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シーズンⅠ-26 再起動

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 二〇〇八年四月五日、東北で今年初めてのソメイヨシノが星那市と刻文市で開花。

 平年より六日ほど早めの春を迎えたと朝の報道番組で紹介されていた。
 
  内田紗栄子は刻文市内を一望できる丘陵地に建つ明治時代創業の老舗料亭の一室にいたが緊張が解けない。

 この一年の労をねぎらう意味合いを兼ねて父親が刻文聖也と紗栄子をここに呼んでいた。

 懐石料理が美味しい上に、父親と来た時は特別料理のコースと決まっていてその味は絶品と言える。

 父親は締めの御飯に鰻のかば焼きをコースとは別に用意させるのでいつも紗栄子は満足しきって店を出る。

 料亭を出て七、八分ぐらい歩くと、あたり一帯が塀で囲まれた日本家屋で出来た屋敷に突き当たる。

 そこは刻文宗家の屋敷、紗栄子の実家だ。

 屋敷は回遊式庭園をメインとして建てられていて、紗栄子はこの実家が好きだった。

 植栽の主役には松を用い、四季の草花は石畳を回遊する上で楽しめるよう配置されており紅葉とナナカマドで秋の気配を引き立たせる。

 母屋は切妻や寄棟、片流れを組み合わせた屋根が特徴の格式の高い日本家屋で出来ている、家屋の外周の半分は軒下伝いに横幅の広い縁側がついており、ところどころに縁台が置かれている。

 池がある周りには天然石が配置され、縁側から見る庭園も見事だ。

 今いる老舗料亭から見える景色も素晴らしいがそれは刻文宗家から見る景色と変わらない。

 刻文銀行が接待用に普段使っている料亭はもっと市街中心部に近い場所にあり、紗栄子が今いる料亭は父親が刻文一族と過ごす時に使う。

 今日に限って絶品料理を目の前にしても紗栄子の気持ちは踊らない。

 これから報告する北部の状況が芳しくないので緊張したままだし気が重い。

「紗栄子、お前を見てるとだいたい分かる。ここに呼んだのは三人でざっくばらんに北部の実態を話し合うためだ。気にせんでいい。ありのままを教えてくれ」

「・・・わかりましたお父様」

 紗栄子は年末年始を挟んだ四ヵ月に亘る北部暮らしの状況、特に忘年会の席で刻文をないがしろにするかのような北部一族の言動を報告した。

 初めは自分の中だけにしまっておこうと考えていたが、北部栄心の自信がどこから来るものかをいくら考えても分からなかったので今日の機会を得たことで父親に報告すると決めていた。

「それは間違いはないのか」

 父親の顔が見る間に険しいものに変わっていく。

「間違いありません、お父様。特に北部栄心の言葉は北部一族が北部栄心の周りに集まるタイミングを見計らって発せられたものです。あれほどの自信がどこから来るのかは分かりませんが、北部市が州都に決まったことだけではないと思います」

「紗栄子に向かって北部一族が揃った目の前で、でしゃばるなとくぎを刺したのだな」

 父親は険しい顔つきを崩さず箸を持ったままなのも忘れているように見える。

「はい。歯牙にもかけない格下に対する態度でした」

「うぅーむ。なにかあるな。聖也はどう思う」

「刻文を歯牙にもかけない、紗栄子さんがそう感じたのならその通りなのだと思います。なにか隠し持った武器でも無い限り別格の刻文にそこまでの態度はとらないと思います。ひょっとすると、刻文に対抗するというよりは北部一族を守ることができる武器を何か持っているのではないでしょうか。北海道か他の七つの州のどこかと繋がっているとか、分かりませんが」

 聖也を見るとどこまでも冷静だ。

 顔つきが変わることもない。

「北部が我々に仕掛けることはない、そんな力は北部宗家にはない。紗栄子の報告で分かったが中野家と力が拮抗している以上、さらにその可能性は低い。聖也が言う通り北部を守れるなにかを隠していると見るのが筋だろう。だが、それは他の地域との連携ではないはずだ、間違いなく東北六家の中に答えはある」

 父親が話すのを聞いて紗栄子はこのタイミングだと思い、今まで悩みながらも考えてきたことを父親に話してみようと決めた。

「お父様。だとすれば北部学園は我々が考える学園統合の話には絶対に乗ってこないと思います。しかも中野塔子と聖也君の結婚が裏目に出る可能性もあります。中野家と手を結ぶのを表には出さずに北部銀行を支配下に収めるほうが安全ではありませんか」

「うむ。北部栄心は何を隠し持っているのだろう。それによっては刻文に甚大な被害が及ぶことも考えられる。それが分かるまで結婚の発表は控えるのが無難か」

「紗栄子さんが言った裏目に出るとは、中野との婚儀がきっかけになり北部一族が結束して反撃に出るということでしょうか」

「それもあります。力が拮抗しているだけに、州都になる北部はここぞとばかりに中野家を裏切り者扱いしてくる可能性は高いと思います。中野塔子には悪いが結婚そのものも状況次第で破談にしてもいいのではないでしょうか」

「うぅーむ。状況次第では切る・・・か。私の方も二人に話しておかねばならないことがある。民自党への根回しにやっと感触を掴めた」

「お父様、それはどういうことでしょうか」

「州都の内定以来ずっと民自党と交渉している。北部銀行に我々が関与する事案への打診についてだ、もちろん金融庁にもだ。東北みらいホールディングを使おうと思っている、その感触をついこの前に得た」

 読めた、そういうことだったのか。

 茂上銀行遠藤副頭取に紗栄子を接触させ、第三者割当増資の手柄を遠藤副頭取に与える方針もすべては北部銀行を支配下に収める算段に繋がっていたのだ。

「お父様、それは東北みらいホールディングに北部銀行も参加させるということですね」

「そのとおりだ。聖也君にも協力してもらう。まず刻文銀行と北部銀行がいつでもやり取りできる環境をつくる。他から見て違和感がないようにするには刻文学園へ二行が協調で融資する案件が自然だし無難な方法だ、大友副頭取と経営企画部に動いてもらうつもりだ。関係ができた後で徐々に東北みらいホールディングの話を詰めていく」

「理解できました。父へは私から伝えておきます」

 聖也の即答を聞いて、紗栄子は具体的に動き出す父刻文銀行頭取の覚悟の強さを改めて感じ取った。

 あとは中野塔子との縁談が吉と出るか凶と出るか。

 聖也もそこを感じているはずだ。

「頭取。中野塔子が子供を欲しがった場合のことですが」

「それは刻文の仕来たり通りでいきなさい」

 刻文各家の次期当主が結婚の発表をするのは三十二歳だが子供はその前に作ることが多い、しかも作る相手が一人とは限らない。

 例え複数の相手との間に子供が出来たとしてもすべて認知する。

 各家の次期当主の血族を増やせばいずれ力になるからだ。

 三十二歳にしてその中から正妻を娶る。

 正妻の座を射止められなかった女性がその後で誰と結婚しても問題はないし、既に生まれている子供が不利になることもない。

 この刻文一族の独特の風習は東北六家の中でも公になっていない。

 血族を増やした結果、骨肉の争いに発展することもある。

 力のある者が後を継ぐ。

 一族内の争いを表に出さないために対外的には三十二歳まで帝王学を学びその年齢に達した時点で結婚相手を公表する仕来たりが刻文一族だと思わせている。

 各家の次期当主が後を継がない場合も出てくる。

 今回は三十二歳よりずっと早く結婚を発表する。

 紗栄子は鉄の仕来たりを破る了解を北部制覇と引き換えに一族から得ている。

 一方で、秘かに紗栄子は北部制覇の過程で刻文一族を抜き差しならぬ状態に巻き込む算段を立てていた。

 もし失敗しても紗栄子だけが火の粉を被ることが絶対ないようにする、その場合は刻文一族全体の責任へ転嫁して生き抜くと紗栄子は決めている。

「分かりました。もう一つ、北部紗耶香ですが。私との結婚を望んでくる可能性があります」

「確かにそれはある。北部にすればまたとない縁組みだろうが・・・付き合うのは構わない、せいぜい気を持たせてやるのも悪くない。子供は控えなさい。いいね、聖也君」

「わかりました」

「紗栄子の言う通り、今の段階では中野家のバックに我々が付いたことを表に出さない方がいいのかも知れん。が、それにしても忌々しい」

「北部栄心が持っている武器というか切り札を探る方法ですが」

「紗栄子になにか策があるのか」

「北部栄心が何を隠し持っているかを北部一族もごく一部しか知らないはずです。知っているとすれば栄心の側近と子供二人だけかも知れません。その状況で我々が動いてもきっと何も分からないと思います。ここは北部を一番知っている中野家にこの仕事はさせるのがベストかと。いかがでしょうか」

「うむ。聖也はどう思うかね」

「それが最善かと。茂上と星那を傘下に収めるのにあと三年は要しますのでその間に調べてもらえれば手が打てるかも知れません」

「よし、決まった。北部栄心とその子供二人の動きを定期的に探る手配は私がやる。それとは別に中野家に動いてもらおう。窓口は中野塔子の方が目立たなくていい、中野塔子にさせなさい。段取りは紗栄子に任せる」

「はい。おまかせ下さい。急ぎ取り掛かります」

 一段落したのでこの後は雑談に入った。

 始まる前の憂鬱さが消えていくのが分かる。

 これで闘いの場に紗栄子自身が残れる。

 北部での立場がどんなに軽く見られようとも落ち込んでいられない。
 
 必ずやり返して見せる。

 東北の覇王である刻文宗家に生まれた自分をここまで軽くあしらった報いは受けさせる。

 紗栄子の顔が見る間に変わっていたのを紗栄子自身は気が付かなかったが、刻文聖也から「本当に怖いのは紗栄子さんかも知れませんね」と言われた。

 それを聞いた父親は「覇気が戻ったな」と頷き、「紗栄子、ほらいつも通りしっかり食べなさい」と言われお膳を見るとまだ何も手を付けていなかった。

 箸を手に取りながら、ゆっくりと再起動していく自分を紗栄子は感じていた。


****


 紗栄子は失地回復に一気に動いた。

 紗栄子が中野塔子に接触したのは父親と聖也と会合を持った日からわずか三日後だ。

 茂上銀行の遠藤副頭取を通して連絡を取り、刻文市街中心部からほど近い所にある刻文銀行が接待用に使っている料亭『駒辰《こまたつ》』で夜の会食を持った。

 中野塔子が仕事を終えて十九時ちょっと前の新幹線に乗れば北部からだと十九時半には刻分に着く。

 一泊して翌朝の新幹線で通勤してもらう。

 用意した宿泊先は刻文駅と繋がっている鉄道会社経営のホテルにしてある。

 紗栄子は中野塔子と挨拶を交わしたあとでツインタイプで予約した部屋の鍵を手渡した。

「お部屋取って頂いてありがとうございます。内田さんにお目にかかるのを前から楽しみにしていました」

 紗栄子は刻文聖也よりも前に中野塔子と接しておく必要があったのでこのセッティングを急いだのだが、第一印象は先入観があっただけにそこまでは悪くなかった。

 確かに、茂上銀行の遠藤副頭取から聞いていた通り中野塔子は能面顔で表情に変化がない話し方をする。

 抑揚がなく暗い印象も聞いていたのと同じだ。

 だが、紗栄子に対する接し方は少し緊張している様子が伺えるし、話す内容もしっかりとしたものだと思える。

 会食の間でどこかで笑顔が見れるだろうかと思ったが、それは紗栄子次第のような気もする。

「塔子さん、それは嬉しい言葉です。これから長いお付き合いになります。北部で会ってもよかったのですが嫁いで来られるので刻文にしました。どうぞ名前で呼んで下さい」

「はい、そうします。嫁ぐと言ってもまだ先のことになるんですよね」

「そのことも含めて塔子さんとは初顔合わせですが、いろいろと今日は相談したいことがあるのです」

「わかりました。時間はどのくらい掛っても問題ありません。紗栄子さん宜しくお願いします」

 このあとの三時間を中野塔子と二人だけで料亭『駒辰』で過ごした。

 聖也と塔子が会う前に中野家の窓口に中野塔子がなったことを伝えねばならない。 

 中野塔子を指名したことを伝えたが中野塔子は驚かない、ただ「わかりました」と口にしただけで本当に役割の重大さを分かって言っているのか紗栄子のほうが少し不安になった。

 中野塔子が一番聞きたいのは刻文聖也のことだと思うが、そのことについて何も聞いてこない。

 コース料理を食べながら紗栄子だけでなく中野塔子も途中から日本酒に変わっている。

 中野塔子が選んだのはフルーティな味覚のやつで紗栄子も好きな銘柄だったことでどこか親近感を持ってしまう。

 そろそろ刻文聖也のことを聞きたがるかと思ったが聞いてこない。

 中野塔子が聞いてきたのは紗栄子のことだった。

「東北随一で別格の刻文宗家の紗栄子さんには昔から憧れていました」

「会うのが楽しみっていうのもそこから来ていたのね」

「はい。この先、紗栄子さんが刻文を率いることになっても驚きません。紗栄子さんにはそのお気持ちがおありでしょうか」

「そんなことは聞かれて答えることではないわ。第一、刻文には兄がいます」

「誰もが認める跡継ぎならばそれでもいいと思いますが」

「それって、どういうこと」

「お兄様の評判は良くないということです」

「塔子さんっ。酔っているとはいえ言っていい事とそうじゃないって事があります」

「わかっています。紗栄子さんと二人で話し合える機会がそうあるとも思っていません。だから今、聞いておきたいのです」

「困った人ねぇ」

「わたし酔っていません。正直言って緊張しっぱなしです」

「わかったわ。ひとつだけ教えてあげる。刻文聖也に可能性を見ている。これ以上は言わないし言えない」

「・・・・・・」

 中野塔子の糸のような目が見開いている、相当な動揺が走っているのだろう。

 無理もない、自分の結婚相手の名前を出されたのだから。

「わかりました。この話は中野一族には持ち帰りません。わたしだけの中にしまい込みます。紗栄子さん、刻文聖也の相手がわたし程度の者でいいのでしょうか」

「いいとかじゃなく、これは家同士のこと。中野にもやってもらいたいことがあります」

 紗栄子は北部栄心が隠し持つ武器の話を塔子に振ってみた。

 結婚が破談になり中野家を切り捨てる考えが消えていないことはおくびにも出さない。

 調べて欲しいとお願いしたところ「やってみます」と短いがはっきりと動く意思表示をしてきたので、中野家の中での塔子は父親抜きでも自分で決断ができる立場なのだと悟った。

 三時間を一緒に過ごしたが中野塔子の笑顔を見ることはなかった、笑わない、笑った顔を見せない女だった。

 紗栄子と会うことを待ち望んでいたことは本当のようだ。

 この中野塔子という人物は紗栄子以外にはどんな顔を見せているのだろう、少し気になる。

 それが優しさとはかけ離れていることだけは間違いない。


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