逢ったのは、それから約1年後。精神的にも、いよいよ潰れかけていた頃のこと。
『フィンレーはすごいね!』
 黄金のベリンダに連れられてやって来た、まるで女の子のように可愛い少年は、フィンレーの自主練を見て、興奮したように叫んだ。
『……別に、普通だよ』
 キラキラした目を向けられ、戸惑いながら不愛想に答えたフィンレーに対し、ルカは小さな頭をぶんぶんと横に振る。
『誰も見てないのにちゃんと練習してる、フィンレーはエライよ』
 僕だったらたぶんサボっちゃうね、と。
 誰にも評価されない個人練習を認められて、フィンレーは言葉を詰まらせた。剣など取ったこともないようなか弱い少年は、まるで太陽のような大輪の笑顔を咲かせる。
『お父さんは、わかってくれてるはずだよ』
 二つの世界を行き来しているというルカにも、フィンレーの父親が誰かという認識はあったのだろう。だが、ルカはフィンレーの置かれた状況を知らない。フィンレーの抱えた、生まれながらの苦悩など知るはずもないのに、彼は亡き母と同じ言葉をくれたのだ。
 堪えきれず、その場にうずくまって泣いたフィンレーの頭を、もっと幼いルカは、黙って優しく撫でてくれた。
 ――ルカはいつでもそうだ。難しいことは言わないけれど、欲しい言葉を掛けてくれる、暖かくて、大切な存在。
 この時から、二人は無二の親友になった。成長し、更なる実力を付けていく中で、フィンレーを露骨に父と比べる者は減っていったし、誰彼となく好かれるルカの周りに危険な人物の存在も見え隠れするようになって、フィンレーは大事な親友を守るためにも、より一層の精進を重ねてきたつもりだった。
 その、はずなのだが。
 ――こんなことではいけない。
「…………」
 上体を起こし、フィンレーは大きく肩で息をついた。気遣わしげな補佐官をてのひらで制し、椅子の背もたれに深く身を預ける。
 ルカから斥候隊せっこうたいに誘って貰えたことは嬉しい。討伐隊の時とは違い、今度こそ、名を挙げる千載一遇のチャンスだとも思う。
 しかし、己の未熟さへの懸念が、二の足を踏ませた。参加すると即答できなかったこと自体が、自分でもショックだ。
 ――断ってしまった訳ではない。事件さえ片付けば、自由に動くことも出来る。
 斥候隊への加入は保留という形を取っており、自ら機会を潰してしまった訳ではないのだと自分に言い聞かせながら、フィンレーは補佐官に指示を与えるべく、姿勢を正した。
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