忘却の彼方

ひろろみ

文字の大きさ
上 下
58 / 64
五歳編

五十五話 襲撃⑤ (肇)

しおりを挟む
 響子の悲鳴が響き渡った。少年、少女達の胸から顕現した鎖が響子の胸を貫き、地面に描かれた幾何学模様が呼応するように輝き始めた。身体の動きだけではなく、魔術までも封じられた響子には、どうすることもできなかった。

 「そのまま精霊を引き摺り出せ。最後まで気を抜くな」

 「はい……」

 「了解で……す」

 「わかり……ました」

 「はぁ……はぁ……」

 響子の胸を貫いた鎖が強制的に引き戻されていった。四人の少年、少女達も苦しそうにしていた。だが、彼らにはどうしても叶えたい夢があった。世界をひっくり返すという夢だ。夢のためならば、この程度の苦痛は耐えてみせる。

 少年、少女達の覚悟は本物だった。平和な世の中をつくるため、必ずや儀式を成功させてみせる。少年、少女達は雄叫びを上げながら、氣を全力で解放した。まるで鎖で綱引きをしているようだった。油断すると身体ごと持っていかれそうだった。響子は状況を素早く察知し、鎖を引き千切ろうとする。

 しかし、鎖は予想以上に強固で引き千切ることはできなかった。時間を掛ければ掛けるほど身体中の氣を吸われ、魔術を扱うことが困難になっていった。唖然と固まっていた香苗が慌てて響子のもとに近寄ろうとする。

 「響子様っ……」

 「香苗、こちらに来てはいけないわ。私の中にいる精霊を強制的に引き摺り出そうとしているみたい……クッ……このままでは……」

 「なッ……今すぐに鎖を断ち切ります。しばらくお待ち下さい。№2と№3は早急に鎖を引き千切って。時間がないわ」

 香苗は慌てながらもゴレームに鎖を引き千切るように指示をする。二体のゴーレムが鎖に触れ、力の限りに引っ張った。ゴレームの腕力ならば簡単に鎖を引き千切れると思い込んでいた香苗は、予想外の展開に混乱する。鎖は引き千切れるどころか、ゴーレムの手足に絡みつき、氣を吸い取り始めたのだ。

 「香苗、この鎖は氣を吸い込んでいるみたいよ。ゴーレムと貴方の氣を吸収しているわ。早急にゴーレムを消しなさい。じゃないと貴方にまで危険が及ぶわ」

 「しかし、それでは響子様が……」

 「良いから。指示に従って」

 「……分かりました」

 香苗は完全に冷静さを失っていた。慌ててゴーレムを消し、響子のもとに駆け寄った。響子は苦しそうな表情を浮かべ、鎖を力一杯に握っていた。響子の身体の中で精霊がドクンと反応したのが分かった。不味い。このままでは精霊が外に出てしまう。

 「クッ……このままでは精霊が出てしまう。契約が強制的に上書きされているみたい。こんなこと初めてだわ。精霊が反応するなんて……」

 「なっ……どうすれば……」

 香苗は辺りを見渡しながら思考を巡らせる。完全にパニックに陥り、思考が纏まらなかった。豪雨が降り注ぎ、暴風が吹き荒れ、気温も下がり、正常な判断ができなかった。鎖に触れると氣を吸われ、危険な魔術だということが理解できた。

 「仕方ありません。術者を殺すしか選択肢がありません」

 「駄目よ。あの子達はまだ子供なのよ?」

 「響子様、そんなことを言っている場合ではありません」

 香苗が術者である少年のもとに、慌てながらも駆け寄った。素早く接近すると、拳を振り落とした。しかし、肇が拳を受け止め、暴風が香苗に襲い掛かった。冷静さを失った香苗に躱せるはずもなく、勢いのままに吹き飛ばされた。

 「邪魔をしないで」

 「邪魔をしているのは貴様らだ」

 香苗は肇を睨み付けながら、大きな声を上げる。怒気を含んだ物言いだが、肇は相手にしていなかった。肇は四人の少年、少女達の身体の周りに風の結界を纏わせると、戦闘態勢を取った。あと少しで精霊を顕現させることができる。

 「きゃぁぁああぁ……」

 その時、響子が悲鳴を上げた。鎖が引き戻され、響子の身体から精霊が引き摺り出された。その姿は美しかった。大きな翼を広げ、咆哮を上げる精霊に目を奪われた。上半身は人間の女性の姿を象り、下半身は鱗で覆われていた。その姿はお伽話に出てくる人魚そのもの。翼の生えた人魚を目の前に、肇は興奮が治まらなかった。

 「人魚……風祭家の精霊は酉だと思い込んでいたが、人魚だったのか……」

 「不味いわ。不完全な状態で顕現してしまったわ……あなた達、何てことを……」

 「あれで不完全だと?信じられん。凄まじい氣で溢れている」

 精霊の苦しそうな咆哮が響き渡り、辺りは静寂に包まれた。周囲で抗争を続けていた肇の部下も宗家の従者も手を止め、精霊を見入っていた。透き通るような白い肌に、腰まで伸びた藍色の髪の毛。この世のものとは思えないほどに美しかった。

 しかし、その表情は怒りに染まっていた。大きな瞳は鋭さを増し、精霊の身体から溢れんばかりの氣が満ち溢れていた。精霊が殺気立っていることが一目で理解できた。無闇に刺激すると暴走しかねない。さすがの肇も状況が良くないことを悟った。

 「精霊よ。私の言葉が理解できるか?我々の主と契約をして欲しい」

 精霊とは敵対する訳にはいかない。啓二と契約して貰うため、穏便に済ませたいのが本音だ。だが、精霊は興奮状態にあり、会話もできない状態だった。怒りに身を任せたような咆哮を繰り返し、周囲の人間に威嚇を繰り返していた。

 「円華。私の身体に戻りなさい。いきなりのことでビックリしてしまったのでしょう?怒らなくて良いわ。落ち着いて。私はここにいるわ」

 響子は精霊の円華に向かって、懸命に語り掛けた。だが、意識が混乱しているのか、響子の声にも反応を示さなかった。その時だった。円華の怒りに呼応するように地面から水が噴出し、大きな津波となって周囲の人間を丸ごと呑み込んだ。

 「くっ……まどかっ……落ち着きなさい」

 「これほどとは……」

 さすがの肇も驚きを隠せなかった。咄嗟の判断で風を纏い、空に逃げ果せた。お蔭で肇は難を逃れたが、肇の部下と宗家の者は一撃で全滅した。その場に残されたのは響子と香苗と肇の三人だけだった。人間が扱う魔術など幼稚に思える一撃だった。

 「最悪の結果だな……」

 辺りは水浸しになり、巨大なクレーターが湖のようになっていた。円華は未だに咆哮を繰り返し、危険な状態だ。肇の部下は全員が死に、儀式も中途半端な状態のまま終わってしまった。本来ならば精霊との契約を、一時的に上書きすることで手懐けるつもりだった。だが、精霊の逆鱗に触れたのか、儀式を続けることが困難になった。

 「これでは精霊を手懐けることは不可能だ」

 「あなた達の行いの結果よ。精霊だって生きているの。思考して生きているの。感情だってある。人間と大差はないのよ。あなた達が行った儀式は精霊を物として扱う行為なの。円華が抗うのも無理はないわ。こうなってしまった円華は誰にも止められない。きっと気が済むまで暴れるわ」

 「ならば力で屈服させるまで。貴様らに恨みはない。去れ」

 「円華は私のパートナーよ。このまま放置できないわ」

 「なら貴様から殺す。手加減はできないぞ?」

 「初めから殺すことが目的なのでしょう?」

 「勿論だ」

 肇は空中から急降下しながら響子に接近すると、拳の連打を繰り出した。響子もやられてばかりではない。肇の拳に合わせるように自らの拳を連打せる。拳と拳がぶつかり合った衝撃は凄まじく、空間が何度も揺らいだ。響子を女性と侮ってはいけない。細い身体をしているが、肇と互角に渡り合っていた。

 肇が蹴りを繰り出すと、響子も蹴りを繰り出した。両者の足が交差し、轟音が鳴り響いた。肉弾戦では互角。一歩も譲れない攻防が続いた。このままでは無駄な時間を浪費するだけだ。肇は響子から距離を取り、魔術を繰り出した。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

もしかして寝てる間にざまぁしました?

ぴぴみ
ファンタジー
令嬢アリアは気が弱く、何をされても言い返せない。 内気な性格が邪魔をして本来の能力を活かせていなかった。 しかし、ある時から状況は一変する。彼女を馬鹿にし嘲笑っていた人間が怯えたように見てくるのだ。 私、寝てる間に何かしました?

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

その国が滅びたのは

志位斗 茂家波
ファンタジー
3年前、ある事件が起こるその時まで、その国は栄えていた。 だがしかし、その事件以降あっという間に落ちぶれたが、一体どういうことなのだろうか? それは、考え無しの婚約破棄によるものであったそうだ。 息抜き用婚約破棄物。全6話+オマケの予定。 作者の「帰らずの森のある騒動記」という連載作品に乗っている兄妹が登場。というか、これをそっちの乗せたほうが良いんじゃないかと思い中。 誤字脱字があるかもしれません。ないように頑張ってますが、御指摘や改良点があれば受け付けます。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

処理中です...