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第1部・第4話:ネイト
第1章
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その日ルカは、魔法の修業を終えたユージーンと共に、シェリルのお見舞いに来ていた。
シェリルは、ルカのもう1人の幼馴染み・ジェイクの妹であり、先日魔物に襲われて怪我を負っている。療養中に駆け付けたルカへのお礼ということで、美味しい白桃のタルトを届けてくれたため、ルカ達はこれに対する祖母からのお返しの品を渡すという使命も帯びていたのだ。
捻った足を庇う目的から、椅子に座って店番をしていたシェリルは、大魔法使いベリンダ謹製の安眠サシェと退魔の香水を、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで喜んでくれた。ベリンダのハーブ製品は、植物本来の効能を魔法の力で極限まで高めているため、元々市場価値は高い。中でも花の香りを抽出して作った香水類はオシャレアイテムとしての評価も高く、蝶を象ったボトルに詰められた、ピオニーの香りの付いたピンク色の退魔の香水は、王都の女性貴族達の間で、高値で取引されていると聞く。ベリンダが利益目的で売りに出している訳ではないので、その希少性は推して知るべしというところだ。
『ありがとう、大事に使うわ! ベリンダさんにもよーくお礼言っといてね!』
『う、うん……』
自分の贈った、シェリルの瞳と同じ色の花束が、彼女のベッドサイドに大事に飾られていることを知らないルカは、この熱狂ぶりに「やっぱり女の子だなぁ」と気圧され気味に頷いた。
一方でユージーンはというと、シェリルの好きな洋菓子店で買ってきた焼き菓子の詰め合わせを「皆さんで召し上がってください」と優雅な仕草で差し出し、受け取ったおばさんをうっとりさせていたのは、さすがというほかない。
その後、辞去するタイミングで店に顔を出したおじさんに、倉庫の補修に使うボルトが足りなくなりそうなので買ってくるように言い遣ったジェイクと一緒に店を出て、3人は金物屋へ向かった。エヴァンズ薬剤店から一番近い金物屋は、大通りの外れにある。ルカ達の家のある丘へ抜ける方向でもあるため、そぞろ歩きを楽しむにはちょうどいい距離だ。
幼馴染みだけになると、話題は当然のように、斥候隊のことになった。ジェイクは既に家族の了承を得ているため、ルカがベリンダの提示した「自分を守ってくれる人を3人連れてくること」という条件を達成し、彼女がこれを認めれば、すぐにも出立ということになるだろう。まずは王都に向かう予定だが、こちらの世界に定着して間もないルカと同様、商売人の家に生まれたジェイクも、旅行などとは無縁の生活を送ってきた。クールな彼よりも家族の方が浮き足立っている様子を聞くと、妙に微笑ましい気持ちになる。
急に口数の少なくなったユージーンのことが気になって、ルカが声を掛けようとした時。
「――ルカ!」
大通りの中心部方面から名前を呼ばれて振り返ると、見慣れたキャソック姿の青年が駆け寄ってくるところだった。濃い金色の髪が、黒い制服によく映える――この町に唯一の正エドゥアルト教会の司祭、ネイトことナサニエル・ベイリーだ。
「ネイト……ッ!」
ルカが呼び掛けるのと、ネイトにしっかりと抱き締められるのは、ほとんど同時だった。訳あって、ルカを女神かその使徒たる天使かの如く慕うネイトの愛情表現はとてもストレートで、いつも困惑させられる。悪気がある訳ではないのは知っているので、圧倒されつつも好きにさせているというのが現状だ。幼馴染み達と比べれば幾らか小柄で細身に見えるネイトも、実際は適度にガッシリとした身体付きをしているため、ルカの力で拘束を振りほどくのは、なかなかに困難なのである。
「今日はどうしたの?」
熱烈な抱擁の中から何とか顔を上げて、ルカは小首を傾げた。夕刻も近付いた田舎町の大通りの外れには人通りもまばらで、成人男性に抱き締められているところを目撃される危険性が少ないのは、ルカにとっては幸いといえる。だがそれだけに、布教活動と同時に小規模ながら孤児院も抱えた多忙な教会の神父が、フラフラと出歩く時間帯ではないようにも思われた。
「手紙を出しに来たんだよ。なんて素敵な偶然だろうね」
額も着かんばかりの距離で、ルカの両目を愛おしげに覗き込みながら、ネイトが答えた。幼馴染み2人がそれぞれ別の方向へ目立つ容貌をしているため忘れそうになるが、笑顔の印象の強いネイトも、真面目な表情になれば、それなりに端正な顔立ちをしている。恥ずかしいやら照れくさいやらで、ルカはサッと頬を赤らめた。誤魔化すように視線を逸らし、「だからか~」などとどうでもいい相槌を打つ。郵便局があるのは大通りの中心部なので、彼がそちらからやって来たのも当然のことだろう。
そこでネイトの腕を掴んだ者がある――怒りと嫌悪を露わにしたユージーンだ。
「人目があります、離してください神父様」
尤もらしく道義を説いてはいるが、実際は、挨拶代わりにルカを抱き締めて離さないことへの牽制であるのは言うまでもない。
斥候隊加入の際、改めて『ルカを(悪い虫からも)守る』と決めたジェイクも、ルカとネイトの顔の間に無理矢理掌を差し込んで来た。
「神父が白昼堂々セクハラはないだろ」
ニヤリと口許を歪めて見せるが、目は笑っていない。
対するネイトはというと、間近に2つの攻撃的な視線を受けても、動じることはなかった。
「――ああ、君達も居たんですか。私は聖職者ですからね、穢らわしいものは認識出来ないのかもしれません」
ニッコリと笑顔を浮かべたまま、聞くに耐えない猛毒が吐き出される。町の人達が側に居たら、目を疑ったに違いない。
ユージーンの綺麗に整った顔が憎悪に歪められ、ジェイクが不快げに舌を鳴らす。
ネイトは普段から常に朗らかな人物で通っているが、内面は多分に厭世的で、毒舌家でもあった。社会的な体面を保つためにと笑顔を絶やさずにいても、実際は冷ややかな目で物事を見ている。彼の神聖視するルカとの間を邪魔する者への扱いたるや、もはやゴミ以下だ。
「ちょっと、やめてよ……」
険悪なムードに、ルカは思わず制止の声を上げた。幼馴染み2人とネイトは、絶望的に相性が悪いらしく、寄ると触ると喧嘩になる。争いの火種であるルカ自身がこんな風に考えているのだから、毎度一触即発の事態に陥るのは免れない。
3人を引き離すには、早々にこの場を立ち去る以外にないだろうか、とルカが本気で思案を始めた時、思わぬところから助け船が入った。
ネイトの名を呼びながら、1人の男が歩み寄ってくる。
「――ここに居らしたんですか」
友好的な笑みを浮かべた30代半ばと思しき男は、ネイトと同じ黒いキャソックを身に着けており、一目で聖職者であることがわかる。
ルカが「知らない顔だ」と認識するよりも先に、ネイトの拘束が解かれた。驚いたのはルカだけでなく、強情な腕を引き剥がさんと奮闘していたユージーンとジェイクも同じだったようで、肩透かしを喰らったように、それぞれがたたらを踏む。
さすがのネイトといえども、同僚に美少年を羽交い絞めにしている姿を見られる訳にはいかないとの自制心が働くのだろうか。
戸惑いながら目線を交わし合う3人に対して、男は紹介を求めるようにネイトを見やる。
しかしネイトはまず、ルカ達に向かって、男が何者であるのかを明かした。
「こちらは、王都の教団本部からお見えの、フランツ・ロッシュ神父です」
特に気にした風もなく、ロッシュは「よろしく」と気さくに頭を下げる。
ユージーンがルカを庇うように一歩前に進み出て、「初めまして」とにこやかに応じた。それを手本に、ルカもユージーンの影から「こんにちは」と挨拶を返すと、背後でジェイクが「どうも」と軽く頭を下げる。
そういえば、数日前に教会を訪ねた時、本部から誰かが来るとかで子供達が騒いでいたが、この男のことだったのか。
ルカがひっそりと納得していると、ネイトは3人を指し示すように掌を掲げ、ロッシュに向き直った。
「こちらは、お若いのに教会の活動に理解を示してくださっている、熱心な信徒の皆さんです」
「「「……!」」」
ふんわりとした曖昧な説明に、3人はまたも揃って瞠目した。ユージーンとジェイクに関してはいざ知らず、ネイトが大事な大事なルカまでを一括りにするとは、到底信じられない。
更にネイトは3人に向かって、「さあ」と労るような笑顔を向けてきた。
「暗くならないうちにお帰りなさい」
「……」
いつもなら、ルカを引き留めて離さないはずのネイトの行動に、ルカ達は混乱した。しかし、何となくではあるが、ロッシュ神父にこちらの素性を明かしたくないのだろうという意図は感じる。
それぞれに違和感を覚えながらも、ルカ達はひとまずネイトの方針に従った。
「「「サヨウナラ神父様」」」
他人行儀な別れの挨拶がピッタリ揃っていたのは、幼馴染みである所以だろうか。
少々棒読みだったことに関しては、ネイトに申し訳ないと思っている。
●
『今日の午後からなら時間が取れそうだから、領主館へ行きたければ、連れていってあげられるけど?』
今朝になって、急に祖母のベリンダから「どうする?」と打診を受けたルカは、再び町に降りてきていた。親友のフィンレーに会うだけなのだから、手ぶらで行っても問題はないし、一庶民が領主の息子へ手土産というのもおこがましい気はする。しかし、気さくなフィンレーは商店街のパン屋のアップルパイが大好物だったし、ルカとしても午後までの時間を手持ち無沙汰に過ごすよりはと考えた。自分も一緒に食べられればいいな、というだけで、賄賂などでは決してない。
そんな訳で、ルカは町で人気のパン屋さんへ向かっていた。今日は丸1日オフということになったユージーンも、当たり前のように付き添ってくれている。こういった時、以前は「1人で行けるよ」と言い張っていたルカも、その都度「一緒に行きたいんだ」と押し切られることを繰り返して、いつの間にか彼の同伴に慣らされてしまった。せっかくの余暇を自分のために浪費させるのは申し訳ないとは思うものの、当の本人がそうしたいというものを拒む理由は、取り敢えずルカにはない。
――祖母はきっと、ルカがフィンレーを斥候隊にスカウトしようとしていることに気付いている。彼女もまた、幼い頃から素直で実直な公子の人となりを、間近で見守ることのできる立場にあった。剣士としてのフィンレーの能力と、父や領民達への責任感。そして何より、ルカとの精神的な結び付きは、他の誰にも引けを取るものではないからだ。
ベリンダの申し出は、可愛い孫の心中を慮ってのことだったのだろう。ルカとしても、これを利用させてもらわない手はなかった。何しろ領主館までは馬で6時間の距離、乗り合い馬車などの手段を取ろうものなら、それこそ半日仕事になる。祖母の魔法で瞬間移動出来るなら、これに越したことはない。
討伐隊に参加できないことを悔しがっていたフィンレーのこと。きっと二つ返事で、斥候隊加入を了承してくれるはず。
他愛もない会話を交わしながら、二人はお目当てのパン屋へ辿り着いた。人気店らしく、いつ来ても、店内は適度に賑わっている。
隣を歩いていたユージーンが、自然な足運びでサッと進み出て、ドアを開けてくれた。
「――どうぞ」
「……ありがと」
俯きがちに、芳ばしい香りの満ちる店内へと歩を進めながら、ルカはほんの少しだけ居心地の悪さを感じていた。ユージーンの所作は、どこからどう見ても、完璧なエスコートだ、女性を相手にするような。
きっとユージーンは、師である祖母が相手でも同じことをしてみせただろう――しかしルカは、同性の幼馴染みである。人に見られるのは、普通に恥ずかしい。
「あらぁ、二人ともよく来てくれたわねぇ」
ルカの杞憂を吹き飛ばすかのように、店主のおばさんは二人の来店を喜んでくれた。それを合図にしたかのように、店内のあちこちから挨拶が飛んでくる。残念ながら若いお姉様方は、軒並みユージーンの美貌にうっとりしている様子なのが、ちょっと悔しい。運良く焼き立てだったホールのアップルパイをトレイに載せながら、ルカは年輩のご婦人方に、いつも以上に愛想を振り撒いた。
「――ねぇルカちゃん。神父様のとこのお客様、知ってる?」
店主のおばさんが思い出したように聞いてきたのは、会計を済ませ、おばさんの娘さんが化粧箱に簡単なラッピングをしてくれている時のことだ。
ルカの脳裏を、30絡みの凡庸な姿がよぎる。顔は細部まで思い出せないが、教団本部から来たとかいう、あの人のことだろう。
「昨日会ったよ。えーと……」
「ロッシュさんだったかな?」
ルカが言い澱むのを引き受けるように、ユージーンが明晰な頭脳を発揮する。初対面で、自分とあまり関わりのない人物の名前を一発で記憶しているのは、それなりの能力だと言って良い。
おばさんもルカと同じことを思ったようで、「そうそう、その人よ! よく覚えてるわねぇ」と両手を叩いた。しかし陽気な笑顔は、瞬時に疑わしげな表情に取って変わる。
「査察官だか何だか知らないけど、神父様について色々聞かれてねぇ」
「え?」
王都の教団本部からの客人とは聞いていたが、査察官とは初耳だ、何より穏やかでない。しかも、ネイト個人に対する聞き取りを行っているとは、いったいどういうことだろう?
驚くルカとユージーンに対し、パン屋のおばさんが語ったところによると――
昨日の午後、突然店を訪れたロッシュは、(パンを買うような素振りも見せずに)堂々と身分を明かした。そして、他のお客も居る前ではっきりと言い切ったのだそうだ。「本部より命を受けて、ベイリー神父の素行調査に参りました。彼の言動に、不審な点はありませんか?」と。
査察と言いながら、ネイトに何かしらの非があると決め付けたような物言いに、おばさんは当然反感を持った。それは店内に居た他の人達も同様だったようで、おばさんが「不審も何も、誰にでも分け隔てのない、素晴らしい方ですよ」と答えるのに、方々から同意の声が上がる。
ロッシュはこれに一瞬怯んだ様子を見せたものの、すぐに笑顔を取り繕った(少なくともおばさんにはそう見えたらしい)。「ベイリー神父の信仰の姿勢について、疑問を感じたことは?」などと曖昧な質問を重ねられ、焦れたおばさんは「どういうことですか」と問い返した。
するとロッシュは、勿体ぶった様子で口にした――「例えば、禁教徒であるとか」。
「!」
ルカはハッと息を呑んだ。反応としてはそれほど大きなものではなかったはずだが、ユージーンの気遣わしげな視線を感じて、必死で平静を装う。
おばさんは気付かず、「もうビックリしちゃって! 有り得ないって言ってやったんだけどねぇ」と息巻いた。ネイトの普段からの立ち回りのお陰もあってか、ロッシュの不遜極まりない発言に客の間からは怒りの声が上がり、査察官は慌てて立ち去ったのだという。
「――それ、私も聞かれたわよ」
「えっ、本当!?」
会計の列に並びに来たお姉さんに話し掛けられて、ルカは思わず声を上擦らせた。すると、店内でパンを選んでいた他の客達からも、同様の声が上がる。
どの場合でも、フランツ・ロッシュはエドゥアルト教会本部の査察官であることを声高に主張し、ネイトの信仰への不審点について調査していることを、殊更に強調しているらしい。
「嫌なこと言う人だなって思ったんだけど……。まるで『そういう噂』を広めようとしてるみたいじゃない?」
カフェで働いているというお姉さんは、そう言って眉をひそめた。
店主のおばさんは不快げに首を横に振りつつ、ルカ達に向き直る。
「嫌だね。アンタ達、神父様と親しかったでしょ?」
親切心からの忠告に、しかしルカは、咄嗟に返事が出来なかった。その動揺を見抜いたユージーンが、代わって「はい」と頷く。
「僕達からも、神父様に伝えておきます」
ネイトを温厚な聖職者と信じて疑わない町の人々は、彼がルカを巡ってユージーン達と対立関係にあることにも気付いていない。親しいなど嘘でも認めたくはないだろうに、場を収めてくれたユージーンに感謝しながら、ルカは急いでパン屋を出た。
嫌な胸騒ぎに、鼓動が高まる。
「ユージーン。おばあちゃんに、今日は行けなくなったって言っといてくれない?」
意を決して、ルカは幼馴染みの整った顔を見上げた。午後からフィンレーの元へ向かう予定でいたが、今はそれどころではない気がする。
心得た様子で、ユージーンはこくりと頷いた。
「……わかった。君は教会に行くんだね?」
「うん!」
少し迷ってからルカは、これもまた当然のように、ルカの荷物を持ってくれていたユージーンから、アップルパイを渡してもらった。フィンレーには後日改めて購入するとして、今日のところはひとまず、孤児院の子供達に贈呈することにしよう。
「じゃあ、よろしくね!」
念を押して、ルカは教会へ向かって駆け出した。買ったのが、型崩れの心配の少ないアップルパイで良かった。一刻も早くネイトに会わなければと、気持ちだけが焦る。ロッシュに紹介された際、ネイトがルカ達の素性を曖昧にしたことも、やはり意味のないことではなかったのかもしれない。
「…………」
ユージーンはひどく複雑そうな表情で、去っていく小柄な後ろ姿を見送っていた。
シェリルは、ルカのもう1人の幼馴染み・ジェイクの妹であり、先日魔物に襲われて怪我を負っている。療養中に駆け付けたルカへのお礼ということで、美味しい白桃のタルトを届けてくれたため、ルカ達はこれに対する祖母からのお返しの品を渡すという使命も帯びていたのだ。
捻った足を庇う目的から、椅子に座って店番をしていたシェリルは、大魔法使いベリンダ謹製の安眠サシェと退魔の香水を、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで喜んでくれた。ベリンダのハーブ製品は、植物本来の効能を魔法の力で極限まで高めているため、元々市場価値は高い。中でも花の香りを抽出して作った香水類はオシャレアイテムとしての評価も高く、蝶を象ったボトルに詰められた、ピオニーの香りの付いたピンク色の退魔の香水は、王都の女性貴族達の間で、高値で取引されていると聞く。ベリンダが利益目的で売りに出している訳ではないので、その希少性は推して知るべしというところだ。
『ありがとう、大事に使うわ! ベリンダさんにもよーくお礼言っといてね!』
『う、うん……』
自分の贈った、シェリルの瞳と同じ色の花束が、彼女のベッドサイドに大事に飾られていることを知らないルカは、この熱狂ぶりに「やっぱり女の子だなぁ」と気圧され気味に頷いた。
一方でユージーンはというと、シェリルの好きな洋菓子店で買ってきた焼き菓子の詰め合わせを「皆さんで召し上がってください」と優雅な仕草で差し出し、受け取ったおばさんをうっとりさせていたのは、さすがというほかない。
その後、辞去するタイミングで店に顔を出したおじさんに、倉庫の補修に使うボルトが足りなくなりそうなので買ってくるように言い遣ったジェイクと一緒に店を出て、3人は金物屋へ向かった。エヴァンズ薬剤店から一番近い金物屋は、大通りの外れにある。ルカ達の家のある丘へ抜ける方向でもあるため、そぞろ歩きを楽しむにはちょうどいい距離だ。
幼馴染みだけになると、話題は当然のように、斥候隊のことになった。ジェイクは既に家族の了承を得ているため、ルカがベリンダの提示した「自分を守ってくれる人を3人連れてくること」という条件を達成し、彼女がこれを認めれば、すぐにも出立ということになるだろう。まずは王都に向かう予定だが、こちらの世界に定着して間もないルカと同様、商売人の家に生まれたジェイクも、旅行などとは無縁の生活を送ってきた。クールな彼よりも家族の方が浮き足立っている様子を聞くと、妙に微笑ましい気持ちになる。
急に口数の少なくなったユージーンのことが気になって、ルカが声を掛けようとした時。
「――ルカ!」
大通りの中心部方面から名前を呼ばれて振り返ると、見慣れたキャソック姿の青年が駆け寄ってくるところだった。濃い金色の髪が、黒い制服によく映える――この町に唯一の正エドゥアルト教会の司祭、ネイトことナサニエル・ベイリーだ。
「ネイト……ッ!」
ルカが呼び掛けるのと、ネイトにしっかりと抱き締められるのは、ほとんど同時だった。訳あって、ルカを女神かその使徒たる天使かの如く慕うネイトの愛情表現はとてもストレートで、いつも困惑させられる。悪気がある訳ではないのは知っているので、圧倒されつつも好きにさせているというのが現状だ。幼馴染み達と比べれば幾らか小柄で細身に見えるネイトも、実際は適度にガッシリとした身体付きをしているため、ルカの力で拘束を振りほどくのは、なかなかに困難なのである。
「今日はどうしたの?」
熱烈な抱擁の中から何とか顔を上げて、ルカは小首を傾げた。夕刻も近付いた田舎町の大通りの外れには人通りもまばらで、成人男性に抱き締められているところを目撃される危険性が少ないのは、ルカにとっては幸いといえる。だがそれだけに、布教活動と同時に小規模ながら孤児院も抱えた多忙な教会の神父が、フラフラと出歩く時間帯ではないようにも思われた。
「手紙を出しに来たんだよ。なんて素敵な偶然だろうね」
額も着かんばかりの距離で、ルカの両目を愛おしげに覗き込みながら、ネイトが答えた。幼馴染み2人がそれぞれ別の方向へ目立つ容貌をしているため忘れそうになるが、笑顔の印象の強いネイトも、真面目な表情になれば、それなりに端正な顔立ちをしている。恥ずかしいやら照れくさいやらで、ルカはサッと頬を赤らめた。誤魔化すように視線を逸らし、「だからか~」などとどうでもいい相槌を打つ。郵便局があるのは大通りの中心部なので、彼がそちらからやって来たのも当然のことだろう。
そこでネイトの腕を掴んだ者がある――怒りと嫌悪を露わにしたユージーンだ。
「人目があります、離してください神父様」
尤もらしく道義を説いてはいるが、実際は、挨拶代わりにルカを抱き締めて離さないことへの牽制であるのは言うまでもない。
斥候隊加入の際、改めて『ルカを(悪い虫からも)守る』と決めたジェイクも、ルカとネイトの顔の間に無理矢理掌を差し込んで来た。
「神父が白昼堂々セクハラはないだろ」
ニヤリと口許を歪めて見せるが、目は笑っていない。
対するネイトはというと、間近に2つの攻撃的な視線を受けても、動じることはなかった。
「――ああ、君達も居たんですか。私は聖職者ですからね、穢らわしいものは認識出来ないのかもしれません」
ニッコリと笑顔を浮かべたまま、聞くに耐えない猛毒が吐き出される。町の人達が側に居たら、目を疑ったに違いない。
ユージーンの綺麗に整った顔が憎悪に歪められ、ジェイクが不快げに舌を鳴らす。
ネイトは普段から常に朗らかな人物で通っているが、内面は多分に厭世的で、毒舌家でもあった。社会的な体面を保つためにと笑顔を絶やさずにいても、実際は冷ややかな目で物事を見ている。彼の神聖視するルカとの間を邪魔する者への扱いたるや、もはやゴミ以下だ。
「ちょっと、やめてよ……」
険悪なムードに、ルカは思わず制止の声を上げた。幼馴染み2人とネイトは、絶望的に相性が悪いらしく、寄ると触ると喧嘩になる。争いの火種であるルカ自身がこんな風に考えているのだから、毎度一触即発の事態に陥るのは免れない。
3人を引き離すには、早々にこの場を立ち去る以外にないだろうか、とルカが本気で思案を始めた時、思わぬところから助け船が入った。
ネイトの名を呼びながら、1人の男が歩み寄ってくる。
「――ここに居らしたんですか」
友好的な笑みを浮かべた30代半ばと思しき男は、ネイトと同じ黒いキャソックを身に着けており、一目で聖職者であることがわかる。
ルカが「知らない顔だ」と認識するよりも先に、ネイトの拘束が解かれた。驚いたのはルカだけでなく、強情な腕を引き剥がさんと奮闘していたユージーンとジェイクも同じだったようで、肩透かしを喰らったように、それぞれがたたらを踏む。
さすがのネイトといえども、同僚に美少年を羽交い絞めにしている姿を見られる訳にはいかないとの自制心が働くのだろうか。
戸惑いながら目線を交わし合う3人に対して、男は紹介を求めるようにネイトを見やる。
しかしネイトはまず、ルカ達に向かって、男が何者であるのかを明かした。
「こちらは、王都の教団本部からお見えの、フランツ・ロッシュ神父です」
特に気にした風もなく、ロッシュは「よろしく」と気さくに頭を下げる。
ユージーンがルカを庇うように一歩前に進み出て、「初めまして」とにこやかに応じた。それを手本に、ルカもユージーンの影から「こんにちは」と挨拶を返すと、背後でジェイクが「どうも」と軽く頭を下げる。
そういえば、数日前に教会を訪ねた時、本部から誰かが来るとかで子供達が騒いでいたが、この男のことだったのか。
ルカがひっそりと納得していると、ネイトは3人を指し示すように掌を掲げ、ロッシュに向き直った。
「こちらは、お若いのに教会の活動に理解を示してくださっている、熱心な信徒の皆さんです」
「「「……!」」」
ふんわりとした曖昧な説明に、3人はまたも揃って瞠目した。ユージーンとジェイクに関してはいざ知らず、ネイトが大事な大事なルカまでを一括りにするとは、到底信じられない。
更にネイトは3人に向かって、「さあ」と労るような笑顔を向けてきた。
「暗くならないうちにお帰りなさい」
「……」
いつもなら、ルカを引き留めて離さないはずのネイトの行動に、ルカ達は混乱した。しかし、何となくではあるが、ロッシュ神父にこちらの素性を明かしたくないのだろうという意図は感じる。
それぞれに違和感を覚えながらも、ルカ達はひとまずネイトの方針に従った。
「「「サヨウナラ神父様」」」
他人行儀な別れの挨拶がピッタリ揃っていたのは、幼馴染みである所以だろうか。
少々棒読みだったことに関しては、ネイトに申し訳ないと思っている。
●
『今日の午後からなら時間が取れそうだから、領主館へ行きたければ、連れていってあげられるけど?』
今朝になって、急に祖母のベリンダから「どうする?」と打診を受けたルカは、再び町に降りてきていた。親友のフィンレーに会うだけなのだから、手ぶらで行っても問題はないし、一庶民が領主の息子へ手土産というのもおこがましい気はする。しかし、気さくなフィンレーは商店街のパン屋のアップルパイが大好物だったし、ルカとしても午後までの時間を手持ち無沙汰に過ごすよりはと考えた。自分も一緒に食べられればいいな、というだけで、賄賂などでは決してない。
そんな訳で、ルカは町で人気のパン屋さんへ向かっていた。今日は丸1日オフということになったユージーンも、当たり前のように付き添ってくれている。こういった時、以前は「1人で行けるよ」と言い張っていたルカも、その都度「一緒に行きたいんだ」と押し切られることを繰り返して、いつの間にか彼の同伴に慣らされてしまった。せっかくの余暇を自分のために浪費させるのは申し訳ないとは思うものの、当の本人がそうしたいというものを拒む理由は、取り敢えずルカにはない。
――祖母はきっと、ルカがフィンレーを斥候隊にスカウトしようとしていることに気付いている。彼女もまた、幼い頃から素直で実直な公子の人となりを、間近で見守ることのできる立場にあった。剣士としてのフィンレーの能力と、父や領民達への責任感。そして何より、ルカとの精神的な結び付きは、他の誰にも引けを取るものではないからだ。
ベリンダの申し出は、可愛い孫の心中を慮ってのことだったのだろう。ルカとしても、これを利用させてもらわない手はなかった。何しろ領主館までは馬で6時間の距離、乗り合い馬車などの手段を取ろうものなら、それこそ半日仕事になる。祖母の魔法で瞬間移動出来るなら、これに越したことはない。
討伐隊に参加できないことを悔しがっていたフィンレーのこと。きっと二つ返事で、斥候隊加入を了承してくれるはず。
他愛もない会話を交わしながら、二人はお目当てのパン屋へ辿り着いた。人気店らしく、いつ来ても、店内は適度に賑わっている。
隣を歩いていたユージーンが、自然な足運びでサッと進み出て、ドアを開けてくれた。
「――どうぞ」
「……ありがと」
俯きがちに、芳ばしい香りの満ちる店内へと歩を進めながら、ルカはほんの少しだけ居心地の悪さを感じていた。ユージーンの所作は、どこからどう見ても、完璧なエスコートだ、女性を相手にするような。
きっとユージーンは、師である祖母が相手でも同じことをしてみせただろう――しかしルカは、同性の幼馴染みである。人に見られるのは、普通に恥ずかしい。
「あらぁ、二人ともよく来てくれたわねぇ」
ルカの杞憂を吹き飛ばすかのように、店主のおばさんは二人の来店を喜んでくれた。それを合図にしたかのように、店内のあちこちから挨拶が飛んでくる。残念ながら若いお姉様方は、軒並みユージーンの美貌にうっとりしている様子なのが、ちょっと悔しい。運良く焼き立てだったホールのアップルパイをトレイに載せながら、ルカは年輩のご婦人方に、いつも以上に愛想を振り撒いた。
「――ねぇルカちゃん。神父様のとこのお客様、知ってる?」
店主のおばさんが思い出したように聞いてきたのは、会計を済ませ、おばさんの娘さんが化粧箱に簡単なラッピングをしてくれている時のことだ。
ルカの脳裏を、30絡みの凡庸な姿がよぎる。顔は細部まで思い出せないが、教団本部から来たとかいう、あの人のことだろう。
「昨日会ったよ。えーと……」
「ロッシュさんだったかな?」
ルカが言い澱むのを引き受けるように、ユージーンが明晰な頭脳を発揮する。初対面で、自分とあまり関わりのない人物の名前を一発で記憶しているのは、それなりの能力だと言って良い。
おばさんもルカと同じことを思ったようで、「そうそう、その人よ! よく覚えてるわねぇ」と両手を叩いた。しかし陽気な笑顔は、瞬時に疑わしげな表情に取って変わる。
「査察官だか何だか知らないけど、神父様について色々聞かれてねぇ」
「え?」
王都の教団本部からの客人とは聞いていたが、査察官とは初耳だ、何より穏やかでない。しかも、ネイト個人に対する聞き取りを行っているとは、いったいどういうことだろう?
驚くルカとユージーンに対し、パン屋のおばさんが語ったところによると――
昨日の午後、突然店を訪れたロッシュは、(パンを買うような素振りも見せずに)堂々と身分を明かした。そして、他のお客も居る前ではっきりと言い切ったのだそうだ。「本部より命を受けて、ベイリー神父の素行調査に参りました。彼の言動に、不審な点はありませんか?」と。
査察と言いながら、ネイトに何かしらの非があると決め付けたような物言いに、おばさんは当然反感を持った。それは店内に居た他の人達も同様だったようで、おばさんが「不審も何も、誰にでも分け隔てのない、素晴らしい方ですよ」と答えるのに、方々から同意の声が上がる。
ロッシュはこれに一瞬怯んだ様子を見せたものの、すぐに笑顔を取り繕った(少なくともおばさんにはそう見えたらしい)。「ベイリー神父の信仰の姿勢について、疑問を感じたことは?」などと曖昧な質問を重ねられ、焦れたおばさんは「どういうことですか」と問い返した。
するとロッシュは、勿体ぶった様子で口にした――「例えば、禁教徒であるとか」。
「!」
ルカはハッと息を呑んだ。反応としてはそれほど大きなものではなかったはずだが、ユージーンの気遣わしげな視線を感じて、必死で平静を装う。
おばさんは気付かず、「もうビックリしちゃって! 有り得ないって言ってやったんだけどねぇ」と息巻いた。ネイトの普段からの立ち回りのお陰もあってか、ロッシュの不遜極まりない発言に客の間からは怒りの声が上がり、査察官は慌てて立ち去ったのだという。
「――それ、私も聞かれたわよ」
「えっ、本当!?」
会計の列に並びに来たお姉さんに話し掛けられて、ルカは思わず声を上擦らせた。すると、店内でパンを選んでいた他の客達からも、同様の声が上がる。
どの場合でも、フランツ・ロッシュはエドゥアルト教会本部の査察官であることを声高に主張し、ネイトの信仰への不審点について調査していることを、殊更に強調しているらしい。
「嫌なこと言う人だなって思ったんだけど……。まるで『そういう噂』を広めようとしてるみたいじゃない?」
カフェで働いているというお姉さんは、そう言って眉をひそめた。
店主のおばさんは不快げに首を横に振りつつ、ルカ達に向き直る。
「嫌だね。アンタ達、神父様と親しかったでしょ?」
親切心からの忠告に、しかしルカは、咄嗟に返事が出来なかった。その動揺を見抜いたユージーンが、代わって「はい」と頷く。
「僕達からも、神父様に伝えておきます」
ネイトを温厚な聖職者と信じて疑わない町の人々は、彼がルカを巡ってユージーン達と対立関係にあることにも気付いていない。親しいなど嘘でも認めたくはないだろうに、場を収めてくれたユージーンに感謝しながら、ルカは急いでパン屋を出た。
嫌な胸騒ぎに、鼓動が高まる。
「ユージーン。おばあちゃんに、今日は行けなくなったって言っといてくれない?」
意を決して、ルカは幼馴染みの整った顔を見上げた。午後からフィンレーの元へ向かう予定でいたが、今はそれどころではない気がする。
心得た様子で、ユージーンはこくりと頷いた。
「……わかった。君は教会に行くんだね?」
「うん!」
少し迷ってからルカは、これもまた当然のように、ルカの荷物を持ってくれていたユージーンから、アップルパイを渡してもらった。フィンレーには後日改めて購入するとして、今日のところはひとまず、孤児院の子供達に贈呈することにしよう。
「じゃあ、よろしくね!」
念を押して、ルカは教会へ向かって駆け出した。買ったのが、型崩れの心配の少ないアップルパイで良かった。一刻も早くネイトに会わなければと、気持ちだけが焦る。ロッシュに紹介された際、ネイトがルカ達の素性を曖昧にしたことも、やはり意味のないことではなかったのかもしれない。
「…………」
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