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シーズンⅡ-12 優しさに涙

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 三人を玄関で見送ってから自室に戻った紗耶香はあの忌々しい京香の顔を思い浮かべ悪態をついた。

 本人を目の前にしてつきたいのだが大人げないので我慢している。

 本当にしゃくに障る女だ。

 二〇一五年一月八日、健将お兄様と京香の結婚披露宴が滞りなく進み、その日の夕方、新婚旅行に発つほんの直前のことだった。

 京香から思いもかけない言葉を投げつけられたのだ。

「工藤有佳さんと会うのはもうおよしなさい」

 えっ、なんで有佳の名前が出てくるの、それも結婚式当日に。

「なんのことかしら」

 しらばっくれるのが一番だ。

「あなた達、ターミナルホテルで噂になってるわよ」

 瞬間で血の気が引いた。

 それほどの一撃だった。

 顔が引きつる、動転する、不意打ちを食らった。

 噂って、そんなはずはないと思ったが、そう思いたいだけで根拠があるわけでもない。

 落ち着かないといけない、どうしてバレたのか。

「・・・・・・」

 言葉が出てこない。

「宗家の娘ともあろう者が何年も、ほんと何年も同じホテル使うからよ。バレないとでも思ってた?一般人の娘と同じ考えしちゃだめでしょ。もう会わないと誓うのなら私の一族が責任を持って噂は断ち切ります。どうなの?」

「・・・・・・」

 思考回路が停止した。

 言葉が出ないし何も考えられない、今すぐこの場から逃げ出したい。

「どうなのと聞いてるのよ。宗家の娘がどうしようもないレズ狂いだと噂が広まってもいいの?」

「わたしはそんな女じゃありませんっ」

 思わず即答していた。

「いいのよ、隠さなくても。女に狂ってもちっともおかしくないわ、バレなきゃね。あなたほど宗家を大事に思ってる人はいないと健将から聞いてる。こんなことで北部宗家に傷がついてもいいの?答えなさいっ」

「・・・わかりました」

「今この瞬間から連絡も一切取らないこと。もしも破ったのならどうなっても知りません」

「よぉーく、わかりました」

 回路の遮断が終わり思考が戻ってきたが顔が強張ってしまい京香を睨んでいるのが精一杯だった。

 借りが出来てしまった、しかも大きな借りだ。

 京香ごときにと思うと腑が煮えくりかえるが噂が広がることの方がよほど恐ろしい。

 京香は兄と同い年だから沙耶香とは二つ違いで今年二十九歳になる。

 一回りも年上に見える時がある、雰囲気がそうさせるのだ、身長が百六十三センチの沙耶香より五センチくらい高いのも手伝っている。

 あれからどうなったのかを京香は教えてくれない。

 玄関から自室に戻った紗耶香が京香の顔を思い浮かべ悪態をついていると携帯が鳴った。

 着信音を聞きまさかと思ったが携帯の画面を見ると京香の文字が映し出されている、京香用の着信音を登録してから初めての着信だ、「少しお時間よろしいかしら」と言われ一拍以上の間を間違いなく置いてから了解で対応した。

 三ヵ月近く母屋と離れの建物ではあるが同じ敷地内に住んでいるのに呼び出しは初めてのことだ。

 離れに向かいながら沙耶香はなぜか胸騒ぎを覚えた。


****


「お姉さん、どうなさったの?なんの御用かしら」

「健将が帰りは零時過ぎるって言ってたの、たまには二人で飲みながら話でもしようかなって、それに見せたいものもあるし」

 京香は広間にいた時の格好のままだった。

 これがお父様の判断を狂わせている。

 確かに我々の邪魔をしたことは一度もないし、北部のことを根掘り葉掘り聞いてくることも京香はしていないがこうも短時間にお父様の信頼を得ることになるとは信じられなかった、そんな京香に嫉妬を覚える。

 結婚式当日の件がどうなったのかを知らせてくれない京香を恨んでいるのもあるが。

 飲み物を聞かれたのでビールと答え、いま目の前にはおつまみの乾きものとビールが置かれている。

「さぁ、まずは女二人に乾杯しましょう」

 グラスを合わせると京香がふぅっーと一息ついてから紗耶香を見て来た、見せたいものってなんだろう。

「薫君って凄い綺麗な顔立ちしてる。わたし今日が初めてだったけど見とれそうになっちゃった。お母様の妹さんのお子様でしょ」

「そうだけど。弟みたいなもんだから手なんか出さないでねっ」

「あらっ、怖い顔だこと。あの件があるから私嫌われてる、そうなんでしょ。そんなに嫌わなくてもいいのに」

 紗耶香が言い返す前に京香が席を立ってしまった。

 しばらくするとノートパソコンを手にして戻ってきた。

「見せたいものがあるの。黙って最後まで見て」

 パソコン?

 何を見せたいのか。

「何よ、もったいつけるなんて」

 画面に映し出されたのは動画だった。

 画面の右上に日付と時間が出ている。

 日付は二〇十四年十二月二十九日、時間は二十三時四十五分、秒は動いている。

 映っていたのは見覚えがある場所だ、ターミナルホテルの廊下だ。

 次の瞬間、紗耶香は顔が引きつり呼吸が止まった。

 このまま止まってしまえばいいと思ったが息を吐いた、そして見続けた、目を覆いたくなる映像が二分近くも続いた後で京香が数倍速で早送りをしてきた、場所はそのままで日付と時間が変わり動かしがたい証拠が映し出され始めた。

 ・・・血の気が引いた。

 目を開けると真上から京香が覗き込んでいる。

 どうしたんだろう。

「気が付いたわね、よかった。貧血を起こしたみたい。こんなことになるとは思わなかったのよ、ごめんなさい」

 どうやらソファの上にいる、京香に抱きかかえられている。

 どのくらい気を失っていたんだろう。

「どのくらい経ったの?」

「二分か三分くらい」

 紗耶香は起き上がりスカートの裾を正し、いっそこのまま起きなくて死んでしまえばよかったとさえ思った。

 京香の顔をまともに見れない。

「中野家でこの映像を見たのは私だけだから安心して」

「・・・そうなの?」

「ええ。あと二人見てる、ひとりは警備の女性、もう一人は副支配人でこっちは男性。他には誰も見てない」

 紗耶香の頭の中で副支配人の顔がすぐに浮かんだ、誠実な人だった。

「あの日の警備員で宿直は二人だったけどもう一人は気が付いていない。あの二分間を彼女だけが見てた。副支配人に報告を上げてその場で口止めされ、副支配人から私に連絡が入ったというわけ」

「なんで京香さんに・・・」

「あなた達がターミナルホテルで噂になったのは本当は一年も前のことなのよ、私が健将に嫁ぐことが丁度決まった頃だった、だから私の母親が手を回して噂を消したの。その後のことは私に任されていたんだけど、嫁いでから頃合いを見てあなたに注意しようと思ってた。ところが去年の年末、結婚式まであと十日だって時に副支配人から連絡を受けた。だから式の当日にあなたに告げたのよ」

「完全に弱みを握られたってことね」

「だれがこんなことで弱みを握るもんですか。それはマスターディスクだからあなたの好きにしなさい」

「信じられない」

「困った人ねぇ。私は嫁ぎ先がスキャンダルにまみれるのは嫌だし白い目で見られるのもイヤ。女に狂ってもちっともおかしくないって言わなかったかしら、言ったわよね」

「そうだけど」

 二分間の映像に映っていたのは全裸で右手首と右足首、左手首と左足首が縛られている紗耶香とショーツだけの有佳の姿だった、有佳はオスになるためのモノを装着している、部屋から引きずり出されるところから始まって、四つん這いで髪を鷲掴みにされて顔だけを持ち上げられ廊下の向こうに顔を向け、その後で床に頭を付けた状態で後ろから犯されている姿が鮮明に映っている、翌日の映像には部屋から出る二人の姿もハッキリと映し出されていた。
 
 どこに監視カメラがあったのか、ずいぶん前だが監視カメラの有無をチェックしたこともあるが見当たらなかった、だから無いと思っていたのに。

 有佳とだったら地獄に堕ちてもいい、そう何度も思いながらも結局は部屋から引きずり出される手前で躊躇してしまうのだがあの日は二人ともタガが外れてしまった、部屋がその階の一番端だったのも二人を大胆にしたのだと思う、有佳に廊下に引きずり出され誰かに見られるかも知れない状況の中で中心部を貫かれた瞬間にはもう頂を迎えていたのだ。

 そのすべてが映し出されている。

「ショックは分かるけど。私が実家にも中野の家にも言ってないってことは信じて欲しい。副支配人はとても誠実な人で口が堅いけど、もしもがあるといけないので無理やりお金を握らせてあるから心配しないで。警備の女の方だけど、絶対に口を割ることはない、方法は聞かないで」

「何をしたの、まさか犯罪じゃないわよね」

「おバカさんねぇ。そんなことするわけないでしょ」

「だったらどうしたの、聞かないと信じない」

「言いたくないんだけど、しょうがないわね。私の女にしたまでのことよ、これで気が済んだかしら」

「なんでそこまでして・・・」

「面白い話を一つ聞かせてあげる」

「・・・・・・」

「塔子様がまだみつつ証券北部支店に勤務していた頃、工藤有佳が塔子様を指名して口座を開きに来たのよ。知ってた?」

「いえ、知らないわ」

「そう、知らなかったのね。井汲温泉であなたと工藤有佳が一緒に居る場面を塔子様は見たそうよ、口座開設に来た工藤有佳に塔子様は自分の本性を出して警告したの、ところが工藤有佳は機転の利いた対応をしてきた、塔子様はものすごく警戒心を抱いたそうよ、そして命令を下したの」

「なんの話をしているの?」

「まぁいいから聞きなさい。それで分かったの、工藤有佳がレズビアンで攻め側だってことが」

「なんで、なんで有佳のことを。ひどい」

「井汲温泉から日が経ってないのに指名してくるなんて、どう考えても北部の犬として探りに来たとしか思えない、塔子様はそう判断されたのよ。調べたらレズビアンだったけどあなたとそういう関係だとは中野の一族、もちろん塔子様も含めてだけど、誰も思っていない」

「・・・・・・」

「井汲温泉に行った日は刻文聖也と塔子様の縁組が決まった日でもあったの。塔子様が敏感になるのも分かる気がする」

 少し休憩しましょうと言って京香は、新しいビールに取り換えに行ってしまった。

 戻ってきた京香は自分にはビール、紗耶香には温かい日本茶を用意してくれていた。

「工藤有佳から聞き出そうとしたこともあったけど逃げられたので後は一度も接触していない。去年、ターミナルホテルで噂になったことを知った母親と私は相当迷ったけど塔子様にお知らせしないと決めたの」

「信じられないっ」

「信じられないかも知れないけど本当の事よ。知らせればいつかどこかできっと怖いことになる、塔子様は残忍なお方だから」

 中野塔子、今は刻文塔子だが、あの能面顔が思い浮かんだ。

 京香は中野一族の中枢にいた女だ、その京香が残忍だと言っている、人を傷つけても平気なのだと思うとゾッとする。

「吐きそう」 

「大丈夫?」

「大丈夫、最後まで聞くわ」

「分かった。年末に副支配人から連絡を受けてその映像を見た時に私は母親にも報告しないと決めたの。あなたを傷つけたくないし嫁ぎ先も傷つけたくない、だから副支配人も警備の女も私と一蓮托生の関係にしたの。これで信じてもらえる?」

 慰められている。

 お茶がやけに美味しい。

 有佳の性的嗜好がバレたのは有佳自身が知らずに中野一族の誰かと関係を持ったからに違いないと思った、そうは思ったがそんな事はもうどうでもよくなった。

 いま目の前にいるこの人は北部紗耶香という人間の隠された裏の顔を知っている、それでも軽蔑した眼差しを向けてこないし自分の支配下に置こうともしてこない。

 人を見る目はあるはず、信じてみたい。

「信じます」

「やっと分かってもらえた。いいお姉さんになれるかどうか分からないけど頑張ってみる、宜しくね」

「そんな、私の方こそ」

 さぁ、もう遅いから今日はここまでにしましょうと言われマスターディスクを手渡されて離れの建物を後にした。

 別れ際の京香が見せた笑顔と優しい眼差しが紗耶香の脳裏に焼き付いた。

 その夜の紗耶香は京香の温かみに触れた思いがして涙が止まらなかった。

 独り言だったがずっと悪態をついていた相手だ。

 忌々しい女、しゃくに障る女、はらわたが煮えくり返る女、そんな風に京香を思っていた、先入観から上辺だけで判断していた自分を紗耶香は恥じた。

 結婚式当日に紗耶香に告げて来た裏にそんな理由があっただなんて知らなかった、今の今まで京香を誤解したままでいた。

 もし、中野塔子が兄に嫁いでいたらとても恐ろしい事態になっていたのだけは分かる、京香は残忍な人だと教えてくれた、そう思うと恐怖が心を支配してくる、あの表情を崩さない能面顔を思い浮かべると身震いする。

 翌日の京香の眼差しは昨夜と同じく優しいまま、それを見て紗耶香は心が落ち着いていくのを知った。


****


 三か月が過ぎ暦の上ではもう七月に入っている。

 紗耶香はこの三ヵ月間の間に京香と冗談を言い合えるくらいには親しくなっている、それを知ったお父様とお兄様は目を細めている、嬉しいのだ。

 北部宗家に一族の者が来る機会は割と多いが、ただの一人も京香の妖艶なスタイルを見た者はいない、あのボディコンミニのワンピ姿は家族と居る時にたまに着るのだと分かってきた、普段多いのはワイルドパンツのコーデだ、ゆるいボトムで履きやすくて疲れないからだと言う、色合いは無難なものを選んでいるようだ。

 有佳とはもう半年以上も連絡を取っていない、これから取ることもない、工藤有佳との恋愛は終わったのだ。

 紗耶香は工藤有佳によって本性を抉り出された、有佳は紗耶香の性的嗜好を見逃さなかった、生涯を通して有佳を愛するという誓いにも似たあの想いが僅か半年足らずで消えていくのを他人事のように紗耶香は感じている。  

 その一方で、守るべき北部宗家の歴史にあぶなく大きな汚点を残すところだったことが一日も頭から離れない。

 自分を犠牲にして紗耶香を守ってくれた京香には、二歳しか違わないのに尊敬の念すら抱く、並の人間に出来る決断ではなかったと思う。

 京香は紗耶香を傷つけたくないと言ってくれた。

 京香の笑顔と優しい眼差しは今でも変わらない。

 気になることが一つある。

 紗耶香のために京香が一蓮托生にした女、京香と警備員の女のことだ。

 京香はどうやって警備員の女を自分のモノにしたんだろう、二人はいつどこで密会しているんだろう、気になってしまう。

 警備員だと体つきが丈夫そうだというイメージはあるが年齢も容姿もまったく紗耶香は知らない、もしかすると五十代、いや六十代の人かも知れないと思うと京香への申し訳なさで気が滅入る。

 本人に聞くわけにもいかない。

 あの日以来、監視カメラの映像について京香が触れてきたことは一度もないので紗耶香の性的嗜好について京香がどう思っているのかも窺い知ることもできない。

 紗耶香の中で変化が起きていることに京香は気付くだろうか。

 京香に対する敬愛の気持ちに紗耶香の中で変化が起きている、悪態をつく対象から今では一番気になる対象に変わっている、有佳を失った穴が京香で満たされていく。


****


「紗耶香さん、ちゃんと聞いてた?」

「もちろん、聞いてましたよ」

「そおぉ、なんだかそっちのけで私の顔ばかり見てた気がしたんだけど」

 ギクッてなったがそ知らぬふりでやり過ごした。
 
 さっきまでお父様とお兄様を入れた四人で、お盆前に訪ねて来ることが決まった刻文聖也と塔子の話をしていた。

 四人での話も終わり今は二人だけだ。

 刻文夫妻は北部学園との提携話を進めるために学園にやって来る、そのついでに京香の嫁ぎ先を見てみたいとの塔子の意向を聞いている。

 刻文学園が北部学園を狙うことはもうない。

 この提携話は北部学園から持ち掛けたものだ。

 刻文学園が傘下に収めた茂上と星那の二学園を健将お兄様は工藤美枝子理事と共に何度か訪れている、そして分かったことがあるそうだ、二学園共に刻文聖也の考え方に心頭しているとお兄様から教えられた。

 聖也の経営の仕方には東北の未来の人材を育て上げる信念が貫かれていてブレないとお兄様は判断している、刻文学園との提携が今の北部学園には望ましいのではないかとお兄様がお父様に報告し今回の話に至っている。

 教授陣の相互派遣と研究施設の相互利用、そして就職先の相互紹介が出来ないかの相談を持ち掛ける形で提携を進めることにしたのだ。

 大学設置基準から見れば教授は一つの大学に専任する自前主義が原則なのでそこをなんとかしないといけない。

 提携の最大の狙いは卒業後に県外に出てしまっている人材のUターンを協力しておこなうこと、この一点だけでも提携する価値があるとさっき話し合ったばかりだ。

 その戦術をじっくりと練るためにお盆前に聖也と塔子がやって来る。

「ちゃんと聞いていたんならいいけど、さっきみたいな顔は塔子様が居る時はしないで欲しい」

「分かりました」

「自覚はあるのね。そんなに私のことが気になるの?」

「なるって言ったらどうします?」

 京香を見た、目をそらすつもりはない。

 京香も見返してくる。

「その気持ちには応えられないわ」

「・・・・・・」

「塔子様に見抜かれたらお終いよ。間違いなくえげつない命令が私に下される、紗耶香さんを守りたいの」

 またしても塔子か。

 塔子が刻文に嫁いで数年が経つと言うのに。

 京香はいまだに塔子を塔子様と呼び続けている、京香の塔子に対する恐れの強さには驚く、ここまでとは思わなかった。

「塔子がそんなに怖いの?」

「怖いです」

「即答なさるのね。リスクを取ってでも私と、という気持ちにはなれないんですね。私の独りよがりだったようです。ご迷惑をお掛けしました」

「一つ言わせてもらってもよろしいかしら」

「なんなりと」

「ここには健将もいるしお父様もいる、北部の方々もよくお見えになる。男の勘が女より鈍いだなんて思わないことね、あなたは警備員の女とは違うのよ、宗家の娘なんだから。顔にも出るし態度にも出る紗耶香さんのままじゃとてもじゃないけどリスクは取れないわ」

 たしなめられている。

 顔から火が出るほど恥ずかしい。

 紗耶香を崖っぷちから救い出してくれたのは京香だ。

 その京香に迷惑は掛けれない。

「もし、もしも、私が変わればその時は脈はあると思って差し支えありませんのかしら。どうなんですか」

「少し、わたしのことをお話しするけど、聞いてくれる?」

「はい、聞かせて下さい」

「知っての通り震災がなければ私が嫁いで来ることもなかったと思う。私は結婚とか子供を作るとかには縁遠い女、縁がないままで一生を終えると思っていた」

 京香は「だけど」と自分に言い聞かせるかのように続けてきた。

「いまこうして健将と結婚している、運命が変わることになるなんて想像もしていなかった、健将との生活を大切にしたい。私のような女でも健将は労わってくれる、お父様もそう。紗耶香さんに今の私の気持ちが分かるかしら」

「お兄様といて幸せだってことですね。その幸せを崩されたくない、そうなんですね」

 あらん限りの怨みを込めて言ったつもりだ。

「この先がどうなるかなんて分からない、いま言えるのはこれだけよ」

 そう言う事なら分かったわ、これからは他人に読み取られるような表情を出さない、それを刻文夫婦がやって来た時に京香の目の前で証明してみせる。

 すべてはそれからだ。
 
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