王国の彼是

紗華

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穏やかでない日常

126:陛下の執務室

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謁見の間での帰還報告だけで伯父上の気が収まる筈はなく…入室の挨拶を交わして以降、眉間に皺を寄せ目を閉じたまま言葉を発しない伯父上と、ソファで向かい合ってナシェルを待つ事半刻。

「お待たせ致しました。陛下、ナシェル殿をお連れしました」

「ああ…来たか」

「……ん?……?」

「「「………あ…」」」

息詰まる空間に響くナシェルの参上を告げる声と共に、伯父上の執務室の隣室、仮眠室の扉を開いて入って来たのは、学園時代からの友人で近衛騎士のユーリだった。
続いて入って来たのは金髪碧眼に色を戻したナシェル……ユーリは今、と言ったよな?

「……ユーリ…は?」

「陛下、記憶を消しますか?」

「?!何それ?!」

半ば放心状態の俺を横目で見ながら、懐から取り出した小瓶を伯父上に示し、記憶を消すかと聞くユーリは物騒極まりない。
ユーリも迂闊だが、滴る雫の如く思い浮かんだ疑問がそのまま口をついて出てしまった俺も、動揺しているとはいえ相当迂闊。
甘んじてその小瓶の中身を飲んだとして、記憶はどこまで消される?限定的に消せるものなのか?

「……そんな物を飲ませたら、己の事も分からなくなるだろ…」

「?!」

「ナシェル殿、その通り…では、特舎の入り口からやり直しという事で…戻りましょう」

「改めたところで何も変わらないだろ…動揺し過ぎだ」

「……ユーリ、表にいるウィルを呼べ」

「…御意」

不可抗力にも関わらず、記憶を全て消されるところだった…

伯父上はナシェルとユーリの会話に天を仰いでソファに凭れ、目の前の現実を受け入れたくないとばかりに目元を両の手で塞ぐと、扉の外で待機するウィルを呼ぶ様ユーリに指示を出し、その姿勢のまま動かなくなった。
最適解を探るべく考えを巡らせているのだろう伯父上を尻目に、ナシェルは俺の隣りに座ってティーポットを手に取り、自らカップに紅茶注いで一息吐く。
ナシェルの落ち着きぶりに、流石元王太子などと感心している場合ではない。
俺はどうすればいい…ナシェルと2人で伯父上の説教を聞きに来た筈なのに、抜き差しならない状況に追い込まれていないか…?

「失礼致します。陛下、申し訳ありません…斬りますか?」

「「ちょっとっ?!ウィル(兄上)?!」」

苦笑いのユーリと共に入って来たウィルは、腰に佩いた剣の柄に手をかけながら、至極真面目な表情で、ユーリを処断するかと伯父上に問うた。
どいつもこいつも物騒過ぎる…王に不利と判断されれば、身内であっても躊躇いはないと言うのか。よもやユーリのせいで俺まで斬られる事になるのでは…?

「ウィル…冗談はそのくらいでいい。フランよ、ウィルとユーリはだ…それ以上はまだ知る必要はない。王となるまではな」

「…はい」

口元に苦い笑みを浮かべ、だがそれ以上の詮索は許さないと目で制され、背筋に冷汗が伝う。
思いもよらぬ形で窮地に立たされた事に、その原因であるユーリへと非難を込めた視線を向けると、ヘラリと笑って片手を上げてきた。その暢気さに更に腹が立ってくる。

「丁度良い機会だ。辞令は明日出すが、ウィルに代わってユーリがお前の専属になる」

「お断りします」

「……プハッ…ック…失礼しました」

間髪入れずに断りを入れた俺に、ナシェルが隣りで吹き出したが笑い事ではない。

不敬と罰せられようが、その人事には従えない。
こんな迂闊で似非眼鏡のユーリに俺の命を預けろと言う伯父上の人選に、俺に唯一と言い聞かせる人物と同一なのかと疑いたくなる。

「……まさか…この伯父上はなんじゃ…?」

「お前も、相当動揺しておるな…」

戦乱極まる数代前までは、どの国にも王の影武者なる者がいたという。
王の血を途絶えさせない様、敵の目を欺き身代わりとなる存在は、大国になる程その人数も多かったらしい。
そんな廃れた策が今も残っているのかと思わず聞き返した俺に、呆れた視線を寄越す伯父上は、俺の知るいつもの伯父上だった。

「そこまで嫌がらずともユーリの専属は期間限定だ。来年にはセイドに婿入りもするしな……イアンが勝手に作った補佐の役だが、ウィルが代わってイアンの補佐に入る……それで?2人共、怪我の具合はどうなんだ?」

という役を黙認している伯父上に苦笑いが溢れるが、やはりこのまま話は終わってくれないのだと、ナシェルと2人で姿勢を正した。

「私も、ナシ…レインも問題ありません」

「……今更だ…ナシェルでよい。洞窟で全部話したのだろう?」

「「はい…」」

「こんなに早く正体がバレるとは思っていなかったが…ナシェルよ、お前の寝汚さは誰に似たのか…」

「……申し訳ありません」

寝汚いと言われたナシェルは朝が弱い、いや、一度寝たらなかなか起きない為、色変えの薬を一日1回、就寝前に飲んでいる。
数日分を纏めて飲む事も可能らしいが、効能時間と苦味が比例しているそうで、毒杯と称して飲まされた一週間分は、死ぬ気で口にしたが、死ぬ程苦かったと顔を歪めていた。
そんな事もあって、不測の事態に備えて薬を持ち歩いてはいたが、頑なに一日1回を守り続けた結果、洞窟で俺より先に眠りに着いたナシェルは薬を飲み損ねて俺に正体を曝す事になってしまった。

「まあ、その正体を明かす事になったのも、女神ジュノーの考えかもしれんな…アデラ島が此度の異変の原因というのは確かか?」

「レナが言うには、要塞となったあの島に強い負の念を感じると…かつての戦いで命を落とした者達の念が溜まっているのだと思われます」

フェリクスから聞いたアデラ島の歴史。
アデラ島の要塞で、大海を挟んだ大陸からの侵略を退けたのは、デュバル海軍。
その後は、この大陸内で、ダリア王国を含めた各国が入り乱れての領土争いが繰り広げられたが、セイドの強固な守りでダリアは大きな損失もなく現在の形で落ち着いている。
だが、こうして歴史を遡って考えてみたら、戦火の痕はアデラ島だけではない。
セイドの山側でも沢山の命が散っている。いや、ダリアの国中、他国にだってその痕が残っている筈。
サルビアやカトレヤも魔物の出現率が上がっている。セリアズ殿は自ら討伐に赴き、城を空ける事が多いと義姉が話していたし、オランドも魔物の対策に追われて今回のダリア訪問を断念した。
何故…アデラ島が?

「戦……それだけではない。アデラ島は呪われた島なんだよ…」








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