忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

四十話 勧誘 (源十郎)

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 「儂の能力が理解できない様子だな。だが、それも仕方あるまい。凡人には理解できまい」

 「厄介な能力に変わりはないですが、対処できないレベルではありません」

 「ふっ……強がるな。儂の部下にならんか?貴様なら良い部下になる」

 「丁重にお断りさせて頂きます」

 「惜しいな……非常に残念だ」

 次の瞬間、源十郎の周囲を取り囲むように火柱が立ち昇った。灼熱の炎に囲まれた源十郎は無闇に動けなくなった。身体の周りを結界で覆っていても熱が肌に伝わってきた。分厚い炎の壁は空高く舞い上がり、唸りを上げるかの如く空間を歪ませた。

 想定外の熱気に源十郎の額から汗が零れ落ちた。辺りの温度が上昇しているのが伝わってきた。結界内に留まっているのも危険。かといって無闇に攻撃しても無効化されるのは目に見えていた。だが、敵の攻撃の手段は炎を使った攻撃ばかりだった。
 
 適正魔術は放出系とみて間違いはない。属性も十中八九、炎とみても問題はない。複数の系統を操る可能性も捨てきれないが、今は大きな問題が生じていた。どのようにして源十郎の攻撃を無力化しているのか。

 答えが分からない限り、敵を倒すことはできない。現状で制約と制限を理解するには判断材料が少なすぎる。源十郎は右腕の結界を弧を描くように振り、炎の壁を切り裂いた。炎の包囲網から抜け出すと、敵が容赦なく接近してきた。

 敵は全身に炎を纏い、腕を振り被った。源十郎もまた結界を身体に覆っているため、攻撃を避ける仕草すらも取らなかった。回避する必要性を感じなかったのだ。しかし、予想外の展開が待ち受けていた。

 敵の拳が結界にぶつかった瞬間、結界が溶け始めたのだ。敵の勢いは尚も止まらず、炎を纏った拳の連打を叩き込んだ。無敵を誇っていた源十郎の結界が弾けるように割れた。まるでガラスが粉々に砕け散ったように、結界が消滅した。
 
 「これは……」

 粉々に砕け散った結界に気を取られている場合ではなかった。炎を纏った拳が容赦なく源十郎に襲い掛かる。既に結界は瓦解し、身を守る術はなくなった。自然と回避に徹する流れとなった。迫り来る拳を悉く躱しながら後方へと下がった。

 敵の拳が頬を掠めただけで切り傷ができ、傷口が一瞬で爛れた。なんという凄まじい威力なのだろうか。結界を瓦解させるだけではなく、源十郎に傷を負わせたのだ。源十郎は驚きのあまり瞠目しながら硬直した。

 自身の結界を破られるなんて何十年ぶりだろうか。過去の記憶を遡っても数えるほどしかない。源十郎は後方へと大きく跳躍することで敵との距離を取った。結界を破られた状態で敵の攻撃範囲にいるのは危険な行為だからだ。

 敵は接近戦を得意とするだけでなく、遠距離からの攻撃も可能な魔術師である。戦い慣れている。付け入る隙がなく、本気で立ち向かわなければ痛手を負いかねない。その上、魔術の系統も属性も未だに把握できていない。

 今のところ、敵は放出系の魔術だけを使っている。それも炎に関する魔術のみを駆使している。だが、扱える系統と属性が一つとは限らない。一つの系統と属性しか扱えないと源十郎に思い込ませる戦術の可能性もあり得る。

 警戒を緩めることはできない状況だ。当主である信護からの指示は生きたまま捕虜にすることだ。だが、敵が源十郎の想像以上に手強いため、生きたまま捕らえることは難しい。殺す気で立ち向かわなければ源十郎が痛手を負うことになりかねない。

 源十郎は熟考を重ねた結果、敵を捕虜にすることを諦めざるを得ないと判断を下した。生半可な攻撃は通用しないのだ。それにこの場で殺さなくては、のちに風祭家にとって大きな弊害となりかねない。源十郎の独断だが、その判断は正しかった。

 どの道、敵を捕らえたところで源十郎が欲している情報を素直に話すとは思えない。飛竜を操っていた女性も情報を話すことなく、死を選んだ。目の前の敵も飛竜を操っていた女性と同じ匂いを感じた。目的のためならば自分の命すらも捨てられる。まるで過激なテロリストだ。脅威だと認識を改めた。

 「どうだ?少しは儂の能力を理解できたか?」

 「……ええ、充分に理解しました。貴方は危険です。あなた方の情報を得るために生きたまま捕らえようと思いましたが、予定を変更せざるを得ないです。今、この場で殺さなくては、のちに我々の妨げになりかねません。申し訳ありませんが、本気で対応させて頂きます。もう生半可な攻撃は致しません」

 「ふっ、ならば貴様の本気を見せてみろ」

 「ご希望であれば」

 源十郎は纏衣の状態になると、身を屈めた状態から素早く敵に接近した。一瞬で敵の懐に潜り込むと、勢いのままに拳を振り上げた。敵の下顎に拳が入ったと思ったが、源十郎の拳は敵の顔面を見事に擦り抜けた。敵の顔面は炎のように、ゆらゆらと燃え盛っていた。源十郎は敵の些細な変化も見逃さなかった。

 「なるほど……妙だなとは思っていましたが、そのような仕組みでしたか。身体に炎を纏っているのではなく、身体の一部を炎に変換できるといったところでしょうか?それならば先程から物理的な攻撃が通用しないことも理解できます」

 「ご名答。だが、一つだけ訂正させて貰おう。炎に変換できるのは身体の一部だけではなく、全身だ。貴様は儂の能力を探りたいのであろう?ならば教えても構わん。儂は複数の系統の魔術を扱うことはできない。だが、放出系の炎に関する魔術ならば頂点を極めた。貴様がどんなに足掻こうと全ては無駄に終わる」

 「そうですか……これはまた厄介な相手を敵にしてしまいましたね……」

 敵は自身の系統と能力が源十郎に知られても問題ないとばかりに語り始めた。敵が複数の系統を操る可能性も視野に入れていた源十郎は、敵の言葉の真意を確かめるために探りを入れようか悩んだが、敵の言葉に嘘がないと判断を下した。

 敵は自身の能力が知られても勝てると思っているのだ。今まで培ってきた経験から得た自信と誇りが、仕草や言動に滲み出ていた。過酷な戦場を生き抜いてきたと言わんばかりの態度に、源十郎は警戒心をより一層強めた。

 敵が放出系で炎しか使えないと知った源十郎は大きなアドバンテージとなるかに思われた。だが、敵の系統と能力が分かっても安心できる状況ではなかった。能力の探り合いで優位に立てる場合もあるが、能力に差があった場合は対策の取り様がない。

 炎を自在に操ることができる能力。その上、自身の身体を変幻自在に炎に変換でき、物理的な攻撃が効かない。結界を自在に操る源十郎とでは相性が悪い。重力操作の能力でさえも敵に通用するのか疑問だった。

 「だから言ったであろう?貴様に打つ手はない」

 「……」

 敵の勝ち誇った言動に源十郎は返事をすることができなかった。複数の系統の魔術を操る魔術師と、一つの能力を極限にまで極めた魔術師を比べることはできない。前者も後者も戦闘において、大きなアドバンテージとなるからだ。

 しかし、源十郎からしたら後者は厄介な存在だった。後者は術のレパートリーが少なく、攻撃の手段を読まれ易い。大きな欠点があるが、能力を常に百パーセント使い熟せるという点において、大きなアドバンテージとなる。

 一つ一つの攻撃が重く、術者本人は軽い攻撃のつもりでも相手からすると全ての攻撃が一撃必殺のように感じるのだ。源十郎の頬は拳を掠めただけで赤く腫れ上がり、出血していた。その上、皮膚が爛れ、火傷を負っていた。火傷の痕が徐々に広がり、早めに治療しなければ今後の生活に支障がでるのは見るまでもなく理解できた。

 源十郎はどちらかというと前者のタイプだ。武術に結界、そして重力操作の能力。結界も重力操作の魔術も共に放出系の魔術であり、源十郎にとっては適正魔術に該当する。だが、本来であれば放出系の人間が扱える属性は一つだけなのだ。

 つまり源十郎にとって、結界魔術か重力魔術のどちらかが後天的に身に付けた能力ということになる。後天的属性は敵の意表を突くには最適だが、欠点が多いことから扱いづらい面もある。本来は使えない属性を、厳しい修練で無理やり身に付けているのだ。身体への負担を強いるだけではなく、能力を百パーセント使い熟せない。

 既に結界の魔術も重力操作の魔術も敵に見られている。手の内を知られたとまでは言わないが、源十郎の攻撃の手段は読まれていると考えるべきだ。

 源十郎の結界が敵の炎の拳を防ぎきれなかったことから、結界の魔術が後天的属性だということも敵に知られていると考えるべきだ。源十郎は久々に本気で相手をしなければならない状況に追い詰められ、血が滾るような思いだった。

 「これ以上、戦っても得るものはない。もう一度だけ問う。儂の部下にならんか?」

 「随分と私の能力を買って下さるのですね……」

 「無論だ。貴様ほどの魔術の使い手はそうはいない。儂の元で働け」

 「申し訳ありませんが、貴方の期待に答えることはできません」

 「そうか……今、ここで殺すには惜しい人材だ……儂は諦めが悪くてな」

 「我々は戦う運命だと思います。貴方も私も仕えるべき主がおります」

 「話し合いでは貴様のような人材は手に入らんか。ならば力尽くで手に入れて見せよう」

 「貴方も中々の強情な方ですね。私には既に仕えるべき主がおります。丁重にお断りさせて頂きます。先程の攻撃には驚かされましたが、次は同じ攻撃は通用致しません。時間が押しているため、私も本気で対応させて頂きます」

 「……そうか……良いだろう。儂も本気でやらせてもらう」

 両者が同時に氣を解放した。敵の身体を包み込んでいる炎が空高く舞い上がり、炎は徐々にいびつな姿へと変容した。敵の背中からは燃え盛る炎の翼が広がり、孔雀を連想させるような燃え盛る尾が生じる。敵の身体を包み込んでいる炎が鳥の姿を象り始めたのだ。いや、敵が全身を炎へと変換させ、不死鳥の化身となった。

 「これは……何という魔術でしょうか……?」

 源十郎は目を見開き、硬直した。不死鳥が翼を羽ばたく度に熱風が襲い掛かり、アスファルトがマグマのように熱を帯びていた。身体に結界を覆っていても、凄まじい熱量を感じた。不死鳥は空に舞い上がると、耳をつんざくような咆哮を繰り返した。

 
 
 
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