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シーズンⅡ-16 下衆

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 今の刻文は一枚岩ではないと刻文塔子は夫の聖也から聞かされている。

 昨年、二〇十四年秋の異動で内田紗栄子経営企画部副部長が部長に昇進した人事がきっかけで一枚岩が崩れたと行内では噂になっているそうだ。

 紗栄子さんの兄の刻文正臣《こくぶんまさおみ》が取り巻きを通じて噂を流したと夫の聖也は見ている、兄と妹で地位が逆転したのが許せなかったようだ。

 内田紗栄子さんの昇進には聖也の貢献が大きい。

 二学園を統合する過程で聖也の後ろ盾として内田紗栄子さんは行内で力を見せた、それが部長昇進の原動力になっているからだ。

 にも拘わらず塔子と紗栄子さんの関係は驚くほど無い。 
 
 近い親戚だし学園統合を聖也と紗栄子さんで進めているので塔子との接点もあると思っていたが違っていた。

 一度、紗栄子さんを入れて聖也と三人での飲み会が決まったが直前で用事が入り紗栄子さんが来られなくなったことがある、日を改めたのだがまたしても急用が入りキャンセルされた。

 二度のキャンセルの後は一度もセッティングされないままで今日まできている。

 敬遠されていることだけは分かる。

 結婚前に紗栄子さんの呼び掛けで料亭で過ごしたあの三時間以外に二人で会ったことは一度もない、あの時はそんなに悪い感じでもなかったと思うが嫁いで来てからの紗栄子さんは塔子を避けているとしか思えない。


****


 二〇一五年八月末、午後三時。

 塔子は聖也と共に四歳になる息子を連れて刻文宗家を訪れた、先に到着していた内田慎之介、紗栄子夫妻も小学校一年生の息子を連れて来ている。

 刻文宗家には刻文正臣夫婦が同居しているが今日はどうやら留守のようだ、これほど嬉しいことはない、とてもじゃないがあの高慢な男には会う気になれない。

 つい先日のことだ、刻文正臣が学園にやってきた、聖也が居ないのを知っていてやって来たと言われた、「お前に忠告をしに来た。紗栄子だけでなくお前も出しゃばり過ぎだ、聖也に銀行業をやらせてどうする気だ、学園経営に専念させるよう振舞うのがお前の務めだと分からないのか。聖也の首に鎖でも付けて置け。分かったな」、わざわざそれだけを言いに来る神経が分からない。

 敵意が伝わってきただけではない、この男はどこかで紗栄子さんや聖也を潰しに来るはずだと理解した。

 聖也に話したところ「しばらくは静観するのがいい」と言われているが、女同士で話し合うことも聖也のためにも必要だと塔子は思っている、紗栄子さんとは一度じっくり話をしておかなければならない。

 今日はチャンスかも知れない。

 今日はこれから移動して明治時代創業の老舗料亭で懐石料理のフルコースを味わう、料亭は刻文市内を一望できる丘陵地に建つ刻文宗家から歩いても七、八分の距離にある。

 塔子は初めてこの料亭に入る。

 刻文正和からの招待で今日の主役は塔子だ、子供達は料亭の別室で慎之介さんが面倒を見てくれることになった.

 最初の計画では子供達はそれぞれのお手伝いと食べて先に帰る手はずになっていたのだが慎之介さんが「同席しないで子供達と一緒にいる」と言ってきたことで変更になった、刻文正和頭取からも「それでいい」と許可を頂いた。

 紗栄子さんの息子が優しいので塔子の幼稚園に通う息子もお兄ちゃんが大好きだと言う、面倒を見てくれる慎之介さんには感謝しかない。

「乾杯っ。塔子をはじめ中野一族の活躍に助けられた、今日は塔子を労う。塔子、よくやった」

 刻文正和頭取の挨拶で塔子の慰労会は幕を開けた。

「ありがとうございます。すべては聖也さんの指示で動いたことで成し遂げることができました。私が何かを発想したことはありません、このような席を設けて頂き本当に恐縮しています」

「分かった、まあ、よい。聖也の凄さは分かっている。いい機会だから一つだけ聖也に教えておこう。塔子もよく聞いておきなさい」

 聖也の「是非、お願いします」と塔子の「はい」が同時だった。
 
「聖也にはこの数年、銀行業を学んでもらっている。その上で、一つだけ教えておきたいのは、風向きに逆らうことなく王道を歩む経営をする、という一点だ」

「はい。肝に銘じます」と聖也が応えた、塔子は出しゃばらない方がいいと判断したので黙っていた。

「刻文銀行は王道を歩む銀行だ。日本で起こる金融の変革、最新の金融技術と言ってもいいが、それを取り入れることも王道の一つ、いま起きている波のことは聖也も知っておろう」

 聖也を見ると自然体のままだ、塔子には波の一つもそれが何なのか分からない。

「はい。バックオフィスの入力等の作業や融資審査の一部を人工知能に代行させる動きが一つ、個人客向け家計簿アプリとスマホ対応が一つ、そして法人客へはいま検討しているクラウド会計アプリの導入、すべて最新の技術になります」

 この男はいつこんな知識を覚えたんだろう、いやこれは知識じゃない、銀行業への携わり方が半端なく真剣なのだろう、それでいて刻文学園の経営に何ら支障をきたしたのを見たこともない、凄いオトコと結婚したのだと改めて思う。

「その通りだ聖也、中でもいま法人の分野で吹いている風は皆を巻き込む。東京支店の報告だと年内にもこの会計アプリを導入する地銀が出るらしい。金融庁内でも噂になっていて林原新長官が注目しているそうだ」

「長官は顧客本位のモデル地銀の一つにしたいのでしょうか」

「だと思う。あのアプリは革命かも知れん。刻文にある事業所数は十万を超える、そのうち小規模企業者が九割。言い換えれば従業員二十名以下、卸やサービス、小売だと五名以下になるが、この層で起業している顧客があのアプリを使うメリットは大きいだろう」

「確かに頭取のおっしゃる通りだと思います」

「うむ。このアプリを最初に導入する地銀がモデル地銀になるのはいいことだ、我々は状況を見ながら付いて行けばいい。見えんのは長官が一押ししている利益率の高いスガガ銀をモデル地銀に既に決めていることだ。説明を受けたが未だにピンとこない。聖也はどう見る?」

 難しい話になりそう、塔子は紗栄子さんを見たがこっちも自然体のままのような気がする、この類の話には慣れているのだろう。

 遠慮せずに食べることに専念すると決めた、三人へのお酌は自分がする、塔子を労う会だとしても血筋、序列、よそ者、どれをとっても塔子が動くのが自然のような気がする。

「例の経済誌から頭取に文書で回答する依頼が入ったと聞いておりますが」

「既に回答してある、来月号で特集するそうだ。驚いたよ、全国の銀行頭取を実名入りで全員をランキングにして公表するそうだ。林原長官が誕生した途端に地位の高い経済誌がタブーに挑む、こんなことは経済誌の意志だけでできることじゃない、これは財務省と呼吸を合わせた金融庁長官の意志だと私は思う。違うかね」

「はい、そう思います。だとすれば先程の話ですが、そのランキングの一位にスガガの頭取が載るのではないでしょうか。顧客本位の業務運営で収益を上げるモデル銀行の頭取が一位なら長官の真意が全地銀に伝わりやすいですから、あれを見習えと」

「だろうな、九行頭取会議でも同じ話が出ていた。スガガ銀は個人へシフトしたのが早かったようだ、ジェイ・ビー・ビーカードの取次を止めて銀行本体でカード発行したことで個人顧客の情報をいち早く管理できて顧客に合わせた対応が他行より数段可能になったと、レクチャーでは確かそういう説明だった。ピンとこないのは地銀平均利ザヤ率を一パーセント以上も上回っている事実だ、平均で〇・五パーセント台だと言うのに一・七など信じられん稼ぎ方をしている」

「アメリカにいた林原長官の意図はウエルズ・ファーゴの日本版をスガガを突破口にして作り出すということでしょうか」

 頭取へのお酌は聖也がやってくれている、塔子は広いテーブルの反対側に回って紗栄子さんの傍まで行きお酌をした、ありがとう気が利くわねとサラっと返されただけでそのあとの会話はなかった。

 紗栄子さんに接触するチャンスもないままで塔子は席に戻らざるを得ない。

「聖也、その視点は鋭い、可能性は否定できないと思う」

「はい」

「なにせウエルズ・ファーゴ銀行はサンフランシシコに本店を構えているにも関わらず全米一の店舗網を持つ世界最大級の地銀と言ってもいい。そのウエルズ・ファーゴ銀で口座開設した顧客は公共料金の引き落とし口座や投資信託の口座開設などの口座の開設数がアメリカの銀行平均より遥かに多い、突出している、顧客本位のお手本みたいな銀行だ。相当、調べさせたがマニュアル化されているところまでは調べがついたが肝心な部分が分からない。いずれにしても今度の長官は徹底している、スピードも速い、内閣の信頼も厚い。ランキングで最下位になる頭取はたまったもんじゃないだろう。それだけは分かる」

 このあとしばらくは談笑に戻り、締めのうな重を頂いたところで頭取が「ところで塔子」と顔を向けてきた。

「せっかくの慰労会だ。何か塔子が望むものがあればこの場で言ってくれて構わん。どうだ」

 聖也を見た、頷いてくれている、塔子が何かを言っても大丈夫ということだ。

「刻文の作法や仕来たりは聖也さんのお母様からずいぶんと教わりました。その上でなのですが、紗栄子さんから地域経済の事などを時々でいいのですが教わり学園経営に活かしていきたいのですが、紗栄子さんから教えを乞うことを許して頂けますでしょうか」

 刻文正和頭取の目を見て塔子はお願いをした、直後に紗栄子さんを見たが顔がこわばっている、どこまでも塔子を避けたいということか。

「どうなんだ紗栄子は。塔子のたっての頼みなので私としても聞き入れてやりたいが」

「・・・分かりました、私でよければ。聖也君もそれでいいですか」

 聖也の「よろしくお願いします」に続けて塔子も「ありがとうございます」と一礼した。

 何とか突破できた。

 頭取が「よし」と一声発してから全員を見渡してきた。

「これでこそ慰労会と言うものだ、塔子の願いは叶えられた。来月中に一族を集めて会議を開く、段取りは追って伝える。北部と右竹の件についてだ、覚悟して臨むよう今から心掛けておいてくれ」

「御前会議ですね、承知致しました」

 聖也が受けて応えたところでお開きとなった。

 刻文一族の御前会議に塔子は初めて参加する、いまから緊張が半端ない。


****


 日を置かずに内田紗栄子さんから連絡が入った。

 こんなに早くと思ったが、頭取から紗栄子さんに塔子と定期的に二人で会うようにとの指示が下されたらしい、聖也がそう言っていた。

 もう一つ聖也が教えてくれた、中野一族を使いこなすには塔子を懐に入れておく必要があるということだろう、と。

 それを紗栄子さんにやらせる、塔子からみれば願ってもないことだ。

 土曜日の昼過ぎに塔子は子供を連れて内田家を訪ねた、紗栄子さんの提案でこうなった。

 子連れで自宅で会うなんて。

 子供たちの面倒はお手伝いさんが見てくれている、紗栄子さんと二人でリビングに接している部屋に入る。

 ここならリビングで遊んでいる子供たちに何かあればすぐ対応できると言われたが、その言い方に釈然としないものを感じる、なぜなのかは分からないが。

「膝を崩していいのよ。さぁ、どうぞ。召し上がれ」

 和菓子が出されている、塔子は座布団の上で正座していたのだが許可が下りたので膝を崩した。

 この部屋は純和室のつくりになっていて隣のリビングとは曇り硝子の障子で仕切られている、紗栄子さんとは横長の大きなテーブルをはさんで向き合っている。

「いただきます」

「地域経済のことだけど、どの辺から聞きたいってのはあるのかしら」

「よろしくお願いします。その前にお伝えしておかなければならないことがあります」

「・・・わかった、言ってみて」

 塔子は紗栄子さんの兄の刻文正臣が刻文学園を訪ねてきたことを伝え、聖也はしばらく静観すると言っていたことも併せて伝えた。

「よく教えてくれたわね」

「前に言ったことですが覚えてますか」

「覚えてるわ、兄の評判が良くないってことでしょ。あなたのストレートな物言いには少し驚いたけど、あの時に聖也に可能性を見ていると教えたわよね」

「はい。その通りになっていることに驚いています」

「驚くことはないわ。仮に聖也が抜けたとしても塔子さん、あなたなら学園を切り盛りできるでしょ、聖也も太鼓判を押していたけど、知ってた?」

「知りませんでした。正直言って、切り盛りできる自信はまだないです、どうか私に自信をつけさせて下さい、紗栄子さんとこうしてお話できることが何よりの励みになります」

「またそんなことを」

「尊敬しています、そして憧れています」

「前に初めて料亭で会った時にも昔から憧れてたって言ってた」

「その通りです」

「塔子さん、あなたは私という人間の何を知っているっていうの、何も知らないでしょ。刻文宗家という別格の家に生まれた娘に憧れてるだけよ」

「確かにそうかも知れません。でも、憧れの人を見つけたら、きっと、そのあとからその人のことを知りたいと思うのは自然なはずです。いまは紗栄子さんのことを何も知らないかも知れませんが知りたいと思っている気持ちに嘘はありません」

「知ってどうするの、そんなことよりもっと自分を磨くことを考えなさい」

「ぜんぶ、隅々まで紗栄子さんを知りたいんです」

「な、なんてことを言いだすの。お父様が定期的に二人で会いなさいと決めたことは私を知るためなんかじゃない、塔子さん、あなたを伸ばすためなんだからそこを忘れないで。いいわねっ」

「いいわねって言われても」

「なにその顔、私から教えを請いたいというのは・・・嘘なんでしょ」

「なんでそう思うんですか」

「あなたが狙っていることは知っているのよ」

「なんの話です?なにを狙うと言うんですか」

「しらばっくれないでっ。あなたがサディストで狙う対象が同性だってことはとっくに調べがついている」

「ふぅぅーん、そういうことか。紗栄子さん、私を避けてましたよね」

「当然でしょ」

「裏返せばずっと気になっていたということ」

「どこがっ、下衆のくせに、よく言うわ」

「言ってくれますねぇ」

「心が卑しい者のことを下衆って言うのよ、塔子さんにピッタリ」

「さすが絶対的権力者の一人ですね。嫌みがないぐらい突き刺さります。その下衆な女に犯される想像は楽しかったですか」

「懲りない人ね。憧れの人を犯すって発想が下衆そのもの、ずいぶん想像してさぞかし楽しんだんでしょうね。イク時に私の名前でも叫んでいたんじゃないの?あの時の声大きそう、気持ち悪いんだけど」

「紗栄子さんの方がよっぽどサディストの資格持ってます。ここ、障子一枚で隣と筒抜けだから。二人だけの時でも同じことが言えますか」

「あなたねっ、いいかげんにしなさい」

 ・・・塔子の子供は遊び疲れて寝ている。

 家に戻る運転をしながら紗栄子さんとの会話をなぞる、もう呼ばれることはないような気がする。

 家に戻ってしばらくすると紗栄子さんから携帯に連絡が入った。

 来週の土曜日が空いていればまた家に来るように、子供がお宅の子に会いたがっている、了解で返事を返した。

 また、あの筒抜けの和室か。


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