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シーズンⅠ-28 政略結婚

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 有佳達がチェックインした同時刻、刻文銀行本店ビルの七階役員会議室に、五人の男達が顔をそろえていた。

 一人が座る両側に二対二で向き合って座っている。

 集まった中に刻文銀行の人間は、大友茂雄《おおともしげお》副頭取の一人しかいない。

 「副頭取、お久しぶりです。きょうは宜しくお願いします。脇に控えておりますのが倅《せがれ》の聖也です」

 刻文学園理事長、刻文忠興《こくぶんただおき》がまず挨拶をし、すかさず聖也がそれに続いて挨拶をしてきた。

「理事長こそ、お越し頂きご苦労様です。こちらは北部銀行の浅野専務、そしてその隣が中野取締役です」

 大友は北部銀行の二人を紹介し、それでは本題に入ります、と宣言した。

 今日の集まりの音頭を取ったのは刻文銀行だ。

 現頭取である刻文正和から大友は直に指示を受け、北部銀行に対し刻文銀行と二行でおこなう刻文学園への協調融資の案件を持ち掛けていた。

 刻文頭取の意向は、やがて来る道州制への備えに尽きる。

 政府、民自党の総裁竹田慎一郎が一昨年、総理になった時に道州制の議論が一気に進んだことが背景にある、但し、竹田本人が病に倒れわずか一年で総理を下りたのが誤算だった。

 それでも刻文銀行は、北部宗家を名目上の宗家に棚上げして北部銀行に実権を握らせるための戦略に竹田政権時代を含めて一年を掛けた。

 大半の時間は民自党との話し合いというか説得に費やされたが、やっと感触を得たので、今日の会合を設けるに至っている。

「既に当行経営企画部からの報告を受けていると思いますので、単刀直入に本題に入ります。刻文学園が東北六家の学園をすべて統合する、北部銀行からお越しのお二人には刻文学園との協力関係を本日、ここで結んで頂きたい。これが今日の本題です」

 すでに会合の内容について出席者全員の了解を取り付けていたので、大友のテーブルの上に置かれている合成皮革のファイルカバーの中には秘密保持契約書が入っている。

 両者から賛同の表明がなされ、調印にスムーズに入り、無事終了。

 北部銀行中野取締役が、少しよろしいでしょうか、と発言を求めてきた。

「今回の件は当行の前田頭取の賛同を得ています。但し、刻文銀行様の仲介により刻文学園様と取引を開始する、刻文銀行と当行で協調融資を実行する、という意味での賛同です」

 一呼吸置いて中野取締役は続けてきた。

「いま我々が結んだ秘密保持契約は、中野家の頭領である中野家本家の中野壮一としての契約です。もちろん浅野専務も浅野個人としてです。北部銀行とは一切関りが無いことを確認しておきたいと思います」

 中野取締役の懸念はもっともだった。

 この秘密保持契約書は、北部銀行の頭取が預かり知らぬ北部宗家への反逆と言える壮大な転覆劇の案件に他ならない。下手をすると中野自身だけでなく子飼いの部下や中野一族の破滅に繋がりかねない。

「もちろん、承知しています。書面にしたのは、ここにいる全員が同盟のメンバーになったという意味でしかありません」

 大友は中野取締役の不安を一蹴すべく話を続けた。

「但し、この秘密保持契約の意味するところは重大です。東北州の未来がかかっています。道州制への移行には段階があります。国会での議論の行方と国民への理解の浸透、そして国会決議後の七年後に実行に移される。刻文学園による統合も十年単位で考えることだと認識しています。皆さまには、刻文銀行が作成する活動プランに沿って動いて頂きたい。すでに本人には伝えてありますが、東北六家学園統合の指揮は刻文聖也氏に執ってもらうことになります。つまり前面に出るのはあくまでも刻文学園であります。ここにいるメンバーでもし刻文学園以外で表に出る時がきたとしてもそれは刻文銀行だけになります」

 大友が話したのを聞いて、浅野専務と中野取締役は大きく頷いてきた。

 すかさず、刻文聖也が立ち上がった。

「甚《はなは》だ若輩者ではありますが、全身全霊で取り組むことを、ここにお誓いいたします」

 起立した刻文聖也は緊張を隠さず、そう言うと、腰から上全体を前四十五度の角度に下げたままで動かない。

 立礼での四十五度が最敬礼に当たるのを大友も知っている、若いが刻文聖也という人物は頭取や紗栄子さんが見込んでいるだけのことはあると大友はこの時に感じていた。

「聖也君、よろしくたのむ」

 北部銀行浅野専務の発言を聞いて刻文聖也の姿勢は元にもどり、ありがとうございます、と言って席に着いた。

「それでは、もう一つの議題に入ります。刻文聖也と中野塔子の結婚を決めたい、その確認です」

 大友の発言を受けた刻文忠興と中野壮一は同時に立ち上がり、宜しくお願いします、とお互いに向けて承諾の挨拶をおこなった。

 この結婚の組み合わせを決めたのも刻文銀行だ。

 刻文聖也が選んだ結婚相手が、北部宗家と因縁の関係を持つ中野家の跡継ぎだと知った時、東北六家の各学園は刻文宗家が同じ宗家である北部学園に敵対する意図を明確に思い知ることになる。

 やがて刻文学園が持ちかける統合は避けて通れないと悟る。

 刻文宗家の不退転の決意がこの組み合わせなのだ。

 この時点で聖也と塔子はまだ面識がないのは、この場の全員が知っている。

「塔子は一人娘ですが、甘やかして育ててはおりません。優しい性格で細やかな気遣いができるので一族からも慕われております。聖也氏とは年が三つ上になりますが、聖也氏の影を踏まず支えていけると思います。そして、塔子には中野一族の全てがついております、宜しくお願いします」

 北部銀行中野壮一取締役の発言を区切りにすべての事案が終了した。


****


 翌朝、午前九時十五分。

 刻文聖也は井汲温泉にいる中野塔子を訪ねていた。

 東北六家学園の会合は、十一時からでそれまでの時間を塔子と過ごすよう刻文銀行大友副頭取からアドバイスを受けていたからである。

 聖也は一人で訪ねてきたが、部屋の中に居たのは塔子一人ではなかった。

 塔子より十歳くらい年上の知性的な女性がビジネススーツ姿で塔子の傍《かたわ》らにいる。

「刻文聖也です。話は聞いてますね」

「中野塔子です。えぇ、聞いています。こちらこそよろしく」

 聖也は身長が百八十センチあるが、塔子も百七十センチに近いくらいあるんではないか。

 しかも華奢《きゃしゃ》じゃない。

 筋肉質の体系をしている。

 中野塔子は半袖Tシャツにベルト付きショートパンツ姿だったので、上にパーカーを着るまでの間に聖也はあらかたの骨格を覚えることができた。

 昨日や今日で身に付いた筋肉ではないのは鍛錬を欠かさない聖也には分かる。

 中野塔子は合気道をやっているが試合に出たことがないので実力は平凡以下との報告を受けていたが、聖也はまったく違うと感じていた。

 単に試合で目立ちたくない、試合に出る意味がないから出ない、という類いの話だ。

 いま目の前にいる中野塔子は間違いなく実力の持ち主だ。

 さらに、挨拶を交わした第一印象には驚かされた。

 聖也が調べさせた配下の者の報告だけでなく、内田紗栄子さんから事前に聞いていた話とも違う、まったく違う。

「お前、聞いてた雰囲気とぜんぜん違うな」

「あなたは聞いていた通りのクールなイメージだわね、顔に出るってことがあるのにはちょっとびっくりだけど」

「初めて会ったくせに、なに勝手に分析してんだ。まぁ、決まったことだから、そこはいいんだな」

 一応、結婚の確認をしておくに越したことはない。

「大丈夫、揺らぐことはあり得ないわ。それより、統合される側の人間とこれから会合でしょ、心境を聞いてみたいわ。どうなの」

 聖也は口に出し掛けて、止めた。

 塔子とはまだ立ち話をしている段階だった。

「おい。立ったまま話す気じゃないだろうな」

 それには答えずに塔子がソファに向かったので聖也も続いた。

 もう一人の女をみると、離れたところにも小さ目のソファがありそちらに向かっている。

 結婚話もそうだが統合話はさらに極秘だというのに、塔子は危機意識が足りていないようだ。

 応接セットで向かい合ったと同時に聖也は苦言を呈することにした。

「その話をするんじゃない、場所をわきまえろ」

「北部側の窓口はこの私よ、聞いてるでしょ。あの女性ならなんの心配もないわ、私の手足だから」

「手足って、お前。先は長いんだぞ、ちゃんと管理できるのか」

「なに人の心配してるの。私が管理できない人間をいまこの場所に置くとでも思ってるのかしら」

「自信があるんだな。・・・そうか、一心同体と言うことか。というよりお前のモノなのか、そうなんだろう」

 ストレートな言葉を投げつけて、聖也は真っ直ぐに塔子の顔を見た。

 塔子が驚いた様子はない。

 肝が据わっている。

「ずいぶん想像が働くようね。もしあなたも私と同じだとしてもわたし気にしないから、いいのよ」

 ギグっとした。

 こいつは同じ穴の狢《むじな》だ。

 政略結婚は正妻というお飾りをもらうだけで気を使うから本当は嫌だったが、政略結婚の話を頂いたその場で即決し即答したのは他に選択肢が無いからだ。

 まさか結婚相手が同じ穴の狢だったとは、驚きを通り越して神様に感謝したいぐらいだ。

 この女の本性を父親だってきっと知らない。

 聖也には匂いでそれが分かる。

 そうと分かれば話は早い。

「そうか、お前も両刀か。支配する側は当然そうあるべきだ、なんの問題もない」

「意見が一致したわね」

「あぁ、一致した。いい姉《あね》さん女房になりそうだ」

「結婚してからだと年齢的にキツイので、子供はその前につくり始めるけどそれでいいわね」

「ああ。よろしくたのむ」

「ありがとう。そうさせてもらうわ。で、さっきの答えはどうなの」

「心境か。実はどうってことはないってのが心境だ。見くびっているからじゃない、むしろその逆だ。統合に向けた戦略は王道でいく、これは刻文宗家の決定事項になっている。俺は神輿に担がれて乗っている。しかし、俺自身が汗をかかないと統合しても誰もついてこない。十年単位でかかる作業だと言われている、いまから気負ってもしょうがないってのが本音だ」

「どの学園のお嬢様方もあなたの争奪戦で凄いって話は入ってる。北部紗耶香を昨日見かけたけど、彼女も入っているのかしら」

 聖也は、ぞわっとした。

 答えを間違えるとこの女の狂気に触れる、そんな感じがする。

「入っている。・・・と思う」

「なんで」

「紗耶香を小さい頃から知ってる。ああ見えて律義、兄の手助けになるので俺の争奪戦に加わっている、いずれ動いてくる」

「そう。今日はもういいわ。主役をいつまでも留め置くのは非礼ってもの、どうぞお行き下さい」

 まだ二十分くらいしか経っていない。

 聖也はどうしても話しておきたいことが一つあったがビジネススーツの女が邪魔だった。

「二人だけで、少し込み入った話がある」

「わかったわ。真琴《まこと》さん、席を外しなさい」

 真琴と呼ばれた女が部屋から出るのを確認して聖也は塔子に向き直った。

「お前。学園経営を学んでみないか」

「面白そうだわね。あなたが教えてくれるのかしら」

「いや。父親に頼むつもりだ」

「あなたは教えてくれないの?」

「俺は来年大学を卒業するがすぐに理事長になることが決まっているんでな。東北中の学園を統合するにはその方が都合がいい」

「・・・・・・」

「刻文宗家の事情によっては先の話になるが俺自身が銀行に入るかも知れない。その時に学園を任せられる人間が必要だってことだ」

「ふぅーん。わたしなんかでいいの?」

「俺は相手の匂いを嗅いで決める。その俺の本能がお前を離すなと言っている。それじゃ答えにならんか?」

「それで充分よ。あなた最高だわ・・・・・・わたしの命をあげる」

 もしかしたら、たったいま最高のパートナーに俺は巡り合ったのかも知れない。

 聖也には錯覚とは思えなかった。
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