忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

四十五話 必死の抵抗 (響)

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 真っ直ぐに伸びる主要道路を、銀色のセダンがS字を描くように蛇行運転を繰り返しながら、猛スピードで南へ進んでいた。無茶な運転を繰り返しているのか、車は何度もガードレールに接触していた。ガードレールと車体が接触する度に、激しく火花が散った。タイヤを軋ませる音と耳をつんざくようなブレーキ音が響き渡る。

 それでも響は臆することなく、運転席に座る樋口の首を両腕で絞め上げていた。首を絞められた樋口は右手でハンドルを操作しながら、左手で響の腕を緩めようと抵抗していた。だが、響の必死の抵抗に成す術がなかった。

 「クッ……小僧ッ……」 

 響達を乗せた車は赤信号になっても構うことなく突き進んだ。隣の車線を走る車に接触し、車体から火花が散る。接触した車からクラクションが鳴り響いても樋口は車を止めなかった。更にアクセルを踏み込んで隣の車線を走る車を次々と追い抜いた。

 響は纏衣の状態になり、更に腕に力を加える。完全に腕が樋口の首に絞まり、樋口は苦しそうにもがいていた。樋口が気絶するのも時間の問題だが、粘り強く抵抗していた。身体を前後に振り、響を引き剥がそうと必死になっていた。響は前屈みの姿勢になりながらも腕を放さなかった。

 「くそッ……子供の癖になんて力だ……」

 徐々に樋口の意識が朦朧としてきたのか、抵抗が弱まっていった。その時だった。凄まじい衝撃が二人に襲い掛かった。急にハンドルが取られ、車が制御不能になったのだ。首を絞められている樋口にはどうすることもできなかった。
 
 轟音が鳴り響いたかと思うと、窓ガラスが辺りに飛び散った。交差点のど真ん中で車とトラックが激しく接触し、豪快にスピンし始める。樋口が慌ててブレーキを踏んでも車は止まらなかった。そのまま勢いのままにガードレールに突っ込んだ。

 突然の衝撃に対処できなかった響は、フロントガラスから投げ出された。ガードレールは折れ曲がり、車は歩道へと乗り上げた。ボンネットからは煙が上がり、後部座席のドアは豪快にへこみ、燃料タンクからは燃料が漏れ始めた。

 響は歩道に投げ出され、地面に蹲っていた。頭から血を流し、朦朧とする意識を無理やり繋ぎ止めた。突然の衝撃に対処が取れなかった。だが、命に別状はない。これだけ大きな事故を起こしておきながらも無事でいられるのは運が良い証拠だった。

 銀色のセダンはガードレールを飛び越え、歩道を乗り上げていた。突っ込んできた大型のトラックはボンネットから助手席が潰れていた。既に周囲には何台かの車が止まり、野次馬が出来ていた。今なら人混みに紛れ込んで逃げることができる。

 響は痛む身体を無理やり起こし、野次馬に紛れ込んだ。これだけ人目に付き易い場所ならば、いくら樋口と言えど易々とは手出しできない筈だ。響は急ぎ足で野次馬の中を駆け抜けた。その時、周囲の人だかりから悲鳴が沸き起こった。

 背後を振り向くと、樋口が野次馬を一人、また一人と殺している姿が視界に入った。振り向かなければ良かった。樋口と目が合ってしまったのだ。樋口は口角の上がった笑みを浮かべていた。このままでは全く関係のない人達までもが殺されてしまう。響は足を止め、逃げることを諦めた。氣を纏い、戦う決意をした。

 「随分とやりたい放題にやってくれたな。子供だと思って侮っていた」

 「何故、関係のない人まで殺したのですか?」

 「貴様には関係のないことだ。大人しくしていれば良いものを……」

 「許せない。貴方は命の尊さが分からないのですか?」

 「貴様と議論する気はない。時間が押しているから手加減は出来んぞ」

 「……」

 凄まじい重圧を感じた。樋口の身体から溢れる氣の量は尋常ではなかった。響の手に負える相手ではないと、すぐに悟った。だが、このまま何もせずに引き下がる訳にはいかなかった。例え、負けることが分かっていたとしてもできることはある。

 それは時間稼ぎをすることだ。未だに沢山の野次馬が樋口と響の周りを囲うように見詰めていた。野次馬の何人かは慌てた様子で携帯電話を取り出し、警察と救急車を呼んでいるのが視界の隅に入った。警察が来るまでの間、持ち堪えることができれば響の勝利だ。何としても時間を稼がなくてはならない。

 「助けが来るまで持ち堪えることができれば何とかなるとでも思ってそうだな。言っとくが俺は甘くないぞ。貴様を連れて来いとは言われているが、生死は問われていない。抵抗するならこの場で貴様を容赦なく殺す。その覚悟があるんだな?」

 「……」

 怖気ずく訳にはいかない。どの道、生きたまま捕まったとしても用が済めば殺される。結果は変わらない。ならば体力と氣が残っているうちに抵抗するべきだと本能が告げていた。敵は一人だ。チャンスは必ず訪れる。響は鋭い瞳で樋口を睨み付ける。

 「生意気な小僧だ……その希望に満ち溢れた表情が気に食わん」

 「……」

 「だが、すぐに気が変わる」

 「……」

 樋口が容赦なく接近してきた。一瞬で響との間合いを詰め、腕を豪快に振り被った。だが、響の視界はきちんと樋口の姿を捉えていた。響は後方へと跳躍して距離を取った。それでも樋口は構うことなく拳を振り落とした。

 樋口の拳が地面を貫き、アスファルトを抉った。砕石が弾丸のように周囲に飛び散った。咄嗟に腕をクロスさせて防御体勢に入るが、石の礫が響の頬や太腿を掠めた。銃弾と変わらない威力にたじろいだ。確かに樋口の言う通り甘くない相手だ。

 時間稼ぎなど考えている場合ではないと気付かされた。本気で殺す気で立ち向かわなければ、あっという間に殺されてしまう。響はすぐに思考を切り替えた。限界まで氣を高め、全力で立ち向かう。響が樋口に接近しようと一歩を踏み出した時だった。

 気付いたら樋口が眼前に迫っていた。既に拳は放たれ、響の頬を抉るように直撃した。豪快に吹き飛ばされた響は道路の真ん中に停めてある車にぶつかった。衝撃で窓ガラスが粉々に吹き飛び、運転席側のドアに大きなへこみができた。

 野次馬の一人の車なのだろう。野次馬が騒がしかった。響は痛む身体を無理やり起こし、前を見据える。すると、樋口の拳が再び襲い掛かった。咄嗟に両腕をクロスさせるが、鳩尾を豪快に抉った。むせ返るような吐き気が襲い掛かったが、必死に耐えた。気付けば防戦一方になっていた。樋口の拳の連打を全身で浴びる。

 いつの間にか野次馬が増え始めた。樋口の一方的な暴力に悲鳴が上がるが、野次馬は見ていることしかできなかった。響は拳の連打を受けながらも持ち堪えていた。既に頬は腫れ上がり、右目の視界が狭くなっていた。

 それでも両腕をクロスさせながら防御に徹した。樋口が腕を大きく振り被った一瞬の隙を見計らって、強引に体当たりをした。ダメージなど与えられないことは理解していた。それでも振り被った腕を一瞬だけ止めることができた。響は勢いのまま正拳突きを繰り出した。樋口の鳩尾に当たるが、ダメージは与えられなかった。

 あまりにも硬い腹筋だった。まるで鉄を殴ったかのような感触だ。纏衣の状態の拳ですらもビクともしない。樋口が強化系の魔術師だと悟った。だが、思考している余裕はなかった。樋口の拳がすぐそこまで迫っていた。

 回避も防御も間に合わない。響に成す術はなく、拳を顔面に受けた。豪快に吹き飛んだ響は、アスファルトの上を跳ねるように転がった。武術を嗜んでいる響ですらも圧倒する樋口の身体捌きに手の打ちようがなかった。負けず嫌いの響の頬を涙が伝った。朦朧とする意識の中、響は負の感情に呑み込まれてしまいそうだった。

 何故、僕は魔術を扱うことができないのか。どんなに努力を重ねても成果を出せない。僕は何て非力なのだろうか。気付いたら負の感情が響の心を駆け巡った。許せない。何故、僕だけが……。僕だって魔術を使えるようになりたい。その時、響の中で何かがプツンと切れた。



 
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