王国の彼是

紗華

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儀式と夜会

59:涙のデザート

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「…宰相は…その顔で晩餐会に出るのか?」

腫れ上がった目と頬には涙の跡を残し、鼻の頭を真っ赤にした宰相が、苦笑いのデュバル公爵と共に大食堂に現れた時は至極失礼な言葉で迎えてしまった。

「この顔で出席するのは憚られますが…欠席するのはもっと失礼に当たりますからね」
「これでもマシな方ですから」

「……まだ時間もあるから、冷やせばある程度戻るだろう。とりあえずフルーツでも食べて落ち着くといい。誰でもいい、宰相の目に当てる布を用意してくれ」

「ああっ…殿下、それはー」

「っううっ…」

「?!宰相?どうした?!」

ダリア王国宰相の地位に着くカイエン公爵は山側に近い領地を持っており、主な産業は葡萄酒と果汁。特にカイエンワインと名がつく葡萄酒は、国内だけでなく他国にも人気が高く、ダリアの特産品の一つとなっている。
適度に乾燥した土壌と、1日の寒暖差がある地域で育てられる良質な葡萄を、息子達と共に宰相が手ずから栽培していると聞いた時は、どこにそんな時間があるのかと驚いたが、果汁飲料を製作する工場に共同出資した縁で、家族ぐるみの付き合いをしているアズール伯爵の影響を受け、忙しい職務の合間に、自ら馬を走らせて領地へ赴き葡萄を育てているのだと、楽しげに話していた。

そんな逞ましい宰相は、オレリアと同じ銀髪に、葡萄栽培で鍛えられた筋肉質な身体と、適度に日焼けした肌が文官離れしており、更に宰相然りといった眼光鋭い灰色の瞳に見つめられると、悪事を働いてなくとも白状したくなる脅迫めいた風貌をしているが、物腰は果汁の様に甘く柔らかい。

その風貌と言動の差異が夫人達だけでなく、令嬢の間でもミステリアスな紳士と言われて人気が高いが、その実は、オレリアと葡萄をこよなく愛する涙脆い人物で、今も侍女がお茶請けに持ってきたフルーツの盛り合わせを勧めただけで、理由は分からないが滂沱の涙を流している…

「伯父上、シシリア殿下とエルデが側に付いてくれるそうですから、レリの心配はいりませんよ」

「宰相はまた…酷い顔だな」

「宰相閣下、とりあえず布を替えましょうか…」

「丁度いいところに…こちらは引き受けますので、義兄上をお願いします」

突然の宰相の涙に怯む俺と、慌ててお皿を下げるデュバル公爵に声をかけてきたのは、呆れ顔の父と、水の入ったグラスと手拭いをそれぞれ手にした兄とアレン殿。父が苦笑いのデュバル公爵から宰相を引取り、晩餐会の席に着かせると、兄とアレン殿が水を飲ませ顔を布で冷やし、慣れた手つきで世話を始めた。

「兄とアレン殿は随分慣れているんですね…」

「…あの2人は義兄の世話係なんですよ。義兄は娘の事となると涙腺が機能しないのでね…」

遠い目をして話すデュバル公爵は、宰相の代わりに俺と共に客人を迎える為に残ってくれているが、なのだろう…

義務から逃げる事ばかり考え、騎士になってからも貴族と関わる事を極力避けてきた俺は、ナシェルとオレリアだけでなく、周りの人達の事も未だ知らない事が多い。これから顔を合わせる他国の王族達も、ナシェルはどんな付き合いをしていたのか、外交の経験のない自分が他国と渡りあえるのか不安ばかりが先立つ。

立太子の儀で覚悟を決めたつもりだったが、この地位に着く事の責任が今になって重くのしかかる…こんな事を考える自分が卑小な人間に思えてならない。

「デュバル公爵がここで出迎えてくれてるって事は、ユリウスはまたオーリアに泣かされちゃったのかしら?アズールオレンジの花の時期は特に涙脆いのよね…」

自己嫌悪に俯きかけた時、懐かしい声に意識が引き戻された。

「これは…セリアズ皇太子にオリアーナ妃殿下、お久し振りございます」

「久し振りですね…デュバル公爵。リアーナが申し訳ない、久方振りの帰郷に、はしゃいでいる様だ」

「お元気そうで何よりです。妃殿下も益々お美しくなられましたね」

「ありがとうデュバル公爵。フランも久しぶりね。どう?ナシェルのは?」

「…ダリアへようこそ、セリアズ皇太子殿。ダリア王国王太子フラン・ダリア・スナイデルです。義姉上は…答えにくい事を聞かないで下さい…」

「慎みなさいリアーナ……申し訳ないフラン殿、この度はご婚約おめでとうございます。カトレヤ帝国皇太子セリアズです。立神の儀はいかがでしたか?教皇には驚いたでしょう?」

「お陰様で儀式は滞りなく終えました。教皇は……自由闊達なお方でした…」

「ハハッ…か、の間違いでしょう」

カトレヤ帝国。ローザと同じく帝国だが、こちらは侵略ではなく併合で周辺国を統治している為、ローザの様な内紛や後継者争いに荒れる事もなくダリアとも良好な関係を築いている。

共にローザに手を焼いていた二国間で国交を強化する為、義姉が5歳上のセリアズ殿の元へ輿入れしたのが6年前。この頃のカトレヤはさほど大きな国ではなかったが、セリアズ殿がカトレヤが信仰するガーラ神の契約者となり、周辺国が次々と併合に合意して大国へと成長した。

カトレヤを躍進させたセリアズ殿も、義姉には手を焼いているらしい…2人を見ているとカインとエレノアを思い出して、先程の憂いが少しだけ晴れた。
  
その後も客人達を出迎え挨拶を交わし、晩餐も和やかな雰囲気で終えたのだが、お茶と共にデザートが運ばれてきた時には起きた。

「ダリア特産のアズールオレンジをメインに使ったタルトだ。旬は過ぎているが、魔塔が開発した食物の鮮度を保つ貯蔵庫で保存された物を使っているから、傷みもなく味も旬の頃と遜色ない様保たれている」

アズールオレンジはカイエンワインと共にダリア特産品の一つとして、果実やジャムは隣国へ、乾燥させた皮はお茶や甘味に加工されて海を渡っている。
伯父上の説明と共に目の前に置かれたタルトは、オレンジをメインに葡萄やベリーが乗っており、タルトの横には今が咲き初めのオレンジの花まで添えられ、晩餐会のデザートに相応しい上品な仕上がりになっているが…

「ぐっ…うぅっ……」

「「「「「「「「???!!!」」」」」」」」

涙で腫れた顔を冷やし、晩餐会が始まる頃にはいつもの調子を取り戻した宰相は、令嬢達に評判のミステリアスな紳士振りで客人達をもてなしていたが、アズールオレンジの花を目にした瞬間にそのミステリアス像はした。

「申し訳ありません…アズールオレンジが出てきたものですから…」

「ユリウス…」

「……アズール…オレンジ?」

「宰相はオレンジが苦手なのですか?」

「失礼、実ではなく花の方です。花を見ると私の娘を思い出す様で…」

自国の特産品を見て呻き出した宰相に、伯父上は溜め息を吐き、デュバル公爵は苦笑いで戸惑う客人達に説明するが…その説明では足らないだろ…

「デュバル公爵のご令嬢は…フラン殿下の婚約者ですよね?」

「……もしかして…ご病気に?」

「お陰様で健勝です。明日の夜会も出席しますよ」

「「「「………」」」」

なら、この涙は?と客人達の顔に書かれているが、それを口にする者はおらず、国王陛下一押しのタルトの味もよく分からないまま晩餐会を終えた。

「フラン、ローザの第四皇子に気を付けて…男色の噂があるわ」

義姉の不穏な一言と共に…




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