王国の彼是

紗華

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穏やかでない日常

145:お兄様 コーエン

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濃緑の森から吹いてくる風は涼しく、風に揺れる葉の音や、鳥の囀る声は耳に心地良いが、仰いだ空に広がる天空の城の如く聳え立つ夏の雲は、神に見下ろされている気分になり、目に見えない熱矢となって肌を刺す陽の光に、赦しを乞いたくなる。

やはり夏より冬が似合うな…

デュバル公爵の紫紺の髪と白藍の瞳は、しんと冷える冬の月夜、そして銀と白藍のアレンとオレリアは全てを凍らせる冬の海。
冷涼な美しさを持つ家族は夏の景色があまり似合わない。
だが、兄妹の母である公爵夫人は、青に混ざるヘーゼルの瞳が息吹く夏の大地と海の両方を思わせる、不思議な色合いだったのを覚えている。
光によって色が変わる様は虹にも見えて、幼いながらにその瞳の美しさに心惹かれた。

「コーエン様、この様な早い時間に、ありがとうございました」

目の前で微笑むオレリアと初めて会ったのは、オレリアがこの世に生を受けて半年程経った頃。
訪れた日は生憎の雨で、デュバル公爵家のサロンでアレンと本を読んでいたところに、夫人がオレリアを連れて来た。
抱いてみる?と柔らかく微笑んだ夫人が、ソファに座る俺の膝に冬の妖精を乗せた時、その温かさと柔らかさに衝撃を受けた。
弟も柔らかいがその比ではない。マシュマロよりも柔らかいクリームの様な手触りに、このまま溶けてしまいやしないかと心配になる程だった。
アレンをそのまま縮めた様な相容だが、成長する程にその可愛さは増していき、遠慮がちに裾を引っ張り、俯きながら一緒に遊びたいと請われれば、人形遊びも苦ではなかった。
アレンに泣かされる姿を見た時はこちらも心が傷み、弟の様に雑に扱ってはいけないと慎重に慎重を重ねて抱き上げて慰め、小さな手が首に回された時は、弟と取り替えたいと真剣に思った事もある。

コーエンお兄様と呼んでとても懐いていたオレリアの、その呼び方は成長と共に変わってしまったが、此方に向ける親しみのある眼差しは今でも変わらない。

「オレリア、このまま森へ向かうのか?」

「はい。コーエン様のおかげでダリアの手配も滞りなく済みましたので、少し早いですが森に入ります」

「朝食も食べずに?」

「…昼食も兼ねて、丘で食べようかと…」

馬の鞍に括り付けているバスケットを指差すと、バツの悪そうな顔をして目を逸らし、小さな声で答えてきた。

「ハハッ…待ち遠しくて堪らないって感じだな。だが、ちゃんと食べてからでないと力が出ないぞ。特に男子は食べ盛りだからな」

「そうですね…皆さん、すみません…少し気が逸ってしまいました」

「いえ、このまま入っても問題はありません。騎士科では、過酷な状況を想定した訓練もありますから」

「そうですね、罰でご飯抜きって事もありますし…」

「来る前に、少し食べて来てますしね」

「準備は出来ているという事か。なら、行こうか」

「…行くって……コーエン様も?」

「アレンに可愛い妹達を宜しくと頼まれているからね。勿論アレンの頼みじゃなくても行くつもりだったけど。それに、その地図に記した道順は狩猟場を避けてるけど、その必要はないよ」

「ですが、狩猟場に道を作るのは…」

オレリア達が持参した地図は、森の手前を迂回して丘へ向かう道順になっている。
狩猟大会の邪魔にならない様にとの配慮が窺えるが、狩猟場は、拠点となる天幕を張る場所を中心に西と東に分かれているから、拠点から道を丘へと延ばせば整地もしやすい。
上手く工事が進めば、今冬の狩猟大会は天幕でなく、丘でお茶を飲みながら殿方の帰りを待てるかもしれないよと伝えると、令嬢達は瞳を輝かせた。

「西と東で分かれて進んで丘で合流して、お昼にしようか」

「とても素敵!それでは、エレノア、ジャン、ソーマ、参りますわよ」

「?!ヨランダ嬢、エレノア嬢、私達が先を行きますからーー」

「嬢?また嬢を付けたましたわね?」

「ヨ、ヨランダ…私達が先を行きますから…」

「さあ、行きましょう!ジャン様、ソーマ様、地図は読めないので道案内はお任せします」

「地図も読めないのに、先を行こうとしていたのですか…」

農園で自己紹介をしてきた騎士生達は、山側の領の子息と、ネイトの親戚。
ジャンとソーマと呼ばれた騎士生は、ヨランダと嬢の幼馴染だと言うが、そのやり取りは女王と僕。
騒ぎながら西から向かう4人を見送り、自分達は東から入る。

「レインはアズールで森に入ったと聞いているが、君達は?」

「ジャンとソーマは帰省する度に森へ入っておりますが、私は学園の演習だけで、実践は残念ながらありません。」

山や海の領地から来た騎士生達は、家の手伝いで森へ入り実践を重ねるが、王都周辺の騎士生達はその機会がない。
緊張を顔に浮かべて話すエイデンは、王都に近い川沿いの平地で軍馬を育てている、ソアデン領の出身。
王宮騎士団長を務めるラヴェル殿や、弟の護衛をするネイトの親戚ともなれば剣の腕も確かだと思うが、小物相手の演習だけでは経験に自信が持てないのだろう。

「まあ、王都周辺の森はそう強いのはいないから、学園演習の延長くらいに思ってくれていい」

「安心と言うか、物足りないと言うか…複雑ですが、ありがとうございます。訓練通り行きます」

「ネイトと違って真面目だな…」

「ネイト兄さんを見て育ってきましたから…」

「…プッ……し、失礼…」

「レイン殿のその様子だと、皆さんに迷惑をおかけしているのでしょうね…」

「いえ、決してその様な事はありません。ネイト殿のおかげで、カイン殿やユーリ殿とも円滑に仕事が出来ておりますから。特舎でも……プハッ……失礼…ックク…」

「……お気になさらず、ご迷惑おかけしてすみません」

「レインのその笑いの中にはカインとフランも多分に含まれているんだろ…ところで、オレリアは何故、騎士科の制服を?」

「え?!あ…こ、これは…その…」

デュバルの女傑と言えばドレスが代名詞なのだが、銀の髪を高い位置で結い上げ、騎士科の白い制服に黒のロングブーツ、腰には剣まで佩た姿は、どこから見ても女性騎士。
だが、俺の疑問に慌てて扇で顔を隠す様は、些か珍妙にも見える。

「……小説の影響ですよね?」

「エイデン様?!」

「…もしかして…エイデン殿も…?」
「?!レイン殿もですか?」

「ああ…あの小説か……湖も出てくる話だったな」

俺達の視線に、オレリアが居た堪れないといった表情で、騎士科の制服の裾を握りしめて俯いた。

苦笑いで顔を見合わせた俺達の頭の中に浮かぶのは【軍服の下に隠した秘密~恋~】。
最近出た小説で、女性騎士が幼い頃に出会った少年に恋心を抱くが、成長して再会した初恋の相手は敵軍の大将だったというお話。
その再会した場所が、例の丘を降りた湖なのだが…

「オレリア…まさか、泳いだりはしなだろうな?」

「?!コーエン!変な事言わないで!!」

真っ赤な顔で怒るオレリアの頭を撫でながら、久し振りにお兄様と言われて頬が緩む。

フランが見たら妬くだろうな…だが愚弟よ、オレリアとの付き合いは俺の方が長い。
































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