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19.壁の花になりきれない

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「やあ、オルコット公爵」
「すっかり良くなられたそうで、おめでとうございます、陛下」

 私と両親は、揃って陛下に挨拶に来た。ベイルと同じ紫色の髪をした陛下は、私たちの挨拶に対し、深々と頭を下げる。一国の王が頭を下げるなんて。私達は慌てて、こちらも頭を再度下げた。

「この度は、迷惑をかけてすまなかった」
「いえ、臣下の務めですから。陛下がお元気になられて何よりで御座います」

 父が応える。父は、王が病気で倒れた時、その対応に随分駆け回ったようだ。そのことへの礼かと思うと、王は首を左右に振る。

「そうではない。ベイルの我儘で、キャサリンには辛い思いをさせた。今宵のブランドン家の令嬢との婚約も、きみに聞かせたくはなかったのだよ」
「いえ……私、全然気にしていませんわ」

 王は私に話しかけてくる。まだベイルと私が婚約者だったとき、王は私のことを実の娘のように可愛がってくれたのを、よく覚えている。王家の人々は、皆優しかった。王があまりにも悲痛な面持ちだったので、私は敢えてはっきりと、そう伝えた。婚約破棄のことは、ゲームの進行上避けられない流れだった。その後のことは、もう関係のない話で、知ったことではない。気に病まれても困る。
 王は私の返事が意外だったのか、眉を少し上げた。

「娘もこう言っているのです。我が家とはもう無関係のことですから、お構いなく。……こんな場での発表とは、些か驚きましたが」
「ああ。いろいろあってな」

 父の口ぶりから察するに、父にも相談のないことだったらしい。父と王は学園時代の同級生で、公私ともに支え合ってきた仲だ。今まで、いろいろなことをお互いに相談し、解決してきたのに、今回のことは何も言わなかったのね。私が婚約破棄された側だから、言いにくかったのだろうか。

「こちらは、快気祝いに御座います」
「おお、ありがとう」

 両親は、お祝いの花束を手渡す。私は、それに合わせ、黄色いマリーゴールドの入ったハーバリウムを差し出した。

「……これは?」
「ハーバリウム、というものです。今度我が領から売り出す予定の、新しいインテリアです。ぜひ、お飾りください」
「きみが考えたのか? ほう……美しいな。ありがとう」

 大ぶりな花束は仕えの者に渡されたけれど、ハーバリウムは小さな瓶だから、王のテーブルにぽんと置かれた。思惑通りだ。王のテーブルなら、とても目立つ。挨拶に来た人は、必ず見るだろう。今まで見たことのないものだから、皆、嫌でも気になるはずだ。これから販売するにあたって、まずはたくさんの人の目に触れさせて、興味を引きたい。

「では、私達はこれで失礼します」

 礼をして、王の前を辞す。会場に戻ると、父は父で、母は母で、それぞれに挨拶をしなければならない相手がいるようで、ばらばらに去っていった。
 私は人の多い大広間の中心を離れ、壁際に移る。少し移動すれば、行く先々で学園の同級生や、両親の知人や、いろいろな人に話しかけられる。いつものことなのだけれど、久しぶりのパーティで、人波に揉まれ、疲れてしまった。しばらくの間、壁の花になりたい。

「キャシー、こんなところにいたのね」
「お姉様!」

 何とか壁に行き着いて、少し休もうとした途端に、声をかけられた。声の主は、マリア。桃色の髪を結い上げ、今日はきらきらと輝く飾りを散らしている。裾のふわっとしたドレスがよく似合う。可愛い。私の天使。

「もう、陛下に挨拶には行かれたのですか?」
「ええ、行ってきたわ。それよりも、ベイル様のこと、驚いたわね。皆その話で持ちきりよ。キャシーは大丈夫?」
「驚きましたね。ブランドン侯爵令嬢は、私の同級生なんです。落ち込んだりはしませんが、なんだか複雑な気持ちですわ」
「そうなのね」

 マリアは寄ってくるなり、いきなり直球を投げてきた。私がベイルのことをそんなに気にしていないと知っているからこそ、遠慮がない。顔見知り程度の知り合いは、気を遣ったのか私にその話は振ってこなかったけれど、マリアの言う通り、聞こえないところで噂されているのは当然のことだ。
 こんなに面白い噂話のネタは、あまりない。陛下を中心とした貴族の力関係にも影響してくるから、女性だけでなく、皆が気になる話題だろう。

「ところで、お兄様とはご一緒でないのですか?」
「さっきまで一緒にいたんだけど、他領の領主に捕まって話をしているのよ。私もアルノーのところへ戻るわ。キャシー、いやなことがあったら言うのよ」
「はい」

 そう言い残し、マリアは人混みの中へ戻っていった。腰に巻かれたリボンがふわふわと靡いていて、後ろ姿まで可愛い。人妻とは思えない可憐さに、近くにいる男性が思わず振り返っているのがわかる。

「キャサリン、来てたのね!」

 橙色のドレスを着たミアがこちらへ来る。

「ごめんね、あんな話があるなんて知らなくて、今日来てなんて言っちゃって」
「来るって決めたのは私だから。ミアは今日のこと、知らなかったの?」
「うん」

 そこでミアは声量を落とし、「殿下も知らなかったの」と言う。将来の王妃とはいえ、まだ結婚していないミアはともかく、ベイルや王の家族である王太子も知らないとは。父も知らなかったし、いったいこの場での婚約発表は、誰が進言したのだろう。周囲の誰にも相談せず、独断で行うということは、あまりないだろうに。

「それは……どうしてかしらね。お父様も知らなかったみたいだわ」
「私の両親も聞いていないの。どこから出た話なんだろう」
「うーん……」

 ミアの父であるローレンス公爵も、王家との距離が近い。そちらにも話が行っていないとしたら、どこから出てきた話だったのか。ふたりで首を傾げる。

「素敵なお召し物ですね、ミア様」
「……そう? ありがとう。そちらも素敵よ」
「キャサリン様、ご機嫌いかが」

 王太子の婚約者であるミアは、壁際にいても、人が寄ってくる。私との会話の隙をついて話しかけて来ようとするから、落ち着かない。そしてミアのそばにいると注目を集め、私に気づいて話しかけに来る人もいる。
 心配して声をかけてくれるのは嬉しいけれど、どうも壁の花になりきれない。私は「またお茶会をしましょう」とミアに告げ、人垣からするりと抜け出た。
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