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17.ミアの苦労を知る
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庭に出ると、土と草の強い香りがする。若々しかった葉の緑は、深緑に変わりつつある。鳥たちはすっかり羽が生え変わり、冬と比べると遥かにスマートな体型で飛び回っている。風の香り、その様子から、季節が徐々に移ろっているのがわかる。卒業パーティで婚約破棄をされ、ハーバリウムのことやリアンの誕生日でばたばたしているうちに、ずいぶんと時間が経ってしまった。
私は庭園の中に据えたテーブルで、ミアとふたり、向かい合った。ミアのひまわりに似た黄色い髪が、陽光の中で色鮮やかに輝いている。こんなところからも、少しずつ、日差しが強くなりつつあるのを感じる。リサがパラソルを立てかけると、影がさっと掛かり、過ごしやすくなった。
「ミア、来てくれてありがとう」
「お誘いありがとう、キャサリン。もう痛みは大丈夫なの?」
「ええ。元々、ちょっと挫いただけだったから」
カップに紅茶を注ぎ、少しずつ飲む。暖かい光の中で飲む、温かい紅茶は美味しい。
「なら、大したことなかったのね。最近陛下のお加減が良くないでしょ? キャサリンもそういうのなのかと思って、聞いたとき、どきっとしたわ」
「知らないわ。そうなの?」
「えっ、知らないの?」
焦げ茶の瞳できょとん、と見つめられ、私は頷く。そんな話、初耳だ。ミアは肩を竦めて、「ちょっと疎すぎなんじゃない」と言った。
「本当に急に、全身が痛いと仰るから、どうなることか、って騒然としたのよ。急だったから、殿下の即位の準備もしていないもの。オルコット公爵も、忙しかったでしょ」
「まあ……」
たしかにお父様は夕飯時にいないことが多かったけれど、今まで私は学園の寮に入っていたから、それが普通なのだと思っていた。そういえばリアンが「最近お父様が忙しそう」とぼやいていたような気もする。
「それで、陛下は……?」
「そういう症状に効く薬がある、って話があったの。何人かで試して、問題なさそうだから陛下が飲んだら、全身の痛みが引いたそうよ」
「それは、良かったわ」
陛下に万が一のことがあれば、若すぎる王太子殿下が即位する運びとなる。しかし、陛下もまだお若い。そんなふうにお加減を悪くするなんて、誰も予想していないことだから、とんでもない騒ぎだったに違いない。
「怖いわね、急に全身が痛くなるなんて……」
「……ここだけの話だけど、毒味役が首になったらしいわ」
ミアは声を潜めていう。私は絶句した。毒味役が首になるということは、食事に毒が入っていたということではないか。
「……まあ、確定ではなくて。ほかに理由が考えられないから、より信頼のおける者に替えたとか」
「そうなの?」
「そうよ。それも噂だから、真偽のほどは定かではないけど」
軽い口調で話を締めたミアの目元に、心なしか憔悴の色が見える。
殿下の即位が決まれば、ミアは王妃になる。その騒ぎの渦中で、大変な思いをしたのだろう。
そんなこと全然知らずに、私は自分のやりたいことだけをして、しかもここ数日は寝ていただけだった。
煩わしいお茶会やパーティに出ない大義名分があるからと言って、さぼらずに最低限の情報を得て、友人の助けになるべきだった。今、ミアの疲れを察してそう思うけれど、悔やんでも遅い。
「ごめんね、何もしてあげられなくて。大変だったでしょう」
「これが私の役目だし、陛下もお元気になったから。いいのよ。でも、本当に……毎日いろいろな人が会いに来たり、いきなり即位の話が持ち上がって怖気付いた殿下を励ましたり。なのにキャサリンは何も知らなかったなんて、あーあ」
ミアはわざとらしく溜め息をつき、紅茶をごくんと飲み下す。率直な言い方が、胸に突き刺さる。事情のわからない私は、ミアがどれほど大変だったのか想像することしかできず、掛けられる言葉がない。近くで見ていれば、その場で励ましたり、相談に乗ったりできたのに。
「あなた、ベイル様のことだって大して気にしてないんだから、いつまでも引きこもってないで、早く社交場に出てきなさいよ」
「そうだね。私も、今の話を聞いて、そう思った」
家族は、優しい。冗談のように「婚約破棄が云々」「パーティに出ないからなまった」などと言うこともあるけれど、お茶会やパーティに参加しろ、と強く言うことはない。その言葉に甘えて、まだいいのかな、と思っていた。何のことはない。出るべき時期はとうに過ぎているのに、私を気遣って、ただ言わなかっただけだ。
ミアは元々勝気な顔付きをしているし、口調も強いから、あんな風に真っ直ぐな言葉で言われると、きつい。でも、ぬるま湯から出るには、その手厳しさが必要だったのだ。
「陛下の快気を祝うパーティが、近日中にあるわ。招待状を送るから、あなたも、ぜひ来て頂戴」
「そうする。ありがとうミア、はっきり言ってくれて良かった」
「キャサリンがいないとつまらないのよ。楽しみにしてるからね」
ミアはそう言い残して、帰って行った。
「快気祝いのパーティには、参加するわ」
「畏まりました」
私はリサに、そう宣言する。
スコーンを作ったり、ハーバリウムの試作を実際にしたり……それはとても楽しかったし、これからも続けていこうとは思うけど、そればかりしてはいられない。私には、公爵家の娘として、しなければならない振る舞いがあるのだ。
私は、「ゲーム」の知識を得る前、ずっと公爵令嬢として、第二王子の婚約者として、ふさわしくあろうと努力していた。そのことを漸く思い出し、重い腰を上げることを決意した。あの努力をなかったことにしてはいけない。それは、昔の自分を、ないがしろにすることになる。
私は庭園の中に据えたテーブルで、ミアとふたり、向かい合った。ミアのひまわりに似た黄色い髪が、陽光の中で色鮮やかに輝いている。こんなところからも、少しずつ、日差しが強くなりつつあるのを感じる。リサがパラソルを立てかけると、影がさっと掛かり、過ごしやすくなった。
「ミア、来てくれてありがとう」
「お誘いありがとう、キャサリン。もう痛みは大丈夫なの?」
「ええ。元々、ちょっと挫いただけだったから」
カップに紅茶を注ぎ、少しずつ飲む。暖かい光の中で飲む、温かい紅茶は美味しい。
「なら、大したことなかったのね。最近陛下のお加減が良くないでしょ? キャサリンもそういうのなのかと思って、聞いたとき、どきっとしたわ」
「知らないわ。そうなの?」
「えっ、知らないの?」
焦げ茶の瞳できょとん、と見つめられ、私は頷く。そんな話、初耳だ。ミアは肩を竦めて、「ちょっと疎すぎなんじゃない」と言った。
「本当に急に、全身が痛いと仰るから、どうなることか、って騒然としたのよ。急だったから、殿下の即位の準備もしていないもの。オルコット公爵も、忙しかったでしょ」
「まあ……」
たしかにお父様は夕飯時にいないことが多かったけれど、今まで私は学園の寮に入っていたから、それが普通なのだと思っていた。そういえばリアンが「最近お父様が忙しそう」とぼやいていたような気もする。
「それで、陛下は……?」
「そういう症状に効く薬がある、って話があったの。何人かで試して、問題なさそうだから陛下が飲んだら、全身の痛みが引いたそうよ」
「それは、良かったわ」
陛下に万が一のことがあれば、若すぎる王太子殿下が即位する運びとなる。しかし、陛下もまだお若い。そんなふうにお加減を悪くするなんて、誰も予想していないことだから、とんでもない騒ぎだったに違いない。
「怖いわね、急に全身が痛くなるなんて……」
「……ここだけの話だけど、毒味役が首になったらしいわ」
ミアは声を潜めていう。私は絶句した。毒味役が首になるということは、食事に毒が入っていたということではないか。
「……まあ、確定ではなくて。ほかに理由が考えられないから、より信頼のおける者に替えたとか」
「そうなの?」
「そうよ。それも噂だから、真偽のほどは定かではないけど」
軽い口調で話を締めたミアの目元に、心なしか憔悴の色が見える。
殿下の即位が決まれば、ミアは王妃になる。その騒ぎの渦中で、大変な思いをしたのだろう。
そんなこと全然知らずに、私は自分のやりたいことだけをして、しかもここ数日は寝ていただけだった。
煩わしいお茶会やパーティに出ない大義名分があるからと言って、さぼらずに最低限の情報を得て、友人の助けになるべきだった。今、ミアの疲れを察してそう思うけれど、悔やんでも遅い。
「ごめんね、何もしてあげられなくて。大変だったでしょう」
「これが私の役目だし、陛下もお元気になったから。いいのよ。でも、本当に……毎日いろいろな人が会いに来たり、いきなり即位の話が持ち上がって怖気付いた殿下を励ましたり。なのにキャサリンは何も知らなかったなんて、あーあ」
ミアはわざとらしく溜め息をつき、紅茶をごくんと飲み下す。率直な言い方が、胸に突き刺さる。事情のわからない私は、ミアがどれほど大変だったのか想像することしかできず、掛けられる言葉がない。近くで見ていれば、その場で励ましたり、相談に乗ったりできたのに。
「あなた、ベイル様のことだって大して気にしてないんだから、いつまでも引きこもってないで、早く社交場に出てきなさいよ」
「そうだね。私も、今の話を聞いて、そう思った」
家族は、優しい。冗談のように「婚約破棄が云々」「パーティに出ないからなまった」などと言うこともあるけれど、お茶会やパーティに参加しろ、と強く言うことはない。その言葉に甘えて、まだいいのかな、と思っていた。何のことはない。出るべき時期はとうに過ぎているのに、私を気遣って、ただ言わなかっただけだ。
ミアは元々勝気な顔付きをしているし、口調も強いから、あんな風に真っ直ぐな言葉で言われると、きつい。でも、ぬるま湯から出るには、その手厳しさが必要だったのだ。
「陛下の快気を祝うパーティが、近日中にあるわ。招待状を送るから、あなたも、ぜひ来て頂戴」
「そうする。ありがとうミア、はっきり言ってくれて良かった」
「キャサリンがいないとつまらないのよ。楽しみにしてるからね」
ミアはそう言い残して、帰って行った。
「快気祝いのパーティには、参加するわ」
「畏まりました」
私はリサに、そう宣言する。
スコーンを作ったり、ハーバリウムの試作を実際にしたり……それはとても楽しかったし、これからも続けていこうとは思うけど、そればかりしてはいられない。私には、公爵家の娘として、しなければならない振る舞いがあるのだ。
私は、「ゲーム」の知識を得る前、ずっと公爵令嬢として、第二王子の婚約者として、ふさわしくあろうと努力していた。そのことを漸く思い出し、重い腰を上げることを決意した。あの努力をなかったことにしてはいけない。それは、昔の自分を、ないがしろにすることになる。
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