忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

十九話 暗示 (響)

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 自室に戻った響はシャワーを浴びて、和服に着替えた。時間が経つのはあっという間で、気付けば陽が傾き始めていた。雲のない空を自室の窓から見渡せた。もう既に分家の当主たちが自宅に到着しているようだった。何台もの車が庭に止まっていた。

 父親である信護や分家の当主たちがどのような会談をしているのか、響には知る術がなかった。基本的に響には家の行事に参加する資格はない。宗家と分家が一堂に集まる日は挨拶をして終わりになることが多かった。

 理由としては響がまだ五歳だということもあるが、次男であることが大きな要因である。どのようなことを協議しているのか気にならないといったら嘘になる。誠一や紅葉は殆どの家の行事に参加しているため、不公平に感じることが多々あった。

 それでも文句を言える立場ではないため、心の内に秘めていた。響がベッドの上で思いに耽っていると、自室の扉を遠慮がちにノックする音が鳴り響いた。

 「どうぞ、お入りください」

 「失礼するよ。突然、部屋に押しかけて悪いね。ただ響にいくつか尋ねたいことがあってね……」

 部屋を訪れたのは誠一だった。学園から帰宅してから着替えたのであろう。誠一も灰色の和服姿で身嗜みも整っていた。響はベッドから起き上がると、誠一がベッドに座れるようにスペースを空けた。誠一が響の部屋を訪ねて来るのは珍しかった。

 「ありがとう。座らせてもらうよ」

 「お気になさらずに。それで尋ねたいこととは何ですか?」

 「先程の分家の子達のことなんだけど、紅葉からある程度のことは伺ったよ。何があったのか、正直なことを響からも話して欲しい」

 「……少しばかり熱が入ってしまいましたが、実戦を想定した鍛錬です。ご心配されるほどのことではないのでご安心下さい。今回はご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 「今回の件を安易に考えてはいけないよ。響が分家の子達を庇っているのは分かっている。正直に話して欲しい。今、父上たちがそのことを話し合っている。大きな問題になっているんだ」

 「……え?」
 
 「響も客間に来なさい。皆さんが話し合っているから……」

 「……分かりました」

 まさか自分達のことが問題になっているとは思わなかった。どうしたら良いのか分からず、呆けてしまった。誠一も紅葉同様に過保護な部分がある。心配そうな表情の誠一はベッドから立ち上がり、部屋を出て行った。響は慌てて誠一の後を追った。

 廊下に出て通路を右手に進んで行き、いくつかの扉を通り過ぎると、客間が見えてきた。襖を開けると、既に信護と分家の当主たちが席についていた。客間は畳が敷き詰められた和室となっている。畳の香りが室内に漂っていた。

 分家の子供たちは当主達の背後で座布団すらも敷かずに、俯きながら正坐していた。誠一と響は重苦しい雰囲気に戸惑いながらも、室内に足を踏み入れた。信護の隣には紅葉が鬼のような形相で座っていた。

 響も誠一も紅葉の顔を見ることができなかった。紅葉の身体が怒りに震えていることが視線を向けなくても伝わってきたからだ。分家の当主たちが近くにいるため、できる限り態度に出ないように耐えているといった様子であった。
 
 これほどまでに怒りを露わにする姉の姿を目にするのは何度目だろうか。兄妹喧嘩した時でさえも見せたことのない紅葉の怒り狂った表情に困惑した。かつて響は些細な出来事で紅葉を怒らせたことがある。それは響が四歳の誕生日のことだった。

 紅葉から貰った誕生日プレゼントが女性用の着物だったことがあった。響は着せ替え人形のように女性用の着物を着せられ、恥ずかしい思いをした経験があった。せっかくの紅葉からのプレゼントだから、その時は文句を言わずにお礼を言った。
  
 だが、それがいけなかった。紅葉は響の気持ちを察することなく、女性用の着物を着ること強要するようになったのだ。響に女装する性癖はない。だが、紅葉は何かにつけて女装させようと、女性用の衣服を響にプレゼントするようになっていた。

 ある日、このままではいけないと思った響は紅葉にプレゼントは必要ないと言ってしまったのだ。それまでの響は紅葉に意見することはなかったが、さすがに女装させられるのが嫌になった響は紅葉に初めて反発したのだった。

 その時の紅葉の怒りは凄まじく、響の部屋が半壊するまで暴れたのだ。それ以来、響は紅葉を怒らせないように意識するようになった。今思えば理不尽極まりない行為だが、その時のトラウマは響の胸にしっかりと刻まれ、忘れられない記憶となった。

 紅葉が怒りに身を震わせるのは何度目になるだろうか。紅葉が暴れそうで不安になった。普段は優しい紅葉であるが、気が短いところは欠点だと思った。それ以外は完璧と言っても良い姉なのだ。勉強も武術も魔術も全てにおいて群を抜いている。

 「失礼致します」

 「失礼します」

 「おお、誠一。響を連れてきたか。二人とも、そこに座りなさい」

 「はい」

 「わかりました」
 
 響と誠一は信護に促されるままに室内を横切り、紅葉の隣に座った。さすがにこの重苦しい空気の中で発言することは躊躇われた。まさかここまで大きな問題になっているとは予想外であった。まるで葬式のように沈んだ空気で、誰一人として言葉を発する者はいなかった。

 響は必死に言い訳を考えた。信護に実戦を想定した鍛錬をしていたと言っても、分家の子供たちのことを庇っていると思われてしまう。どう説明すれば問題を最小限に留めることができるのか悩んだ。静寂と沈黙の中、信護の言葉が重く響き渡った。

 「さっそくで悪いが、響。何があったのか説明しなさい」

 「……はい。実は僕の能力を知るために、試したいと言われた事がきっかけでした。それで争うことになりました。ただ、僕自身も非常に参考になる事ばかりで勉強になりました」

 響は信護に尋ねられ、言い訳はしない方が無難だと判断を下した。下手に言い訳すると余計な被害を生むかもしれない。よって、正直に事の顛末を全て話した。どのようなきっかけがあったのか、どのような争いがあったのか、詳しく説明をした。

 響から話しを聞き終えた紅葉の威圧感と睨むような視線は凄まじかった。分家の子供たちの顔色が益々、悪くなっていった。紅葉は今にも殴りにかかる寸前といった様子だったが、誠一が紅葉の肩に手を置き、暴れないように抑え込んでいた。

 一触即発の空気が漂う中、分家の当主たちが順に響に謝罪した。

 「響様、この度は我々の子供たちが迷惑をお掛けして申し訳ございません」

 「いえ、僕の方にも非があります。雄介さん、謝らないで下さい」

 響に土下座するように謝罪したのは雄大と雄輝の父親であり、天野家の当主でもある天野雄介だった。雄介は深緑の和服を身に纏っていた。細身で長身の雄介はスキンヘッドが良く似合っており、寺の住職にも見えるのだが、寺とは無関係である。

 雄介に倣うように分家の当主たちが順に頭を下げた。分家である四家の当主たちに頭を下げられ、響は萎縮せざるを得なかった。魔術を使えない響は分家の者に嫌われていると思っていたが、それは響の思い過ごしなのかもしれない。

 分家の当主たちからは誠意を感じた。

 「皆さんも頭を上げて下さい。何度も言いますが、僕にも非があります。今回の件はお互いに反省するべき点があると思います。ですので、喧嘩両成敗という形で終わりにして欲しいです」

 響にとって分家の当主たちは年上であり、目上の人になる。さすがに目上の方々に頭を下げられ、慌てずにはいられなかった。分家と宗家。響には理解できないかもしれないが、そこには大きな隔たりが存在する。

 例え、宗家の後継者ではなく、次男である響だとしても超えてはならない一線が存在する。今の響にはそこまで考えが及ばなかった。決して無知と言う訳ではない。響からしたら分家の当主達は人生の先輩に当たる。

 積み上げてきた人生経験が圧倒的に違う。経験だけでなく、知識や能力にも隔たりがある。それに響は宗家の次男でありながらも魔術を使えない。魔術を使えないことが何よりも負い目となり、自然と自身を過小評価することが当たり前になっていた。

 だからこそ分家の子供たちに責められた時も何も言い返すことができなかった。分家の子供たちが自身を責めるのも仕方がないと受け入れていたのだ。分家の者に対して苦手意識を持つだけでなく、自分よりも上の存在と思うようになっていたのだ。

 「いや、そういう訳にはいかんのだ。どうやら子供たちは精神の干渉を受けた形跡があるのだ。もし、途中で紅葉が気付かなかったら大変な惨事になっていたかもしれん」

 「……え?つまり何者かに操られていたということですか?」

 「そうだ。この問題を見過ごすことはできない。子供たちを利用して響を暗殺しようとしていたのではないかと疑っている。早急に犯人を捜し出す必要がある」

 響は驚きを隠せなかった。響は宗家の血筋だが次男に当たる。何より後継者ではない響を暗殺して、どのようなメリットが生まれるのか疑問だった。響には信護が大袈裟に解釈しているようにしか思えなかった。

 如何に当主である信護の推測であっても疑わずにはいられなかった。

 「父上、さすがにそれは大袈裟なのでは……?」

 「いや、間違いはない。子供たちを調べた結果、響を殺すように暗示が掛けられていた」

 「しかし、僕を殺して犯人に何のメリットが……?」

 「おおよその見当はついている。しかし、響が知る必要はない。響はもう部屋に戻っていなさい。聞きたい事は全て聞けた。後の始末は我々に任せなさい」

 「しかし、それでは納得がいきません」

 「父上、響の言う通りですわ。響にも知る権利があります」

 響を加勢したのは紅葉だった。紅葉は四人兄妹の中で唯一、物怖じせずに信護に意見することができる。響は紅葉の加勢に心から感謝した。このまま退室したら全てが謎のまま終わってしまう。それでは気になって夜も眠れなくなってしまう。

 それだけはどうしても避けたかった。

 「……仕方あるまい。今回だけは許そう」

 「ありがとうございます」

 信護からの許可が下り、響は紅葉に目配せで感謝の意を伝えた。

 「それで父上はどのように犯人を捜し出すつもりですか?」

 「それも粗方だが、調べはついている。今頃、こちらに向かっている頃であろう」

 「どういう意味ですか?犯人は既に分かっているということですか?先程、犯人を早急に探し出す必要があると仰ったではないですか。私達にも理解できるように説明して下さい」
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