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結婚、したら?
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「あんたもそろそろ結婚したら?」
なんだよ藪から棒にそんなこと。
いや、違うな。むしろこれは予定調和ってヤツだ。
こうして長期休暇で帰省するたびに、毎度毎度おんなじことを言われるのだからたまったもんじゃない。まだ働き始めたばかりの頃は、新入社員で覚えることも多くて色恋沙汰に現を抜かしている暇なんて無いのだと言い訳もたったのだが、なんせ僕ももう今や三十過ぎたオッサンだ。
「中学の同級生の石渕くん覚えてる? あの子、もう二人目が――」
はいはいそれも聞いたってば。こんな調子だから、その気になれば毎週だって帰れる距離なのに実家への足が遠のいてしまうんだぞ。会社でも、喫煙所では決まってギャンブルと風俗の話に明け暮れていた連中が今ではやれ保育園だの住宅ローンだのとぼやく様を見せ付けられて置いてけぼりをくらっているんだ。せめてここではそんなことを忘れさせていてほしい。
もちろん母さんの言い分だってわかっているさ。なにも僕を責め立てて困らせたい訳じゃないってことぐらい。傍から見ればオッサンでも、このひとにとってはどんなに大きくなっても僕は子供なんだ。こうやって将来を心配してもらえるなんて有難い限りだ。だから、だからこそこうして結婚の話を持ち出されるたびに、いっそのこと早く死んでくれないかと酷く罰当たりなことを一瞬でも考えてしまう自分に嫌気がさしてしまう。
まだ若かった頃にはカミングアウトを考えたことだってあった。僕は孤独なんかじゃないんだと。大好きな相手に出会えて、愛しあえて幸せなのだと。そして願わくば父さんの墓前で彼を紹介したかった。最期までずっと僕が結婚できないことを心配していたから。
ねえお母さん、これが僕の最愛のひとだよ。そう言った僕の隣に並んでいるのは、中年の男。しかも人間じゃない。オオカミ。ヒステリーみたいな声をあげて卒倒するだろうか。それとも、優しい母のことだからその場ではうまく取り繕うだろうか。いつもよりちょっぴり豪勢な手料理を振る舞って、テレビで見たそういうタレントを引き合いに出して、最近はそういうひとたちも増えてきているのね、時代は進んでいるのねと笑ってみせるのだろうか。そうして散々っぱらエゴを満たした僕たちを見送ったあと、ひとりぼっちのあの家で、あの日のように仏壇の前で泣き崩れるのだ。マトモに産んであげられなくてごめんなさいと。
無論そんなのは僕の勝手な想像にしかすぎない。実際にはもっとあっけらかんとしているのかもしれない。なんだ、うじうじ悩まずに勇気を出せばよかったと笑い飛ばせるかもしれない。でももう決めたんだ。あなたの前ではいつまでもずっと手のかかる子供でいることを。
「宇宙の終焉はどうなると思う?」
バスローブ姿のオオカミがウイスキーグラスを片手に問いかける。
「うーん、確か……」
いかにも考え込んでいるというふりをしながら窓の外を眺めた。
真っ黒に切り取られたキャンバスの中にはひとの手で作られた星々が煌めいている。対して空はカーテンで覆われていて月明かりすら見えない。
「確か、太陽が膨張して地球が飲み込まれるんだっけ」
何千万だか何億年後にはこの星は消滅する運命らしい。もっとも科学雑誌で見た内容の受け売りでしかないけど。目の前のオオカミはどこか満足げに頷いてからガラステーブルにあけられたピスタチオの殻を割った。
「そうだね。そこからさらに途方もない時間がすぎると」
こうしてホテルの部屋の一角で、コンビニで買ってきた酒とつまみで晩酌をしながらとりとめもない話をするのが年に数度ある楽しみの一つなのだ。
「これはあくまで一説にしかすぎないけれど、宇宙はどんどん膨張を続けて」
同棲とまで贅沢は言わない。せめて同じ県内に、できればご近所さんであったなら。仕事帰りに誘い合わせてちょっと一杯なんてこともできただろうか。もっとも、観光地に住んでいるひとに限っていつでも行けるからと足が遠のいてしまうあの現象がおこるかもしれないが。
「銀河も星もお互い離れていって、夜空を眺めても何も見えなくなって」
気心のしれた、いわゆるお仲間ってヤツと色恋沙汰の話になると、反応はだいたい二パターンだ。よく遠距離恋愛で十年も続けられるねというものと、離れているからこそそこまで長く続けられたんだねといったもの。僕らの、いや僕の場合は後者だろうか。
「自ら光を放っていた恒星も燃え尽きてしまって」
結婚や子供といった縛るものがないから、この界隈の貞操観念は随分と緩い。もちろん全員が全員そうではないにしろ。本命は本命として、たまにはちょっとした火遊びをして息抜きをして、デートの時には綺麗な自分を見せられる。これが一緒に住んでいたらどうだ、嫌なところも汚いところも沢山目について、それでもふたりで居られるのはもはや熟年夫婦の境地かもしれない。
「暗闇の中にはブラックホールだけが残される」
長いことこうしているのに慣れてしまったのだ。付き合いたての頃は毎日のように電話したし、それこそウサギのように寂しくて死んでしまうかと思ったくらいだった。けれどもひとの、いや生き物の適応能力ってヤツは伊達じゃない。なにも永遠に会えない訳じゃない。何光年もの距離でもない。同じ地球の同じ国に住んでいる。火星よりは、随分と近い。
「そんなブラックホールも蒸発して、不安定な素粒子も崩壊すると」
それって愛情が冷めただけじゃない? いつだったかそんなことを言われたっけ。あながち間違いではないが、今でもこのオオカミのことを愛している。むしろ月日を重ねるにつれてそれは膨らんでいくばかり。火山のような爆発的なものではないけれど、ゆっくりと着実に大きくなっている。
「ごく僅かな素粒子だけが暗黒の中に残される」
溶けた氷で薄まったウイスキーを飲み干してから目をつぶる。少し飲み過ぎてしまったな。まぶたの裏に浮かんだ星々が瞬きながらワルツを踊った。
「まあ、これはあくまで一説。どうなるかは誰にもわからないさ」
そう言ってまたピスタチオを噛み砕く。チラリと覗いた大きな犬歯の先端は丸くすり減っている。
恋人にするのなら、四、五歳くらい歳上がいいなと思っていた。
流行に疎い僕が若者の話題についていけるとは思えなかったし、甘えられるよりは甘えたいという気持ちの方が強かったから。それに過去、あれは付き合ったと言えるのかわからないが、歳下の相手に惚れて、酷い別れ方をしたものだからちょっとしたトラウマみたいなものもある。
だからと言って、二十近く上ってどうなのよ。
フケ専ってのには興味はない。アニメなんかに出てくるそういうキャラクターにそそられることはあっても、いざお付き合いするとなると話は別だ。ついでに言うとオオカミというのにも大した拘りはない。自分には無いものを色々と持ち合わせているという点においては好奇心はあったし、ネコよりはイヌ派だからという気持ちも手伝ったのだろう。
オオカミは粗暴だとか、ヒツジは大人しいだとか、そんなレッテル貼りは今日日流行らないが、オオカミの顔に似合わず、いやどちらかと言うと年相応だろうか。彼は毎年のように僕に年賀状を送ってくる。なんでも仕事の取引先や顧客に出すついでらしい。いつだったかの年には明らかに印刷に失敗したものを僕用にしたらしかったし……そんなことで目くじらを立てはしないけれども。
年賀状なんて送らなくても、メールでも電話でも最近はメッセージアプリでいつだって連絡できるのに。友人や同僚、そして彼とも年が明けた瞬間にあけおめメッセージを送り合っているのに。でもそんなちょっとジジくさいところも魅力のひとつかも。
ジジくさいと言えば、僕たちが会う時は決まってどこかに旅行する。年に指折り数える程しか会えないのにホテルでエッチして終わりなんて味気なさすぎるからね。そしてその旅行先のチョイスが寺社仏閣であったり美術館であったりと渋いのなんのって。いい歳した成人男性二名が遊園地というのも色々と厳しいから消去法でそうなるんだけどね。
そして彼は訪れた先のさまざまな風景をハンディカムに収めていく。僕は旅先でカメラをバシャバシャとするのは正直あんまり好きじゃない。特に飲食店なんかでの所謂映えるってヤツは嫌いだ。写真になんて収めなくったって、その光景を、匂いを、味を、心の中にしまい込めばいいじゃないか。記憶は徐々に薄れて劣化していくけれども、本当に大切な思い出っていうのはきっとずっと消えずに残っていくものだと思っている。
――お父さん、こんなに笑顔の写真があって良かったね。
父が入院してから他界するまであっという間だった。
難病だと聞いて、その病名を調べた限りでは何年も、時には十年以上も闘病生活が続くのだと知った。母親が何度も入院先に顔を出してやれとしつこく電話してくるものだから渋々ながら病院に行ったのを思い出す。その時には呼吸器をつけてはいるものの意識は明瞭で、よく来たなと言わんばかりに僕に目配せした。
仲が悪かった訳でも嫌いだった訳でもなかったが、ただなんとなくその目で見つめられるのに耐えられなくなって病室を飛び出して、これから長い入院生活での暇つぶしにでもなればと財布に入っていた千円札を全てテレビカードに替えて、投げつけるようにしてそこに置いてきた。ついぞ使われることのなかったテレビカードを。
慌てて駆けつけて、仏間に横たわる父との対面もそこそこに葬儀の準備には目が回った。家中のアルバムを引っ掻き回して遺影に使う写真を選び、おまけに年の瀬が迫っていたから喪中はがきの準備もして、悲しみにくれる暇なんてこれっぽっちもなかった。
――宇宙は膨張をつづけている。
ああ、そういうことだったのか。
僕と彼との関係は、一握りの素性もわからぬお仲間にしか知られていない。親はもちろんのこと、友人にだって誰にも打ち明けてはいない。もしも、病気で、事故で、災害で突然死んでしまったら。愛してるもさようならも伝えられないままに、闇に覆われた空に望遠鏡を向け続ける孤独な天文学者を残すことになる。だからせめてものメッセージが届くように年賀状を送り続けているのだろうか。
「うん? 眠たくなっちゃった?」
これだけ飲めばね。僕はお酒が強い方ではないし。
すっかり薄まった氷水を飲み干してから立ち上がりベッドに横たわる。これがいつもの合図。
オオカミはグラスを空にすると、僕の期待に反してベッドを素通りして鞄を漁り始めた。なんだ? 携帯の充電器でも探しているのか。
「撮っちゃおっか?」
悪巧みに釣り上がる口角。
「え? は? いや、ちょっと何言って……」
片手にハンディカムを構え、ボタンを押すと響く軽妙な電子音。
「はーい、じゃあ早速はじめちゃいまーす」
いや、それ誰に向けたメッセージだよ。
そんな皮肉もピコリと跳ねた耳で受け流し、僕の足元からゆっくりと北上するカメラアングル。ファインダー越しに水かきをするような手つきでバスローブの紐に手を伸ばして解けさせる。これって俗に言うハメ撮りってヤツ? 普通に恥ずかしいんですけど。
「おっとお、早くも大きくなっちゃってますねえ?」
悪いかよ。そりゃエッチする気だったんだからしょうがないでしょ。別にこのシチュエーションに興奮したとかじゃないからね。
「元気なちんちんだなぁ」
うう、なんだか小っ恥ずかしくてムズムズする。何度も見られているはずなのに初めてのような感覚。カメラレンズがもう一つの観測者となって僕の恥部を記録している。こんなの馬鹿げていると早く辞めさせてしまいたい気持ちとは裏腹に、この非日常なプレイを楽しんでしまいたいという思いが膨れ上がっていく。
「も、もっとみて……」
冷静ぶって格好つけたところで、現に勃起させてしまっているんだ。変に恥じらう方が余計に滑稽だろう。
「みてるよお。ちんちん見られるの好きなんだ?」
睨め付けるようにレンズが近づいた。CMOSセンサは肌色と赤色で埋め尽くされているに違いない。撮られる喜びを全身で示すようにちんぽがピクピクと震えた。
「もう我慢汁出てきちゃってるね? エッチなちんちんだ」
どことなく小馬鹿にしたような言い方が胸の内を掻きむしり酸欠に陥っていく。ニタニタと笑うオオカミもどこか上気した顔で鼻息を荒くした。無意識のうちに尻に力が入って、ちんぽを見せつけるように突き出す。
「ちっ、近くでっ、ちんちん見てっ!」
もっと。触れ合うくらいに。そのヒゲがチクチクと体表をくすぐるくらいに近く。
「クンクンっ……ああ、すっごい雄くさい……」
先走りがてかり、その水分でふやけた亀頭からたちのぼる匂い。しこたま血液を送り続けられる海綿体が膨れ上がり痛みすら感じてしまう。
「真っ赤に熟したプラムみたいでおいしそうだよ」
その言葉に呼応するようにトプリと蜜が垂れる。ピスピスと鼻を鳴らしながら舌なめずりをして、挑発的なオオカミの目が僕の視線と交差した。うっとりと吐かれた灼熱の息と共に、舌の先端から涎が落ちた。
しかし待てども暮らせどもそこから先には進まない。もどかしい。なんで? 食べて欲しい。その長いマズルで根本までちんぽを飲み込んで欲しい。のたうち回る舌でカリ首を舐め回して欲しい。食べて、ちんぽ食べてっ!
喉の奥から飛び出しかかった呻き声にさらに嗜虐心の炎を滾らせたオオカミが、ますます意地悪な顔を作ってから僕にハンディカムを手渡した。戸惑いながらもそれを受け取って、迷った末に小さな液晶モニタの中にオオカミを捉える。その背後ではホウキのように振られた尻尾が埃を巻き上げた。
「食べて……」
フラッシュメモリの中に、この視界も、声も、刻み込まれていく。
「なにを?」
ポタリと落ちた涎が亀頭にかかる。
「ちんちん、食べて……」
大きく開けられた口が近づいてくる。ノコギリを思わせる歯列。ほんの一瞬だけ本能的な恐怖から小さく腰を引いてしまうも、そんなことはお構いなしだと止まることをしらない口が、ばくんと閉じられた。
「あっ、ちっ、ちがっ!」
「んん? はふっ、ふうっ」
確かに食べられている。ちんぽを食べられていることには間違いないのだが。首を傾げ、片眉を釣り上げてみせるオオカミ。額の筋肉と連動して大きな耳がピコンと天を指した。
その口は骨を齧るときさながらに、いきり立ったちんぽを側方からがっちりと捉えている。すっかり剥き出しになった大きな牙が、今まさにソーセージを食いちぎらんとする絵面。ゆるく、あぐあぐと甘噛みをされるたびに硬質の突起がちんぽを刺激する。無論、肉を切り裂く痛みが襲ってくるはずもなく、疼くように突き刺さる痛みは甘い響きとなって全身を駆け巡る。気持ちいい。間違いなく気持ちいい。けれども僕が渇望しているのはこれではないのだ。
「うんっ、あっ……そうじゃなくてぇっ……チューするみたいにして、ちんちん全部もぐもぐしてっ」
ちゅっ、ちゅぷっ、じゅりゅるっ
「そうっ! ああ、すごいっ」
ぶぷっ、じゅっぽじゅぽっ
「あったかい……ちんちん食べられてるう……」
れるっ……じゅっちゅ……ぬぶぶ
「ねっ、ねえっ、おいしい? ちんちんおいしいっ?」
はむっ、ずりゅっ、ぐぽ
「ああ、おいしい……エッチなちんちんおいしいよ」
マズルの中から白く泡立った唾液のクリームでコーティングされたちんぽが姿をあらわしたかと思うと、すぐさまそれを吸い尽くすように口内へと飲み込まれていく。ぐじゅぐじゅという音と共に熱気でムワリと香りたつ性の匂い。流石に臭気までは記録できないけれども、この興奮と悦びは何かしらの形をもって保存されるだろう。
「いくっ、いく! ちんちんミルクでちゃうっ!」
びゅぶっ! ごくっ、びゅーっ、びゅ! ごくっ、こくっ
上目遣いに僕を見る金色の瞳はいつだって僕を照らしてくれる。
あれから今度は僕が映画監督になって、たくさんこのオオカミを虐めてやった。
誰にも見せるつもりなんて更々ないけれど、案外その手のマニアには高く売れたりして。
「どうしたの?」
部屋の奥では充電中を示すLEDが小さく灯されている。なんだっけ、赤い星は赤色矮星って言うんだっけ。
握ったままの手を引き寄せると、一瞬大きく開かれた目がすぐに細められた。互いの鼻先を擦り合わせるとほんのりと精液の残り香。
「あの、さ」
なにも、こんなときに言わなくても。このまま満ち足りた疲労感の中でまぶたを閉じてしまえばいいものを。
「結婚、したら?」
一、二、三秒。オオカミは僕の鼻先をべろんと舐めてから――
明日の昼には、僕は新幹線の中だ。
決まっていつも時間いっぱいまでホテルで過ごしたあと、駅ビルでご飯を食べてから改札の前で握手をする。本当はそれだけじゃなくてぎゅっと抱きしめてキスもしたいけど、オジサンと甥っ子って設定じゃあそこまではできないもんな。
だから、明日はいっぱい写真を撮ろう。寝ぼけ眼で歯磨きをする姿も、コーヒーを啜りながらニュースを見ているところも、改札を通ったあとに振り返ると小さく手を振ってくれるその笑顔も。それから年賀状も、できれば暑中見舞いだって、これからずっと、ずーっと送ろう。
なんだよ藪から棒にそんなこと。
いや、違うな。むしろこれは予定調和ってヤツだ。
こうして長期休暇で帰省するたびに、毎度毎度おんなじことを言われるのだからたまったもんじゃない。まだ働き始めたばかりの頃は、新入社員で覚えることも多くて色恋沙汰に現を抜かしている暇なんて無いのだと言い訳もたったのだが、なんせ僕ももう今や三十過ぎたオッサンだ。
「中学の同級生の石渕くん覚えてる? あの子、もう二人目が――」
はいはいそれも聞いたってば。こんな調子だから、その気になれば毎週だって帰れる距離なのに実家への足が遠のいてしまうんだぞ。会社でも、喫煙所では決まってギャンブルと風俗の話に明け暮れていた連中が今ではやれ保育園だの住宅ローンだのとぼやく様を見せ付けられて置いてけぼりをくらっているんだ。せめてここではそんなことを忘れさせていてほしい。
もちろん母さんの言い分だってわかっているさ。なにも僕を責め立てて困らせたい訳じゃないってことぐらい。傍から見ればオッサンでも、このひとにとってはどんなに大きくなっても僕は子供なんだ。こうやって将来を心配してもらえるなんて有難い限りだ。だから、だからこそこうして結婚の話を持ち出されるたびに、いっそのこと早く死んでくれないかと酷く罰当たりなことを一瞬でも考えてしまう自分に嫌気がさしてしまう。
まだ若かった頃にはカミングアウトを考えたことだってあった。僕は孤独なんかじゃないんだと。大好きな相手に出会えて、愛しあえて幸せなのだと。そして願わくば父さんの墓前で彼を紹介したかった。最期までずっと僕が結婚できないことを心配していたから。
ねえお母さん、これが僕の最愛のひとだよ。そう言った僕の隣に並んでいるのは、中年の男。しかも人間じゃない。オオカミ。ヒステリーみたいな声をあげて卒倒するだろうか。それとも、優しい母のことだからその場ではうまく取り繕うだろうか。いつもよりちょっぴり豪勢な手料理を振る舞って、テレビで見たそういうタレントを引き合いに出して、最近はそういうひとたちも増えてきているのね、時代は進んでいるのねと笑ってみせるのだろうか。そうして散々っぱらエゴを満たした僕たちを見送ったあと、ひとりぼっちのあの家で、あの日のように仏壇の前で泣き崩れるのだ。マトモに産んであげられなくてごめんなさいと。
無論そんなのは僕の勝手な想像にしかすぎない。実際にはもっとあっけらかんとしているのかもしれない。なんだ、うじうじ悩まずに勇気を出せばよかったと笑い飛ばせるかもしれない。でももう決めたんだ。あなたの前ではいつまでもずっと手のかかる子供でいることを。
「宇宙の終焉はどうなると思う?」
バスローブ姿のオオカミがウイスキーグラスを片手に問いかける。
「うーん、確か……」
いかにも考え込んでいるというふりをしながら窓の外を眺めた。
真っ黒に切り取られたキャンバスの中にはひとの手で作られた星々が煌めいている。対して空はカーテンで覆われていて月明かりすら見えない。
「確か、太陽が膨張して地球が飲み込まれるんだっけ」
何千万だか何億年後にはこの星は消滅する運命らしい。もっとも科学雑誌で見た内容の受け売りでしかないけど。目の前のオオカミはどこか満足げに頷いてからガラステーブルにあけられたピスタチオの殻を割った。
「そうだね。そこからさらに途方もない時間がすぎると」
こうしてホテルの部屋の一角で、コンビニで買ってきた酒とつまみで晩酌をしながらとりとめもない話をするのが年に数度ある楽しみの一つなのだ。
「これはあくまで一説にしかすぎないけれど、宇宙はどんどん膨張を続けて」
同棲とまで贅沢は言わない。せめて同じ県内に、できればご近所さんであったなら。仕事帰りに誘い合わせてちょっと一杯なんてこともできただろうか。もっとも、観光地に住んでいるひとに限っていつでも行けるからと足が遠のいてしまうあの現象がおこるかもしれないが。
「銀河も星もお互い離れていって、夜空を眺めても何も見えなくなって」
気心のしれた、いわゆるお仲間ってヤツと色恋沙汰の話になると、反応はだいたい二パターンだ。よく遠距離恋愛で十年も続けられるねというものと、離れているからこそそこまで長く続けられたんだねといったもの。僕らの、いや僕の場合は後者だろうか。
「自ら光を放っていた恒星も燃え尽きてしまって」
結婚や子供といった縛るものがないから、この界隈の貞操観念は随分と緩い。もちろん全員が全員そうではないにしろ。本命は本命として、たまにはちょっとした火遊びをして息抜きをして、デートの時には綺麗な自分を見せられる。これが一緒に住んでいたらどうだ、嫌なところも汚いところも沢山目について、それでもふたりで居られるのはもはや熟年夫婦の境地かもしれない。
「暗闇の中にはブラックホールだけが残される」
長いことこうしているのに慣れてしまったのだ。付き合いたての頃は毎日のように電話したし、それこそウサギのように寂しくて死んでしまうかと思ったくらいだった。けれどもひとの、いや生き物の適応能力ってヤツは伊達じゃない。なにも永遠に会えない訳じゃない。何光年もの距離でもない。同じ地球の同じ国に住んでいる。火星よりは、随分と近い。
「そんなブラックホールも蒸発して、不安定な素粒子も崩壊すると」
それって愛情が冷めただけじゃない? いつだったかそんなことを言われたっけ。あながち間違いではないが、今でもこのオオカミのことを愛している。むしろ月日を重ねるにつれてそれは膨らんでいくばかり。火山のような爆発的なものではないけれど、ゆっくりと着実に大きくなっている。
「ごく僅かな素粒子だけが暗黒の中に残される」
溶けた氷で薄まったウイスキーを飲み干してから目をつぶる。少し飲み過ぎてしまったな。まぶたの裏に浮かんだ星々が瞬きながらワルツを踊った。
「まあ、これはあくまで一説。どうなるかは誰にもわからないさ」
そう言ってまたピスタチオを噛み砕く。チラリと覗いた大きな犬歯の先端は丸くすり減っている。
恋人にするのなら、四、五歳くらい歳上がいいなと思っていた。
流行に疎い僕が若者の話題についていけるとは思えなかったし、甘えられるよりは甘えたいという気持ちの方が強かったから。それに過去、あれは付き合ったと言えるのかわからないが、歳下の相手に惚れて、酷い別れ方をしたものだからちょっとしたトラウマみたいなものもある。
だからと言って、二十近く上ってどうなのよ。
フケ専ってのには興味はない。アニメなんかに出てくるそういうキャラクターにそそられることはあっても、いざお付き合いするとなると話は別だ。ついでに言うとオオカミというのにも大した拘りはない。自分には無いものを色々と持ち合わせているという点においては好奇心はあったし、ネコよりはイヌ派だからという気持ちも手伝ったのだろう。
オオカミは粗暴だとか、ヒツジは大人しいだとか、そんなレッテル貼りは今日日流行らないが、オオカミの顔に似合わず、いやどちらかと言うと年相応だろうか。彼は毎年のように僕に年賀状を送ってくる。なんでも仕事の取引先や顧客に出すついでらしい。いつだったかの年には明らかに印刷に失敗したものを僕用にしたらしかったし……そんなことで目くじらを立てはしないけれども。
年賀状なんて送らなくても、メールでも電話でも最近はメッセージアプリでいつだって連絡できるのに。友人や同僚、そして彼とも年が明けた瞬間にあけおめメッセージを送り合っているのに。でもそんなちょっとジジくさいところも魅力のひとつかも。
ジジくさいと言えば、僕たちが会う時は決まってどこかに旅行する。年に指折り数える程しか会えないのにホテルでエッチして終わりなんて味気なさすぎるからね。そしてその旅行先のチョイスが寺社仏閣であったり美術館であったりと渋いのなんのって。いい歳した成人男性二名が遊園地というのも色々と厳しいから消去法でそうなるんだけどね。
そして彼は訪れた先のさまざまな風景をハンディカムに収めていく。僕は旅先でカメラをバシャバシャとするのは正直あんまり好きじゃない。特に飲食店なんかでの所謂映えるってヤツは嫌いだ。写真になんて収めなくったって、その光景を、匂いを、味を、心の中にしまい込めばいいじゃないか。記憶は徐々に薄れて劣化していくけれども、本当に大切な思い出っていうのはきっとずっと消えずに残っていくものだと思っている。
――お父さん、こんなに笑顔の写真があって良かったね。
父が入院してから他界するまであっという間だった。
難病だと聞いて、その病名を調べた限りでは何年も、時には十年以上も闘病生活が続くのだと知った。母親が何度も入院先に顔を出してやれとしつこく電話してくるものだから渋々ながら病院に行ったのを思い出す。その時には呼吸器をつけてはいるものの意識は明瞭で、よく来たなと言わんばかりに僕に目配せした。
仲が悪かった訳でも嫌いだった訳でもなかったが、ただなんとなくその目で見つめられるのに耐えられなくなって病室を飛び出して、これから長い入院生活での暇つぶしにでもなればと財布に入っていた千円札を全てテレビカードに替えて、投げつけるようにしてそこに置いてきた。ついぞ使われることのなかったテレビカードを。
慌てて駆けつけて、仏間に横たわる父との対面もそこそこに葬儀の準備には目が回った。家中のアルバムを引っ掻き回して遺影に使う写真を選び、おまけに年の瀬が迫っていたから喪中はがきの準備もして、悲しみにくれる暇なんてこれっぽっちもなかった。
――宇宙は膨張をつづけている。
ああ、そういうことだったのか。
僕と彼との関係は、一握りの素性もわからぬお仲間にしか知られていない。親はもちろんのこと、友人にだって誰にも打ち明けてはいない。もしも、病気で、事故で、災害で突然死んでしまったら。愛してるもさようならも伝えられないままに、闇に覆われた空に望遠鏡を向け続ける孤独な天文学者を残すことになる。だからせめてものメッセージが届くように年賀状を送り続けているのだろうか。
「うん? 眠たくなっちゃった?」
これだけ飲めばね。僕はお酒が強い方ではないし。
すっかり薄まった氷水を飲み干してから立ち上がりベッドに横たわる。これがいつもの合図。
オオカミはグラスを空にすると、僕の期待に反してベッドを素通りして鞄を漁り始めた。なんだ? 携帯の充電器でも探しているのか。
「撮っちゃおっか?」
悪巧みに釣り上がる口角。
「え? は? いや、ちょっと何言って……」
片手にハンディカムを構え、ボタンを押すと響く軽妙な電子音。
「はーい、じゃあ早速はじめちゃいまーす」
いや、それ誰に向けたメッセージだよ。
そんな皮肉もピコリと跳ねた耳で受け流し、僕の足元からゆっくりと北上するカメラアングル。ファインダー越しに水かきをするような手つきでバスローブの紐に手を伸ばして解けさせる。これって俗に言うハメ撮りってヤツ? 普通に恥ずかしいんですけど。
「おっとお、早くも大きくなっちゃってますねえ?」
悪いかよ。そりゃエッチする気だったんだからしょうがないでしょ。別にこのシチュエーションに興奮したとかじゃないからね。
「元気なちんちんだなぁ」
うう、なんだか小っ恥ずかしくてムズムズする。何度も見られているはずなのに初めてのような感覚。カメラレンズがもう一つの観測者となって僕の恥部を記録している。こんなの馬鹿げていると早く辞めさせてしまいたい気持ちとは裏腹に、この非日常なプレイを楽しんでしまいたいという思いが膨れ上がっていく。
「も、もっとみて……」
冷静ぶって格好つけたところで、現に勃起させてしまっているんだ。変に恥じらう方が余計に滑稽だろう。
「みてるよお。ちんちん見られるの好きなんだ?」
睨め付けるようにレンズが近づいた。CMOSセンサは肌色と赤色で埋め尽くされているに違いない。撮られる喜びを全身で示すようにちんぽがピクピクと震えた。
「もう我慢汁出てきちゃってるね? エッチなちんちんだ」
どことなく小馬鹿にしたような言い方が胸の内を掻きむしり酸欠に陥っていく。ニタニタと笑うオオカミもどこか上気した顔で鼻息を荒くした。無意識のうちに尻に力が入って、ちんぽを見せつけるように突き出す。
「ちっ、近くでっ、ちんちん見てっ!」
もっと。触れ合うくらいに。そのヒゲがチクチクと体表をくすぐるくらいに近く。
「クンクンっ……ああ、すっごい雄くさい……」
先走りがてかり、その水分でふやけた亀頭からたちのぼる匂い。しこたま血液を送り続けられる海綿体が膨れ上がり痛みすら感じてしまう。
「真っ赤に熟したプラムみたいでおいしそうだよ」
その言葉に呼応するようにトプリと蜜が垂れる。ピスピスと鼻を鳴らしながら舌なめずりをして、挑発的なオオカミの目が僕の視線と交差した。うっとりと吐かれた灼熱の息と共に、舌の先端から涎が落ちた。
しかし待てども暮らせどもそこから先には進まない。もどかしい。なんで? 食べて欲しい。その長いマズルで根本までちんぽを飲み込んで欲しい。のたうち回る舌でカリ首を舐め回して欲しい。食べて、ちんぽ食べてっ!
喉の奥から飛び出しかかった呻き声にさらに嗜虐心の炎を滾らせたオオカミが、ますます意地悪な顔を作ってから僕にハンディカムを手渡した。戸惑いながらもそれを受け取って、迷った末に小さな液晶モニタの中にオオカミを捉える。その背後ではホウキのように振られた尻尾が埃を巻き上げた。
「食べて……」
フラッシュメモリの中に、この視界も、声も、刻み込まれていく。
「なにを?」
ポタリと落ちた涎が亀頭にかかる。
「ちんちん、食べて……」
大きく開けられた口が近づいてくる。ノコギリを思わせる歯列。ほんの一瞬だけ本能的な恐怖から小さく腰を引いてしまうも、そんなことはお構いなしだと止まることをしらない口が、ばくんと閉じられた。
「あっ、ちっ、ちがっ!」
「んん? はふっ、ふうっ」
確かに食べられている。ちんぽを食べられていることには間違いないのだが。首を傾げ、片眉を釣り上げてみせるオオカミ。額の筋肉と連動して大きな耳がピコンと天を指した。
その口は骨を齧るときさながらに、いきり立ったちんぽを側方からがっちりと捉えている。すっかり剥き出しになった大きな牙が、今まさにソーセージを食いちぎらんとする絵面。ゆるく、あぐあぐと甘噛みをされるたびに硬質の突起がちんぽを刺激する。無論、肉を切り裂く痛みが襲ってくるはずもなく、疼くように突き刺さる痛みは甘い響きとなって全身を駆け巡る。気持ちいい。間違いなく気持ちいい。けれども僕が渇望しているのはこれではないのだ。
「うんっ、あっ……そうじゃなくてぇっ……チューするみたいにして、ちんちん全部もぐもぐしてっ」
ちゅっ、ちゅぷっ、じゅりゅるっ
「そうっ! ああ、すごいっ」
ぶぷっ、じゅっぽじゅぽっ
「あったかい……ちんちん食べられてるう……」
れるっ……じゅっちゅ……ぬぶぶ
「ねっ、ねえっ、おいしい? ちんちんおいしいっ?」
はむっ、ずりゅっ、ぐぽ
「ああ、おいしい……エッチなちんちんおいしいよ」
マズルの中から白く泡立った唾液のクリームでコーティングされたちんぽが姿をあらわしたかと思うと、すぐさまそれを吸い尽くすように口内へと飲み込まれていく。ぐじゅぐじゅという音と共に熱気でムワリと香りたつ性の匂い。流石に臭気までは記録できないけれども、この興奮と悦びは何かしらの形をもって保存されるだろう。
「いくっ、いく! ちんちんミルクでちゃうっ!」
びゅぶっ! ごくっ、びゅーっ、びゅ! ごくっ、こくっ
上目遣いに僕を見る金色の瞳はいつだって僕を照らしてくれる。
あれから今度は僕が映画監督になって、たくさんこのオオカミを虐めてやった。
誰にも見せるつもりなんて更々ないけれど、案外その手のマニアには高く売れたりして。
「どうしたの?」
部屋の奥では充電中を示すLEDが小さく灯されている。なんだっけ、赤い星は赤色矮星って言うんだっけ。
握ったままの手を引き寄せると、一瞬大きく開かれた目がすぐに細められた。互いの鼻先を擦り合わせるとほんのりと精液の残り香。
「あの、さ」
なにも、こんなときに言わなくても。このまま満ち足りた疲労感の中でまぶたを閉じてしまえばいいものを。
「結婚、したら?」
一、二、三秒。オオカミは僕の鼻先をべろんと舐めてから――
明日の昼には、僕は新幹線の中だ。
決まっていつも時間いっぱいまでホテルで過ごしたあと、駅ビルでご飯を食べてから改札の前で握手をする。本当はそれだけじゃなくてぎゅっと抱きしめてキスもしたいけど、オジサンと甥っ子って設定じゃあそこまではできないもんな。
だから、明日はいっぱい写真を撮ろう。寝ぼけ眼で歯磨きをする姿も、コーヒーを啜りながらニュースを見ているところも、改札を通ったあとに振り返ると小さく手を振ってくれるその笑顔も。それから年賀状も、できれば暑中見舞いだって、これからずっと、ずーっと送ろう。
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