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シーズンⅡ-11 北部宗家:家族
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入社初日を終えた右竹薫は自宅マンションではなく、北部市内を一望できる北部カントリーゴルフ倶楽部に通じる道の中腹にある広大な屋敷へ足を向けた。
北部宗家当主である北部栄心の屋敷だ。
北部栄心は薫の実父だが、栄心が右竹家との親密な関係をひた隠ししている以上「お父様」と呼ぶのは家族といる時だけに限られる、北部学園に勤め始めた今日からは「理事長」と呼ぶことになる、但し、心の中では「栄心」と呼び捨てにしているのはこれからも変わらない。
広間に入ると薫とは腹違いの二人の兄姉、北部健将と北部紗耶香の他にもう一人いた。
年が明けた一月に結婚したばかりの健将の妻の京香だ。
「ご結婚おめでとうございます」
兄弟の関係を隠しているので薫だけでなく右竹家も式には呼ばれていない。
「その節は素晴らしいお祝いの品を頂きありがとうございました」
薫の祝辞に京香が対応してきた、右竹家が送ったのは新婚夫婦のために改築している離れの玄関に置く高さ百八十センチにも及ぶ中国製巨大花瓶だった、気に入ってくれているようだ。
薫の身分は京香の前では、健将と紗耶香の亡くなった母親の妹、つまり叔母の子供ということになっている。
薫はその叔母とは姓が違う、調べられた場合を考え叔母の前夫の子供で右竹姓を名乗らせていることに手配済みだ、安西の右竹家とは親戚だと京香には伝えている。
ほどなくして和服姿の北部栄心が大きな筒を抱えて広間に入ってきた。
栄心と挨拶を交わした京香を見ていたら「離れの方に戻ります」と言って扉に向かい始めた。
京香が広間から出るのをずっと見ていた栄心がソファに腰を下ろしたので薫も席に着いた。
「あれでいてなかなか京香は場をわきまえている。いつもそうなのか健将」
薫は栄心が言った「あれでいて」の意味が何となく理解できた。
京香という女は一重瞼《まぶた》で凹凸の少ない和風な顔立ちをしている高身長女だ。
地味顔という表現が当てはまると思う。
そこまで綺麗という訳でもないが、人によっては和風美人と評されるかも知れない。
軽くウェーブのかかった肩甲骨に届くくらいの漆黒の髪が地味顔を引き立てている、化粧は濃くない。
スタイルを見ると地味というイメージからは程遠いが似合っている。
黒のセクシーなボディコンミニのワンピに二十デニールくらいの黒色ストッキングなので足のすべてが透けて見える、足が細く見えるような締まりはないがとても肉感的だ。
栄心のあれでいては京香のスタイルを指しているに違いない。
「はい、お父様。京香は自分が宿敵の中野家から嫁いでいることをよくわきまえています。余計なことを耳に入れそうになる場面では必ず遠慮してきます」
健将が即座に答えた。
「そうか。嫁いで間がないというのにたいしたものだ。京香にはこの先も苦労を掛けると思う。健将よ、労わってやれ」
「分かっております、そのつもりでいます」
紗耶香を見ると顔が強張っているし目つきも悪い。
間違いない、京香のことが嫌いなんだ、その分かりやすい態度はお嬢様すぎるだろって思ったが黙っていることにした。
****
「薫よ、やっと学園に来たな。待ってたぞ」
栄心は何を期待しているんだろう、待ってたと言われても困るんだけど。
「待っていたと言われても。私に何かできるとは到底思えません、お父様。私は右竹と北部の子供であるということ以外には何もありませんから」
「まあよい。今日で薫も社会人になったことだし親子四人で今の現状を共有しておくのも必要だろう、そう思わないか」
「思います」
薫が即答したのを見た栄心は、筒から取り出したものを広げた。
日本地図だった、普段よく目にする地図と違いその地図には県の代わりにいくつかの線引きがしてあって九つのエリアに分かれている。
道州制の地図だ。
北海道、南関東、沖縄の三つのエリアは点が一つなので経済拠点と州都が同じだと分かる、それ以外の六つのエリアには二つの点が打ってある、東北州を見ると刻文市と北部市に点があるので経済拠点と州都が違うのが分かる。
「この地図が現実のものとなるのは遠い先のことになった」
そう言ったあと栄心は一呼吸置いて「それは」と続けてきた。
「あの大震災ですべてが変わった。今の民自党はデフレ脱却と震災復興が最優先で道州制の推進は無理だろう、致し方ない」
震災の翌年二〇一二年に行われた総選挙で民自党は大勝を収め政権復帰している、率いたのは任期途中で政権から一度降りた元首相の竹田慎一郎だった、第二次竹田政権が発足し今に至っている。
「お父様」
「なんだ、紗耶香」
「刻文学園が北部学園を傘下に収めようとしてくるとお思いですか」
「いや、京香を嫁がせて来たからにはそれはもうないだろう。刻文聖也が中野塔子との結婚を発表した時には肝を冷やしたが・・・今にして思えば大震災が刻文の野望を打ち砕いたとも言える」
栄心の言葉を聞いて健将が前かがみになった、何か言いたそうだ。
「お父様、確かに。京香を養女にしてからの三年間は私との縁組に中野家は全力を傾けています。学園を狙うことはもうないと私も思います」
健将の言う通りだと薫も思った。
大震災が起きたことで刻文聖也と中野塔子の婚姻は裏目に出たのだ。
栄心の咳払いが聞こえた。
「学園は狙われることはもうない。が、北部銀行は別だ」
「どういうことでしょうか」
健将と紗耶香が同時だった。
「銀行経営が立ち行かなくなるくらい厳しい経営環境にあるからだ」
「北部銀行が危ないということでしょうか」
「いや、そうではない。銀行業界全体が厳しい。日本の銀行はリーマンショックの影響をほとんど受けなかったと言われているが、日本経済はデフレから脱却できず金利は下がり続けている。震災の翌月からは政策金利がゼロになったがそれでも景気回復を見込んだ設備投資に資金が回らない。銀行は利ざやが減るだけでなく貸出もままならない状況に陥っている。貸出しても安全な財務内容の良い相手は資金が有り余っていて借りてくれない。このままいけば地方銀行の統合は避けて通れなくなるだろう」
「一般論として受け取っていいのですね」
健将がポツリと言った。
「実はそうでもない。先日、北部銀行の前田頭取とじっくり話す機会を持った、いま儂が言ったことは前田頭取からの受け売りだ。極秘中の極秘だが、頭取は来年退任される」
「・・・・・・」
こんな話は家族だけが居るからできる話だと薫は思った。
「頭取の後任候補は中野壮一常務と森下司《もりしたつかさ》常務の二人。北部銀行の将来へ向けた道筋をつくった方に任せると言うものだ」
中野壮一は中野一族の統領であり京香の養父でもあるので薫にも分かるが、森下司という常務は初めて聞く名前だった。
「浅野専務ではないのですか?既定路線だとばかり思っていましたが」
納得がいかないという感じで健将が口に出した。
「震災がなければ浅野専務だったと思うが、退任予定だった前田頭取が任期を越して長期政権に移行しているので浅野君は終わりだ、関連会社に出される」
「そういう事でしたか。中野氏と森下氏ですか。道筋次第ってことですね、お父様は何かお聞きになっておりますか」
健将は納得した様子だ、薫にも理解できた。
「それとなくは聞いている。候補の二人共に他行との統合を考えているようだが、前田頭取の見方だと中野常務の方が現実的だそうだ。但し、その場合は刻文銀行と縁が切れなくなる。そうなった時には北部一族の怨みが再度、中野家へ向いかねん」
「恨みの矛先が京香にも向くのではないですか」
そうつぶやいた健将を見ると本当に心配そうだ。
「うむ。仮に北部銀行が刻文銀行の影響下、いや傘下に入ったとしても我々北部宗家が揺らぐことはないのは一族の主だった者は皆知っている。知っていながら恨みを中野親子に向けて来る、そうなれば、ここにいる京香は露骨に嫌がらせを受ける。不憫でならん」
「お父様っ。もともと中野塔子ばかり気にしてましたけど、千葉京香なんて聞いたことも無かったし、その人が中野京香になって嫁いでくるなんて前代未聞の政略結婚ですわ。今さら不憫だなんて、本人はよく承知してるんじゃありませんか」
紗耶香め、ここぞとばかりに攻めてくる、北部一族の皆を代表しているとしか思えない言い方になってる。
健将の顔つきが変わった、ピクッと頬が動き紗耶香を正面に捉え憤った顔を見せてきた、そして「うぅーん」と唸りながら口を開いた。
「紗耶香、そう言ってしまえば身も蓋もない話になってしまう。最初にこの縁談を持ち込まれてから三年になるが、調べたところでは京香にもこの縁談は寝耳に水の話だったらしい、本人がいちばん驚いていたそうだ。京香のような平凡な女が宗家の次期当主である私に嫁いで来るだけでも心情を察するに余りある、それが目の敵にされるなんてなったら、どうなることか。全力で支えてやりたい、紗耶香にもそうして欲しい、頼む」
健将はいっきに話した後で栄心に目を向けている、父親からも紗耶香に言ってもらいたいのだ。
「儂からもお願いする。京香が来てまだ三ヵ月かそこらなのに何年も居るような気になることがある。儂は出しゃばらない京香の性格を買っている。元々、中野塔子と健将の縁組で敵対関係に終止符を打ちたかったのは知っておろう。養女とはいえ京香はれっきとした中野家の娘で相続権も塔子と同様に持っている。我々家族が認めてやらないと北部一族の中で京香は生きていけなくなる。紗耶香、お前の人を見る目は確かなのは知っている、紗耶香から見た京香はどう見えるんだ、言ってみなさい」
場の雰囲気が静寂へと変わったのが薫にも分かった。
紗耶香が京香をどう見ているのか薫も紗耶香の口から聞いてみたい。
「確かに京香さんは平凡な感じでこれと言った特徴があるとも思えませんけど、表と裏はあまりない女性だと思います。しかし、中野の本流に居た女性だったことは間違いないはずです。見極めがまだ出来ていないと言うのが本音ですが、お父様とお兄様は少し京香さんに甘いのではないですか」
嫉妬してる、紗耶香は京香に間違いなく嫉妬している。
「もういい。紗耶香は少し京香を誤解しているようだ。話もろくにしていないんじゃないか、とにかく、京香ともっと接しなさい。これは父親からの命令だ、わかったね」
紗耶香を見ると素直に「はい」と返事をして引き下がっているが、引きつった顔が紗耶香の意志を示している。
こんな顔の紗耶香は滅多に見ることはない。
女の嫉妬ほど恐ろしいものはないのかも知れない。
一段落したところで栄心から「薫の祝いに料亭を予約してある、男三人で初めての飲み会をやろう」と言われ、既に料亭に予約が入ってるので断れない雰囲気にされてしまった。
健将が離れに一度戻り玄関に来た時に京香は一緒ではなかったので男三人の見送りは紗耶香だけだった。
京香にも見送ってもらいたかったとつい思ってしまう。
父親や兄だけでなく薫は自分も京香に甘いと感じながら車に乗り込んだ。
北部宗家当主である北部栄心の屋敷だ。
北部栄心は薫の実父だが、栄心が右竹家との親密な関係をひた隠ししている以上「お父様」と呼ぶのは家族といる時だけに限られる、北部学園に勤め始めた今日からは「理事長」と呼ぶことになる、但し、心の中では「栄心」と呼び捨てにしているのはこれからも変わらない。
広間に入ると薫とは腹違いの二人の兄姉、北部健将と北部紗耶香の他にもう一人いた。
年が明けた一月に結婚したばかりの健将の妻の京香だ。
「ご結婚おめでとうございます」
兄弟の関係を隠しているので薫だけでなく右竹家も式には呼ばれていない。
「その節は素晴らしいお祝いの品を頂きありがとうございました」
薫の祝辞に京香が対応してきた、右竹家が送ったのは新婚夫婦のために改築している離れの玄関に置く高さ百八十センチにも及ぶ中国製巨大花瓶だった、気に入ってくれているようだ。
薫の身分は京香の前では、健将と紗耶香の亡くなった母親の妹、つまり叔母の子供ということになっている。
薫はその叔母とは姓が違う、調べられた場合を考え叔母の前夫の子供で右竹姓を名乗らせていることに手配済みだ、安西の右竹家とは親戚だと京香には伝えている。
ほどなくして和服姿の北部栄心が大きな筒を抱えて広間に入ってきた。
栄心と挨拶を交わした京香を見ていたら「離れの方に戻ります」と言って扉に向かい始めた。
京香が広間から出るのをずっと見ていた栄心がソファに腰を下ろしたので薫も席に着いた。
「あれでいてなかなか京香は場をわきまえている。いつもそうなのか健将」
薫は栄心が言った「あれでいて」の意味が何となく理解できた。
京香という女は一重瞼《まぶた》で凹凸の少ない和風な顔立ちをしている高身長女だ。
地味顔という表現が当てはまると思う。
そこまで綺麗という訳でもないが、人によっては和風美人と評されるかも知れない。
軽くウェーブのかかった肩甲骨に届くくらいの漆黒の髪が地味顔を引き立てている、化粧は濃くない。
スタイルを見ると地味というイメージからは程遠いが似合っている。
黒のセクシーなボディコンミニのワンピに二十デニールくらいの黒色ストッキングなので足のすべてが透けて見える、足が細く見えるような締まりはないがとても肉感的だ。
栄心のあれでいては京香のスタイルを指しているに違いない。
「はい、お父様。京香は自分が宿敵の中野家から嫁いでいることをよくわきまえています。余計なことを耳に入れそうになる場面では必ず遠慮してきます」
健将が即座に答えた。
「そうか。嫁いで間がないというのにたいしたものだ。京香にはこの先も苦労を掛けると思う。健将よ、労わってやれ」
「分かっております、そのつもりでいます」
紗耶香を見ると顔が強張っているし目つきも悪い。
間違いない、京香のことが嫌いなんだ、その分かりやすい態度はお嬢様すぎるだろって思ったが黙っていることにした。
****
「薫よ、やっと学園に来たな。待ってたぞ」
栄心は何を期待しているんだろう、待ってたと言われても困るんだけど。
「待っていたと言われても。私に何かできるとは到底思えません、お父様。私は右竹と北部の子供であるということ以外には何もありませんから」
「まあよい。今日で薫も社会人になったことだし親子四人で今の現状を共有しておくのも必要だろう、そう思わないか」
「思います」
薫が即答したのを見た栄心は、筒から取り出したものを広げた。
日本地図だった、普段よく目にする地図と違いその地図には県の代わりにいくつかの線引きがしてあって九つのエリアに分かれている。
道州制の地図だ。
北海道、南関東、沖縄の三つのエリアは点が一つなので経済拠点と州都が同じだと分かる、それ以外の六つのエリアには二つの点が打ってある、東北州を見ると刻文市と北部市に点があるので経済拠点と州都が違うのが分かる。
「この地図が現実のものとなるのは遠い先のことになった」
そう言ったあと栄心は一呼吸置いて「それは」と続けてきた。
「あの大震災ですべてが変わった。今の民自党はデフレ脱却と震災復興が最優先で道州制の推進は無理だろう、致し方ない」
震災の翌年二〇一二年に行われた総選挙で民自党は大勝を収め政権復帰している、率いたのは任期途中で政権から一度降りた元首相の竹田慎一郎だった、第二次竹田政権が発足し今に至っている。
「お父様」
「なんだ、紗耶香」
「刻文学園が北部学園を傘下に収めようとしてくるとお思いですか」
「いや、京香を嫁がせて来たからにはそれはもうないだろう。刻文聖也が中野塔子との結婚を発表した時には肝を冷やしたが・・・今にして思えば大震災が刻文の野望を打ち砕いたとも言える」
栄心の言葉を聞いて健将が前かがみになった、何か言いたそうだ。
「お父様、確かに。京香を養女にしてからの三年間は私との縁組に中野家は全力を傾けています。学園を狙うことはもうないと私も思います」
健将の言う通りだと薫も思った。
大震災が起きたことで刻文聖也と中野塔子の婚姻は裏目に出たのだ。
栄心の咳払いが聞こえた。
「学園は狙われることはもうない。が、北部銀行は別だ」
「どういうことでしょうか」
健将と紗耶香が同時だった。
「銀行経営が立ち行かなくなるくらい厳しい経営環境にあるからだ」
「北部銀行が危ないということでしょうか」
「いや、そうではない。銀行業界全体が厳しい。日本の銀行はリーマンショックの影響をほとんど受けなかったと言われているが、日本経済はデフレから脱却できず金利は下がり続けている。震災の翌月からは政策金利がゼロになったがそれでも景気回復を見込んだ設備投資に資金が回らない。銀行は利ざやが減るだけでなく貸出もままならない状況に陥っている。貸出しても安全な財務内容の良い相手は資金が有り余っていて借りてくれない。このままいけば地方銀行の統合は避けて通れなくなるだろう」
「一般論として受け取っていいのですね」
健将がポツリと言った。
「実はそうでもない。先日、北部銀行の前田頭取とじっくり話す機会を持った、いま儂が言ったことは前田頭取からの受け売りだ。極秘中の極秘だが、頭取は来年退任される」
「・・・・・・」
こんな話は家族だけが居るからできる話だと薫は思った。
「頭取の後任候補は中野壮一常務と森下司《もりしたつかさ》常務の二人。北部銀行の将来へ向けた道筋をつくった方に任せると言うものだ」
中野壮一は中野一族の統領であり京香の養父でもあるので薫にも分かるが、森下司という常務は初めて聞く名前だった。
「浅野専務ではないのですか?既定路線だとばかり思っていましたが」
納得がいかないという感じで健将が口に出した。
「震災がなければ浅野専務だったと思うが、退任予定だった前田頭取が任期を越して長期政権に移行しているので浅野君は終わりだ、関連会社に出される」
「そういう事でしたか。中野氏と森下氏ですか。道筋次第ってことですね、お父様は何かお聞きになっておりますか」
健将は納得した様子だ、薫にも理解できた。
「それとなくは聞いている。候補の二人共に他行との統合を考えているようだが、前田頭取の見方だと中野常務の方が現実的だそうだ。但し、その場合は刻文銀行と縁が切れなくなる。そうなった時には北部一族の怨みが再度、中野家へ向いかねん」
「恨みの矛先が京香にも向くのではないですか」
そうつぶやいた健将を見ると本当に心配そうだ。
「うむ。仮に北部銀行が刻文銀行の影響下、いや傘下に入ったとしても我々北部宗家が揺らぐことはないのは一族の主だった者は皆知っている。知っていながら恨みを中野親子に向けて来る、そうなれば、ここにいる京香は露骨に嫌がらせを受ける。不憫でならん」
「お父様っ。もともと中野塔子ばかり気にしてましたけど、千葉京香なんて聞いたことも無かったし、その人が中野京香になって嫁いでくるなんて前代未聞の政略結婚ですわ。今さら不憫だなんて、本人はよく承知してるんじゃありませんか」
紗耶香め、ここぞとばかりに攻めてくる、北部一族の皆を代表しているとしか思えない言い方になってる。
健将の顔つきが変わった、ピクッと頬が動き紗耶香を正面に捉え憤った顔を見せてきた、そして「うぅーん」と唸りながら口を開いた。
「紗耶香、そう言ってしまえば身も蓋もない話になってしまう。最初にこの縁談を持ち込まれてから三年になるが、調べたところでは京香にもこの縁談は寝耳に水の話だったらしい、本人がいちばん驚いていたそうだ。京香のような平凡な女が宗家の次期当主である私に嫁いで来るだけでも心情を察するに余りある、それが目の敵にされるなんてなったら、どうなることか。全力で支えてやりたい、紗耶香にもそうして欲しい、頼む」
健将はいっきに話した後で栄心に目を向けている、父親からも紗耶香に言ってもらいたいのだ。
「儂からもお願いする。京香が来てまだ三ヵ月かそこらなのに何年も居るような気になることがある。儂は出しゃばらない京香の性格を買っている。元々、中野塔子と健将の縁組で敵対関係に終止符を打ちたかったのは知っておろう。養女とはいえ京香はれっきとした中野家の娘で相続権も塔子と同様に持っている。我々家族が認めてやらないと北部一族の中で京香は生きていけなくなる。紗耶香、お前の人を見る目は確かなのは知っている、紗耶香から見た京香はどう見えるんだ、言ってみなさい」
場の雰囲気が静寂へと変わったのが薫にも分かった。
紗耶香が京香をどう見ているのか薫も紗耶香の口から聞いてみたい。
「確かに京香さんは平凡な感じでこれと言った特徴があるとも思えませんけど、表と裏はあまりない女性だと思います。しかし、中野の本流に居た女性だったことは間違いないはずです。見極めがまだ出来ていないと言うのが本音ですが、お父様とお兄様は少し京香さんに甘いのではないですか」
嫉妬してる、紗耶香は京香に間違いなく嫉妬している。
「もういい。紗耶香は少し京香を誤解しているようだ。話もろくにしていないんじゃないか、とにかく、京香ともっと接しなさい。これは父親からの命令だ、わかったね」
紗耶香を見ると素直に「はい」と返事をして引き下がっているが、引きつった顔が紗耶香の意志を示している。
こんな顔の紗耶香は滅多に見ることはない。
女の嫉妬ほど恐ろしいものはないのかも知れない。
一段落したところで栄心から「薫の祝いに料亭を予約してある、男三人で初めての飲み会をやろう」と言われ、既に料亭に予約が入ってるので断れない雰囲気にされてしまった。
健将が離れに一度戻り玄関に来た時に京香は一緒ではなかったので男三人の見送りは紗耶香だけだった。
京香にも見送ってもらいたかったとつい思ってしまう。
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