忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

十三話 分家 (響)

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 険しい山道は草花が無造作に生い茂り、木の根が張っていた。左右には緑が生い茂る木々が立ち並び、山道は影に覆われている。時折、心地の良い風が吹き荒れた。徐々に氣の制御にも慣れてきた響は走る速度を上げ、源十郎を追い掛けた。

 懸命に発勁と纏衣を同時に行った状態を維持しながら風を遮るように突き進み、あっという間に森の最深部にまで来ていた。走る速度が今までとは比べものにならなかった。まるで筋肉が急速に発達し、熟練のランナーになった気分だった。

 今なら車と競争しても良い勝負ができそうな気がした。だが、同時に違和感も感じていた。筋肉がミシミシと悲鳴を上げているような気がしたが、臆することなく突き進んだ。曲がりくねった山道をひたすらに駆け抜けると、湖が見えてきた。

 光を反射するような湖は壮大で視界一杯に広がっていた。砂漠を彷彿させるような湖畔に足を踏み入れ、源十郎との差を縮めていく。湖畔を真っ直ぐに進むと、湖の畔で準備運動をしている源十郎が視界に入った。

 何とか源十郎に追い付けた響は安堵の息を漏らすと同時に、達成感が胸を満たした。嬉しかった。少しづつではあるが成長しているような実感を味わえた。源十郎に追い付いた響は気が緩んだのか、気付いたら身体を覆う氣が消えていた。

 源十郎に追い付くことで頭が一杯だったせいもあり、湖畔に到着すると同時に、疲労感が全身を襲った。今まで体験したことのない疲労感に戸惑いを隠せなかったが、発勁と纏衣を習得できるようになった実感が嬉しくて堪らなかった。

 「響様、発勁と纏衣はできるようになったみたいですね。嬉しい限りです」

 「ええ、お陰様で習得できたみたいです。ただ……一つ質問しても良いですか?」

 「ええ、何でしょうか?」

 「身体が動かないのですが、何故ですか?」

 気付いたら身体が金縛りになったようになり、下半身が小刻みに震えていた。気付かないうちに無茶な走行を繰り返していたのか、身体中が痙攣していた。違和感に耐えることができなかった響は砂漠に頭から倒れ、横たわった。

 両足の筋肉が膨張したのではないかと錯覚するぐらい硬くなっていた。違和感はそれだけではなく、身体が急に重くなったような現象に襲われた。自然と呼吸が荒くなり、激しい疲労感に襲われた。今まで体験したことのない脱力感だった。

 「それは身体に負荷を掛け過ぎたからです。重度の筋肉痛だと思って下さい。慣れるまでは何度でも同じ症状が出ます。これから毎日、鍛錬を繰り返すことで身体を鍛えていく必要がありますね。今までの鍛錬よりも厳しくしていく必要があります」

 「……はい。でも本当に慣れるのでしょうか?不安です」

 「大丈夫ですよ。さて、そろそろ自宅に戻りましょう。響様、失礼致します」

 源十郎は響の身体を抱き上げると、背中に背負い、走り出した。湖を離れ、再び森の中へと踏み込んだ。響が走る速度とは比べものにならなかった。凄まじい速度で森を駆け抜けると、あっという間に曲がりくねった山道に入っていた。

 「凄い……これが源十郎さんの見ている世界なのですね?」

 「ええ、響様も慣れれば同じことができるようになります」

 まるで周りの景色が流れるように映り変わっていく。木々に覆われた山道を抜けると、自宅が見えてきた。源十郎の背中から見る世界は全くの別世界のように感じた。源十郎は呼吸を乱すどころか、心拍数すらも変わっていない。

 源十郎の身体を覆う氣は均一で、目を凝らして見ないと気付かないほどに薄い膜のようだった。どれだけの鍛錬を積み重ねれば源十郎のようになれるのであろうか。今の響には分からなかった。源十郎の背中越しから見える世界は新鮮で刺激的だった。
 
 「いつか僕も源十郎さんのようになりたいです」

 「響様なら可能だと思います。今はまだ分かりづらいと思いますが、響様は日に日に成長しております。いつの日か私を越える日が訪れます。そう遠くない未来だと思いますよ」

 「源十郎さんを越えるだなんて考えたこともなかったです」

 「ふふ、目標は高い方が宜しいです。是非、私を越えて下さい」

 「はい」

 「良い返事です。将来が楽しみですね」

 自宅に到着した二人は庭で休憩を取ってから自室に戻った。シャワーを浴び、衣服を着替えた響は昼食を取るために、居間へ向かった。室内に入ると、既にテーブルの上には食事が置かれていた。今日は野菜をメインにしたサンドイッチだった。

 「食べても良いですか?」

 「ええ、足りなかったら作りますので、遠慮なく仰って下さい」

 「分かりました。頂きます」

 卵と野菜を挟んだサンドイッチは口の中でうま味が広がり、美味しかった。源十郎は料理の腕も一流だった。身体に氣を覆い、食事中でも鍛錬を怠らない。気付いたら纏衣も自在に行えるようになっていた。氣の放出量を最小限にし、食事を楽しんだ。

 「纏衣も慣れてきたようですね。安心しました」

 「ええ、皆さんのお蔭です」

 「次からは複雑な制御も覚えて貰います」

 「はい」

 「あっ、そうでした。響様に伝え忘れていました。本日、夕方頃に分家の皆様がお越しになるようです。よって午後の鍛錬は中止とさせて頂きますのでご理解下さい」

 「……分かりました。僕も挨拶をした方が良いという意味ですね?」

 「ええ、その通りです」

 「了解です。我慢しなければならないですよね……」

 響が分家の者と会うことに億劫になるには理由がある。それは魔術を扱えない響に対して良い感情を抱いていないからである。響が宗家の次男であるために、面と向かって悪いことを言われたり、嫌がらせをされることは一切なかった。

 ただ、分家の者達の冷たい視線は子供ながらにも感じ取っていた。分家の当主や大人たちは表面上は響にも優しい。だが、分家の子供たちは響に話しかけるどころか、近寄ることもしない。分家の人間が苦手になることは自然の流れだった。
 
 「響様……大丈夫です。響様の努力は皆様もお認めになっておられます。もっと自信を持っても宜しいかと私は思います。それに世の中の風潮が間違っているのです。世の中、魔術の能力が全てではありません。私はそう思います」

 「そう言ってくれるのは源十郎さんだけです。でも嬉しいです」

 「いつか響様も魔術を自在に操る時が来ると私は信じています」

 「何故、そこまで僕を信じることができるのですか?」

 「私もそれなりに生きて来ました。だからでしょう。努力を欠かさずに頑張っている響様の姿が眩しく見える時がございます。いつか才能を持った人間すらも超える存在になると信じてます。今、響様が感じている苦悩や葛藤は成長している証です」

 「才能を持って生まれた人達を越えることは不可能ですよ。現に兄上や姉上は既に系統に沿った能力を持つだけでなく、不適正魔術すらも扱えるようになっています」

 響にとって才能とは超えることのできない大きな壁である。才能を持って生まれた二人の兄姉を身近に見て来た響だからこそ言えることなのかもしれない。どんなに努力をして足掻いても手の届かない圧倒的な高み。

 響は幼いながらにも敏感に感じ取っていた。それもその筈。誠一も紅葉も才能に溺れることなく、努力を続けている。風祭家の教育に才能は関係ない。ただ努力あるのみである。才能に驕った時点で風祭家の教育についていけなくなる。

 それは風祭家だけでなく、分家の者達にも言えることであった。分家の子供達も響と同様の教育が施されている。敢えて教育の異なる点を挙げるとすれば、それぞれの家には代々から伝わる魔術が存在する。制約と制限、または能力の設定。

 それに伴う訓練の仕方。それぞれの分家の者達は独自の教育を施している。そして、いくら分家と言っても秘密にしたい部分が存在する。だからこそお互いに干渉しない部分が存在する。また宗家である風祭家も分家に隠している秘密が存在する。

 それが精霊の存在だ。精霊の存在は宗家の一部の者にしか知らされていない。次男である響でさえも精霊の存在は迷信だと、つい先日までは思っていた。美玲と契約をした精霊の卯月を見るまでは信じることすらもしなかった。

 それは分家の者にも同じことが言える。恐らく、分家の人間もまた精霊は迷信だと思っている傾向にある。それに分家の者達は宗家である風祭家に伝わる本来の魔術でさえも知り得ない。悲しいことに響ですらも宗家である風祭家に代々伝わる魔術と精霊を引き継ぐことができないのが現実だった。

 風祭家に代々から伝わる魔術は兄である誠一が継ぎ、精霊は姉の紅葉が継ぐことになる。いつからか二人の兄姉を憧れるだけではなく、羨むような目線で見ていた。同じ兄妹なのにここまで差がつくのは何故なのか、響の悩みは尽きなかった。

 「響様、努力は裏切りません。誠一様も紅葉様も努力を怠っていないからこそ今があるのです。そして、いつの日か努力が報われる日が必ずやってきます。響様が諦めない限り、いくらでも成長は可能だと思います。自分の限界を勝手に決めてはいけません。可能性は無限大です」

 「源十郎さんにそこまで言われてしまうと、何も言い返せないです。僕も努力を信じてみようと思います」

 「お話しのところ、申し訳ありません。ですが、お客様が参られましたので、ご報告をと思いまして」

 響と源十郎との会話の間に入ってきたのは秘書である薫子だった。今日の薫子は灰色のパンツスーツ姿で明るめな印象である。響にとって源十郎と薫子は気兼ねなく話せる存在だった。他の秘書や従者とは会話すらもしたことがない。

 「お客様ですか?どちら様でしょうか?」

 「分家の方々の子供達が先に参られたようです。なんでも響様に用があるとのことでして……お庭の方でお待ちになっています」

 「え?僕に用ですか……?」

 「ええ、どのような用かは存じませんが、そのように仰っておりました」

 「……分かりました。報告ありがとうございます。すぐに伺います」
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