王国の彼是

紗華

文字の大きさ
上 下
179 / 206
デュバルの女傑

177:霊廟の地下室 レイン

しおりを挟む
ーーゴゴゴゴッ…フシューッ……

「「?!ちょぉっっとぉっ?!」」

父が棺の窪みに指環を嵌めると、地響きと共に棺の蓋が動き始め、棺の中から夥しい量の白い冷気が漏れ出る。
漏れ出た冷気を手で払いながら、父が棺の中を覗き込み、問題ないと呟いた。

王家とダリアに4つしかない公爵家は、魔塔特製の冷凍保存装置で亡骸を凍らせている為、亡くなった当時の姿が保たれているというが、見る勇気はない。

と、言うより、身体が動かない…

「余はオーソンを出迎えに行く故、お前達は地下室で待っておれ」

髪や眉、睫毛や髭に霜の粒を付けた父が、冷気に頭をやられたのか、とんでもない事を言い出した。

「ち、地下室…?」

「……私室は?」

「終戦以降、影にもデュバルへの接近を禁じている事を思い出してな。霊廟だけは影も入れない…此処が適所という訳だ。2人で、ナシェルが身を潜められる所を探しておけ」

「影も入れない…から、地下室…?」

フランの気の抜けた声に鷹揚に頷き、冷気に当たって頭が冴えたなと、顔に着いた霜を払いながら笑う父に、そのまま忘れていて欲しかったと思わずにはいられなかった。

「しつこいのう…いいから行け」

蓋をしっかり閉めたのかと、しつこく聞く俺達を切り捨てた父は、振り返りもせずに霊廟を後にし、残された俺達は顔を見合わせて項垂れ、重い足を引き摺りながら地下へ続く階段へと向かう。

白大理石の明るい霊廟と違って、青黒いランフェリンで造られた地下へと続く階段と壁は、冥府への入口かと思わせる程に暗く、壁に灯る魔灯の心許ない淡い光では、何の慰めにもならない。

「ナシェルは、地下室に入った事は…?」

「ない。霊廟を訪れたのも、前両陛下の納棺の儀以来だ…恐ろしくて周りを見る余裕はなかったがな」

「俺も、うろ覚えだ……着いたぞ」

圧迫感を感じながら、螺旋状の階段を降り切った先では、固く閉じられた運命の扉が俺達を待っていた。

「心の準備はいいな……開けるぞ?」

フランは、剣を握るのに邪魔だと言って、父と同じ指環を鎖に通して首から下げている。

ーーシャラ…カチッ……カチャン…

扉の窪みに、首から外した鎖に通したままの指環を嵌めると、開錠の音が静か過ぎる廊下に大きく響いた。

「これが…地下室?」

霊廟の真ん中に立っていた柱は、陽光を取る為のものだったらしい。
見上げた空洞から差し込む光と、幾つもぶら下がるシャンデリアの灯りが、霊廟と同じ白大理石の壁と床を明るく照らす。
ファブリックは濃淡様々な紫色で統一され、室内は空調魔法で心地良い温度に保たれている。

「伯父上の私室より豪奢じゃないか…?」

壁に埋め込まれた飾り棚には、上で眠る王族の思い出の品々なのだろう。装飾品や人形、羽ペン、煙管、陶器等が品良く飾られており、赴きある調度品からは、時を遡ったかの様な錯覚を感じる。

「とりあえず、ナシェルの身を隠す場所からだが…広いな…」

「二手に分かれ探すぞ。俺は右、フランは左だ」

「そこに飾ってあるドレスの後ろで、いいんじゃないか?」

階状の台に並ぶ、トルソーに掛けられた時代を感じるドレス達に目を向けて、名案だと頷くフランだが、それだけは俺の矜持が許さない。

「身を隠せても、変態みたいで嫌だ」

地上の霊廟より一回り広い見晴らしの良い室内は、隠れるのに適した櫃なども置いておらず、隠し通路も部屋もない。
迫る時間に焦りながら室内を歩き回る俺を、反対側を探しているフランの呆けた声が呼び止める。

「ナシェル…この、肖像画…」

「ルスカスと、レイダ妃の…結婚式…?」

マントルピースの中の壁にはダリアの国旗。
上の壁には、胸元に勲章が光る、黒いダブルブレストの軍服とペリース姿のルスカスと、金の刺繍の入った真っ白なドレスに、青いダリアのブーケを手に微笑むレイダ妃。

「…等身大だな。あの不自然な壁の広さの理由は…これだったのか」

画廊に並ぶ、芸のない胸像画と違って、大聖堂の前に立つ2人は表情も明るく、見ているこちらも心が浮き上がる。

「戦争に疲弊した国の希望の象徴として、歴代より大きく描かれたのかもしれない…」

「期待が大きかった分、失望も大きかったと…」


『治める国が豊かであれば讃えられるが、そうでなければ責められるーー』


フランの言葉に、父の声が頭を過ぎる。

「…画廊より、ここが似合う」

「…俺も、そう思うよ……この剣と金扇は、2人の遺品か…」

マントルピースの上に飾られた、100年前の物とは思えない剣と金扇は、綺麗に磨かれ、刃こぼれもなく、それ自体が光を放っている様にも見える。

ーーカチ……カチャン…

「?!」

「もう?!」

思わぬ形で目にした2人に夢中になり過ぎていたのか、扉の方から聞こえる音に我に返って、フランと辺りを見回す。

「ナシェル、マントルピースの中だ!早く!」

「蓋も扉もないのに?!」

「そこの国旗でも被ってろ!」

「雑過ぎだろ!フランッ、押すなよ…って、奥がある…」

壁に掛けられた国旗の奥は、人2人は入れる程の空洞になっており、なんならクッションを持ち込めば足を伸ばして寝そべる事も可能。
クッションは間に合わないが、ドレスの後ろで居た堪れない思いをするよりは余程いい。

「じっとしてろよ…」

国旗の向こう側からフランの顰めた声が聞こえ、次いで2人分の足音が聞こえてきた。

「待たせたな、フラン」

「いえ…デュバル公爵、昨晩はありがとうございました」

「………緊張なさらないでください。殿下も、殿…いや、今はでしたね…心配せずとも、取って食べたりはしませんよ」

「「?!」」

「……オ、オーソン…?」

震える声でデュバル公爵の名を呼ぶ父の動揺が伝わる。
そして俺も、かつてない程の緊張に襲われている。

「……命のやり取りが常の軍人なので、人の気配や、人が纏う空気には聡い方なのですよ…」

「く、空気だけで…区別がつくと…?」

「…確信を持ったのは、訓練場で剣を振る姿を見かけた時です。癖を無くす訓練をされていた様ですが、これでも元帥なのでね。剣筋で人を見分ける事には自信があります」

「オーソン…」

「その様な顔をなさらないで下さい。私は、何も聞きませんし、陛下のなさる事に否やもありません。勿論、娘を傷付けられた事には憤りも感じておりました…ですが、不安や怒り、怯え、安堵…ナシェル殿の纏う空気は常に張り詰めていたのでね…言われるがまま、拒絶されるがままだった娘の事も叱りましたし、親として責任も感じておりました……と、いう事で…ナシェル殿、で、いいですかね?お手をどうぞ」

捲られた国旗の向こうに、手を伸ばして微笑むデュバル公爵は、俺の目を見て深く頷いた。 

「………デュバル、公爵…」

恐る恐る伸ばした手をガッチリ掴み、俺を立たせると、デュバル公爵は視線を上向け眩しそうに目を細め、美しい2人ですねと呟いた。

「…家族といる時、エルデといる時、小説を読んでいる時…私といる時の緊張の張り詰めた顔と違って、穏やかさを感じました…力に愛は必要ない、オレリア嬢の加護の力だけでいい…けれど、常に緊張するオレリア嬢にも苛立った…イアン団長に親愛や友愛を得たかったのだろうと、嫉妬だと言われました…納得いく様な、いかない様な…あの時から今も、よく分からないままです。デュバル公爵、オレリア嬢を傷付けた事、申し訳ありませんでした」

力を求め、情は不要と、人に惑わされまいと、人と距離を置いてきた…オレリアは一番の犠牲者。

「人に受け入れられるには、己の事を晒け出さなければなりません…ナシェル殿は立場上、それが許されないのも多分にあったと思います。ナシェル殿はこれからです。ゆっくりでいい、相手と…いや…既に娘達が距離を詰めて、振り回してますね……」

「…ナシェルには荒治療が必要だ。もっと振り回してくれてよい」

「そういう事でしたら…スナイデルの森のサロンに、男性の意見を取り入れたいと娘達が話しているので、ナシェル殿、宜しくお願いします」

「…え?いや、それはーー」

「それでは!先ずは、時系列から…ですね」

2人の肖像画に一礼したデュバル公爵は、テーブルをお借りしますと、胸元からペンを取り出した。

遮られた上に、怒涛の展開に、着いていけない…

「軽食をお持ちしました。私が作ったので毒は入ってません。ご安心を…お紅茶も淹れますね」

流石は軍人と言うべきか。
籠から取り出したサンドを並べ、紅茶まで淹れてくれたデュバル公爵の手際の良さにも驚きだが、デュバル公爵の書き出す時系列に、サンドを持つ手が止まる程の衝撃を受ける事になる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

何も出来ない妻なので

cyaru
恋愛
王族の護衛騎士エリオナル様と結婚をして8年目。 お義母様を葬送したわたくしは、伯爵家を出ていきます。 「何も出来なくて申し訳ありませんでした」 短い手紙と離縁書を唯一頂いたオルゴールと共に置いて。 ※そりゃ離縁してくれ言われるわぃ!っと夫に腹の立つ記述があります。 ※チョロインではないので、花畑なお話希望の方は閉じてください ※作者の勝手な設定の為こうではないか、あぁではないかと言う一般的な物とは似て非なると考えて下さい ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。  史実などに基づいたものではない事をご理解ください。 ※作者都合のご都合主義、創作の話です。至って真面目に書いています。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

ある辺境伯の後悔

だましだまし
恋愛
妻セディナを愛する辺境伯ルブラン・レイナーラ。 父親似だが目元が妻によく似た長女と 目元は自分譲りだが母親似の長男。 愛する妻と妻の容姿を受け継いだ可愛い子供たちに囲まれ彼は誰よりも幸せだと思っていた。 愛しい妻が次女を産んで亡くなるまでは…。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

恋より友情!〜婚約者に話しかけるなと言われました〜

k
恋愛
「学園内では、俺に話しかけないで欲しい」 そう婚約者のグレイに言われたエミリア。 はじめは怒り悲しむが、だんだんどうでもよくなってしまったエミリア。 「恋より友情よね!」 そうエミリアが前を向き歩き出した頃、グレイは………。 本編完結です!その後のふたりの話を番外編として書き直してますのでしばらくお待ちください。

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

処理中です...