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シーズンⅢ-15 提案

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 同じく七月下旬。

 米民主党全国大会二日目の七月二十六日に、民主党はヒラリー・クリントン氏を秋の米大統領選挙の大統領候補に指名、翌日にバージニア州選出のティム・ケイン上院議員を副大統領候補に指名した。

 共和党はドナルド・トランプ氏が七月十六日にインディアナ州知事のマイク・ペンス氏を副大統領候補に指名し、二人は七月十九日に共和党全国大会で正副大統領候補に指名されている。

 九月後半からはテレビ討論会でヒラリー女史とトランプ氏の直接対決が始まる。

 投票日は「十一月の第一月曜日の翌日の火曜日」と百五十年ぐらい前から米連邦法で定められている、これだと早くて十一月二日、遅くて十一月八日になる、何でこんな投票日の決め方なのかには諸説あるらしいが、収穫期直後の農業従事者の安息日の日曜日と投票所までの移動日を考慮してというものが紗栄子には最も納得のいくものだった、投票所だって少なかったハズの当時は国土が広いアメリカでは馬車で相乗りして向かって行ったっておかしくない、想像してしまう。

 今年、二○十六年だと十一月八日になる。

 ヒラリー女史は八年前に民主党予備選に出馬したが現大統領バラク・オバマ氏に敗れオバマ政権発足からの四年間を国務長官として勤め上げている。

 国民皆保険制度が無い米国でオバマケアが誕生できたのはヒラリー女史の功績が大きいと紗栄子は思っている、夫が大統領だった一九九三年からの八年間でヒラリー女史は家庭に籠《こ》もるファーストレディーではなかった、国民皆保険を目指すための医療改革のチームを率いる座長に就任し、そして失敗している、この時に出来た道筋をオバマ大統領のチームが引き継いでゴールしていると紗栄子は考えている。

 医療改革だけでなく女性の地位の向上に掛ける熱意はヒラリー女史の右に出る者はなく、一度もその信念が揺らいだこともない、そう紗栄子には見える。

 あと三ヶ月ちょっとでヒラリー女史とトランプ氏の闘いに決着が付く。


****


 粛清を終えた紗栄子には勝利の喜びがない、安堵感も湧いてこない。

 本当に自分は生き延びたんだろうか。

 結局、兄の正臣は妻子を刻文宗家の館に残して東京に単身赴任した、子供の将来を考えてのことだ。

 父親が当主である限り紗栄子は安全だと思う、しかし、七十歳を過ぎている父親に何か起きればその時はどうなるだろう。

 刻文聖也が後を継ぐのは構わないが権力を握った後で聖也の妻である塔子がどう変わるのか、豹変する可能性だって高い、そこが想像できない。

 兄の正臣にしても聖也と全面対決をするとは思えないが、汚い手を使って巻き返しにくることは想像が付く。

 自問自答を繰り返す。

 思いつく解決策は一つしか浮かんでこない。

 何度やってみても結論は、紗栄子自身が権力を握る、にたどり着く。

 紗栄子自身が権力を持ち聖也と対等になることで塔子から付け入れられる懸念を排除する、塔子だけではない、兄の正臣に対してこれ以上ない牽制にもなる、もし権力を持たず今のままでいたら、紗栄子だけでなく夫や一人息子、嫁ぎ先にまで兄の正臣から報復の手が延びてくるに違いない。

 勝負に勝ったら終わりだと思っていたが、どうやら違うようだ。

 今一度、ヒラリー女史を思い浮かべる。

 熱意、ブレない信念、そして行動力。

 ヒラリー女史からパワーを貰う。

 今までとは違う自分になる。

 権力とは突き詰めれば覚悟の問題なのだと思う、力ずくでも手に入れる、その覚悟が自分にはあるのか、維持するために汚いことにも向き合う覚悟はあるのか。

 自分の中で是々非々を決め、そして行動に移すことが求められる。

 どこでどう動くのか、タイミングがすべてになるだろう。

 今は動かない方がいい。

 父親の非情さに行内の注目が集まっているからだ。

 あの粛清の中心に紗栄子が居たことを行員に知らしめるのはずっと後になってからだ、紗栄子が権力を揺るぎないものにする時の仕上げに使う。


****


 今日は北部市にいる、そして金曜日。

 宮藤君子さんと二人飲みをする。

 君子さんがお勤めしている病院がよく使っている炉端、釜飯、鍋がウリの居酒屋『又六』から、最近は焼き鳥居酒屋『串の又兵衛』に行くことが多くなっていたが、今日は久々に『又六』に来ている。

 飲み始めてまもなく、ジーンズに半袖Tシャツ姿の女性がお店に入って来た。

 少し離れたテーブルの席に着いた女性を見て紗栄子は愕然とした、今井明美だ、向こうも気付いた様子だがすぐに目をそらされてしまった、なにも頼まずに席に着いたままでいる。

 十五分くらい経った、時刻は十八時半。

 今井明美の席に中年男性が合流、同伴だ、紗栄子もキャバクラのシステムは知っている、一時間くらいしたら店を出るハズだ、二十時出勤の今井明美に合わせて二十分くらい前には勤め先のお店に一緒に入るのだろう、今井明美が着替えてお店が開店するまでは今度は男性が一人でお酒を呑む、たしかそんなシステムだったと思う。

 案の定、二人は十九時半過ぎには席を立った。

「いま出て行った人、紗栄子さんのお知り合いだったんですか」

 君子がすかさず声掛けしてくる。

「ええ、まあ、なんて言ったらいいのか。知り合いというより、ウチの銀行を目の敵にしている人、と言ったほうが正解かな」

「えっ、銀行に恨みがある人とバッタリ会ってしまったんだ、運が悪いを通り越して最悪かも、それにしても」

「なに、それにしても、って」

「いや、刻文から来てる紗栄子さんの顔を覚えてるって、なんか変。あっ、ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて、お仕事の世界に立ち入りそうでした、本当にごめんなさい」

「君子さん、そんなに謝らなくても。確かに、私を認識できるのは北部でも経済界の方々、それもお偉方ぐらいですから変と言えば変ですよね。あの女性のご家族に関わる事案があって、そこに私が絡んでいたので、私自身があの女性の恨みの対象になっています、非常に気まずい関係なんです」

「分かった、こういう時は発散しないと。飲みましょう」

 普段よりも早いペースで飲む紗栄子、君子もそれに付き合っている。

「このペースだといつかの君子さんみたいになっちゃう」

「あの節は本当にご迷惑かけました、いま思い出しても恥ずかしい」

 札幌での失態を思い出し君子が赤面する。

「自分の部屋番号も言えずにただただ朝美さんに連絡してって」

「もう、言わないで下さいぃ」

「そういえば、朝美さんに掛けようとした時に一つ下に工藤有佳さんを見つけて、お知り合いだったんですね。わたしもずいぶん前から有佳さんを知ってましたんでビックリしたんです」

 紗栄子が工藤有佳との女性限定の会員制クラブでの出会いを話す、君子はただじっと聞いている。

「この前、刻文で有佳さんをお見掛けしました、と言うよりそのクラブでその日は偶然に一緒だったんですが。彼女さんと来てましたね」

「そうなんですか、彼女さんは刻文の方なんでしょうかね」

「北部の人だと言ってました」

「そうですか、ウチは家族ぐるみで知り合いって関係で有佳さんも看護師なんで少し私が教えたりした時もあったんです、今は音信不通でこれからも会うことは無いと思います。有佳さんのお母様はウチの上の娘のお勤め先の上司のそのまた上の方ですが」

「上のお嬢様は北部学園勤務でしたか、上司の上司って工藤美枝子さんですね、北部学園の理事でいらっしゃる、私も存じております。今日の今日ですが工藤理事から連絡をもらいました、今度会うことになったんです」

「えっ、そうなんですか。紗栄子さんっていろんな方とお知り合いなんでビックリです、交遊範囲が広すぎて改めて私なんかと飲んでていいんでしょうか」

「いいに決まってます、二人飲みがこうも長く続いているのは君子さん、あなたと居ると気が抜けて楽しいからです、私の方こそいつも付き合ってもらってばかりで申し訳ないと思ってます」

「ウソって顔に書いてありますよ」

 二人同時に笑顔になる。

「バレちゃった、申し訳ないなんてこれっぽっちも思ってないです、ゴメンなさい」

「だと思った。このあとカラオケ行きませんか、二人で行ったことないでしょ、行きましょうよ」

「よし、行くかっ。発散しないとぉ」

 頼んだモノを一つ残さず平らげる、その間に紗栄子はSNSを使い今井明美に「何時に終わるの?」とメッセージを入れた、ここで偶然に出会ったのも何かの縁だと思うことにした、お酒の勢いも手伝って行動に移せたのかも知れない、反応が来なければそれまでだったと言う事、しかたがない。

 連絡を入れて十分ちょっと、お店を出る直前に今井明美から「十二時」と返信が届いた、すかさず「ウチ来る?」と返す、入れた直後に後悔が始まった、ウチ来る?なんて入れなきゃよかったがもう入れてしまった、後は神頼みで祈るだけ、どうしよう。

 カラオケ屋に入る、席に着いて飲み物と乾きものを頼む、そっとバックから携帯を取り出す、今井明美からの返信は来ていない、迷ったがテーブルに携帯を置く、いつ今井明美から返事が来てもすぐに対応したい。

 最近のJ-POPを練習を兼ねて歌う、サビの部分しか知らない曲も入れてみる、君子さんとだと気兼ねなくそれが出来ることを改めて知る、昔の歌が好きなのも気が合う、一時間くらい経った頃に君子さんが「それでは」と言いながら選曲、画面にナバロンのYOUSAIの楽曲が現れる、二人のテンションがさらに上がる、その時、テーブルに置いてある携帯が光り出した。

 曲が終わり紗栄子は席を立ってトイレに向かった、携帯を確認する、今井明美から「あんたねぇ」と入っている、少し考えて「先日はごめんなさい、直接会って謝りたい」と返す、速攻で「まだ、許してない」と入りその場で撃沈される。

 二十二時過ぎにカラオケ店を後にする。

 今は、自宅。
 
 既にお風呂にも入り、黒のショーツだけで上は何も身に着けずに丈の短いナイトガウンを羽織ってカウチで寛ぐ、三つのことが頭の中を巡る、工藤有佳の話を振った時の君子さんの反応、今井明美の怒りが収まらないこと、工藤理事が会いたいと連絡を寄こした真意、どれも疑問だらけだ。

 君子さんの反応は無関心を装っているに尽きる、工藤有佳の彼女の出身地を聞いて来る時点でなんか変って思う、今井明美のはバッタリ会ってしまったんでまだ怒ってますよ的な立ち位置を取ったのかも知れない、そうであって欲しい、工藤理事の目的はまったく不明で理事からは「お話ししたい事案がある」とのことだが紗栄子には想像がつかない。


****

 
 翌週木曜日。

 この日、定例の北部経済界の集まりに欠席を伝えてある紗栄子は漆喰壁に囲まれた居酒屋の個室で工藤理事と対面していた、二人だけの会食だ。

 ビールグラス片手に「今日は宜しくお願いします」という工藤理事に対し「何の事案かは存じませんが、こちらこそ」とグラスを掲げた紗栄子、軽めのおつまみから魚の煮つけが出てきた時点で日本酒に切り替えた紗栄子、工藤理事も今は手酌で同じ銘柄。

 工藤理事から重大な事案についての背景説明と提案がなされ、北部宗家と一族の意向も伝えられた、「返事は刻文頭取とよく話し合ってから下さい」と、そこまで話してから工藤理事はやっと膝を崩してきた。

「いくつか質問させて頂いてよろしいですか」

 ぐい吞みを持ったままで口には運んでいない紗栄子。

「はい、どうぞ。今日は理事長の代理で来ていますのでこの場でお答えできることはすべてお答えします」

 一口で飲み干した紗栄子が「それならばお聞きしますが」と言いぐい吞みをテーブルに戻して工藤理事を見据える。

「右竹が私の手足となって支えてくれる、これほど魅力的なお話はありませんが諸刃の剣とも言えます、だって、右竹の意にそぐわなかったらいつでも梯子を外して私を権力の座から引きずり落とせる、そんな相手と組むほど私は間抜けではありません、父に話す以前の問題です、違いますか」

「言葉足らずで申し訳ありませんでした、内田部長直属の部隊を作るまでは右竹が直接動きますがその後は内田部長とだけ情報提供の契約をします、他の刻文一族とはこの手の契約は絶対に行いません」

「待って、直属って何のこと、そこが見えてないんだけど」

「聖也と塔子夫妻が持っている中野の裏部隊以上の部隊を内田部長に作って頂きます、ノウハウはすべて右竹が伝授するそうです、具体的には刻文経済研究所に分室を設けるのがベストだと聞いています、その分室が内田部長の部隊になります」

 考え込む紗栄子、酒を呑むのも忘れている、ただただ考えに没頭し始める。

「先ほど伺った北部の脅威は理解できます、ただ不思議なのは中野の部隊は現当主の次は次期当主に引き継がれるので聖也や塔子に動かす力はそこまでは無いと思いますが」

 やっと紗栄子が言葉を発する。

「それが違うのです。この部隊の元々の実質支配者は健将様に嫁いできた京香さんのお母様、千葉桜子様が持っています、それと同様の権限を塔子に与えています、いま現在も刻文塔子は中野の裏部隊を好きに動かせます、しかも、刻文聖也の意のままに動かしてくる気配が濃厚、いや、確定です。それほどあの二人を千葉桜子様は陰で支えている、中野壮一氏も中野京太郎氏も部隊を動かす権限は皆無、それが中野の実態です」

「そんな」

「この裏部隊をかなり増強させるという命令が塔子から出ています、すべては聖也の意向だと我々は見ています。次期刻文統領としての自覚が刻文聖也に明確に存在する証です、外敵から刻文を守り抜くのに使う、統領になるまでの道を整備させるのに使う、政敵がいればそれを部隊に命じて排除させる、そして、統領になった後は刻文一族を監視させるのにも使い続ける、などなどです。考えられる役割のお話しをしましたが仮に、もしも仮にですがどこかの時点で刻文塔子が内田部長をターゲットにしないとも限りません、それは絶対に避けねばなりません、内田部長が倒れれば塔子は北部を必ず狙います、内田部長が権力を持ち維持することが北部の安全に繋がるのです、ご理解下さいませ」

「私と北部って、どうして私が倒れると北部が狙われるって理屈になるんですか、それっておかしくないですか」

「あの二人が結婚した本来の目的がそれだからです、そこは御存じですよね」

「まぁ、知っていますが」

「内田部長の権力をそぎ落としさえすれば刻文内で怖い者が居なくなる、現在の刻文統領の子供で権力を持って残っているのは内田部長しかいないんですから、右竹と親密な関係だと知ってなお北部を狙う、あの塔子ならやりかねない、聖也がゴーサインを出したら最後、塔子は生涯を掛けて北部潰しを命題にして中野の先祖の怨念を晴らしに来る、我々はそう考えます」

 食べ物はあまり頼まずにお酒だけが追加される。

 紗栄子に肩入れする見返りが北部銀行の人事案件だけだと言う、そこは聖也に太刀打ちできる権力を持てば問題はない、と考えればここまで肩入れするには別の理由があるハズ、その理由が聖也と塔子だとしたら納得がいく、あの二人が北部に手出ししないよう紗栄子を使って歯止めを掛ける絵図を描いたのだ。

 だとすれば、北部栄心という人物はあの二人の怖さを正確に理解していることになる、聖也が刻文で権力を握ってしまってからでは手遅れになる、紗栄子の焦りもそこにある、刻文に戻って父にいくら説明してもあの二人の怖さは理解できないだろう。

 さて、どうしたものか。


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