王国の彼是

紗華

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穏やかでない日常

140:あっちもこっちも ネイト

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「エレノア嬢、降ろしますよ…」

「はひっ…」

はい、って事でいいんだよな…

両手を胸の前で組んで固く目を瞑るエレノア嬢を、公爵家の控え室のソファにそっと降ろすと、息も止めていたのか喘ぐ様に呼吸を始めた。
先に運び込んだヨランダ嬢は、訓練場では獲物を狙う猛獣の如く鋭い視線で俺達を射抜いていたが、今は心ここに在らずといった表情で空虚を見つめている。

廊下に出るのは諦めるか…奴等も居るしな…

扉の向こう側で護衛に立つ王宮騎士達は、控え室の目と鼻の先で起こった珍事に肩を震わせながら、扉を開いて令嬢2人を運ぶ俺を待っていた。

ユーリを迎えに寄越せばよかったのにと、心の中でフランに悪態を吐いて、令嬢2人に声をかける。

「…ヨランダ嬢、エレノア嬢。無礼を承知で、お話ししてもよろしいですか?」

「?!………わ、私達に…?」

「ぶ、無礼などと…私達こそ、ネネネネネイト様のお、お手を煩わせてしまいまして…」

「お気になさらず。こちらこそ、先程はお目汚し失礼しました。お怪我はありませんか?痛みや不調があれば仰って下さい。王宮医を呼びますから」

「痛いのは…心の臓だけですわ…」
「ネイト様の御尊顔が、霞んで見えてしまうだけです…」

大丈夫そうだな…

「もう少しお待ち下さい。カイン殿とユーリが参りますから」

「永遠にお待ちします」

「このまま時が止まってしまっても構いません…いっそ、止まって欲しいくらいですわ」

倍速で頼む…

ーーコンコン…

「来た様ですね」

ーーカチャ…

「お待たせしましたネイト殿」

これで、やっと解放される…

「カインどーー」

「「っ早いっ!!!」」

天啓とも言えるノックの音に、安堵の息を小さく吐きながら扉を開くと、待ち焦がれていた顔が並んでいた。
お疲れ様と言う様に微笑むカイン殿に、縋る思いでその名を紡いだ俺の声は、だが、息を吹き返した令嬢2人の怒号に掻き消された。

「……出直しましょうか?」

「そうね、王城内を2周程してきて下さるかしら?」
「庭園の花も見頃よ?ガゼボでお紅茶でも飲んでからいらしたら?」

「…後は、お願いします…」

ーーー

疲弊した心を癒すのはエルデの笑顔。
オレリア様から話を聞いた今は、10年前のエルデの笑顔も容易に思い出せる。
今よりも表情豊かで、好奇心に満ちた瞳と、ふっくら丸い頬も可愛いかった。
残念な事に、あの頃の俺は閨の教育が始まったばかりで、年上にしか興味がなかったのだが…

エルデに似た子供は可愛いんだろうな…だが、暫くは2人の時間を楽しみたい。いや、フランの子供と乳兄弟にと約束をしているから、やはり、直ぐに子作りか…

「ネイト様…」
「…エルデ殿…?」

その顔は…俺を誘っているのか…?
好奇心に満ちていた瞳は潤み、ふっくらしていた頬は赤く染まり、白い歯を覗かせて笑っていた口は、緩く噛み締められている。
頭の中を占めていた10歳のエルデが霧散する。
齧り付きたい、なんなら押し倒したい。だが、ここはサロンで、階の下では真面目な顔で仕事をしている文官達も居る。

エルデだけではない、俯いて固まっているオレリア様も、膝の上に置かれた手でドレスを握り締め、髪の間から覗く耳は赤い。
こちらに視線を寄越すフランは無実を主張する様に頭を横に振っているが、余計な事を口走ったに決まっている。
頭と口が直結しているのはユーリだけではない。流石にあそこまで下品な事は言わないが、令嬢を忌避してきたフランは、配慮に欠ける節がある。

「オレリア様も、エルデ殿も……ぐ、具合が悪いのですか?王宮医を呼びますか…?」

「…大丈夫です。その…少し驚いてしまって…」

「殿下が…何か粗相をしましたでしょうか?」
「い、いいえっ…粗相など…」

「何故、俺の粗相と決め付ける。俺は話をしていただけで何もしていない」

「殿下もユーリと同じく、令嬢への配慮が欠けていらっしゃいますからね。何か余計な事を仰ったのでは?」

「相も変わらず不敬な男だな…俺の配慮が事は認めるが、そもそもユーリには配慮するという概念がない。一緒にするな」

「……それでは、何を話していらっしゃったのでしょう?」

「義姉上の子供達が眷属と仲が良いと聞いたから、俺達の子供もそうなるだろうなと…微笑ましいだろう?」

「「…………」」

閨教育を受け直しているという2人には、微笑ましい話ではないがな…

どんな教育を受けているか知らんが、これまで俺を苦しめ続けてきた無防備さはなりを潜め、強固な砦を築き上げている。
無防備な姿は凶器だったが、恥じらう姿も同じく凶器。
キスの後のうっとり見上げる潤んだ瞳は、頬を染めて目を逸らされる。安心した様に身を委ねていた抱擁も、小さく震えて遠慮がちに手を添える程度。
そんなエルデに、湧き上がる加虐心を鋼の理性で抑える俺は正に司祭。

「お待たせ致しました」
「先程は大変失礼致しました」

「2人共、もう大丈夫なのか?」

「はい。思わぬご褒美に腰が抜けてしまいましたが、有意義な時間を過ごせました」
「レイン様とも、とても気が合いまして…明日のスナイデルの森も問題ございません」

この場は救世主とでも言うべきか…
完全復活を遂げた生気溢れる令嬢2人と、小説の話しを延々と聞かされたのだろう、生気を吸われた3人が思い足取りで階を上って来た。

「今日は、エルデにお土産を持って来たのに、すっかり忘れていたわ」
「先程のお2人を見て、無用の長物かもしれないけれど…」

意気揚々とソファに腰掛けた2人が、エルデに微笑みかけながら、それぞれ腕に抱えた包みを手渡す。

「新作のネイト様の絵姿なのだけど…」

「……絵姿ですか…?」

「王都で流行っている疑似体験画集の新作なの」

「小説の一場面をネイト様で再現しているのよ!これは【騎士の不器用な愛】の『その瞳に映るのは、その唇が呼ぶ名は私だけであって欲しい』…って、どう?どうかしら?」

「?!ゴホッ…ゴホッケホッ……」 
「ネイト様?大丈夫ですか?」
「し、失礼しました…問題ありません…」

「ちょっと?エルデ、大丈夫?顔が真っ赤よ?」

なんて物を土産にしてくれるんだ…
遥か彼方へ投げ捨てた筈の、燃やしたい記憶が脳裏を過る。
絵姿の中の俺は嘘臭い笑みを浮かべているが、あの日の俺は羞恥に顔を歪ませていた。

「…プハッ…ハハッ…」

「…ックッ…」

「………そうきたか…」

「「…な、何?」」

「それはもう、ネイト殿がしているからな、持って来るなら他の小説にしろ」

「他の小説といっても、、探すのは大変でしょうけれど」

「何たって、じゅんけ…フゴッ…フェ、フェンカ…」

「お前は黙れ…」






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