忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

五十六話 襲撃⑥ (肇)

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 肇は風を操り、無数の鎌鼬を発生させた。不可視の斬撃が襲い掛かり、響子の身体を斬り裂くはずだった。しかし、響子が繰り出した水の弾丸によって簡単に相殺された。響子には不可視の斬撃ですら目視できているのか、正確無比な魔術制御だった。

 全ての鎌鼬を水の弾丸で相殺させると、響子が容赦なく接近してきた。響子は移動しながら水を自在に操り、槍を形成させた。まるで氷で象った槍そのもの。三叉の穂先は鋭利な刃物のようだった。響子が使うには少しばかり大きめのサイズに思えたが、軽々と握っていた。肇に接近すると、連続で突きを繰り出した。

 狙いは目か。肇は首を逸らすことで躱すが、素早い切り返しで応戦される。怒涛の勢いで繰り出される突きを、首を左右に振るだけで躱していく。ギリギリの攻防が続き、一見すると響子が押しているようにも見えた。だが、油断は禁物。僅かな気の緩みが死を招くことになる。それは両者共に理解していた。

 風祭響子。やはりそう簡単に倒すことはできない。当主である信護ばかりが評価されがちだが、信護を陰ながら支える響子も一筋縄ではいかない。響子のデータは肇の部下でも調べることができなかった。過去の経歴も何もかもが不明。

 まるで人為的に隠蔽工作されているようだった。響子については謎が多く、最初は出自に関する情報ですら得ることができなかった。だが、啓二の人脈と時間を掛けることで響子の出自に関する情報だけは得ることができた。

 「さすがに一筋縄ではいかないか……」
 
 「当たり前よ。子供の頃から鍛えられてますから」

 「ふっ、どうやら天帝の娘という噂は本当らしいな。貴様の情報を探ろうとしても見付からない訳だ。そもそも初めから戸籍すらも存在しないのだから。それに加え、隠蔽工作までされたら我々では手の打ちようがない。考えたものだな」

 天帝。日本国憲法で定められた日本国の象徴たる人物。帝位は世襲制とされ、男系のみに継承権が与えられる。時代は移り変わり、日本国の元首として統治権を総攬する地位でもある。現在の日本は民主主義ではなく、君主制で成り立っていた。

 そして、天帝の縁者は国民のように戸籍は存在しない。国民が調べようと思っても、簡単に調べられることではない。響子は女性であるが故に継承権を与えられず、降嫁と共に響子に関する情報は全て隠蔽工作されていたのだ。

 「……なるほど。響を暗殺しようとした理由は実家絡みということで良いのかしら?」

 「ああ、今さら隠しても仕方がない。」
 
 「どこまで知っているのかしら?」

 「おおよそのところは聞いているとだけ言っておこう」

 「……そう。情報源は誰かしら?」

 「さぁな。知りたかったら力尽くで聞き出すんだな」

 「分かりました。望み通り力尽くで聞き出すことにしましょう」

 「ふっ、水と風。互いに相性は悪くない。だが、勝利の女神は俺に微笑む」

 激しい攻防を繰り広げながら会話をしていた二人だが、これ以上の会話は不要だった。肇と響子は互いに後方へ跳躍することで距離を取った。両者が睨み合い、緊迫した空気が流れる。先手を仕掛けるべきか、しばらくの間は様子を見るべきか。

 肇が思考を巡らせていると、響子が迷うことなく駆け出した。凄まじい速度で接近し、鋭い突きを繰り出した。首を逸らすことで躱しても、すぐに次の攻撃に切り返された。しかし、肇が防戦一方のまま大人しくしている訳がない。

 両腕に風を纏うと、勢いのままに拳を放った。槍の穂先と拳がぶつかり合い、金属音のような甲高い音が鳴り響く。あまりにも重い一撃に二人の顔が歪んだ。一撃を防いだだけで両者の腕が痺れていた。だが、立ち止まることは許されない。

 響子は素早い切り返しで突きを繰り出した。大気を斬り裂くように鋭く、目で追うのが精一杯に思えるほど素早い連続技だが、全ての攻撃が肇の目を正確に狙っていた。逆に肇からすると急所を的確に狙ってくるので、攻撃パターンを読み易かった。

 肇は顔面に向かって飛んでくる槍の穂先を、すれすれのところで躱す。槍の穂先が僅かに頬を掠めたが、気にしている余裕などなかった。速度も威力も申し分ないが、響子には覚悟が足りていない。世の中を変えようとしている肇からすると、甘い攻撃だった。恐らく、最近は稽古も鍛錬も疎かにし、ブランクがあるのだろう。

 回避に徹していた肇が攻撃を仕掛ける。素早く響子の懐に潜り込むと、拳を振り上げた。力の入れ具合、タイミング、完全に決まったと思ったが、拳が響子の顎に当たった瞬間、響子の全身が弾けた。辺りに水が飛び散り、地面は水浸しになった。

 「ちっ……水で分身を……」

 「こっちよ」

 背後から声が聞こえ、振り向くと槍の穂先が顔面に向けられていた。少しでも動けば眼球を抉られる。肇は視線を左右に巡らせ、辺りを見渡した。背後にはゴーレムが斧を持ったまま構えていた。後ろに跳び退いたとしてもゴーレムが止めを刺す予定なのだろう。やはり二人同時に相手にすることは難しい。

 「チェックメイトね。さて、答えて頂戴。どこで私達の情報が漏洩したのかしら?あなた達は知ってはいけないことを知ってしまったわ。私と響に関する情報は機密扱いになっているの。一般人では調べることすらもできないはずだわ」

 「まさか勝ったつもりか?」

 「ええ、勝敗は決しました。答えなさい」

 「残念だったな。上を見上げて見ろ」

 「……?」

 その時だった。空から灼熱の炎が襲い掛かった。勢いは凄まじく、響子を簡単に呑み込んだ。事前に身体の周りに結界を纏っていた肇でさえも、上空に跳躍しなければ危険な魔術だった。炎は瞬く間に燃え広がり、ゴーレムでさえも呑み込んだ。

 「遅い。何をやっていたんだ?」

 「済まなかった。骨のある奴を見掛けてな。スカウトしたんだが、失敗に終わった」

 「まぁ、良い。状況は分かっているな?松衛よ」

 「ああ。精霊を顕現させ、契約者と戦っているところなのだろう?」

 「そうだ。分かっているならば戦え。あと少しで精霊が手に入る」

 「だが、肝心の精霊は暴走しているみたいだが……?」

 「問題はない」

 「それにしても寛大な犠牲を出したな……」
 
 「ああ、俺以外の仲間は全滅した。精霊が厄介な状態でな。精霊を取り押さえるために、氣は残しておいてくれ。奴らとの戦闘が終わり次第、精霊を拘束する。最後までペース配分を考えて行動してくれよ」

 「分かっている」

 肇は空中を浮遊しながら不死鳥となった松衛との会話を済ませる。未だに精霊は咆哮を上げながら苦しんでいた。一目見ただけで暴走していると理解できる状態だ。その上、あちこちに死体が転がり、悲惨な状況だった。多大な犠牲を出してしまったことは言うまでもない。だが、肇と松衛は一歩も引く気はなかった。

 「響子様っ……」

 「大丈夫よ。しかし、まだ仲間がいたのね……」

 「ですが、新たな敵は炎を操る魔術師のようです。属性だけで判断するならば相性は悪くはないはずです。我々の方が優位です」

 「いえ、普通の魔術師だと思わない方が良いわ。周りを見なさい」

 「……?」

 香苗はゴーレムの肩から辺りを見渡した。先程までは辺りは浅瀬の湖のようになっていたが、不死鳥が近くに来てからは水が凄まじい勢いで沸騰し、湯気を発するように蒸発していた。その上、辺りに転がっていた死体が燃え始めた。

 「これは……?」

 「良い?香苗。属性で優位だと判断するのは時期尚早よ。私が生み出した水を蒸発させるなんて通常ではあり得ないわ。あなたのゴーレムも用心しておきなさい」

 「はい……」

 

 

 

 
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