2 / 14
弘誓編
2
しおりを挟む
一人の僧兵の戯れの言に、さしもの荒くれ者達も、俄に二の句を失った。
千日回峰は生半な行ではない。現にこの行により命を落としたもの数知れず、殆ど浮浪に近い男にこれを勧めることは、三途の渡しに向けて背を押す行為にほかならない。
だが、言葉を失った僧兵たちは、すぐに興を起こし、
「おお、さすがは智慧第一等の恵福。見事、回峰行を満願すれば入門を許可す。これは筋が通っている」
本来、この行を修するに当たっては、天台座主に上申の上に許可を得て、全山に行入りを知らしめなければならない。
しかし、乱世の現在、この座主の席は、名跡だけの事実上の空位となっている。僧兵たちは、一応に根本中堂へ行入りの願を届け、無動寺谷の主たる堂、法曼院へも押し切るように届けをし、ついに、この一浮浪たる男を明王堂へ押しやってしまった。
千日回峰。
文字通り、山の中を練り歩き千日を費やす。
明王堂を拠点とし、午前2時に堂を出る。
谷道を上り、東塔へ出て、西塔を経て横川。さらに麓の坂本まで下り、坂本にある日吉大社を巡る。
距離にして三十キロほどだが、言うまでもなく、勾配の乱雑な、歩くに難儀な山道だ。
後世になると、行者の服装は定型化され、真っ白な装束に蓮華笠という型が確立されるのだが、無論、弘誓の時期にはそんなものは用意されず、但し、古草鞋だけは用意された。
さらに、明王堂に二名、東塔、西塔、横川、坂本各所に一人を付け、回峰に不正がないかを監視した。
本来、一年目に百日を歩く。
これを二年、三年と続け、三百日を費やす。
四年目からは日数が二百日に増え、五年目と合わせ、七百日を消化する。
しかし、弘誓は毎日歩いた。
「半ば死ぬ気でいたし、どうせ死ぬのなら、時間を置くことはない」
後年、彼はこう言っている。
もともとは、越前の荏胡麻を売る家に生まれたという。
越前は、当節流行りの真宗の土地で、特に父は熱心な門徒であった。
家柄として弘誓は文字が読めたが、ある日、一乗谷の小さな市で、法華経を手にしたのが転機となった。町の物知りに法華経の指南を受け、遂にはその虜となり、父との熾烈な口論の末に家を出た。
その後は、北陸に数少ない天台の寺々を訪れ、多少の教えを受けることもあったが、いずれの寺でも得心のいく日を送れずに、ついには絶望に近い有様で、北陸における最後の寺までを飛び出した。
やがて弘誓は、越前から敦賀へ抜け、琵琶湖の西岸を縫って、叡山へ赴いた。
もとより法華経への帰心もあり、その思想体系の大本山ともいえる山門を叩くに当たって、追われようが、突かれようが、その胸中、浮薄なものではなかった。
「これこれ、回峰の初年は三日に一度となっておる」
監察の言うのも聞かず、弘誓は歩いた。
「いつまで持つやら」
「なあに、頓死して山犬に食われるが落ちよ」
「それならまだいい。いやなに、今日にも逃散すると見た」
弘誓は歩いた。
歩きに歩くうち、そこは人の心。そうした雑音も、次第に澄んできた。
「今日も逃げなんだか」
「逃げるどころか、あれは本物じゃわい」
「毎日古草鞋じゃ。さらをあてがうべきではないか」
彼は雪道までも侵し、ついには、二年目にして七百日を消化してしまった。
ここに、叡山の本堂である根本中堂から達しが下り、男をして、剃髪せしめ、弘誓という法名が与えられた。
ただし、まだ比丘ではない。沙弥というには年経りすぎているが、ともかく、出家は認められてはおらず、便法としての名に過ぎない。
剃髪の方はさらに露骨な必要性から剃られたものだった。
「七百日目を満了し、これより、堂入りの行とする」
千日回峰は生半な行ではない。現にこの行により命を落としたもの数知れず、殆ど浮浪に近い男にこれを勧めることは、三途の渡しに向けて背を押す行為にほかならない。
だが、言葉を失った僧兵たちは、すぐに興を起こし、
「おお、さすがは智慧第一等の恵福。見事、回峰行を満願すれば入門を許可す。これは筋が通っている」
本来、この行を修するに当たっては、天台座主に上申の上に許可を得て、全山に行入りを知らしめなければならない。
しかし、乱世の現在、この座主の席は、名跡だけの事実上の空位となっている。僧兵たちは、一応に根本中堂へ行入りの願を届け、無動寺谷の主たる堂、法曼院へも押し切るように届けをし、ついに、この一浮浪たる男を明王堂へ押しやってしまった。
千日回峰。
文字通り、山の中を練り歩き千日を費やす。
明王堂を拠点とし、午前2時に堂を出る。
谷道を上り、東塔へ出て、西塔を経て横川。さらに麓の坂本まで下り、坂本にある日吉大社を巡る。
距離にして三十キロほどだが、言うまでもなく、勾配の乱雑な、歩くに難儀な山道だ。
後世になると、行者の服装は定型化され、真っ白な装束に蓮華笠という型が確立されるのだが、無論、弘誓の時期にはそんなものは用意されず、但し、古草鞋だけは用意された。
さらに、明王堂に二名、東塔、西塔、横川、坂本各所に一人を付け、回峰に不正がないかを監視した。
本来、一年目に百日を歩く。
これを二年、三年と続け、三百日を費やす。
四年目からは日数が二百日に増え、五年目と合わせ、七百日を消化する。
しかし、弘誓は毎日歩いた。
「半ば死ぬ気でいたし、どうせ死ぬのなら、時間を置くことはない」
後年、彼はこう言っている。
もともとは、越前の荏胡麻を売る家に生まれたという。
越前は、当節流行りの真宗の土地で、特に父は熱心な門徒であった。
家柄として弘誓は文字が読めたが、ある日、一乗谷の小さな市で、法華経を手にしたのが転機となった。町の物知りに法華経の指南を受け、遂にはその虜となり、父との熾烈な口論の末に家を出た。
その後は、北陸に数少ない天台の寺々を訪れ、多少の教えを受けることもあったが、いずれの寺でも得心のいく日を送れずに、ついには絶望に近い有様で、北陸における最後の寺までを飛び出した。
やがて弘誓は、越前から敦賀へ抜け、琵琶湖の西岸を縫って、叡山へ赴いた。
もとより法華経への帰心もあり、その思想体系の大本山ともいえる山門を叩くに当たって、追われようが、突かれようが、その胸中、浮薄なものではなかった。
「これこれ、回峰の初年は三日に一度となっておる」
監察の言うのも聞かず、弘誓は歩いた。
「いつまで持つやら」
「なあに、頓死して山犬に食われるが落ちよ」
「それならまだいい。いやなに、今日にも逃散すると見た」
弘誓は歩いた。
歩きに歩くうち、そこは人の心。そうした雑音も、次第に澄んできた。
「今日も逃げなんだか」
「逃げるどころか、あれは本物じゃわい」
「毎日古草鞋じゃ。さらをあてがうべきではないか」
彼は雪道までも侵し、ついには、二年目にして七百日を消化してしまった。
ここに、叡山の本堂である根本中堂から達しが下り、男をして、剃髪せしめ、弘誓という法名が与えられた。
ただし、まだ比丘ではない。沙弥というには年経りすぎているが、ともかく、出家は認められてはおらず、便法としての名に過ぎない。
剃髪の方はさらに露骨な必要性から剃られたものだった。
「七百日目を満了し、これより、堂入りの行とする」
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので
こじらせた処女
BL
大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。
とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…
性的イジメ
ポコたん
BL
この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。
作品説明:いじめの性的部分を取り上げて現代風にアレンジして作成。
全二話 毎週日曜日正午にUPされます。
BLエロ短編集
ねおもの
BL
ただただエロBLを書きます。R18です。
快楽責めや甘々系などがメインでグロ系はありません。
登場人物はみんな学生~20代の予定です。
もし良ければお気に入り登録お願いします。
基本的に1話~2話完結型の短編集です。
リクエストや感想もお待ちしています!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる