忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

二十六話 生と死の狭間 (響)

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 一方、響は危うい状況から抜け出せずにいた。脇腹と胸からの出血が酷く、意識が朦朧としていた。このままでは失血死に陥る。地面に横たわったまま荒い呼吸を繰り返し、夜空を見詰めていた。今夜の満月は綺麗で、心地の良い風が吹き荒れていた。

 死に直面しているのに、思考だけは冷静に働いた。心技体、全てにおいて未熟だったことが敗因を招いた。後悔しても遅いことは理解している。それでも悔やみきれない。もし、僕に魔術が使えたら結果は違っただろうか。いや、それでも結果は変わらなかったと思う。今まで培ってきた全てを出し切っても敵わなかったのだ。

 不思議と達成感が響の胸を満たしていた。心残りすらもなかった。五年間、育ててくれた家族には感謝の気持ちで一杯だった。厳しくもあり、愛情を与えてくれた両親。いつも過保護な兄と姉。甘えん坊の妹。陰ながら支えとなってくれた源十郎。

 魔術が扱えなくても平等に接してくれた薫子。そして、大切な存在である美玲の笑顔が脳裏に浮かんだ。最後に美玲に会いたくなったが、それすらも叶いそうにない。全ては自身が招いた結果だ。涙が頬を伝い、徐々に呼吸が弱々しくなり始めた。

 「みんな……ごめんなさい。今までありがとうございました……」

 今にも消え入りそうな弱々しい声が微かに漏れた。響は感謝の気持ちを空に向かって伝えた。これが最後になると、直感で理解していた。自分はもう助からない。脇腹の傷も胸の傷も致命傷だ。最後ぐらい笑顔で幕を閉じたかったが、涙が頬を伝った。

 徐々に瞼を開けていられなくなり、視界が狭まっていった。立ち上がる体力もなければ、抗う気力も残ってはいなかった。瞼を閉じると、身体が楽になった気がした。痛みも苦痛も感じない。響の心臓が静かに、ゆっくりと動きを止めた。

 完全に息絶えていた。身体が冷たくなり、徐々に硬直していくのだろう。響の意識が完全に消滅するかに思われたが、気付いたら真っ白な世界にいた。響は直感で死後の世界だと理解した。見渡す限りに白い世界が広がり、何もない空間だった。

 天国、もしくは地獄なのかもしれない。適当に歩いてみるが、人間の姿は見当たらなかった。建物も植物も存在しない不思議な空間だった。いくら歩いても景色は同じ光景だった。まるで同じ道を何度も歩いているのではないのかと錯覚しそうだった。

 『汝、何故なにゆえ……死を受け入れた?』 

 突如、老年の男性の声が頭の中に響き渡り、慌てて周辺を見渡した。だが、辺りには真っ白な空間が存在するだけで、声を発する者の姿は見当たらない。初めは幻聴を疑ったが、何かが存在すると確信した。間違いなく自分以外の何かが存在すると。

 「だ……誰ですか?」

 『汝の問いに答えることはできぬ。今一度、問う。何故なにゆえ、死を受け入れる?』

 「僕は生まれつき魔術が扱えません。どんなに鍛錬を繰り返しても何一つ成し遂げることができませんでした。今回の戦いも僕の未熟さが招いた結果です。未練はありますが後悔はありません。全力で戦いに挑み、負けたからです」

 『我が器よ、生を渇望せよ。力を渇望せよ。さすれば汝の願いは叶う』

 「……どういう意味ですか?ここはどこですか?貴方は誰ですか?僕の質問にも答えて下さい」

 『全ての問いに答えることはできぬ。ここは生と死の狭間。我は汝と共にある。生を渇望せよ、力を渇望せよ。さすれば汝の願いは叶う。全ては汝の選択次第。汝に光の祝福があらんことを』

 「生と死の狭間ですか……つまり僕は生きることも死ぬことも自分で選べる状態なのですね?」

 『左様。選択の時が迫っている。汝が望むものを渇望せよ』

 「僕は……僕はまだ生きたいです。力も欲しいです。お願いです。僕に困難に立ち向かう力を……苦境を乗り越えられるだけの力を下さい。もう諦めたくはないです。悲しい思いもしたくはありません」

 『汝の願い、確かに聞き届けた』

 「あの……貴方は一体……」

 突如、真っ白な空間に歪みが生じ始めた。徐々に空間が凝縮し、崩壊し始めたのだと理解させられた。突然の出来事に対応できる筈もなく、唖然としながら歪んでいく空間に呑み込まれていった。初めは死んだのかと思ったが、すぐにそれは間違いだと気付かされた。不思議なことに瞼を開けると、夜空が視界に入ってきた。

 身体は地面に横たわったままだった。生き返ったのだと理解させられた。脇腹の傷と胸の傷を確認すると、傷は塞がっていた。いや、まるで初めから傷がなかったかのように、綺麗な身体だった。衣服は血だらけだが、身体に支障はなかった。

 「一体、何が……?」

 不思議な現象に頭を悩ませるが、理解が追いつかなかった。先程の声は何だったのだろうか。響の知識にはない現象に戸惑いを隠すことができなかった。夢で終わらせるには無理がある。だが、現実として受け入れるにも抵抗があった。

 「そんな……馬鹿な。確かにこの手で止めを刺した筈だ。あり得ん」

 敵の一人の声が聞こえたため、響は上半身を起こした。辺りを見渡すと、未だに敵たちに囲まれたままだった。殺したと思っていた筈の少年が、突然と息を吹き返したのだ。敵は完全に意味が分からないといった様子で動揺していた。

 響は立ち上がって自身の身体を確認した。腕も足もきちんと動いた。指先の感覚も元に戻っていた。しかし、現実を受け入れるのに時間が掛かった。普段は神様の存在すらも信じていない響だが、この時ばかりは神に感謝した。

 もう一度、チャンスを与えてくれたと思うしかなかった。次は何が起こっても絶対に挫けないと、心に誓った。弱い自分を捨て、新たな自分と向き合う時だ。響は瞼を閉じ、真っ白な空間に居た時に、謎の声が言っていたことを思い出していた。

 “生を渇望せよ、力を渇望せよ。”

 とても印象に残る言葉だった。完全に頭の中にインプットされたのか、当分の間は忘れそうにない言葉だった。今まで心の底から力を渇望したことがあっただろうか。死ぬ直前になって初めて力が欲しいと思った。

 それまでは努力をすれば何とかなると思っていた。気の持ちようがいけなかったのかもしれない。響は謎の声の望み通り心の底から力を欲した。

 「力が欲しい。誰にも負けない力。全てを薙ぎ払う力を下さい」

 天に祈るように力を渇望した。あの時、聞いた声が本物であれば何かしらの変化がある筈だ。夢ではないと確信していた。どのような変化が訪れるのか、期待感に胸を躍らせていた。だが、再び声が聞こえることはなかった。

 「やはり夢だったのかな……?」

 何も変化は訪れなかった。期待外れも良いところだ。しかし、他力本願では現状を抜け出すことはできない。すぐに気持ちを切り替え、戦闘体勢を取った。もう諦めない。前向きな姿勢で挑むしか響に生き残る道はなかった。

 響は氣を解放し、纏衣の状態になった。その時、異変を察知した。尋常ではない量の氣が身体から溢れ、力が漲るような感覚に襲われた。戦いが長期戦になることも視野に入れていたため、僅かな量の氣しか解放しなかったにも拘らず、最大出力で氣を解放しているような気分だった。響の身体が輝きに覆われ、輝きは天を貫いた。

 「これは一体……」

 もはや、意味が分からなかった。空間が歪んだように振動し、敵たちは唖然と固まっていた。敵たちにも何が起こっているのか理解できていなかった。響は敵が固まっている今が絶好の好機だと判断を下した。敵の一人に接近すると、拳を振るった。

 予備動作もない軽い一振りのつもりが、想像以上の威力を発揮した。敵の一人が軽々と吹き飛び、後方に控えていた敵ですら豪快に巻き込んだ。まるでドミノ倒しを見ているように敵たちが次々と倒れていった。

 「……え?」

 唖然と固まるしかなかった。
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