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シーズンⅡ-18 聞き出す

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 二〇一五年九月。

 三月三十一日に工藤有佳と会ったあの日、朝美に宿る恐怖がそのまま露出してしまうとは考えてもみなかった。

 両肩に手を置かれた瞬間に緊張で動けなくなった、いや、それが緊張だったのかすら今でも分からない。

 一度離れた工藤有佳にもう一度するように指図したが今度は連れ込まれたあの時の車の中がフラッシュバックしてきて怖くなった。

 呪文を唱え、そこに逃げ込んだ。

 こんな状態で会えるわけがない。

 二か月が過ぎてからようやく会ったが、食事をしただけであの日の話題には触れていない、その次もそうだった、このままではいけないと分かっているが今は連絡を止めている。

 工藤有佳と夫婦になるという考えが急速に冷えてきている。

 トラウマと向き合い解決する手段として朝美が取った行動は、危険すぎたのだと分かった。

 それでも、工藤有佳に「母親だけじゃなくその娘も狙った有佳さんの罪は大きいと思う、それを一生かけて償わせたい」と宣言した気持ちはまったく変わっていない。

 どうすればいいのか。

 朝美が考え抜いた先に見えたものがある。

 今こそ、お母さんに約束を果たしてもらうべきだと気付いた。

 お母さんから二人の関係を聞き出す、詳細に聞き出す。

 その上で、会い続けるか、二度と会わないか、を決断する。


****


 朝美の母親、宮藤君子は今年四十三歳になる。

 北部市に越してきてからもう八年になるがお母さんは綺麗なままだ、体型も変わっていない。

 先月末に孝太郎さんはアメリカに留学した。

 結局、婚約はしたが籍を入れるのは留学から戻ってからにすることになった、朝美の仕事先に迷惑を掛けないために親の言うことを聞いたのだ。

 これからの二年間を朝美は今まで通りと同じく実家で過ごす。

 四月から通い始めた調理師専門学校は思いの外に楽しい、カリキュラムは講義と調理実習、そして食品衛生学を学んでいる。

 入学した学校の特徴はグループでの共同作業がほとんど無いことだ。

 苦手なことを後回しにさせないために個人での作業にほぼ特化していると言っていい、仕込みから作業、仕上げまでを全部生徒自身が単独でおこなう。

 学校と提携しているレストランや割烹の調理場にも出向く、二年目にはオリジナルメニューの考案や商品デザイン、店舗経営学、インテリアや照明等の空間演出も学ぶそうだ。

 その日、お母さんと二人きりだったので昼食の後片付けを二人で済ませた後で朝美は一度部屋に戻り、頃合いを見計らってリビングのソファで本読みを始めようとしていたお母さんの隣に腰を下ろした。

「お母さん、中学に入る少し前に約束したことだけど。いまここで教えて欲しい、朝美はそれを聞く権利があったはずなのでここで権利行使します」

「朝美ちゃん、そんな難しい言葉使うなんて・・・」

 お母さんは開いていた本を閉じて横を向いて朝美を見てきた。

「難しいってほどの言葉でもないよ」

「そっか。もう立派な大人ってことね」

 お母さんは改めてって感じで朝美を見て来たので少し照れ臭い。

「お母さん、私ね。この六年間、いつ聞こうかって思ってた。忘れたことはなかったよ」

 ずっと黒朝美だったので工藤有佳と会うまでは忘れてたけど、嘘を付いた。 

「お母さんも一度も忘れてなかった、いつか聞かれる日が来ると思ってたし」

 お母さんは忘れてなかったんだとハッキリわかった。

 今日は納得がいくまで聞き出す。

「お母さん、お願いします」

 朝美は真剣な眼差しをお母さんに向け、少しだけお母さんの方へ身を乗り出した。

 お母さんは、ふぅっとため息をつき閉じた本を握りしめじっとしている。

 本から目を戻すと朝美に顔を向けてきた。

 いよいよだ。

「身も心も離れられなくさせられる、それが有佳さんの恋人になるってこと。この意味はね、有佳さんが求める関係は主従関係だってこと。あの人は自分が主で相手には従うこと以外に求めない人。これでいい?」

 やっぱりそういうことだったんだ。

 なんとなく分かっていた気がするが直接聞くとズシンとくる、重い話だ。

 お母さんを見ると、また本に目を戻している。

 じっとしている。

 重たい空気が二人を包み始めたのが分かったがここで手を緩めてはいけない、もっと詳しく教えてもらう。

「どんなことなのか詳しく聞かせて。そういう約束だったでしょ、お母さん」

 お母さんは腰だけをずらして座り直すとまっすぐに朝美に目を向けてきた。

「これだけじゃダメ?」

 ダメに決まってる。

 詳細を聞き出さないと収まりがつかない。

「お母さんは気付いていないかも知れないけど。わたしね、車の中で怖くて身動きできなかったって言ったよね、この六年間ずっと頭から離れない。夜だって眠れない日もあるんだよ、怖いの。でも、やっと聞けるかなってとこまできた、いま聞かないとこの先に進めない」

 無言の時間が戻ってしまうが構わない。

「気付いてあげれなかった、ゴメンね」

「孝太郎さんと幸せになりたい。だから向き合うことにしたの」

「トラウマになっていたのね。本当にごめんなさい、分かったわちゃんと話す。びっくりしないで聞いてね。ホントに大丈夫?」

「うん、大丈夫だから。教えて」

 お母さんは本は握りしめたままだ、テーブルに置く気はないらしい、というか握っていることを忘れているのかも知れない。

「あの人は一方的に同性を責めることに喜びを見いだす人・・・縛ったりもする。叩《たた》いたりもする。どれも言葉で追い込みながら平気でしてくる。いろんな道具も持ってる。あれから六年経ったけど今も変わらないと思う、いや、絶対に変わることがない人。それが有佳さんよ」

「私がお母さんに言わなければ、そうされていたって思っていいのね」

「間違いなくそうなっていたと思う。朝美には謝っても謝り切れない」

 やっと詳細を聞き出すことができた。

 縛る、叩く、言葉、道具。

 これで身も心も離れなくさせられたのか。

 そうは言ってもすぐには想像できない。

 どう縛られたのか、どこを叩かれたのか、なんて言われたのか、なにを使われたのか。

「他にもいろいろあるんでしょ」

 お母さんを見た。

「興奮状態にしたら途中で止める、一切手を出してこない、その状態で言葉で責めてくる。それを平然とやる」

 また、だ。

 凄い話をしていることは分かるが具体的には何も言っていない。

「興奮状態って言葉じゃなにも伝わらないよ、ハッキリ言って。まだ隠そうとするのお母さんっ」

 一瞬、驚いた顔を見せたお母さんだがその後で真っ直ぐに朝美を見てきた。

 さっきと少し何かが違う。

 なんだろう。

 お母さんの雰囲気がさっきと違ってる。

「分かったわ。前も後ろも同時に犯されて・・・」

 言葉が止まってしまった。

 顔つきが変わってる。

 どうしたんだろう?

「犯されて、それからどうなるの?」

「イク手前で止めてくる、その状態のままで言葉責めをされる。メス豚と呼ばれる。お願いしてもイカせてもらえない。どこまでも堕としてからやっとイカせる。そういう愛し方しかできない人よ」

 なにっ、その訴えるような目は。

 そんな顔つきをここでしてくるなんて。

「メス豚って・・・他にはなんて呼ばれてたの?」

「おばさん、あとは呼び捨て」

 小さな声だったがお母さんの反応は速かった。

 素直になってる。

 君子って呼び捨てにされてたんだ。

 どうしよう。

 お母さんと工藤有佳の話なのに、いま目の前にいる人は触れたら躰を預けてくるような気がする、預けられたらどうなるか朝美自身にも自信がない。

 君子って呼んでみたい衝動に駆られたがグッと堪えた。

「虐められて嬉しかったの?」

 えっ、いま私なんて言ったの。

 冷静な口調だった、しかも自然と口に出していた。

 朝美は自分の口から出た言葉に驚き、そして唖然となった。

 発してしまったものは戻らない。

 朝美は自分にこんな一面があったことに戸惑ったが、訴えるような目をしていた人の方が戸惑いは大きいようだ。

 下を向いてしまったお母さんを見て朝美はさらに冷静になっていく。

「・・・・・・」

 このままずっと下を向いているつもりなのか。

 言葉を掛けてもらうのを待っているのか。

 そうなら、そうしてやるまでのこと。

「お母さん、こっち見てっ」

 顔を上げたお母さんは今にも泣き出しそうな顔になってる、いや、そうも見えるだけでホントは違う、求めている顔だと分かる。

「それは・・・」

 もう、言わなくても分かる。

「嬉しかったってことだよね」

「はい。そうです」

 なにその言葉使いっ!

 朝美は立ち上がり急いでその場を離れた。

 そのまま部屋に戻り鍵を架けベットに横たわった。

 危なかった、本当に危なかった。

 あり得ない、あり得ない、わたしどうかしている。

 お母さんのせいだとは思わなかった。

 朝美が追い込まなければお母さんはああはならなかった。

 お母さんが求めたのは朝美じゃなく工藤有佳だと思うことにした。

 六年も経つのに工藤有佳のことが忘れられないでいるお母さんを、少し可哀想だと思うことにした。

 そう思うことにして、信じられないくらいに火照ってしまった躰の本当の原因をそっとしまい込んだ。

 
****


 どんな顔をして部屋から出ればいいんだろう。

 涼子お姉ちゃんが帰ってきている。

 結局、朝美は晩御飯まで部屋から一歩も出なかった。

 普段通りに接すると決めて食卓に着いた、今日のメインをみると餃子だった。

 市販の冷凍餃子だけどこれがまた美味しい、出来立てが涼子お姉ちゃんと朝美の皿に六個づつ、お母さんのは次に焼いてからだ、一袋で十二個だからだ。

「いただきます」

 二回目が焼けてお母さんが自分の分を取る前に二人の皿に追加を置いてきた時に涼子お姉ちゃんの「えぇっー」って奇声が聞こえた。

「いま朝美に三個置いたよね、なんで同じ子供で差別するのお母さん」

 涼子お姉ちゃんがキッとお母さんを見ている。

「あらっ、気が付かなかった」

「長女に三個で次女に二個なら波風が立たないのに、その逆って長女が可哀想すぎるでしょ」

 朝美は見ていた。

 最初にお姉ちゃんの皿に二個、朝美の皿にも二個、お姉ちゃんがぱくついた瞬間にもう一個をお母さんはさっと置いてきた。

 慌ててお母さんはお姉ちゃんの皿に二個追加した、これだとお母さんの取り分は五個しかなくなる、お姉ちゃんの機嫌は瞬間で直り餃子の歴史の続きを話し始めた。

 前回食べた時は、中国で紀元前から食べられており唐の時代の古墳から餃子らしき化石が出土したところまでだった。

 これで安心した、涼子お姉ちゃんが朝美の分が一個多かったことに食いついてきていたら勘ぐられたかも知れない。

 食後の後片付けでお母さんと台所で並んだ。

「涼子に気付かれちゃった」

「涼ちゃんとお母さんは性格似てるんだから、気を付けないとダメでしょ」

「すぐバレるってこと?」

「そういうこと。餃子一個で秘密を持ったことがバレるなんて洒落にもならないでしょ」

「今日はごめんなさい。席を立ってもらって助かった」

「お母さんのせいじゃないから。また続き聞かせて」

「・・・はい」


****


 その夜、朝美はなかなか寝付かれなかった。

 訴えるような目、求める顔、そしてお母さんが発した実の娘に決して使うべきじゃないあの言葉「はい。そうです」が焼き付いて離れない。

 さっきお母さんの勤務表を確認したが今日と明日が休みでその後は日勤が続いているので二人きりになるのは難しい、続きを早く聞きたい、またあんな風になったら席を立てばいい。

 寝付かれないままでうとうとして朝を迎えた。

「少し熱があるから学校休む。お母さん、連絡入れて」

 涼子お姉ちゃんが部屋にやって来て「餃子の神様の怒りに触れたのよ。あぁー怖い」って言ってきた後で「プリン好きでしょ。帰りに買ってきてあげる」、顔だけ見てると仕事は順調そうに見える。

 お母さんが熱を測りに来たが平熱で「もう専門学校に連絡入れちゃったけど、これなら行けるんじゃない?」って聞いてきたが「今日は行きません」と突っぱねた。

「じゃぁ行くね。しっかり休むのよ」

 お姉ちゃんが出勤してじっと三十分を待ってから朝美は部屋を出た。

 パジャマをジャージに着替えるかどうか迷ったが病人らしくパジャマのままにした。

「お母さん、ちょっと」

「あらっ。寝てなきゃダメでしょ。どうしたの?」

「分かってるでしょ。部屋に来て」

 それだけ言って朝美は部屋に戻り、ベットに腰掛けてお母さんを待った。

 まもなくやって来たお母さんに「隣に座って」とだけ言い、お母さんは何も言わずに隣に腰掛けてくれた。

「私が、『有佳さんに虐められて嬉しかったってことだよね』って聞いたときに何て返事したか覚えてる?」

「覚えてる」

 ちゃんと覚えてるんだ、覚えてないのかと思っていたのに。

「言ってみて」

「言えない」

 えっ、言えないって確信犯だったってこと?

「なんで」

「だって恥ずかしい」

 そういうことか、自覚はあるんだ。

「こっち見て」

「・・・・・・」

 お母さんと目が合う。

「言いなさい」

「はい。そうです。って言いました」

「娘に対して使う言葉じゃないのは分かってるでしょ」

「ごめんなさい」

「謝らなくてもいいから。今日もこれから色々と話してもらうけど、私に分かるように事細かく具体的に話すことを忘れないでね」

 この後、正午近くまでお母さんと二人きりで話しをした。

 
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